鑑004 組み換わる結晶
古めかしい木の杖には、先端に水晶のような宝石。
周囲には無数の金細工が飾られ、装飾は全体に渡って施されている。
そんな杖も下半分が砕け散り、無造作に床に転がってしまえば、荘厳さは半減だ。
スキラー・ブライオンは消え、その奥には無人の神殿が静かに佇んでいる。
「やっべ、ロープ入れ忘れた。どうしよう」
私は唯一この地下世界に持ち込んできた背嚢の中を漁って……二度も見たけど、やっぱり無い。
荷物を纏める時に拘束用の紐を入れ忘れてしまったらしく、あるのは食料や水、薬といった必需品ばかりだった。
「他に使えそうなものはないか」
「あー……ない……かなぁ……? あー横のポケットにあっ……たけど短めの紐だな。んー、これだけみたい」
まだクラインはベロウズを組み伏せ、拘束してくれている。
私はもう魔力が空っぽでへとへとだけど、やれることはやらなくちゃ。
「短いというのは」
「このくらい。この紐。多分修繕用のやつ」
「腕も結べんな」
「うーん……あ、そうだ」
「……何をしている」
私はオイルジャケットを脱いで、それをベロウズに着せた。
といっても袖は通さず、袖でぐるぐるに縛るような、どっちかというと“包み”に近い。短い紐を使いつつ、肩のエポーレットを留め具にして、固定。
うん。ベロウズが小柄なのもあって、上手い具合に拘束できてるみたいだ。オイルジャケットは強靭だから、この状態から強化を込めても逃げ出せはしないだろう。
「これで良し。まぁちょっと連日の仕事で少し汗臭いかもしれないけど、我慢して」
「……オイルの臭いしかしない」
そうか。ずっと着てると正直麻痺するからわかんねえや。
けどまぁ、もう一度何かの拍子に暴れられても困る。気絶させはしなかったんだから、窮屈なのは多目に見てくれよな。
「おい、“整備人”。足は自由だろう。そのまま歩いて神殿について説明しろ」
「う、うん……わかってる……でも、ぼくも詳しくはないから……」
ベロウズはクラインにせっつかれながら、神殿前へと誘導されていった。
「ここからでも、奥に石碑が見えるでしょ……あれが“聖櫃”の大元で、帰還用のものでもある」
「真実を話せ」
「痛っ! け、蹴らないでよ……嘘じゃない」
「真実を話せ」
「うっ! い、痛いって言ってるのに……! 嘘なんてつかないよ! どうして信じてくれないの……!」
「そうか、どうやら本当のようだな」
「……やり方が酷すぎる……そりゃあ、疑うのだって無理はないかもしれないけど……」
相変わらずクラインは人の扱いが雑だ。
……そういえば、前に尋問紛いのことをやった時も似たような感じだったなぁ……クラインにとって今回のベロウズは同程度の扱いってわけか。最後の最後だし、用心する気持ちはわかるけどさ。
「……石碑はある。ってことは、あそこから帰れるわけか」
散らかした荷物をリュックに詰め込み……そのついでに、戻しそうになった水を開けて、最近にしては少し贅沢なくらい、ゴクゴクと飲む。
……帰りの算段がつくと、ホッとしちまうな。
「石碑以外に内部に罠はないか」
「け、蹴らないで」
「まだ蹴っていない」
後はクラインが用心深くやってくれる。こっちはこっちで、残りのことをやらないとな……。
「……あれ、どうしようかな」
未だ横たわるスキラー・ブライオン本体の杖。
元を断つって意味では……やっぱり、あいつをどうこうしないことにはダメなんだろうな。
「おーいクライン、この杖どうする? 壊す?」
足下には杖が転がったまま、動く気配がない。
光もしないし、顔とか手が現れたりもしていない。
「ふむ……本来ならば壊すべきなのだろうが、現時点でかなりの無力化には成功しているからな。杖の完全破壊により聖櫃内部がどう変動するかもわからん。可能な限り慎重に取り扱い、共に石碑から脱出させるべきかもしれん」
「じゃあこれ持っていくのか」
私はクラインの言う通り、なるべく丁寧に杖を拾い上げた。
「おい、あまり不用意に触るのは……」
「え」
至宝の杖が妖しげな光を放つ。
「ロッカ! 捨てろ!」
至宝の杖を取り上げた私の右腕が、いや、その内部に格納されていたデムピックが、共鳴するように輝いている。
声が聞こえる。
『誓いの杖を翳し、我が手を取ったか。若者よ』
至宝の杖の輝きが、右腕を伝って流れ込んでくる。
『我が名はスキラー・ブライオン。古より受け継がれてきた魔の教えを説き、また極めんとする者である』
流れ込んでくる“何か”に追いやられ、意識が遠のく。
……押し返せない。
『魔術を恐れるな。手を伸ばせ。私が神秘の力を教えてやろう』
そして私の意識は、完全に途絶えた。
光が収まり、静寂が訪れる。
