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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第九章 組み換わる結晶

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鏡007 頂く矜持


 魂に由来する異空間は、その魂が単一のものであるが故に、複数の出入り口を作ることが適わない。

 自らの異界に潜り込んだならば、出る時は同じ場所から。あるいは、己の魂を刻んだ場所から変わることがない。


 もしもスキラー・ブライオンが外界に他の“門徒”を有していており、信頼が一定の深度に達していたならば。

 あるいは、同一の場所に出現することが危険であるという当然の思考が働いていたならば。


 万全な対策が整えられたその場所に逃げ込むこともなかったであろうに。




 至宝の杖は、魔光と共に空間を裂いて現れた。

 石碑に向かって放り投げられたそれは、現世へと帰還し、追撃の手から逃れたのである。


 だが現実世界と聖櫃の世界とでは、時間の流れに差異が生じている。

 スキラー・ブライオンは己の依代たる杖を放り投げることで速やかに戦線から離脱した。しかし気絶したロッカ=ウィルコークスを抱えているとはいえ、後を追うクラインの帰還も、それとほとんど変わらぬ時間であった。


「誰かその杖を……」


 クラインは石碑から現実世界に戻ると同時にそう叫びかけた。

 だが、既に目の前に杖はなく、数日ぶりとなる大会議室内の雰囲気もまた、大きく様変わりしている。


 部屋自体はかわらない。

 しかし一見しただけでも辺りには奇妙な魔道具らしきもので溢れており、それは帰還したクラインが一歩目を踏み込んだ瞬間、作動した。


「な――」


 魔光。人間によるものではない、黒魔石に溜め込んだ魔力を用いた術の発動。

 そのトリガーとなるパネルはあろうことか会議室の一角を埋め尽くすほどに並べられており、クラインがそんな光景を一瞬の間に理解した時には、既に至宝の杖の姿もそこにはなかった。




 至宝の杖も、その後にやってきたクラインも。行きつく場所は同じであった。

 一定の魔力や重さによって作動する魔道罠は十全に起動し、彼らを強制的に“転移”させた。

 契約を結んでいない相手を強制的に移動させるには相当量の魔力を必要とするが、できないことではない。

 その出現場所が近場のラリマ競技場のステージともなれば、もともと転移用に設計された黒壇の存在もあり、必要となる魔力量も現実的な範囲であるとも言えた。


 そう、スキラー・ブライオンもクライン=ユノボイドも、帰還と同時に競技場内へと強制送還されたのである。


「あんたはこっちだね」

「!?」


 そしてクラインは、再びの目眩を感じた。

 あまり味わったことのない連続転移。彼は一瞬でステージの上に立たされたかと思ったら、次の瞬間には競技場の観客席へと移動していた。

 彼の隣には車椅子に座る魔女会の長、グリンダ=マッキンリィがおり、その手には材質不明の細いタクトが握られている。


「これは、一体。オレはさっき帰還して……」

「おっと、あの子もこっちか。ほいっと」

「う、わっ!?」


 次に観客席に現れたのはベロウズであった。

 ロッカのジャケットに縛られたままのベロウズが、すぐ隣に立っている。聖櫃の中で少しも逃げようとしなかった相手がどうしてか大した時間差もなくやってきたものだから、思わずクラインは瞠目した。


