霧004 散らばった朝靄
「では、どうぞ」
「ああ」
魔具科立ち会いの下、クライン=ユノボイドが透明な円盤の前に手を翳す。
それは彼の特異性によって生み出された大きなレンズ。長年の修練によって作り上げられた、非常に精度の高いガラス魔術であった。
「“レイン”」
立てかけられたレンズに向けて、クラインが光魔術を放つ。
未だ世界で二人しか習得者のいない属性術の発動に、実験室の緊張が高まる。
レンズを挟んで反対側には、卓上精密万力で固定された小サイズの黒魔石がある。
凸レンズが生み出す光の屈折はクラインの光魔術の流れを収束させ、黒魔石の中心へ、僅か五ミリほどの一点に注がれていく。
「……」
光初等術“レイン”。初等術として扱われているが、その理学式は数多くある魔術のほとんどを超えるほど複雑で難解だ。
クラインはこれを修得して以降、何度も繰り返し使って練習を続けてきたが、それでも連続発動時間には限度がある。三秒もしないうちに彼は表情を歪め、光を絶やして深く息をついたのだった。
「お疲れさまです。ありがとうございます、ユノボイド君」
「ふぅ……レンズの」
「はい?」
「レンズの精度が、悪かった……失敗だ……歪んでいる……完璧じゃない……腕が鈍った……」
「は、ははは。実験には問題ない範囲なのでそうお気になさらず……おおい皆、計測始めてくれ」
「ういーっす」
魔具科准導師の一声によって、実験を見守っていた学徒たちが動き出す。
光属性の照射を受けていた黒魔石に、緑青を帯びた古い計測器具が取り付けられてゆく。これは魔力を保持する力を持つ黒魔石の内部に残留する魔力量を計測するものであった。
実験の内容は、魔力の破壊と再分配を行う光属性術の特性を活かした、黒魔石への人為的な魔力充填のテストである。
通常、黒魔石への魔力の充填は人の手によっては行えない。生命の霊魂を介在する魔力は魔石に蓄積できないためだ。
そのため、例外的なものを除けば環境魔力の豊富な場所で長期間安置することによって少しずつ満たしてゆくのが主な方法であった。
しかし、光属性術によって分解された魔力は所有者を喪失し、自由なものへと変化する。
この無色の魔力は黒魔石へ魔力を自然充填するための環境魔力とほぼ同質である。それが魔石内部へ急速充填されるならば、従来以上の速度で黒魔石を満たすことができるかもしれなかった。
ところが。
「……うん、充填は不十分のようだ。誤差の範囲かな……むしろ、通常の光魔術による充填よりも低い結果に終わっているかもしれない」
「ああ……計測も正しそうですし、みたいですねぇ……」
計測機器の曇ったケース越しの目盛りを覗き込む准導師は、その試みが失敗に終わったことを悟った。
光魔術の魔力再分配は黒魔石に僅かに魔力を充填する。それはリゲル=ゾディアトスが行った実験や、過去の光魔術(属性術ではなく独性術)による実験で明らかになっていた。
しかしそれによる充填量は非常に少量であり、人為的な充填を実用化するには難しいものであった。
そこで、クラインが実践してみせた光魔術の収束に白羽の矢が立ったのであるが、結果は今の通りである。
「ううむ……懸念通り、やはり収束させた光魔術はそもそも狭い効果範囲故に周辺の魔力を分解できず、再分配に至ってもその充填量が極僅かにしかならないようだな……」
「集光による未知の圧力が黒魔石への充填を補助するかもと思いましたが、そう上手くはいきませんね……」
「途中に他の術によって魔力構造物を配置すればあるいは……とも考えたが、それも通常の光魔術による分配を上回るとも思えないからなぁ。充填済みの黒魔石を人為的に大量利用できるかもと思ったが、そう上手く技術革命は起こらぬものだな。……しかし、良い実験だった。改めて、協力してくれてありがとう、ユノボイド君」
「いえ。オレにとっても興味深い実験でした。また何か必要であれば言ってください」
「ありがとう。君も忙しいだろうが、その時は是非お願いするよ」
准導師はクラインと固い握手を交わし、顔を綻ばせる。
実験は失敗に終わったが、失敗は虚無を意味しない。仮定と実践を繰り返して探究するひたむきな姿勢は、かつての科学も理学も同じなのだ。
「ところで、導師。最近黒魔石の価格が高騰していると聞きましたが」
「ああ、ユノボイド君の耳に入るよねぇそりゃ。間違いないよ。おかげで魔具科で予定されていた実験のいくつかが先送りにされてしまったからね。闘技演習場の利用間隔に調整が入らなかったのは幸いなんだろうが……割を食う側としてはちょっと参るよ」
先の“聖櫃”事件により大量の黒魔石が一気に消費されたことで、ミネオマルタは一時的な黒魔石不足に陥っていた。
国王の威光、あるいは強権によって金銭的にはカバーできる問題ではあったのだが、肝心の充填済みの黒魔石そのものを現地で用立てることは難しかったのである。
そのため充填済みのものを水国各地から輸送しているのだが、それでも数としては不十分なままだった。結果として、学園内では黒魔石に頼った魔具の利用が一部制限されている。
学園にある闘技演習場は古来より残る強い法によってその運用が優先されており、変化はない。
逆に魔具科での黒魔石の利用は制限されていた。事件の解決において大量の魔具が活躍したにも関わらず、後処理では魔具科が割を食うという不本意な形である。とはいえ、魔具科が消費する黒魔石の量を考えれば妥当な判断ではあったのだが。
「ま、それでもやれることはあるから良いんだけどね。しばらく理式楔晶をチマチマいじくり回す時間が増えるだけさ。学徒たちはお望みじゃあないんだろうが、これも大事な積み重ねだ」
「座学は嫌だ……魔具を稼働させたい……」
「ゴーレムを動かしたい……製図室は嫌だ……」
「お前達うるさいよ。静かに片付けしておきなさい」
魔具科の本懐は魔具の稼働にこそある。学徒の多くはそのためにいると言っても良い。
彼らにとって設計図をブラッシュアップさせ続ける作業は、あまり好みではないようだった。
「理式楔晶の構築か……オレも時間があれば、その方面にも触れてみたいですが……」
「はは、やめておきなさい。楔晶の分野は本当に深いからね。時間がいくらあっても足りないよ。君は素晴らしい魔術やその戦闘技術をたくさん持っているのだから、今はそっちを伸ばすと良い」
「……はい」
「多分君も、そっちのほうが好みだろ? さっきのガラスの魔術だって、もっと精度を上げていけるかもしれないしね。僕としちゃあそっちの方も楽しみだよ。理式科の分野だから踏み込みはしないけどさ」
クラインは自分の特異魔術が褒められたことに僅かなこそばゆさを感じつつ、准導師に頭を下げた。




