針004 改定する呼び名
水国立ラリマ競技場で本戦開催の式典が行われるのだそうだ。
開会式はもうやったじゃん、って思ったんだけど、どうもそれとは別で更に華々しいものなのだという。
楽団やら何やら色々な人達が参加するこの催しには、私にもよくわからないくらい膨大な単位の金がかかっているらしい。もったいないなーとは思いつつも、リュミネなんかはこの式典を間近で見れるのを楽しみにしているみたいだから、まぁきっと楽しみにしている人も多いんだろうな。
式典は正午に行われるが、私とクラインは本選出場者なので早めに会場入りしなければならない。
やることといえば学園ごとに並んで行進することくらいらしいんだけど、それでも打ち合わせは必要なのだという。正直ちょっと面倒くさいし、式典なんてなんのこっちゃって感じなのだが、特等席で見れるというのであればまぁ、少しの時間は我慢するしかないのだろう。本音は、普通の席で皆と一緒に見ていたいんだけどね。
「オレが最後か」
寮の近くにある花壇広場にやってきた最後のメンバーは、珍しくクラインだった。いつも一番乗りしててもおかしくない奴なだけに、ちょっと意外である。
「うっしゃー、これで全員集まったにぇ」
『まだ時間はあるが、今日こそは早めに会場入りしておかないと混みそうだな』
「やっぱ今日も混むんだ……私とクラインは特等席だから気にしなくてもいいけど、みんなは大変そうだね」
開会式の人波もすごかったし、ラリマ競技場は人酔いする私には毎回厳しい場所だ。
しかしこれからの本戦では、皆あの会場で試合を行うのだという。これまでのようにミネオマルタに点在する多くの会場に振り分けられることがないので楽っちゃ楽だけど、その分だけ道の混雑具合も凝縮されるのだろう。
「ロッカ、身支度は大丈夫? せっかくの式典なんだからお洒落しておかないと」
ソーニャは心配そうに訊くけれど、私は軽く手を振った。
「大丈夫だよ。アンドルギンもウエスで磨いておいたし」
「アンドルギンは別にいいんだけど……髪とか、服とか。お化粧は?」
「いつも通りでいいよ」
「うーん……そうね、じゃあちょっと髪だけいじらせなさい。綺麗に整えてあげるから」
「おー、やった」
ソーニャが結んでくれると自分でやるよりも綺麗にできるからありがたいや。
晴れ舞台っていうのなら私だって綺麗な格好したいしね。まぁ、普段のこれも最善というか、精一杯やってるつもりではあるんだけどさ。
「おーいクライン、ロッカ。会場入りは僕らと別になるだろうけど、どうする? 二人は買い食いとか寄り道せずにまっすぐ早めに行ったほうが良いのかな? 昨日は楽観的な予定を立ててたけどさ、道の途中が混んでたらまずいかもよ」
ヒューゴは私達の時間を気にしてか、親切にもそう提案してくれた。
……確かにちょっと不安はあるな。またケンカさんが通りかかって馬車に乗せてくれたら良いんだけど……毎度のことそんなうまくいくはずもないか。
「……」
私が淡い期待を抱いていると、クラインはそんな浅はかな思考を見透かしているかのように私を凝視していた。
「な、なんだよ。別に変なこと考えてないから」
「……変なことを考えていたのか」
「それより、どうしよう。私今日のこと全然知らないからさ……クラインに任せたいんだけど」
「ふむ」
クラインは水車を真っ二つに割って作られた花壇に目線を落としながら、少しの間考え込んだ。
「……そうだな。不測の事態に見舞われて恥をかくわけにもいかない。念を押して、オレ達は早めに競技場に向かおう」
「ん、わかった」
そうだな、遅れて恥はかきたくない。
帰属意識がそんなにあるわけでもないけど、学園の顔に泥を塗るのも気が引けるしね。
はじめてのことだし、わからないことばかりだ。今日はクラインと二人で行っておこう。
「そうか。じゃ、僕らは僕らで適当に軽食とか飲み物を買って、悠々と向かうとしよう」
「レモンジュース飲みたいにぇ。あ! クッキーも食べたいなぁ……」
『決まりだな。ロッカとクラインとは、式典が終わってから会うか……いや、今日は試合もないしその必要はないか。試合の前準備もあるだろうからな』
うん。昨日散々好き勝手に楽しんだから、今日は質素に過ごすべきだろう。
そう毎日飲んだ食ったしてたら、楽しいことは楽しいだろうけど財布の方が持たない。
「じゃあロッカ、式典頑張ってね。私、観客席で見てるから」
「うん。頑張ることがあるのか知らないけど……変なことはしないようにするから。見てて」
そういうわけで、私とクラインは早速別行動を取ることになった。
“日陰者のリュミネ”が拘っていた本戦前の式典。その盛大らしい催しにケチがつかないようにしないとね。これが勝者の重責ってやつか。違うか。
「本戦は八人の監督者が一同に会し、試合の行く末を見守る。観客席の衆人も多い。最終予選でも不正を犯した馬鹿もいたようだが、さすがに本戦ではそういった者は現れないだろう」