 が、その理由はなんとなくわかった。

 ベロウズは不自由そうに縛られていたが、後ろ手にロッカの愛用品たる杖、破砕杖アンドルギンを握っていたからだ。


「あ……」


 ベロウズは突飛な現象に頭が追いついていなかったが、すぐ近くにクラインがいることに気付くと、ほとんど無意識的に俯いてしまった。

 自分がやったこと。彼に言われたこと。色々あって、顔を見ることもできないのだろう。


 クラインはベロウズが手にした杖についてなど、言いたい気持ちもあったが、今はそれどころではない。


 ステージ上にはまだ、至宝の杖が転がっているのだ。

 全ての元凶、スキラー・ブライオンの依代たる杖が。


 まだ全てが解決したわけではないのである。


「……聞いているとは思いますが、あの杖が奴の本体です」

「ああ、知ってるよ。もちろん。……人質はもういないね?」

「はい。リストにあった者と突入者はこれで全員、のはずですが」

「よし」


 グリンダはにやりと笑い、黒手袋に覆われたその手をパチンと鳴らした。


「起動!」

「起動よし!」

「了解、起動よし!」


 会場全体から声が響いてくる。

 見回せば、夜の観客席にはあちこちに人影があった。

 もちろん彼らは観客ではない。彼らは一様に魔道士らしい正装に身を包んでおり、席に置かれた大きな道具もまた、高級な魔道具であった。


「ここは――」


 やがて、ステージ上に配置された至宝の杖がひとりでに起き上がる。

 杖を起点に右腕が生成され、頭部が生まれ、またたく間に全身が修復されていった。

 当然、クラインはその姿に危機感を覚えた。


「あれは、あいつは危険……!」

「平気さ。ああ、かなり痛めつけておいてくれたようだね。……上出来だ。こうなったらもう、終わりだよ」


 スキラー・ブライオンが再び復活する。次逃げられればどうしようもないだろう。

 クラインはそれだけが気がかりだったが、グリンダはあくまで余裕を崩さない。


「若いもんに色々無茶させて、すまなかったねえ。けど、後のことは大丈夫だよ」


 壇上ではスキラー・ブライオンが辺りを見回している。

 声は観客席にまで届かない。彼が詠唱しているのか、していないのかも判然としなかった。


 だが会場全体からは、多くの魔道士達による声が響いていた。


「起動完了!」

「振り子は中央……正常です!」

「了解! あと五秒後に発動です!」


 ステージを取り囲む端から、数人の人影が壇上に姿を現す。

 彼らは白い壇上で呆然と佇むスキラー・ブライオンを取り囲むように魔術を発動させ、あっという間に外周部の全てを鉄環境で埋め尽くした。


『逃さんぞ。いや、既に逃げられないのだったな』

「影魔術を強制的に禁止された相手を五秒間釘付けにする。なんともまぁ……」

「誰でもできそうな仕事ですよね」


 見れば、その三人は三カ国の代表として招かれていた将軍たちであった。

 彼らはスキラー・ブライオンの周囲で各々強力な術を展開し、逃げ場を封じ込めている。

 そして各々が環境を張った後、牽制のような軽い投擲魔術を放った。


 それは射出される鉄剣であり、魔剣より放たれる雷球であり、見えざる風の刃であった。


「……!」


 咄嗟の攻撃である。だがスキラー・ブライオンは異なる三つの方向より放たれたそれを、見事に打ち払ってみせた。


 逆に言えば、それだけだった。

 だが落ち度などどこにもない。たった五秒間の攻防。その防御を完全にこなしたのだ。完璧であると言っても良い堅実な防御であった。


 しかしその一瞬は、その堅実な五秒間こそが罠であった。

 スキラー・ブライオンが取るべき最善の動きは手傷を覚悟で壇上中央から素早く退避することであり、それだけが彼にできる唯一の希望であったのだが。


「はい、おしまい」


 グリンダが笑い、白い壇上の中央部分が発光する。

 石材を透過するほどの強烈な魔光は、内部に埋め込まれた多数の魔道具によるもの。

 会場全体に運び込まれた無数の黒魔石による魔力増幅装置によって強化された転移陣による、前代未聞の長距離強制転移。


 スキラー・ブライオンは一個人では決して成し得ない魔力の奔流に飲まれ、ゴースト特有の感覚器官が灼けるような錯覚を味わい……そこから少しも抗うこともできず、消失した。


