霧005 忘れていた法則
マルタ杯終了後は例年通りではあるものの、学園内での闘技演習場の利用者が急増した。
惜敗した者。汚名をすすぐ者。熱戦に触発され、対戦を志し始めた者。最上階へ向かう魔道士達の想いは様々だ。
一度結果が出た後だからこそ火が着き、奮起する。ミネオマルタの学徒達は勤勉で、物静かではあれど、負けず嫌いが多い。
それ故に闘技演習は白熱するが、闘志が激しくぶつかりあえば人間同士いざこざが起きるもので、演習場の付近での口論も増えた。
勝敗は戦績として残り、衆目の前で若い矜持にも傷がつく場所だ。演習場とはいえお遊びではない。
今日もまた、一部の学徒たちが学園内で言い争っている。
「だからっ……! そうやって私達水専攻を侮辱するのはやめなさいと言っているのよ!」
「侮辱? ハァ? してないけどぉ? だって事実じゃん。あんたらが弱いのはさぁ」
講義が終了し、まだ日も高く明るい屋外演習場。
その一角で水専攻四年の学徒達が徒党を組み、横並びに水魔術の長距離投擲を練習していたのだが、それを横目に見てあざ笑う学徒がいた。
己の魔術を馬鹿にされて怒らない魔道士はほとんどいない。学園に属する者であれば尚の事だ。
「しょっぺえ初等魔術ばっか撃って仰俯角を調節するわけでもねぇ。振り方も変えねえ。水の伝統ってなァそんなクソみたいな訓練ばっかなのかよ? ケケケッ」
水専攻の女子たちに歩み寄るのは小柄な女性魔道士。
黒いコルセットドレスを身に纏うナタリー=ベラドネスであった。
「鉄……鉄専攻の貴女に何がわかるというの?」
「鉄専攻でも水の初等術くらいできるわボケ。ほらよ」
ナタリーは手にしたバトルメイスを軽やかに振るい、無詠唱で魔術を発動させた。
突然の魔光に水専攻の女子らは身を竦ませたが、生成物は安定した軌道で遠くへ飛んでゆく。
「あ……」
ナタリーの放ったものが水魔術であることに一人が気付いた時、既にそれは彼女らの使い続けた水魔術のどれよりも遠い石壇を濡らし弾けたのだった。
「はァい圧倒的一等賞。……あれ? そこの先輩方みなさん水専攻じゃないでしたっけねぇ……? あれぇ?」
「く……私達は、初等術なんて……!」
「はぁ? 投擲に初等も高等もないでしょーよ。投擲サボりすぎて使えてないだけっしょ」
ナタリーはにやりと笑い、上級生たちの前を肉食獣のように静かに歩く。
水専攻の彼女達は歯噛みし、言葉を返せないでいる。実力不足を己で痛感しているからだ。
彼女らは入学から現在に至るまで座学と単純なその場での術の行使のみで魔術を修めたつもりでいたが、長年のブランクは投擲技術に影響を及ぼしていたのである。
投擲精度、距離、回避技術。彼女たちはそのどれも備えていない。
座学を続ける魔道士にありがちな、俗に言う“頭でっかち”であった。
だが少なくとも、彼女たちはそれを自覚した上でここで練習していた。マルタ杯の試合に触発され、衰えや非力を痛感したが故に奮起したのが今の彼女たちだったのだ。
非力は承知の上だ。だからこそ言い返せない。それがマルタ杯で成績を残したナタリーからの指摘ともなれば尚更である。
「おい、やめなよ」
「ぁあん?」
そこに一人の闖入者が現れる。
言い争いを傍から聞いていて我慢ができなくなったのか、その人影はまっすぐナタリーのもとにまで近づき立ち止まった。
威圧的な男物のオイルジャケット。鋭い目つき。高く括った茶髪。
近頃は学園内でもその名をいろいろな意味で高めているロッカ=ウィルコークスその人であった。
「屋外演習場は誰のもんでもないだろ、ナタリー」
「おーおー、これは特異科のロッカちゃんじゃないスかぁ……誰のモンでもねぇ。そりゃそうだ。だから?」
「そういう喧嘩を売るのやめろって言ってるんだよ」
以前も二人はここで衝突したが、今は状況が少し異なる。
特にロッカ=ウィルコークスがその手に破砕杖アンドルギンを握っているという事は大きな変化だろう。
現にアンドルギンは屋外演習場の地面に叩きつけられ、石タイルを派手に砕いている。
