鑑005 漂流する発動点
鉄魔術の変質は、スキラー・ブライオンにとってあまりにも未知な現象であった。
石碑に杖を翳すことで交わされた仮契約。
杖と魂が抵抗することなく容器として受け入れたことによる本契約。
その両方によって、スキラー・ブライオンは間違いなくロッカ=ウィルコークスの身体と霊魂を完全に乗っ取り、支配権を得たはずだった。
しかしいざ魔術を行使してみれば、顕れるのは酷く脆い岩石。
壁として扱うには鉄魔術に対してあまりにも脆弱で、攻撃に使おうにも魔術投擲ができない。
「何故だ……!?」
幾度杖を振ろうとも放たれない生成物に、スキラー・ブライオンは数十年ぶりの混乱を覚えていた。
そもそも、特異性とは近代になってようやく表出したものであり、それまでは表に出ることのなかった体質だ。
一般庶民に発現したものは固有の能力として扱われるか、仮に理学的な知識のある者が診断したとしても独性術の一種として扱われてきた。
魔術を継承する古代の貴族たちは属性術を上手く扱える血筋こそを尊んでいたので、絶対的に誤作動を起こす特異性の持ち主は表社会に出ることを許されなかったか、早々に始末されている。
体質として認識され始めたのは極々最近の話であり、理学機関によって学徒として扱われたのはミネオマルタの学園が最初だ。
つまり特異性とは、それまで誰も、理学関係者すら目を向けることのなかったものであり、片隅に追いやられていた存在。
術や力を追い求める一般的な魔道士を誘い、導いてきたスキラー・ブライオンにとっては完全に未知の体質だったのである。
「解決してみろよ。そいつの悩みを。魔道士を導くんだろう」
クラインは鉄杭を投擲し床の各所を貫きながら、悠々と語る。
下準備をする猶予はかなりあるだろう。その確信が、彼にはあった。後は着実に足場を固めていけばいいだけのこと。
「まあ……その馬鹿が何日も何日も悩み続けた問題に、一瞬で答えを出されても面白くはないがな」
下準備を整えた後は、雷を右手に蓄積させる。
重ねがけされる雷は輝きを増し、放つまでもなく触れるだけでも生成物を破砕できるまでの威力にまで上り詰めた。
「これ以上は愚策か」
スキラー・ブライオンは何度目かの投擲を施行し、それが無意味であることを受け入れた。
肉体と魂が鉄の生成に秀でていることは間違いないが、発動しないのであればそう納得しておくしかない。
それでもスキラー・ブライオンは、異なる別種の戦術に切り替えるだけの力を持っている。
「“スタヅ・ラグナレク”!」
ロッカが水晶の杖を床に押し当て、詠唱を紡ぐ。同時に溢れ出す魔光と共に、床が岩石によって覆われた。
その勢いは通常の床環境系魔術よりも素早く、力強い。床の各所に突き立てられた杭をも吹き飛ばしながら広がってゆくそれには、クラインも思わず目を剥いた。
「……やはり鉄ではない。だが、術は成っている」
結果、顕れたのは聖堂内の床一面を覆い尽くす岩の大地。
通常の環境術とは違い岩の床は足首程の高さの凹凸が見られ、それはクラインの目から見て水環境を意識した造りであるように感じられた。
ロッカが不敵な笑みを取り戻し、再び腕を広げる。
「さあ、若者よ。直ちに降伏せよ」
戦場の床全てが一人の術者の環境によって制覇された時、それは他の術者の敗北を意味することが多い。
防御も攻撃もほとんど至近距離に発現させることが可能な相手との戦局は圧倒的なもので、たとえ手練の術者であっても覆すことは困難だ。
だがクラインはそれを知った上で鼻で嗤ってみせた。
「オレが貴様に降伏だと? 随分と馬鹿にされたものだ」
「断るか。それも良いだろう」
ロッカが再び杖を床に翳し、詠唱を始める。クラインは悠々と雷光を纏った片腕を差し向け、放射の姿勢に入った。
「“イグス”」
射出に必要な詠唱は一言のみ。だが仮にクラインの術の発動が早くとも、魔術の雷光は現実の雷のように一瞬で到達することはない。後から発生する地面の壁に阻まれるか、こちら側へ向けられる杭状の生成物によって打ち消されながら貫かれるのが関の山だ。
普通ならばクラインもそう判断するし、向き合うスキラー・ブライオンもまた同じように考えていた。
唱えられたのは鋭く強靭な鉄杭の術。
仮に岩と変じても柔らかな人間の腹を食い破ることは決して難しくない大質量の派生術だ。