 事情を知らずとも、彼が逃げたようには見えなかっただろう。

 会場全体に張り巡らされた装置による莫大な魔の暴力が成し遂げたそれは、ある意味で数百年を生きたゴースト以上の狂気が垣間見えるものだった。


「……ねえ、お前さんたち。この水の国で最も強い力ってのは……さあ、何だと思う?」


 未だくつくつと笑いながら、グリンダは袖口から取り出したパイプに魔術の火を灯し、煙を味わった。

 その姿は全てを終え、一服する女性の仕草そのもの。クラインもベロウズも言葉を継げない中で、彼女は心底面白そうに続けた。


「それはね。財力。金の力だよ」


 煙を燻らせるパイプの先が、競技場全体をゆるりと眺めるように回る。

 そう。観客席に張り巡らされた装置も、壇上に埋め込まれた特設の魔道具や魔石も。

 全ては莫大な財力でのみ用意でき、成し遂げられる下準備であった。


「偉い連中のプライドっつうのは……時にゴーストの妄執すら踏み潰すのさ」


 至宝の杖は強制転移によっていずこかに消え去った。


 果たして杖はどうなったのか。スキラー・ブライオンの安否は。

 帰還したばかりの二人には何もわからなかったが、この一連の捕縛作戦は国主導で行われた極秘作戦である。

 行きつく先は、限られた者だけが知っている。


「まぁ、だいたい想像はつくけどねぇ……」




 強制的な長距離転移。

 莫大な魔力と強靭に過ぎる装置によって成し遂げられたそれは、転移対象をラリマ競技場外まで弾き出した。


 そこは薄暗い地下の室内。

 古びた香りの漂う、物置にも似た雰囲気の場所。


「……強制転移。これは……なんという力だ……」


 スキラー・ブライオンはそこに飛ばされていた。


「やあ、ようこそ。スキラー・ブライオン、で良かったかな」


 煌灯が灯り、室内が暴かれる。

 そこは石造りの広々とした空間であり……同時に、数多の芸術品がひしめく展示場のようでもあった。

 スキラー・ブライオンは奇妙な八角形の鉄板の上に乗せられ、辺りを見回している。


 唯一、彼に話しかける存在があった。

 その中年の男は口角をにやりと釣り上げながら、上機嫌そうな足取りで青いカーペットの上を歩いている。

 スキラー・ブライオンは周囲の状況を把握した後、彼を見た。


「おお……」


 彼の霊的な目が捉えたのは、着飾った肉体に内在する魂の形。

 そこに垣間見ることの出来た水魔道士の理想形とも呼ぶべき霊魂は、永く生き続けたスキラー・ブライオンにとって目も眩むような異彩を放っていた。


「おっと、どうやら君はこの私の魂に興味があるらしいな」

「素晴らしい。水の才極まるその霊魂は、実に……」

「おお素晴らしい。話が合いそうだ! いや、実は私も君に興味があってね!」


 一方は霊魂の形に魅了され、もう一方もまた上機嫌に声を弾ませる。

 互いが互いの趣向を曝け出し、受け取ることなくぶつけ合う僅かな時間。

 不気味な応酬はもう少し続くかに思われたが。


「――ああけど、必要なのはそこの君(ブライオン)じゃあない。私が欲しいのは、その杖だけさ」

「は――」


 瞬間、天井より吊り下げられていた巨大なガラス張りの鳥かごが落ちてくる。

 鳥かごは瞬きする間もなくスキラー・ブライオンを取り囲み、各所に散りばめられた魔石が僅かに輝いた。


「ぐ、ぁああ……!」


 窯跡箱(ようせきばこ)。

 古代の危険な魔具を保管するための、希少な封印魔具。

 用いられる材料そのものがともすれば封じ込めるそれ以上に高価であることが多いため、ほとんどは道具に合わせた形状で作り上げられるものだ。


 大きなロッドや人間を閉じ込めておけるほどの窯跡箱ともなれば、それは国宝級の価値となるだろう。

 事実、今ブライオンの頭上より落下してきたそれも国宝そのものである。


 僅かなうめき声をあげ、スキラー・ブライオンの人間体は消滅した。

 あらゆる術を無効化する鳥かごは、彼がゴーストとしての実体を持つことを許さなかったのだ。


 カゴの中に残されたのは美しい金彩に彩られた至宝の杖。


 水国立タンザ美術館の館長にしてミネオマルタの血を引く水国の現国王ラムネス=レオパールは、それを眺め恍惚の表情を浮かべていた。


「ああ、破損しているのがあまりに惜しいが……いやしかし、なんと美しい杖だろうか……うむ、倉庫三つ分の黒魔石を供出するだけの価値があるというもの……」


 鳥かごの前で片膝をつき、気障ったらしく感じ入る秘せられし国王。



 ミネオマルタを恐怖に陥れた騒動は若者たちの活躍によって大半が解決され、残った後始末は一部の大人とその財力によって補完された。


 これにて事件は一件落着と相成ったのである。



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