それはロッカなりのちょっとした威圧であったが、傍から見ていた水専攻の学徒たちにとっては十分に恐ろしい示威行為であった。
「やめねーよバァカ。誰にモノ言ってんだカス」
だが、ナタリーはその程度のことで動じない。
気に入らないものには突っかかる。強いものには挑みかかる。何より自分に歯向かうものは好んで歯向かうのが彼女であった。
「やる気もねぇくせに目障りな雑魚がせっかくの屋外スペースを三割も使ってんだ。一言くらい言うに決まってるっしょ」
「てめーナタリー、一言で終わらねーだろ」
「つーか何よロッカちゃん。アタシになんか用? 今のアタシは闘う以外に興味なんて無いんですけどォ?」
「いいよ、闘ってやろうじゃねえか」
「へぇ!?」
思わぬ返答にナタリーの口角が上がり、身に纏う魔力が漲る。
近頃はそこそこ波長が合わないこともないせいで機会がなかったが、ナタリーはこのロッカに一度敗北しているのだ。
敗因には油断と自身の合理性にかける判断が多分に含まれていたが、負けは負けだ。ナタリーはこれまでずっとその敗北を噛み締めていた。
だがここで、ロッカが応じるという。
それはナタリーにとって少々意外であり、望む所だった。
「いいのかいロッカちゃん。このまま挑まなければアタシに勝ち逃げできるよん?」
「私は負けない。次も勝つ」
「良い度胸じゃんかオイ……これは冗談じゃ済まさねえぞ」
「おう」
互いに鉄の国出身で、荒くれ者の中で育った女だ。
二人が視線で火花を散らせる姿は、水の国の穏やかな環境で育った水専攻の女子たちにとっては少し過激すぎたらしい。取り巻きの一人は気迫に中てられて倒れそうになっていた。
「闘技演習場にきな。中級保護で瞬殺してやるからよ」
「上等だ。私が勝ったらあの子達に謝れよ」
「勝ってから言えよバカ」
「馬鹿じゃねえし」
二人が去り、剣呑な気配を漂わせたまま消えてゆく。
「ナタリー=ベラドネスとロッカ=ウィルコークスがまた闘うなんて……」
「前回は、とても恐ろしい試合だったそうですね……そうなると今回も、また……」
「いえ、中級保護らしいですし、ですけど……あの二人となると……」
「……皆さん。私達も演習場に行きましょう」
徒党を率いていた女子学徒が向き直り、皆の目を見回した。
そこにはロッカから与えられた一握ほどの勇気の火が灯っている。
「見届けるのです。あのロッカという子は、私達を庇うために戦場へと赴きました。あの強力なナタリーの待ち受ける場所へ……だから……その有志を、私達は見届ける義務があります」
皆が頷いた。ここで他人のふりをして逃げることは簡単だが、それはあまりにも貴族的ではない。
「以前あの“パイク・ナタリー”を破った彼女なら……!」
「行きましょう!」
「ええ!」
彼女たちは向かう。ナタリーとロッカが闘う決戦の地へ。
――そして彼女らは目にしたのだ。
「てめぇこの馬鹿野郎! 底抜けのマヌケ! なんだそのザマはオイ!」
「ご、ごめんナタリー」
「ふざけんな! なんで試合開始直後に身体強化決めてんだよカス! 一瞬で反則負けしやがってバカ!」
「なんかマルタ杯の癖抜けてなかったわ……」
「向き合った時のあの“本当の決着をつけてやる”って言った時の顔はなんだよクソ! こっちも本気で構えちまっただろうがアホ! ルール読み直して一昨日きやがれバァーカ!」
「ほんとごめんって……」
二人の試合は一瞬だった。
ロッカとナタリーが向き合い、戦意は高揚し……試合開始と同時に、ロッカがその場から消えたのである。
学園の闘技演習場でのルール。身体強化の禁止。それに開始直後に抵触したのである。
消化不良にナタリーが怒り狂うのも当然のことであった。
「……特異科ってやっぱり……」
「しっ、それ以上はいけません! 一応……一応あれでも、私達を庇ってくれたので……」
「……うん……」
ある意味、ナタリーの矛先を反らすことには成功したのかもしれない。
代償は公式に残る黒星と、それなりに多い観衆からの冷笑。それから数日、ロッカの一瞬の敗北はそれなりの笑い話として学園をほどほどに明るくしたのであった。




