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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第八章 動かざる石碑

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砥035 開け放たれた古金庫


 “閉ざされた氷室のメイボルド”は今回の作戦における最年長の魔道士だ。


 彼は葡萄酒の一大産地であるペルソアラ出身の機人である。

 在学中の学園も同じペルソアラに存在する理学学校だが、その規模はミネオマルタやミトポワナとは比べようも無いほどに小さなものであった。

 在校生はたったの三十強。しかもその九割は初等学科であり、理学というよりは広範な座学を教える施設に近かった。

 それでも夜間には理学を専門に学ぶ特別学科が開かれており、メイボルドはそこで理学を学んでいた。夜間の特別学科を善意で受け持っているのは長年大きな学園で教鞭を取ってきた六十にもなる理知的な老魔導師である。だがメイボルドはといえば、そんな導師よりも年老いた学徒なのであった。


 年老いてから学問を志す者は珍しくはない。

 実際にペルソアラの学校でも何人かは計算と読み書きを学ぶために通っている者がいるし、個々人によって様々な事情もある。

 だがメイボルドのように、老齢かつ機人の者が学園に通うということは非常に珍しかった。


 理学は幼少よりの教育が強く影響する。それに、学ぶそばから忘却されたのでは教える側としても負担が大きい。全機人でも普通の人間のようにボケるし、顔色がわからない分何を考えているかもわからない点においては意思疎通に難がある。

 何歳になっても学ぼうとする意欲は好ましかったが、老導師は小さな村に理学を広めようという善意で夜間講習を請け負っている。それだけに、講習の時間が老人の介護紛いなことに費やされるのはあまり歓迎していなかった。

 当然、メイボルドが入学を希望する際にもやんわりとその話はしたのだが、メイボルドは老導師の懸念を察してか、こう答えた。


 “最近、旧い知人と話していた時に言われたのです。お前は物覚えがいいのだから、今からでも学校に通うべきだと”


 果たして、メイボルドは聡かった。

 夜間の特別学科は他にも三名の魔道士を志す若者がおり、彼らもまた恵まれた師によって相応に才覚を発芽させつつあったが、メイボルドは老齢であるにも関わらず、凄まじい早さと柔軟さで理学知識を吸収していった。

 物腰が低く穏やかで、特徴的な箱型の頭部を持つ全機人。特別学科に通う若者は突然席を並べた奇妙な老人を陰で笑ったりもしたものだが、講習中に彼がメキメキと力をつけてゆくと、そんな意識もすぐに変わってゆく。

 何より最も驚いていたのは教えていた老導師であろう。メイボルドは教えたことならばすぐに理解するし、吸収し自らのものにしてしまう。独特の理解をしているせいか質問の切り口が感覚であったり喩えが古く抽象的になりがちではあったが、彼はすぐさま初等魔術を扱えるようになったし、とりわけ水属性において高い適性を示した。老導師自身も水属性を専攻とする導師であっただけに、メイボルドの成長速度の異様さにはすぐに気付いた。そして何度となく嘆くことになるのである。“彼がもっと早くにこの道を進んでいたならば”と。


 夜間講習は以降も続いたが、老導師はメイボルドに見出した可能性の果てに興味をもったのか、昼間も講習を請け負うことを提案した。

 メイボルドはその申し出に珍しく声を高くして喜び、“畑の世話の無いときならば”と言った。

 老導師もその時に初めて知ったことであるが、メイボルドは荒れた山地にて葡萄を栽培する農夫であったらしい。家も険しい山の中腹で、学校へもわざわざ通っているのだとか。

 在野にある玉石ならば目にもつこうものだが、山の中にあったのでは見出すのは難しいはずである。互いに仲を深めてからは老導師は何度もそのような例えでメイボルドとの馴れ初めを語るのだが、メイボルドは決まって“私は玉石などではありませんよ”と謙遜するのがお決まりであった。


 メイボルドは良き師のほぼ一対一の講習と指導、そして何よりも本人の類稀な才能によって、およそ四年ほどで現在の力量にまで至った。

 老導師は今までに教えてきたどのような学徒よりも聡いメイボルドに対し、より高度な理式や研究方面の講義をしたいと考えていたが、それはメイボルド本人の希望によって断られている。


 “それは年老いた私が今から学んだところでほとんど意味を成せない学問でしょう。であるならば、私は村や国の力になれる、実用的な魔術を学びたく思います。そう、畑の魔獣を駆除するような……”。


