霧003 見られていた相談会
「数日前までは店の前も結構込んでたけど、ようやく落ち着いたって感じかな。働いてる人は大変だったろうけど、今年のマルタ杯は儲かっただろうなぁ」
レストランのメニューを眺めながら、ヒューゴはそう言った。
あまり頻繁に足を運ぶような店ではないので、メニュー自体に代わり映えがなくとも眺めているだけでも飽きないようだ。
しかし向かい側に座るソーニャとしては、既に注文を終えた後にまでメニューを眺める気持ちは共感できないらしい。彼女はヒューゴを呆れた様子で見ていた。
「なんか仕入れ値とか気にしてそうな顔してるわね」
「あ、わかる? 原価を想像するのがちょっと楽しいんだよね、こういうの」
「わかんないわよ。面白くなさそう」
「そうか……一番原価の高そうなやつを注文するのが好きなんだけどな」
「食べたいやつを選びなさいよ……」
特異科のクラスメイトの二人、ヒューゴ=ノムエルとソーニャ=エスペタル。
二人は恋仲というわけでもなかったが、時々こうして機会を設けては二人きりの食事をすることがあった。
その理由は、同じクラスメイトのロッカとクラインについて話し合うため。
「いやぁ僕としてはもう放っておいていいんじゃないかって思うんだけど」
「全然よくない」
「お待たせしました、ノダチウオとキレツガイのパスタになります。こちらはキンシンソウとトマトのアヒージョになります」
「わぁ美味しそうだ」
「あらどうも」
「ごゆっくりどうぞ」
店員が静かに立ち去っていくのを見届けて、ソーニャはよそ行きの笑みを崩した。
「……だから、あの二人はもうちょっと見てないと駄目でしょ」
「冷めるよ? 先食べない?」
「食べるけどぉ」
二人はしばらくの間、少し高めの料理に舌鼓を打った。
彼らにしては少々割高な店である。普段から気軽に入れる場所でもなかったので、味を楽しむとなればそれはそれで真剣であった。
「あの二人さ、まぁ僕としては結構クラインに肩入れしてるところはあるからってのもあるんだけど、でも悪い感じはしないと思うんだよね」
先に会話を仕切り直したのは、男らしくそこそこ早くパスタをかき込んだヒューゴであった。ソーニャが熱いアヒージョを少しずつ二割ほど食べた頃には、彼は既に九割方を食べ切っている。
「……まぁ、最近は結構普通っていうか、落ち着いてる感じだけどね。仲、悪そうじゃないし」
「クラインの刺々しさも落ち着いてきたし、ロッカもクラインの言い回しに慣れたところがあるんだと思うよ。これでロッカが本気でクラインのことを煙たがってるなら僕も焚き付けたり助言したりはしなかったけどね。今のままだったらまぁ、良いんじゃないかなって」
「クラインにどんな助言してるのよ」
「別に? すごい遠回しに、誰でも知ってるような当たり前の助言をしてるだけさ」
「ふうん? ……あッつ」
「おいおい、大丈夫かソーニャ」
小さなトマトから溢れ出た汁が思いの外高温で、ソーニャはしばらく口元を抑えた。
ヒューゴは苦笑しながら水差しの水を注いでいる。
「ま、僕もクラインの保護者ではないからさ。あくまで友人として助言してるだけだよ。二人の内心だってよくわからないし」
「……私もまぁ、ロッカのやりたいようにしてほしいだけだから、直接口を挟むつもりはないんだけどね」
二人の中で、クラインがロッカに思いを寄せているであろうことは既に公然の事実として共有されていた。
最初こそ疑い程度ではあったが、近頃はクラインがロッカを意識しているような素振りを見せる機会も何度かあった。クラインは顔色や視線であからさまなものこそ表には出さないでいるが、節々からは歳不相応な、どこか幼稚な、よく言えば微笑ましい意識の向け方をしているのがわかる。
