鏡013 かき消された出自
動かされた人員は数知れず。嵩んだ出費は動かざる山が傾きそうなほど。
しかしそれでも水国は事件を解決した。人的被害を抑え、ほぼ完璧に。莫大な費用が何処へ吹き飛んでいったことに目を瞑れば、まさに完璧ではあったのだ。
「あーそうだな。八号黒魔石の九割以上が充填されているものだ」
「工房にも無いと? それは参った……いや、こちらで当たってみよう。ツテがあったはずだ。速信で訊いてみよう。待っていてくれ」
「アルゴナイツの配置換えだと。早すぎる。……いや、エクトリアか。参った……どうしたものか」
ミネオマルタ中央部の役所では、大勢のザイキ達が慌ただしく駆け回っていた。
両生類じみた彼らの足がペタペタと石の床を叩く音は休まることがない。平時にはほとんど見られない、珍しい光景である。
それもこれも、全ては水国の体裁を整えるためだ。
非常事態とはいえ過剰に動かされた人員、手厚すぎた臨時補償。どれも並々ならぬ費用がかかっている。
何より最も深刻なのは、スキラー・ブライオン捕獲のために多重起動された強制転移装置の動力に用いられた大量の黒魔石だった。
半数近くは国庫や理学機関から徴収されたものであったが、残りはラリマ競技場の式典で動かされるパレードゴーレムのための動力源である。
本戦の開会式においてパレードゴーレムが披露されたが、閉会の際にも同じように動かさなければならない。多少は落ち着いたものになるとはいえ、それでもいくつもの旗を一糸乱れず掲げ歩く様は、一種の名物として知られているのだ。
面倒なことに、それは伝統と呼べるほどの歴史を持つ見世物だ。
水国はその伝統を守らなければならない。つまり体裁を整える必要があった。
しかし適した黒魔石がなかなか見つからない。それ故にザイキたちは奔走しているのだった。
「幸い、オークションは近い。多少“宝物庫”を緩めていただければ、費用は……短期的で回収が見込めるだろう」
「緩めていただけるのか? あのお方の審美眼は確かだが、欲に目が眩みすぎている。今回の負債を帳消しにできるほど、放出できるかどうか」
「そもそも放出するよりも買い足す方が嵩むのでは」
「あり得る。あまりあてにするべきではないかもしれん」
ザイキ達が語っているのは水国王が示した方針についてだ。
彼らは影の国から派遣された役人であったが、基本的に水の国の王からの指示を優先する決まりとなっている。
命令を棄却できる立場のザイキもいるにはいるが、彼らが沈黙しているということは即ち、現状のままということであろう。
「とにかく喫緊のものから片付けねば」
「多少多くても構わん。黒魔石を掻き集めよう」
「紋信官を呼べ」
人知れず、彼らは働き続ける。全ては国のため、民のため。今現在は、式典に添える花をどうにか用立てるために。
『勝者、名誉司書クライン!』
クライン=ユノボイドは勝利した。
つい少し前までは泥のように眠っていた彼だったが、技の冴えは“昨日”の試合以上であった。
実を言えば彼は本調子ではなく、まだ内在魔力にも陰りがある。それでも先程の試合では烈火の如き猛攻によって、対戦相手の定石を尽く潰して勝利した。
「実戦に勝る経験は無いとはいうが、その通りというわけか」
歓声が降り注ぐ。傍から見ても圧倒的で鮮やかな勝利だったので、環境を広げ合う泥仕合よりはずっと盛り上がったらしい。
クラインは耳を麻痺させるような歓声の中を速歩きで通り抜け、通路へ戻ってゆく。
彼はまだ眠り足りない。この後またルナポットを飲み、仮眠する必要があるだろう。
しかしひとまずはその前に、同じく“聖櫃”での行軍を共にした仲間たちの顔を見なければ落ち着かなかった。
「おめでとう」
「……」
通路を歩いていくと、護衛のレティーが壁を背にして待ち構えていた。
「貴方のお母様から伝言。後で貴賓席に、と」
「……はあ。わかった、すぐに向かおう」
「ええ」
疲れているし、本当は貴賓席に行きたいわけでもなかったのだが。かといって義理とはいえ大事な母の一人だ。無碍にはできない。
「ごめんなさい」
「……何がだ」
「本当は友達のところに行きたかったのでしょう」
「……」
クラインはいつもように足早に、通路を通り抜けていった。
貴賓席にはクラインの義母ベルベットと、姉のクリームがいた。
二人が並んでいると血縁があるだけにまさしく親子だが、姉の方にも半分だけ自分と同じ血が流れていることを思うとクラインは顔を歪めずにはいられなかった。