 正論であった。老導師としても水属性については専門であったので、初級から上級魔術に至るまで快く教えたし、対人を想定したより実践的な魔術についても講義した。

 意外なことに、穏やかな気質のメイボルドは対人魔術やその技術についても強い興味を示していた。

 時折現れる畑泥棒やら盗賊やらを相手にするには必要とのことである。

 昔の厳しい時代を生き、人の怖さを知る老人であればこその理解と意欲であった。


 水属性魔術を使いこなすようになったメイボルドは、過疎なペルソアラにおける有力な駐在魔道士として活躍するようになった。

 そのほとんどは畑を荒らす魔獣の駆除であったり、大掛かりな清掃などという細々とした仕事であったが、学んだ魔術によって人の役に立つことが彼は何よりも嬉しかった。

 ギルドにも属さず、小さな学園でも若者と簡単な魔術戦“ごっこ”をする程度の目立たない日々であったが、それでも彼は確かにペルソアラに必要とされた魔道士になっていたし、現状に満足していた。ただただ、農夫でしかなかった己に学びの機会ときっかけを見出してくれた友人と、そして手厚く講義をしてくれた良き老魔導師に感謝するばかりであった。


 そんな代わり映えしない日々にある時新しい風を吹き込んだのは、老魔導師である。

 歳もそれなりに近いこともあって、メイボルドと老魔導師は師弟でありつつも、良き友人のような奇妙な関係になっていた。

 老魔導師はメイボルドに対して提案したのである。

 “お前も魔道士の端くれなのだから、ミネオマルタの大会にでも出て、学徒らと競い合ってくるがいい”と。

 メイボルドは最初こそ自らの歳や畑の世話などを理由に断りかけたが、老魔導師は“広い世界を見るべきだ。そこでお前の何かが変わるかもしれん”と頑なに行かせようとした。畑に関しても老魔導師の親戚が世話をするからという根回しぶりもあり、メイボルドは結局押しに負けた形で、マルタ杯への出場を決めたのであった。

 若者の活躍の場に踏み入ることや畑の世話を人様にやらせることについてメイボルドは抵抗があったが、老魔導師はそれでも行ってみるべきなのだと頑なに譲らない。


 “お前のような者でも魔道士として輝けるのだと、何よりも自分自身に、そして都会の若造らに証明してみせればいい。それはきっと、理学の未来のためになるのではないのかな?”


 メイボルドがペルソアラの夜間講習に参加してから、三人いた若き魔道士の卵らは老人に負けてなるものかと奮起したのだという。

 もちろん学徒の全てが全てそうなるとは限らない。中には根腐れするようなタイプの者もいるだろう。

 それでも、自分の存在によってこの世の何かが僅かでも良い方向に変わるのであれば、やってみる価値はあるかもしれない。


 メイボルドはそんな思いを懐き、ミネオマルタへ、マルタ杯へとやってきたのだった。




『お怪我は大丈夫ですか』

「え、ええ……すみません。度々冷やしてもらって……」

『気にすることなど無いのですよ。私も老骨の身、早くは動けません』


 そしてメイボルドは今、四人の若き男女を率いて北側の捜索を続けている。

 操られた魔道士を倒し、無力化。そして現世へと送り返す。野良魔獣との戦いやペルソアラの級友(若者たち)との魔術戦ごっこの経験もあってか、メイボルドの戦闘は危なげがなく、相手にとってもダメージが少なく決着する。

 彼自身の言う通り歩みの遅さこそあったが、それも体力の温存や怪我人と歩調を合わせるためと考えれば理に適っているし、彼の穏やかで老練じみた声色には人を安心させる説得力があった。


「そうですね。何かあったら声をかけていきましょう。痛みが増したなら、遠慮なくね?」

「ありがとう……」

「作戦、かなり長くなりますもんね。より多くの人を助け出すためにも、堅実にいかないと」

「メイボルドさんも、体調が優れなかったりしたらすぐに言ってくださいね?」

『ふふふ。ええ、そうさせていただきます。お互い、無理せずやっていきましょう』


 輝かしい未来のある、魔道士の若者たち。

 メイボルドは無理せずとは言ったが、本心では自分を犠牲にしても良いくらいの覚悟は決め込んでいた。


 スキラー・ブライオン。

 若者の未来を摘み取る悪しき魔導師。

 こうして異空間に乗り込めたのも、何かの運命なのかもしれない。

 老齢故に自身の死について考えることも多くなったせいもあるが、“その時のため”とやらがあるとすれば、それは間違いなく今回なのだろう。メイボルドは確信を抱いている。


『さあ、行きますか。ええ、無理はせず……』


 箱型の頭は一切の顔色を表出させないが、彼は今、冷たく静かな義憤に燃えている。



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