恋愛感情がどれだけ絡んでいるかは不明だったが、少なくともそれは友人以上に対するものであることは間違いない。
「でもどう見ても二人とも恋愛音痴じゃない。放っておいたら何が起こるかわかったもんじゃないでしょ」
「何がって、何を危惧してるんだよソーニャは……」
「それはもう、色々よ。色々」
「君が二人をじっと見て茶々入れたいだけなんじゃないの?」
「半分くらいはそうだけどさ」
「そうなんだ……」
「単純に、厄介じゃない。クラインの実家が絡むと」
クラインの実家。その話になると、ヒューゴも少しだけ考えるように顔を伏せた。
「まあ、そうだねえ。旧貴族。今となっては名ばかりの血筋だけど、気にするところは気にするからね。……中でもユノボイド家は結構、気にする地方の家なんだよなぁ」
「クラインが全属性術士って公表されてから、また一段とあいつにアピールする人が増えてるじゃない。ほとんどは親にせっつかれてか嫌々っぽいけどさ……クモノス近辺の家の子たちは、結構本気よアレ」
「干満街クモノス、ねえ。向こうは魔術の腕前で名を挙げてきた旧貴族が多いからね。クラインの力に惚れ込むのも無理はないだろうさ。それでも少し話しただけで引き下がってく人は多いけど、全員が全員そうでもないっていうのは正直驚きだ」
旧貴族には血筋による魔術の潜在的才能を期待する風習が未だ根強く残っている。
実際に血筋は楯衝紋に影響するので間違いはないのだが、光属性術は間違いなくクラインの日々の努力の賜物だ。それを知っているヒューゴとしては、今になってもてはやされる彼の気持ちを思うと少々やるせない気分になる。
「ロッカのことが縁談に邪魔となると判断されたら、本格的に危ないかもしれないわ」
「僕も旧貴族に詳しいわけじゃないんだけど、そこまでするのかな」
「普通だったらしない。けど光属性術も古臭い旧貴族も、どっちも普通じゃない。だから怖いのよ」
「うーん、クラインとロッカの仲を引き裂く? 今はただ仲が良いっていうだけだけど……」
「これからどうなるかわからないでしょ」
「それはまあ。……でも、ロッカだろ? 何か心配することある?」
「……あ……るわよもちろん! 女の子なんだから!」
「…………うん、そうだね」
ロッカとクラインの仲がどう進展するかはまだわからない。
現在はロッカが懐いているだけのようにも見えるし、クラインも手のかかる妹を気にかけているだけのようにも見えなくはない。
しかし二人の仲が今よりも深まれば?
そうなった時、ロッカを邪魔者だと考える人々が動き出したら?
ヒューゴとソーニャは、夜の薄暗い路地裏で暴漢に襲われるロッカの姿を想像した。
“オラァ!”
暴漢は抜けた奥歯と一緒に吹き飛んだ。
「……冷め切っちゃう前に食べましょ」
「うん、そうだね」
とりあえず二人は、今日の会合をこの辺りで打ち切ることに決めたのだった。
懸念はあるし危ないかもしれないといえば危ないかもしれないが、いざ想像してみると杞憂だったのかもしれない。少なくともソーニャが少しだけ落ち着けたのが唯一の収穫だろうか。
「あー美味しかった。でもやっぱり少し高い店ね」
「そうかな? キレツガイの入ったパスタをあの値段で出せるのは僕は結構すごいと思うけどな」
「ほんとそういう商売の話好きよねヒューゴって」
「もちろん」
ほどほどに腹を満たして店を後にする二人。
そんな彼らの姿を、偶然遠目に見つけてしまった買い物帰りのロッカがいた。
ロッカは身体を半分だけ路地裏に隠した状態で、親しげに並び歩く二人のクラスメイトの姿に慄いている。
「マジかよ……ソーニャ、ヒューゴ、やっぱり二人とも付き合ってるのか……!?」
明日からどのように二人と接すればいいのだろうか。
ロッカはその日一晩かけて、真剣に悩むのだった。




