鏡009 洗い流す汗
夢を見ていた。
故郷デムハムドの、クズ石を積み上げた小山の上で飯を食う夢。
私はわざわざそんな場所に登ってまで飯を食べたことなんてないんだけど、夢の中の私はそんなことを疑問に思うこともなく、のんきに昼休みのサンドを齧っていた。
そして、鐘楼が鳴る。休憩の終わり。
普通はそんなタラタラと飯を食ってるはずもないんだけど、私は慌てて残りの分を口に押し込んだ。
仕事に遅れちゃ大変だ。そんな焦りが災いしたのか、私は小山の上で足を滑らせ……。
「ぐえっ」
ベッドから落ちた。
床はひんやりとした石造り。……固い。
「ったぁ……」
ぼんやりとした頭が、狭い寝台で寝ていたことを思い出す。
……異空間での冒険が終わり、いつの間にか帰ってきて……そして、一休みしていたんだっけ。
「ロ、ロッカ?」
「あ……」
強く打った尻を擦っていると、見知った声が聞こえる。
すぐ近くの質素な椅子に座っていたソーニャが、眠そうな目で私を見ていたのだ。
「……おはよう」
さんざん危ないことをしてきた自覚はある。だから今回、戻ってきた時にソーニャにたくさん怒られるかなと思っていた。
けど彼女は私を見て、穏やかに朝の挨拶をしてくれた。
疲れ切った私をねぎらうかのように。
「うん……おはよ、ソーニャ」
だから私も、いつもの調子で挨拶を返すのだ。
そう、私はようやく日常に戻って……。
「馬鹿! 向こうでまた危ないことしてたんでしょ!」
って思ったらソーニャ滅茶苦茶怒ってた。
ねぎらうよりもまずは躾って感じの勢いだ……。
「ご、ごめんって。けど元々向こうは危険だったって話だし……」
「……わかってる。ごめん、一言だけ、言わずにはいられなかったの」
「……あれ」
と思ったら彼女はまた落ち着いた。
ソーニャは浅いため息を付いて、私の前髪をちょいちょいといじると、脇に置かれた水差しからコップに水を注いだ。
「……全員助けたって話を聞いたわ。事件が円満に解決して、関係者の間ではもう大盛りあがり。布告はされてないけど、多分噂は街にも流れてるでしょうね……」
「噂……今何時?」
ここには窓が無いせいか、時間が掴みきれない。廊下の向こうに人通りの気配はあるけど、騒々しいほどでもないし。
「今はまだ早朝よ。……大会は予定通り行われるんだって。逞しいわよね?」
「おお……まだ、朝なんだ」
「うん。帰ってきた人は皆同じような反応をしてるけど、ロッカ達が異空間に飛び込んでからまだ一日経っていないのよ。驚きよね……ロッカ、身体は痒くない? 昨日、一通り拭いてもらったみたいだけど」
「え? あ、うーん」
ソーニャの言葉に思わず自分の身体を見た。
いつの間にか私の服はダボダボの無個性なローブに着せ替えられていて、髪も下ろされている。
数日間異空間を探索していた時の汚れは、あらかた拭われているように思えるけど……。
「……少し綺麗にはされてるみたいだけど、身体流したいな……」
「ふふ、言うと思った。……それじゃあ、一緒に共同浴場に行きましょっか」
汗っぽい匂いは好きじゃなかったので、私は早速身体を綺麗にすることにした。
数日ぶりの待ちに待ったお風呂だ。温まるぞー。
ラリマ競技場内に小さな共同浴場がある。
そこは急造されたものなのか元々あったものなのかはわからないこじんまりとしたお風呂で、この時間は色々な対応に追われている国の人やギルドの人の一部が利用しているらしかった。
既に話は通っているようで、浴場の前にいる背の低い女魔導士さんに風呂に入りたい旨を伝えると、快く案内してくれた。魔道士救出作戦に参加した人たちのために優先的に開放しているのだそうだ。
浴場内には濁りのない新しいお湯が張られ、他に人もいない。
私とソーニャはざばざばと身体を流して洗うと、二人揃ってお湯に浸かった。
「あー……気持ちいい……」
「髪浸って……もう。お疲れ様、ロッカ」
「うん。ありがとうソーニャ。……大変だったよ、色々と」
綺麗な湯船の中で顎まで浸かると、なんだか身体の中の悪いものが溶け出していくような気分だ。
冷たい右腕がお湯の中でじんわりと温まっていく感覚が心地良い……。
「大変だったみたいね……ボウマは足を怪我してたし、ヒューゴも血を流してた。ライカンなんて、最初見た時は誰だかわからなかったわ……」
「ああ、ライカン。ねえソーニャ、ライカンは無事?」
私が隣で腕を擦るソーニャに目線を向けると、彼女は眉を困ったように傾けた。
「無事……ではないわね。処置はされたみたいだけど、片腕は取れちゃったし。顔も……狼じゃなくなってた」
「……痛がってた?」
「いいえ、痛がってはいなかった。処置を受けたら全く平気だって。……ライカンの強がりかもしれないけどね」
確かに、ライカンだもんな。痛いのも苦しいのも我慢できる奴だ。
ライカンが本気で強がってたら、私達にはわからないだろう。こればかりは、ライカンが素直でいてくれてることを信じるしかない。
「それと比べると、ロッカは傷も無いし良かったわ。頭の所にちょっとだけ血が出てたみたいだけど、跡は残らないし目立たない場所だから……安心した」
「クラインは?」
「え、あいつのこと気になるの?」
いや“本気か?”みたいな顔してやるなよ。そりゃ気になるさ。最後まで二人で頑張ってたんだから。
「……クラインなら、ロッカよりもずっと平気そうだったわ。寝顔をちらっと見ただけで、まだ話してないけど。起きてるのかしら……」
「クラインって寝顔あるんだ」
「うん、あったわよ。寝るの邪魔しちゃ悪いから、すぐに出たけどね」
私と一緒に深々と湯船に浸かっていて暑くなったのか、ソーニャは一段上がって半身浴に切り替えた。
……こうしてソーニャを改めて見ると、肌も白くて綺麗だし、髪も金色がつやつやしてて凄い美人だなと思う。
「な、なによ。あんまり見ないでくれる?」
「ああ、ごめん。髪綺麗だなって」
「ふーん」
あ、嬉しそうな顔してる。
「じゃあロッカの髪、私が洗ってあげるわ。ロッカの髪だって十分綺麗なんだし、もっとつやつやにしてあげるわよ」
「え、ほんと。やった。あ、後で結ぶのもやってくれる?」
「もちろん。そのかわり、聖櫃で何があったのか色々話してよね」
「わかった」
いつもより早い、だけど全然眠くない明け方。
私はソーニャと笑い合いながら身支度を整えて、久しぶりのような世間話を交わして、そうしてようやく日常に戻ってきたことを実感したのだった。




