砥034 紛れ落ちる汚泥
“杯のモヘニア”は東側の区画を担当する五人チームのまとめ役として抜擢された女性魔道士だ。
得意属性は火と水。六属性を操る上、大会での成績も良好。捜索隊の中ではクラインと並び、唯一本戦に残っている魔道士でもある。
年齢も二十三と、最年長であることもまとめ役に選ばれた理由の一つだった。
「では、次はこちらに……地図に、印があるから……」
「はい!」
「行こう」
「足大丈夫? 平気? 荷物持とうか?」
「ううん、大丈夫。結構楽になったから。ありがとう、サナさん」
東側の捜索は順調に進んでいる。
女三人男二人のチームは不仲ではなく、そもそも彼ら彼女らは使命感に燃えていた。
足を軽く捻挫した女性魔道士を抱えての行軍ではあったが、互いに嫌悪することもなく、怪我を理由に足手まとい扱いすることもない。
メンバーは強い熱意を保ったまま、今しがた二人目の魔道士を無力化したところであった。
「……ふう。どうにかなりましたね」
「傷は……なさそうか。できれば無傷で返してやりたいからな……怪我がなくて良かった」
モヘニアチームの戦法はシンプルで、複数人で同時に初等魔術による飽和攻撃を行い、無力化するというものである。
左右二手に分かれて対象に近づきつつ、左右から水の投擲を行い、相手の反撃があれば手隙の一人が防御を行う戦法だ。モヘニアは中央から詰め寄り、攻撃と防御の両方をこなす。基本的には彼女の接近が最も早くなるためか、今までの攻撃はほぼ常にモヘニアへと向けられている。彼女は相手魔道士の攻撃を全て捌き切り、攻撃も十全にこなしていた。
「モヘニアさん、お疲れさまです」
「ありがとう、モヘニアさん。さすが本戦出場者だ!」
「火属性魔術も得意なんすよね。水だけでもこれか……すげえなあ」
「いえ……」
モヘニアは強かった。
攻守共に隙のない彼女の動きは二連戦もすれば自ずと見えてくるもので、チームメンバーの四人は頼もしさを抱いている。今終わった闘いも、モヘニアがいなければ多少は手間取っていたことだろう。
が、モヘニアはこうして褒められたり憧れられたりする雰囲気を、あまり快くは思っていなかった。
もちろん顔には出していない。努めて感情を出さないよう、口数も少なく振る舞っている。
普段は千鳥足でふらつき、眠そうな目でうっとりと微笑んでいるモヘニアはここにはいない。
「……さあ、次にいきましょう。無理はしないように」
淡々と。粛々と。ただ役割を全うするために。
酒が抜けた彼女は、精神的に酷く脆かった。
これはモヘニアが特別、何らかの精神的な疾患を持っているわけではない。
彼女は元々人付き合いが大の苦手であり、こうして赤の他人と徒党を組むことに苦痛を感じるタイプの人間であった。
人と話せない。意見を交わせない。それができるのは、辛うじて酒を飲んで酩酊した時のみ。
彼女が患っているものがあるとすれば、強いて言うならばそれは酒への強い依存であろう。
モヘニアは酒が切れると暴れたり苛立ったりはしないものの、酷く寂しく、不安になるタイプの人間なのであった。
「……ムータニアスさん、喋らないな」
「別に良いじゃない。……まあ、前に会った時とは少し雰囲気が違ったかな? とは思うけど……」
背後から聞こえる話し声に、心がざわつく。
思わず荷物をまさぐってしまいそうになるが、今日は瓶もスキレットも入っていない。手は無意味に背嚢のベルトを撫でるのみ。そんな仕草をもう何度繰り返したのかわからない。
モヘニアに友人はいない。
属性科に五年も在籍していたが、友人は自然とできるものではなかった。
近頃大会で成績を出し始めてからようやくモヘニアの名前がクラスに知れ渡ったかのようにさえ思われた。
かといって、それまで触れるべきではない置物のように扱われていた自分が、いきなり大会での活躍を褒められたりしても受け答えに困るばかりで、結局それすらも煩わしいものに思えてしまう。
あるいは、銀の杯を手にすれば何かが変わるのかもしれないと思っていた。
だが、本戦に出場し、勝ち進み……そうしたところで、モヘニアは孤独なままだった。
