鏡003 蹈鞴を踏む技師
距離は三十。試合と同じ。
負けたら死ぬ上に転送機能が壊れてる闘技演習みたいなもんだ。
「“イアノワール”」
ベロウズが無造作に垂らした杖先から、黒い炎が溢れ出す。
炎は染みのように地面を広がり、ごうごうと勢いよく燃えながらその範囲を広げてゆく。
「行くぞクライン!」
「君はオレの射線に入るな」
「え!? どういうこと!?」
「回り込んで戦え」
「わかった!」
なるほど、私はクラインの邪魔せずに接近戦しろってわけだな。
わかった、そんじゃいっちょ走ってやるか!
「いくぞぉ!」
「……なんで宣言して来るかな」
大きく弧を描くように回り込み、走る。手にはアンドルギン。目指すはベロウズだ!
「近寄れないよ」
「ッ!」
そのまま身体強化して炎ごと突っ切ってやる……と思ったけど、立ちはだかるのは赤黒い炎の壁。
ベロウズの足下に滴る炎の水溜りが、近づいただけで勢いよく吹き出したのだ。
その熱気は強化で突っ切る計画を即座に打ち切らせるほど。無闇に踏み込めば、ブーツの底から燃え尽きてしまいそうだ。
火属性の魔術とは何度か向き合ったことがある。その熱も大体わかってるつもりだ。
少しならずっと触れても大丈夫。普通の灼灯の炎よりはずっと低温だ。弱いやつなら強化してればほとんど平気ですらある。
けど、この黒い炎は駄目だ。満杯にした篝籠のような、遠めに近づいただけでチリチリと灼けるような気配がする。
思い出すのは、灼鉱竜が全身から吹き出す熱気。その連想から、私は咄嗟に飛び退いて、距離を取った。
「やぁッ……!」
ベロウズは辺りに散らばった炎を巻き上げ、放っている。クラインはそれに向けて鉄魔術を放ち、遠距離攻撃を仕掛けていた。
飛来する鉄銛と、それを迎撃する吹き上げる黒い炎。
私はそれを遠目に見ているだけ。気がつけば、顎先から汗が垂れていた。
「畜生……炎なんてもう、怖かねえんだよッ!」
「……!」
アンドルギンで床を打ち砕く。辺りにクモの巣状の罅が走り、レンガが派手に砕け散った。
私は僅かに浮いたその一欠片を右足の甲に乗せ、思い切り振りかざす。
いつもの石投げ。足に置いて放り投げるだけの作業じみた動き。けど、今はそれが武器になる!
「オラァッ!」
「くっ!?」
即席の石蹴りは、咄嗟に盾にしたロッドの端に命中した。しかしベロウズの持つスパナロッドはほとんどが金属製だ。壊すには全く至らない。けど、防がなきゃいけないならそれでいい。
「隙だらけだな」
「こ、これは……」
別方向からはクラインの放つ正確無比な鉄魔術が襲いかかる。そっちは私の石なんかよりもずっと強烈だ。ロッドで防げる威力のものなんかはまずやってこない。
このまま二人で二方向からの投擲でいけるか……!?
「“イアノ・ジャルナフ”……!」
「うっ……!」
いや駄目だ。ベロウズは全方向に炎を拡散させる術を持っている。
……床の石材も、スキラー・ブライオンの生成物のようなものだ。あの強い炎に捲かれれば、小さな氷のように溶けてしまう。けどクラインのと一対一にさせたらまずい。クラインが負けるとは思わないけど、こっちにも注意を向けさせないと……!
「君、魔力少ないね」
「!」
巻き上がった炎の間で、ベロウズの怜悧な目がこちらを見据えていた。
「良いこと教えてあげるよ。魔力が少ないと、魔術の火に対する抵抗力は弱まるんだ」
足下の石を――いや間に合わない。炎の壁がある今は相手に効かない。
「もう諦めなよ」
ベロウズのスパナロッドが振りかざされる。
今できるのはこれしかない。
「“トグ・テルス”」
「“スティ・ドット”ッ! ……ってうわッ」
私が咄嗟に展開したのは岩の壁。何かが来る前に咄嗟にアンドルギンを床に突き立て、どうにか術が来る前に防護壁を展開できた。
けど咄嗟に組み上げたドットは薄すぎたみたいで、ベロウズの放った術の一発で全体にビシリと割れが走っている。
……けど、風……か? これ。火じゃなかったのか。
「甘い」
「!」
壊れかけた壁の向こうで、攻防が繰り広げられていた。
クラインは隙を見逃さない。私を仕留め損なったベロウズには致命的な隙が生まれ、追い詰められているのだ。
ここからではクラインの詠唱は聞こえない。けどクラインの両手から放たれる鉄魔術の間隔からして、きっと近くで聞いてもわからないものに違いない。
「ベロウズ……」
アンドルギンを握りしめる。魔力はもうほとんど……いや、全くと言っていいほど無い。
咄嗟に出したドットに残り滓を持っていかれ、これ以上の無理は反動がきそうなくらい、空っぽだ。
でも、魔力を込める。アンドルギンの金属柄に流し込み、先端のツルハシをスコップに変形させる。
