爪006 踏み締める一歩目
結果から言うと、クラインの本は完売した。
二百四十冊もの分厚い本はたった一日で、というか数時間程度で綺麗に売れたのである。
さすがの私もこれには驚いた。まさか客足が一切衰えることなく、むしろ最後の最後まで行列が増え続けるなんて思わなかった。
「すげえなクライン! もう作家さんになっちまえよ!」
「……選択肢の一つとして検討すべきかもしれんが……いや、この売上はオレが二人目である今だけのものだ。後続が現れればそう遠からず著者としての価値は落ちる。人生設計を軽率に崩すべきではない」
「でも今日だけでいくらになった? えーっと、二百四十かける……えっとえっと」
「紙幣単位の価格設定が英断だったことだけは確かだな」
本の販売は大成功だ。発表会は本来こういう商売を前面に出す場所ではないけど、売れちまうんだからしょうがない。
けど、本当にいろいろな人がやってきて本を買っていった。同じ学園の学徒らしき人はもちろん、大人や、ずっと歳のいったおじいさんやおばあさんまでもが列に並んでいた。
“光属性術を習得した二人目の魔道士”という付加価値は、私が思っていた以上に大きいものだったらしい。
売上は一度学園を通しておかなければならないので、一度中央棟の事務室まで行ってお金を預ける。こういうお金の納入は本来その日の終わりに行うのが通例らしいので、早々にやってきて莫大な額を引き渡してきた私達に受付の導師さんは随分と驚いていた。
「クライン、これだけのお金どうすんの。また本刷れば売れそうだけど……」
「増刷はしない。今日の完売分で印刷費が数割増しになって戻ってきただけでも充分すぎる。金の使い道は……そう、だな。あまり、人のいるところで話すことでもないだろう。それは」
「あ、それもそうか」
「物騒だ」
「確かに」
往来で大っぴらに金の話をするような奴は、まあ、どこでもろくな眼には遭わない。
デムハムドの湿気た酒場で羽振りの良いことを喧伝すれば、帰り道はさぞ退屈しないことだろう。いや、むしろデムハムドだと頭のネジが飛んでる連中が店の中でおっ始めるか。夜道を襲うだなんて礼儀正しい真似はしないだろう。
……私もミネオマルタにきて、ちょっと平和ボケしていたみたいだな。
「喫茶蜜葡萄、開店してまーす」
「理式製図室へお越しくださーい」
廊下を歩いていると、牧歌的なダボダボな服にエプロンを被った女の子達とすれ違う。
頭に大きな巾を被った特徴的な装い。確か半年前にも足を運んだ、今日しかやっていない喫茶店なんだっけ。
出てくる飲み物や食べ物に特別美味しいって印象は抱かなかったけど、店の雰囲気は良かったな。
レーズンの入った硬いクッキー。素朴だけど美味しかった。
「腹減ったなぁ」
「君は常に腹を空かせているな。頭を働かせてもいないのに」
「うるせえな。今日は肉体労働で手伝ったんだ。腹減ってて良いだろ」
そりゃいつも腹を空かせてるのは否定はしないけどよ。
「……行くか」
「え? どこに」
「だから、食事をしにだ」
クラインは壁に貼られた“仕込み杖の歴史”を眺めながら喋っている。
私と会話してるつもりなのか、仕込み杖と会話してるのかどっちだ。
「……今日の販売は多忙だった。短期間に多くの客が訪れ、それに伴って君の負担も増したことだろう」
なんか始まった。紙芝居の出だしか?
「オレは働きに対しては正当な報酬を用意する」
「ごめん、意味分かんないから簡単に言ってくれる」
「ロッカ。君に食事を奢ってやろう」
「マジで? やった」
よくわかんねえけどつまり私が頑張ったから飯奢ってくれるってことだろ?
どうやったらそれだけの事が物語の最初みたいな言葉になって出てくるんだよ。本を書く人ってみんなそうなのか? まあ、奢ってくれるって言うならありがたくもらうけどさ。
「ただし、食事は外だ」
「学園の中にも店はあるけど?」
「素人の作った食事に高い金を払いたくないだろう」
鼻で笑ったクラインの言葉は、幸運にもさっきのウエイターさんのような人には聞かれていなかったようだ。息するように敵を作る言葉を使うなよ。
「外の店で、食事だ。ロッカ、君は好きなものを頼んでいい」
「酒は?」
「……明るいうちから飲むものではないだろう。やめておけ」
「まあそうだな。じゃあちょっと値段するような、ほら。肉料理とかもいいの?」
「構わない。オレの皿に肉汁を飛ばしさえしなければ」
「お前……クラインお前、実は良い奴だなぁ!」
「なっ、やめ、やめろっ。肩を組むな」
他人の奢りで豪華な肉料理。これほど心躍るものもなかなか無い。
「あ、でも良いのかな。ソーニャ達とか一緒じゃなくて……みんなは今、演習場の大講義を見に行ってるんでしょ」
どうせなら皆と一緒に食べたほうが良いと思うんだけど。
ボウマなんか今頃退屈してるかもしれないし。大講義そこまで興味なさそうだったしな……。
「いや。二人で行く。何故ならばこれは今日の君の働きに対する報酬だからだ。他の奴にまで奢ってやるつもりはない」
「それもそうか……危ねえ。逆に皆にバレたら何言われるかわかったもんじゃないな」
クラインの奢りと聞いたらボウマやヒューゴなんかは喜んで集りにきそうだ。
もしかするとソーニャも悪乗りしてくるかもしれない。
……よし、これは秘密だ。クラインの奢り、私だけ。良いじゃないか。ちょっと悪いことしてるみたいでドキドキしてきた。
「わかったら、さっさと行くぞ」
「おう! ありがとなクライン」
「……オレからの礼なのだから、君が気にする必要はない」
「まぁまぁ、そう言っておくもんだろ。こういうのは」
「そうか」
まだ発表会は続いている。むしろ昼を過ぎて少しした今くらいが最も人の多い時間帯なのかもしれない。
闘技演習場を使った大講義。
廊下に張り出されたいくつもの研究成果。
ハリボテで改装された講義室。
普段は学園で見ない人たちの往来と、浮かれたような賑やかさ。
発表会って言うと頭が良さそうな響きがあって取っつきにくいけど、中身を大雑把に見てみれば、これはお祭りのようなものだ。
「食い終わったらまた見に来たいな。やってるかな」
「……やっているはずだ。多分だが」
そっか。じゃあ戻ってきて時間が余っているようだったら、ソーニャの展示物でも探してみようかな。
「クラインは店ついたら何食べる?」
「豆のサラダ」
「……そういうのばっかりだな」




