砥033 逆らう習性
呆然と佇む姿は、寝起きのような間抜けさがある。
その男は黒い短髪があちこちはねており、まさに寝起きらしい姿だ。
しかし手元の資料を見る限り、本来の彼の表情はいかにも堅物といった力の籠もったものらしい。
どこか飢えた獣を思わせる、機嫌悪そうなしかめ面。それこそが、スキラー・ブライオンによって操られる前の本当の顔なのだろう。
彼はエクトリアの理学学校に在籍する属性科の学徒。
専攻は火。扱う属性も火単体だそうだ。実技の成績の方はというと……あまり芳しくないらしい。
彼は一体、その厳しい顔の下にどんな思いを抱いてきたのだろうか。
ヒューゴは一定の距離を置いて、今や苦悩に苛まれていない彼に向き合っていた。
「火属性、中級レベル。僕にとっては理想的な相手だな」
リュックはこっちで預かっている。今のヒューゴは流木のロッドだけを手にした臨戦態勢だ。
「ヒューゴ。劣勢になった瞬間にオレ達が介入するが」
「無粋とは言わないよクライン。自己判断で、むしろどんどんやってくれ。僕だってわざと危険な橋を渡りたくはないからね」
安全をしっかり確保する。良いことだ。
私も何かあったときのために備えて、アンドルギン構えてないとな。
『ロッカは石を握っていた方が良いんじゃないか?』
「ええ、なんで。アンドルギンの方が強いけど」
『いやぁそうだがな。ロッカの投石も馬鹿にはできんぞ』
「そりゃそうだけど、アンドルギン……」
「はじまるじぇ」
そうこうしているうちに、ヒューゴが軽めのステップを踏んで駆け出した。
ヒューゴは身体強化が使えない。しかし彼の身体はこれっぽっちも軟弱ではなく、むしろ素の力で言えばクラインを大きく凌駕する程度には鍛えられていた。
踏み込みは力強く、素早い。
というか、そもそも普段飄々としてるヒューゴが走っているだけでも内心ちょっと驚きだ。そういやお前走れたんだなっていう。
近づいたことで、魔道士が覚醒する。
呆けていた顔がガクンと上げられ、人形のような動きで杖が構えられる。
モゴモゴと動く口元。ピタリと静止し動かない杖先。
魔術がくる。
「“……――”!」
ここからは聞こえなかったが、相手の杖先から溢れたのは赤色の大きな火焔だった。
人を飲み込むほどの大きな火柱が直進し、ヒューゴを飲み込まんと殺到する。
「“テルス・ティアー”!」
私でもちょっと防げるかどうかわからない魔術だった。
しかしヒューゴは、真正面から受けて立つ。
「おおっ……」
「可視化されると、ヒューゴの操る風の規模がよくわかるだろう」
「すげえ」
火柱を、旋風が内側から喰らっていた。
凄まじい勢いだった炎は内部からズタズタに引き裂かれ、霧散してゆく。
風の中心に立っているのは無傷のヒューゴだ。
「風で煽れば普通は燃え盛るものだけど、魔術ならではだね」
尚も火球は襲いかかる。二連、三連、休む間もない、正確な投擲だ。
ヒューゴはそれを難なく、旋風によって打ち払っている。
やっていることは杖を緩慢に振っているだけだ。しかし杖の先から生まれる旋風は、炎を鋭く切り刻み、またたく間に消し去ってゆく。
風の動きを可視化する炎があってようやく見える、ヒューゴの特異魔術の凄まじさ。
炎への防御に限って言えば、クラインよりも上なんじゃないかと思えるほどだ。
「まあいくら防げても、変に螺旋状になっちゃうせいでリーチが絶望的なんだよなー」
ヒューゴは相手の火属性魔術のことごとくを真っ向から打ち消しては、ジリジリと前進を続けている。
旋風は目に見えないが、時折ヒューゴがロッドを振るう動きによって、床に無数の裂傷が刻まれることがあり、大体のリーチは判別可能だ。というより、彼も時々わざと地面を風で抉っては、攻撃範囲を確認しているようである。