「クライン? お姉さまを見てそのような顔をするのは無礼よ?」
「ベルベット母さま、おはようございます」
「ええ、クライン……朝は会えなくて、とても心配したのよ……?」
「何分、起きてすぐに試合だったものですから。体調に問題はありません」
「そのようね……心配していたけれど、無事で何よりだわ……」
ベルベットはクラインの側まで近づくと、控えめに彼を抱きしめ、背中を擦った。
「クライン。あまり、無茶をしないで……」
「……可能性の無い無茶ではなかったので」
「貴方はとてもウィスプ様に似ているわ……あの方のように、時々どうしようもない無茶をする……やっぱり、親子なのね……」
クラインから離れると、ベルベットは無感情な顔に僅かな悲しみを浮かべていた。
表情に乏しい義母なだけに、クラインから見てもその顔は珍しかった。
クラインとて、わざわざ家族を悲しませる趣味はない。
「ご心配をおかけしたこと、申し訳ございません。ベルベット母さま」
「……クライン。お姉さまにも何か一言ないのかしら」
「……」
「どうしてそのような顔をするのかしらね。……お母様、クラインには危機管理と、マナーの再教育が必要だと思います」
相変わらず、クラインとクリームは顔を合わせるたびに喧嘩ばかりする。
お互いにというよりはクラインが一方的に反発しているだけだが、いつもの光景と言えばいつもの光景ではある。
ベルベットにとって、その光景が戻ってきてくれただけでも充分に幸せであった。
「……戻ってきてくれて嬉しいわ、クライン。……ミネオマルタのお友達も待っているのでしょう? 母さまはもう安心しました。……顔を見せてくれてありがとう。もう、行って大丈夫よ……」
「はい。ベルベット母さま。友が待っているので、オレはこれで。また落ち着いた時に、お会いしましょう」
「うん……」
クラインは義母にだけ礼儀正しく頭を下げると、そのまませっかちな足取りで去っていった。
「あ……そうだ。クライン」
が、その寸前でベルベットが何かを思い出したようで、呼び止められる。
「貴方のお友達のロッカ=ウィルコークスという子のことだけど……」
「……ロッカがどうかしましたか」
「ええ、彼女自身……というわけではないけれど……あの子の母について調べてみたのだけれどね……」
何故ロッカなのか。何故調べたのか。訊きたいことは色々とあったが、クラインは曖昧に首を傾げるしかなかった。
「……調べても、鉄国の旧貴族のところまでしか遡れなかったわ。……クロエと何か、関係があるのかしら……もしも機会があったら、クライン。貴方の方から、直接尋ねてみてくれないかしら……?」
それは家令のシェレンスを中心に調べさせたロッカ=ウィルコークスの情報で、唯一歯抜けになっていた部分だ。
ロッカの母は調べてもほとんど情報がなく、出てくるのは“ある時クロエの手引によって鉱山へとやってきた”ということのみ。
「……オレは」
ロッカの母。確かにクラインも今まで気にしたことはなかった。
「特に興味はないので良いです」
「……そう」
そして今のところ、まだ興味も抱いていない。
彼は友人や親しい相手がいたとしても、その家族にまでは全く関心を寄せない男なのであった。
「では」
ベルベットは足早に去っていくクラインの背中を見て、小さくため息をついた。
クリームも毛先をくるくるといじりながら、呆れたように笑っている。
「あの子に友達ができたと思ったら、その少し外側になってしまうと無関心なのよね。旧貴族の交友だけでなく、自分の身の回りにも注意を払って欲しいものだわ……そう思いませんか、お母様」
「クライン……しばらく見ないうちに、あんなに背中が大きくなっていたのね……」
「……」
クリームが横を見ると、そこにはどこか恍惚とした表情の母がいた。
「あと五年もすれば、もっとウィスプ様やラウド様に似てくるのでしょうね……楽しみだわ……」
「……まぁ、楽しみではありますね」
ラリマ競技場の丸く切り抜かれた青空を見上げ、クリームは義理の母と父の姿を思い浮かべた。
あの気難しく小生意気なクラインは、五年後は果たしてどちらに似てくるのだろうか。
少し考えてみたが、クリームはどうしても父でも母でもなく、頑固で偏屈な祖父アンドルトの方に似ていくのではないかと思えてならなかった。