拘束されたベロウズを片手で御していたクラインだったが、彼はすぐさまその行動を取りやめた。
ロッカ=ウィルコークスが至宝の杖を掴んだ瞬間、強い魔光が瞬き、彼女の中へ入り込んでいった。
そして今、彼女は俯いたまま、不気味に沈黙を守っている。
「な、何が……今……」
「黙れ。“整備人”。……今だけは、邪魔をするな」
ロッカが左手に持っていた破砕杖アンドルギンを……無造作に放り捨てた。
「確定だな。スキラー・ブライオン。……その馬鹿は、そのふざけた杖を、決してそのようには扱わない。まあ、擬態するつもりなど無いのだろうが」
床の上に倒れるツルハシには目もくれず、ロッカは右手に掴んだ至宝の杖を深く握り込み……そして、彼女にしては更に低い笑い声を上げた。
「未だ我らが智は途絶えず。“横たわる永遠の聖櫃”は変わらず存続し……ここに新たな守り人が加わった」
声はほぼ変わらない彼女のもの。
しかしその内容は、まるで彼女に似つかわしくないものだ。
演技で言わせようとしてもその指導に何時間かかるかもわからない。
クラインは苛立たしげに両手の指環を構え、戦闘態勢を整えた。
「オレを……怒らせたな。スキラー・ブライオン」
「いかにも、我が名はスキラー・ブライオン。若者よ、お前は何を望む?」
杖を軽く掲げ、仰々しく手を広げ語る。
その目には青白い魔光が灯り、クラインを見定めようとしていた。
「ああ、お前はスキラー・ブライオンだ。だが、その身体は……ロッカ=ウィルコークスという女のものだ」
「いかにも。この肉体と霊魂は非常に優れた鉄への適性を持ち……」
「返せと。言ってるんだよ。オレは」
その時の彼の表情は、ベロウズからは見えなかった。
向き合っていたロッカだけが、そこに浮かんだ強い敵意を受け止めていた。
クラインを知る誰かがその表情を見ていたならば、間違いなく驚愕するであろう。それほどの形相であった。
「契約は成った。そしてここは聖櫃。我が内に秘められた魔力は未だ残っている。若者よ。無謀をやめ、我が手を取るが良い」
左手を差し向けるロッカに、クラインは鼻を鳴らした。
「貴様がそこから出るなら……考えてやるよッ!」
クラインが力強く叫ぶと、彼は火魔術を地面に叩きつけ、環境を振りまいた。
既に魔力に余裕はない。だがそれを補って余りあるほどの怒りによって、彼の精神は力を捻出する。
「魔術を拒むか。今はそれも良いだろう」
対するロッカは目の前に繰り出された環境を見て顔色を変える風もなく、仁王立ちしている。
「だが、聖櫃を守るためならば犠牲も已む無し。若者よ、名もなきその霊魂の一片が擦り切れるまで、聖堂の客人として歓迎しよう」
ロッカは右手に掴んだ至宝のロッドを床に押し当てた。
「“スタヅ・スタニアル・モンタズマ”!」
莫大な輝きがロッドから溢れ出し、地面から術を発現させる。
それは今や誰も知ることのない高度な影魔術を含んだ鉄魔術であり、比類なき頑強さはほぼ全ての投擲魔術を無効とするほど。
錨の直撃さえ数発も無傷で凌ぐ防御力を突き崩せるのは、そう多くない。
はずであった。
「……?」
巨大な壁を発現させたロッカが、呆けた様子でそれを見上げている。
頑強であるはずの壁面。確かにそこには大きな壁が現れている。
しかし……岩だ。
鉄ではない、むしろ通常のそれよりも鬆だった不完全な岩が、そこに聳え立っていたのである。
「これ、は……?」
「“スティ・アンク”」
風を切る音と、そして鈍い爆音。同時に岩壁の中央に蜘蛛の巣状の亀裂が走り……脆くも瓦解した。
「なに、これは、どういう……術の発動が。生成物が……」
慌てた様子のロッカを、瓦礫の向こう側のクラインが呆れた様子で眺めている。
彼は自分が足下に広げた炎の環境を見て、その堅実な下準備があまりにも杞憂すぎたことにも、呆れた。
「……はあ。やれやれ……全く……なんというか……いつも、こうだな」
「“スタン・フウル”!」
ロッカは杖を振りつつ術を行使したが、そこから生成された岩のリングは投擲されることなく落下し、その衝撃で砕け散った。
「何故だ。何故術が。鉄が……」
「さて、スキラー・ブライオン。仕切り直しといこうじゃないか」
高らかに宣言するクラインの顔には、先程までの怒りはない。
ただただ淡白な余裕が浮かんでいる。
「なに、お互いハンデは同じだ……一分以内に終わらせてやるよ」
身体を奪われ、敵に操られたロッカ。
しかしその無力化に関して、クラインは何一つ脅威を感じていない。
何故ならば目の前に立つその女は、驚異的な石投げもしなければ、堅実な身体強化も使わず、ツルハシも持たず、自身の魔術に関してさえ無知なのだ。
「負ける気はしない」