その作業は勝つためというよりは、相手を傷つけまいと考えているが故のものらしかった。
「決めようと思えばいつでも決めきれるだろう。だが、ヒューゴの魔術は威力の制御が難しい」
「そうなんだ……うまいこと風で、どうにかできないのかな」
「オレも考えたことはあるが、難しいだろうな」
光魔術を習得したクラインが難しいと言うのだから相当なものだろう。説得力が違う。
「あいつの魔術は出力を上げれば風の径が増大し、風力が強まる。弱ければ手元で微風を渦巻かせる程度には留まるが、それ以上の出力となるとほぼ確実に威力が付随する。威力というのは、人の生身に傷を与えるほどの力という意味だな」
なんだそれ初めて聞いたぞ。
ボウマの魔術も大概だけど、それよりもずっと危険じゃないか。
「螺旋を描く風というのは、それだけで中級以上の産物だ。しかもヒューゴの場合は特に風の鋭さが強い。ヒューゴが特異性を持て余しているのは、ほとんどはその威力が多くの利用法に適していないからだ」
「そりゃ普通に使うだけでズタボロになったんじゃ、人相手にも使えないしね……魔獣とか魔族相手にしかできないか」
「風を操る魔獣相手に使ってようやく拮抗するかといったところか。残念ながら使い勝手は悪いと言わざるを得ない」
それでも倒した相手は無数の傷でボロボロ。毛皮や素材を集めたい時なんかは全く論外な魔術だ。
「それでも、ヒューゴは……まあ、努力している。オレからすれば、不毛な事この上ない努力だが……」
「“テルス・ティアー”!」
力の籠もった詠唱が響いた。
中距離でヒューゴが放ったそれは、それまでの旋風魔術とは違う。
確かにぐにゃりと曲がってはいるが、今彼が放ったものはなんと、“螺旋”ではない。
大きくカーブした、鎌のような形状の突風である。
「……ッ!」
それが見事に相手魔道士の杖を横合いから掻っ攫い、遠くへと弾き飛ばした。
……勝負ありだ。
「あれがヒューゴの努力の成果。普段使っている無意識な旋風に対し、わざと螺旋の風を付け加えることによって出力される風を矯正し、比較的直線にする……いわば、特異性の自己解除」
「……あれって、難しいの?」
「ヒューゴが真っ当な風を操るには、ああするしかなかったんだろう。普通の魔道士なら初等魔術で使えるようになるものを、中級クラスの技術で再現しているわけだ。ああして自分の特異性を弱めることでようやく、殺傷力を軽減できるようになる」
「……すげーな」
ヒューゴは特異科の中でもいつも真面目に勉強している奴だ。
……なるほど。自分の特異性を打ち消す、か……。
私にはできない方向性の努力だけど、すごいな。
「うおーっ、悪いね! せいっ!」
「ぐッ……」
「あれ!? 駄目だ気絶してくれないぞ!? おーい皆! やっぱ僕じゃ駄目だ! 助けてくれー!」
「……かっこよかったのに、最後の最後で情けない声出すなぁ」
杖をふっとばした。零距離まで近づけた。そこまでは良かったのだが。
結局、ヒューゴは相手を気絶させ、真に無力化するところまでは持っていけなかったようだ。
流木のロッドで見様見真似で顎先をガツンと殴ったりなど試したみたいだが、ライカンのように上手くはいかなかったらしい。
やっぱあれ難しいのかな……気絶させるやつ。
「だからその殴る動きをやめろと言っている」
「いや、だってヒューゴの時みたいにいざって所で相手に反撃されそうになるのも怖いじゃん」
「君のその拳を振る速度は相手の顎関節に重大な後遺症を及ぼす。もう少し弱くしろ」
「おう」