自らの力を示したところで、人とうまく関われない自分の本質は変わらない。
それはきっと銀の杯を手にした所で同じことであろう。
後ろ向きな思考だが、モヘニアは決してそれが自分の思い込みばかりでないことを理解している。
酒の入っていない自分はあまりにも臆病で、人嫌いで、駄目な存在なのだと。
今こうして、一緒になって作戦を遂行している間もそうだ。
自分は確かに魔術に秀でているかも知れないが、人との付き合いは上手くない。一人で闘うことにおいては自信もあるが、連携を取ることについてはこれっぽっちも自信がない。
「痛……」
「! 大丈夫か? 一度休憩にしようか」
「う、ううん大丈夫。少し捻ったところが熱いかなって、それだけだから……」
「無理しないで。私が魔術で冷やすから、ね?」
四人は既に仲間意識を高めている。
本来なら捻挫を冷やすのも自分がやるべきだが、手を差し伸べる前に既に誰かがその位置に座っている。
モヘニアはただ何をするでもなく、誰にも聞こえないような声で“大丈夫”と口の中で囁くばかり。
「ごめんなさいね、モヘニアさん……私のせいで、遅れちゃって」
「気にするな。大丈夫だよ」
謝るのは自分の方だ。
足が傷んだのもきっと私のペース配分が悪かったからだ。
気が利かないのも自分のせいだ。
彼らの雰囲気が暗くなったのは自分がいるからだ。
モヘニアは順調に進めば進むほどに、内心は酷く荒み続けていった。
何度目かの休憩を取り、モヘニアは一人、煉瓦の壁に背を預けた。
捜索を開始してから、時間はもう半日ほど経過しただろう。その間に無力化し送り返した魔道士は三人。ペースとしてはまだなんとも言えないくらいである。
彼女は既にチーム内で孤立していた。
他の四人こそがチームで、自分は付属品であるとさえ思えていた。実際のところ、他のメンバーはモヘニアを頼りになる魔道士として認識しているのだが、モヘニアからしてみれば自分こそが不要な一人であるように思えてならなかった。
これから少し休んで捜索を行った後、捻挫した女性魔道士は帰還する予定だという。
食料など荷物を使わずに全て預け、残った四人で分配する計画だ。足の怪我が治る気配もなく、これ以上は足手まといになるからという本人の判断であった。
帰れるものならば、自分が帰りたい。とは、口が裂けても言えないことだ。
こうして捜索隊に名乗りを上げてしまった以上、自分には責務がある。誰も罰さないのだとしても、自分の肩にはまだ多くの魔道士達の運命がのしかかっている。単純な良心の問題として、逃げ出すことはできない。
「……やらなくちゃ」
参加に名乗りを上げたのは酔っていたからということもあるが、パブで知り合ったガルハートに誘われ、その熱気に当てられたからでもある。
一緒に助けに行かないか。俺らにもできることがある。そんな言葉にすぐに熱をあげて、酔った勢いでここまできたのだ。
その時は確かな一体感を感じていた。自分たちでもできるんだぞ、というギラギラした意志。使命感。それらが合わさった時の、自分が普段ほとんど持ち合わせていないような強い感情。それに触れていたかったから、挙げた手を下ろすこともなかった。
だがこうしていざ始まってみれば、酔いから冷めてみれば、自分が孤独であることに気付かされる。
一体感などではなく、ただ温かいものの集団に包まれ、紛れ込んでいた異物の一つなのだと気付かされてしまう。
温かいものになれると勘違いした路傍の石。ワイン樽に落ちた一滴の泥。樽全体を駄目にする不純物。
「……ゴミ人間」
モヘニアはショールに空咳を隠し、頭痛でも堪えるかのように強く瞑目した。
「……」
そしてしばらくして、懐から数枚の資料を取り出し、流し見る。
そこに描かれているのは捜索対象となっている行方不明の魔道士達の顔写真。
簡単なプロフィールをまとめた重要資料だ。
「……私よりもずっと、生きる価値のある人達……」
ベロウズ=ビスマロイド。
いつか少しだけ見たことのあるその幼気な顔は自分によく似た表情をしていたが、モヘニアにとってはそれでも、自分よりずっと尊い存在であるようにしか見えなかった。