私の目の前にある壁はひび割れ、今にも崩れ落ちそうだ。そこの最も脆そうで、それでいて丁度いい塊がある場所に目星をつけた。
踏み込む。
勢いよく壁の横から抜け出して、スコップを振り回す。
ベロウズは飛び出した私に、すぐさま対応することはできなかった。
目はこっちを見ていたが、ロッドは黒い炎を振り払い、あらぬ場所へと向けられている。
顔に浮かぶのは苦悶と焦り。私も同じような表情かもわからん。けど、今はこっちが少し有利だぞ。
私のアンドルギンは、今にも壁を突き崩す。
「オラァッ!」
ただスコップを、壁の端にぶつけて振り抜くだけ。
それでもスコップは脆い壁の破片のいくらかを勢いよく小そぎ取り、すくい上げ、振り抜きざまに放り投げてみせた。
「いッ……!?」
私の渾身の力を込めた投擲は、容赦なくベロウズの身を打ち据える。
頭。腹。肩。そしてロッドを握る右手。痛ぇだろ。石だもんな。けど気にすんな。治療費のことは忘れて良いぞ。
「“ジキア・テルドガッド”」
「ふ、ぐッ」
そして続けざまにクラインの影魔術が追い打ちを掛ける。
真上から降り注ぐ高重力は地面の炎をじわじわと弱め、ベロウズの不安定によろけた体を容赦なく地面に叩きつけたのだ。
消えゆく環境。完全に転倒したまま、起き上がれないベロウズ。
闘いはここに決着した。
「まだだ」
と思ったら、走り寄ってきたクラインがベロウズのスパナロッドを遠くに蹴り飛ばしていた。
さっきまでは少し頑張れば手の届きそうな位置にあったので、確かに安全を確保するならそれが一番良い。
さすがだな。クラインはこういう詰めをちゃんとするから信頼できる。
「後はもう少し痛めつけろ。腕を折って無手の術使用も封じておけ」
「おい」
「そいつに関しては強めに顎を殴っていいぞ。オレが許す」
「おいってば」
いやお前さすがにそこまでいくと詰めとかそういうんじゃないだろ。無抵抗な相手の腕を折るってなんだよ。
「もういいだろ。……ベロウズ、アンタの負けだ。わかるな?」
「……」
私は地に転がったベロウズの腕を掴み、念の為に背中に回していつでも抑え込めるようにした。確保ってやつだ。
ベロウズは悔しそうな目で私とクラインを見上げている。僅かに上げた額からは、細い血がたらりと流れていた。
「ぼくは……ぼくは嫌なんだ。ぼくは……もう……」
「ベロウズ。さっき私に向けた魔術、なんで風だったんだよ」
「……」
ベロウズは黙り込んだ。クラインはベロウズのもう片方の手に足を置き、いつでも踏める体勢でいる。……だから、もう。物騒だからやめろって。
「火とか使えば確実だったろ。壁も多分壊れてた。なんであそこで風なんか……」
「甘いんだよ、そいつは」
クラインが不機嫌そうにそう言い捨てた。
「火属性術をぶつければ確実に倒せる相手を前に躊躇したんだろう。魔道士にはよくある話だ。だから風で気絶させるだけで済ませようとした。違うか」
「……」
ベロウズは語らなかったが、それが答えみたいなものだった。
……そうか。こいつ、躊躇したのか。
「火属性は時に容易く命を奪う。火属性は元来、魔獣や魔族退治に使われるものだ。それを人に向けられるのは、倫理観の狂った凶悪極まる犯罪者だけ。オレが断言してやろう。お前に犯罪者は向いていない。お前のように凡庸で、半端で、犯罪者になりたての火魔道士は。そうして、道を誤ることもできないんだよ」
「……ぼくは……」
「なあベロウズ」
私は泣き出しそうなベロウズの額を撫で、目元に垂れかかった血を拭き取った。
「ノーマさん、待ってたよ」
「……!」
その言葉を最後に、ベロウズはようやく全身の力を抜いた。
小さく震え、顔を伏せたまま啜り泣いている。
「ぼくは……ぼくは火属性を……火属性だけが向いてるって、言われてたのに……!」
「ああ。センスは無いが多少は向いているのだろう。だが、それを指南した相手が悪かっただけだ」
クラインは指環を離れた場所に差し向けた。
至宝の杖を掴む右手と、頭だけが浮かぶ存在。
さっきから微動だにすることもなく、ただ戦闘を見守ることしかできなかった、全ての元凶に。
「守らねば。受け継がねば。若者よ。力が欲しくば、我が手を――」
「一部の術は悪くないが……お前の技術のほとんどは、酷いカビの臭いがする」
「手を取り、我と共に――」
「現代版に翻訳してから、出直してこい」
クラインの指環から雷光を放ち、スキラー・ブライオンの頭部を貫いた。
「ォ、ア、ァ――」
そうして、スキラー・ブライオンの顔は消滅し、連鎖的に杖を掴む右手も消え……壊れかけの豪奢なロッドは、静かに床に倒れ込んだのだった。