それは雷を阻みながら、クラインを討つはずであった。
「な――」
術は、出ない。杖は大きな魔光を放ったが、派生術は発現することなくどこかへと消失する。
「それにはあいつも苦労していたからな」
術は不発。果てしないどこかへと魔力がさらりと流れ行く喪失感だけを残し……目の前には、既に解き放たれた雷撃が迫っている。
「がぁッ!?」
雷撃はロッカに着弾し、その身に電流を走らせた。
強い衝撃が彼女の身体を吹き飛ばし、杖は手放されて地面を転がってゆく。
その隙を逃すクラインではない。倒れたロッカも重要だったが、彼は手放された杖の方を先に処理するべきだと判断を下した。
再び握られてはならない。即座に砕く。
彼は確実に高威力の術を的中できる距離まで素早く駆け出し、右手に帯びた重ね掛けの雷撃を一つに纏めた。
使うべき術に迷いはない。クラインは自らが放てる最高の雷属性術、“イグズ・ガラ・ガンダル”を練り上げた。
『途絶え、させては、ならない……!』
「なっ……!?」
苦悶するスキラー・ブライオンの声。
雷鎚を放たんとクラインが跳び上がったその瞬間、地に転がった杖はひとりでに浮き上がっていた。
「しまっ……!?」
放たれた巨大な雷撃は僅かに杖の端を掠めるだけで回避された。
そのまま浮かび上がる杖はクラインのすぐ傍らを飛び、すれ違ってゆく。
「腕……だと!?」
至宝の杖には幽体の右手に握られていた。そこには頭部さえ存在しない。
たった一つの手だけで宙を移動できてしまう不気味な光景に、クラインの動きは思わず固まった。
『聖櫃を、守らねば……!』
浮かび上がる片手が、至宝の杖を放り投げる。
杖は放物線を描き、聖堂の最奥に佇む巨大な石碑へと到達し、光を発して消えた。
一瞬の出来事であった。撃ち落とせる絶好の機会であったが、クラインは惜しくも反応できなかった。
まさか宙に浮かぶ腕が杖を放り投げ戦線を離脱するなど、誰が一瞬の内に判断できるだろうか。
「外に逃げられた!」
「え、そ、そんな、じゃあぼくらは、どうすれば……!」
スキラー・ブライオンは自ら石碑を通り、聖櫃から抜け出した。すぐさま追わなければならない。クラインは少なくともそう考えていた。
そして彼の判断を後押しするように、聖櫃全体が揺れる。
地響きのような低い音と、より激しく剥がれ落ちてゆく偽りの天蓋。
「不安定……これも奴の影響か……!?」
このまま居座っていてはろくなことにならないだろう。クラインはそんな直感を抱いた。
「どうすれば! ぼくは……!」
「さっさとその石碑から脱出しろ!」
命のためにはただちに脱出すべきだ。元凶を追わなければ。
二つの判断に迫られていたクラインだが、彼はそのどちらでもなく、岩に覆われた地面に倒れ伏すロッカのもとへ迷いなく駆け出した。
雷撃によってか、それともスキラー・ブライオンが抜け落ちたことによってかはわからないが、今の彼女には意識がない。自分の命も軽んじてはいないが、彼女こそが先決であると真っ先に身体が動いていた。
「全員で脱出だ。最後の最後で死者を出してたまるか……!」
クラインは自身の少ない魔力を全て強化に回し、思っていた以上に重く感じる彼女を抱きかかえる。彼はそのまま石碑へ身を翻した。
既に不吉な崩壊の音は聖櫃の各所から響いており、それによって空間にどのような影響が及ぶのかは誰にもわからない。一歩一歩と駆けるごとに死の音が迫っているようで、否応なく脂汗が滲んでくる。
それでもどうにか無事、石碑の前までたどり着けた。
あとは飛び込むばかり。しかし、石碑の前に立つ小柄な人影を見て、クラインは窮地にあっても苦言を呈したい衝動に駆られた。
「何故行かない……!」
「で、でもっ……」
「なにをぼさっとしている! 貴様も逃げろ! 足は動くだろうが!」
ベロウズは目の前に石碑があるというのに、そのまま身動きを取れずにいた。
身体こそ腕ごとジャケットで縛られていたが、ベロウズの足は健在だ。そのまま飛び込めば済むはずだったが、ベロウズは自分のすべきことがわかっていないかのようにうろたえるばかり。
「……勝手にしろ! そんな場所に閉じこもっていたいのならば、好きなだけいればいい! 馬鹿め!」
クラインはその姿がどうにも気に障って、最後にそれだけを言い放つと、ロッカを抱えたまま石碑へ飛び込んでいった。