朝市の野菜を眺めながら、私の隣をクラインが歩いている。猫背だしよそ向いているしで普通だったら足も遅くなろうものだけど、歩調は私よりも幾分早い。気を付けていないと置いてかれてしまいそうだ。
「そりゃ三人の将軍さんに見られながら試合してたら、反則なんてやろうとも思わないでしょ」
「限界まで淘汰されたとは思いたいがね。欲に駆られた連中が出ないことを祈るばかりだ」
違法な魔具だったりポーションドロップだったり、まぁなんとも器用で姑息な手を使う学徒がいるものだ。自分以外の力で勝っても別にスカッとはしないと思うんだけどな。そんなに実績が欲しいのだろうか。少なくとも名誉にはならないと思うんだけど……。
「しかしウィルコークス君。本戦ではあからさまな不正を働く者はいないだろうが、蹴落とそうと考える者は出てくるだろう。故にこの期間中は試合前などは……」
「あ、クラインそれさ」
「……それ、とは」
最近というか、常々思っていたことがあるのだった。
「そのウィルコークス君っていうのやめて、名前で呼んでよ」
「なん」
「私も慣れちゃってたけどさ、改めて考えるとロッカって呼ばれた方がしっくりくるしね」
クラインが変わった奴だからって、今まで色々なことを“まぁまぁ”と放置してたけど、せっかくの機会だ。
「名前を呼べと」
「うん。ロッカで良いよ」
クラインは採れたての野菜が居並ぶ露天を眺めつつ、親指の爪で額を掻いた。
「ロッカ」
「野菜に向かって呼ばれるとなんかムカつくんだけど」
「……ロッカ」
今度はこっち向いて名前呼びしてくれたけど、なんかすごい根に持ってそうな顔してるなアンタ。
まぁ、良しとしておこう。うん。やっぱりロッカって呼ばれたほうが私は慣れてるな。姓が嫌いってわけじゃ全然ないけど。
「……あれ、そういえばクライン。さっきまで何の話してたんだっけ」
「君が話の腰を折るものだから、こちらまで失念しただろう」
「私のせいかよ」
「競技場に着くまでの間に思い出せ、ロッカ。オレは悪くない」
「えー、なんだっけ……畜生、なんでだ。野菜しか出てこねえ」
「そんな話はしていないだろう」
結局私達はそれまで何の話題を広げていたのかも不明瞭なまま、すぐにそんな些細なことも気にしなくなり、あっという間に目的に到着したのだった。
ラリマ競技場の中は、それはもう想像していた通りの賑わいだった。
しかし本選出場者に向けた案内板が丁寧にも各所に立っていたので、目的の場所へ向かうのにはさほど苦労せずに済んだ。関係者専用の通路とは、なかなか準備が良い。
けどまぁ関係者っていうのも大勢いるから、当然の処置なのだろう。長ったらしい湾曲した廊下を歩いている最中にも、綺羅びやかな衣装を身にまとった楽隊らしい人々の姿が印象的だった。
「ここかな」
「そうだろうな」
語らぬ案内板は一定間隔で配置されていたので、先導する人がいなくとも最後の部屋にまでたどり着けた。
部屋の前には“本選出場者控室”とある。ちょっと自信がなくて聞いちゃったけど、まずここで間違いはなさそうだ。
「あら」
扉を開けた先には何人もの人影があったが、真っ先に目についたのはすぐそこに立っていた、着飾ったルウナである。
彼女は私を見て、ぱっと笑顔を咲かせた。
「こんにちは、ウィルコークスさん」
「ルウナ、久しぶり……かな?」
「ふふ、かしらね。……あとクライン=ユノボイド」
「予選落ちしていれば良かったものを」
おいおい、早速控室に入った瞬間に喧嘩はやめてくれよ二人とも。
ルウナとクラインの間柄があまり良いものじゃないってのは知ってるけどさ……。
「ウィルコークスさん。今は時間前だから、まだ大会運営委員の方はいらっしゃらないの」
「へえ、そうなんだ。じゃあ間に合ったってことか……良かった」
見回すと、大部屋というかちょっとしたホールの中には、既に沢山の魔道士がいるようだった。
背もたれのない長椅子が多くあり、既に半分近い魔道士がそこに座り込んでいる。もう半分は立って話をしているので、常に声は絶えず賑やかだ。
部屋自体は私達特異科が使っている講義室よりも広いだろうか。そこに立派な杖を携えた晴れ着の魔道士がいっぱい……あれ? おかしいぞクライン。皆お洒落っていうか……私達の格好ちょっと浮いてるかもしれないぞ。
「人……やっぱり本戦に出る人たちって、雰囲気あるね」
「ふふ、そう思う?」
「うん」
皆、魔道士としての晴れ着を着ているからかもしれないけど、なんというか……。
ピリピリした空気が部屋中に張り詰めているかのようだ。
試合前の数人しかいない控室よりもずっと濃厚な闘志が、この一室からは感じられる。
「大丈夫、ウィルコークスさん! みんな式典を前に緊張しているだけだから! むしろこういう時こそ、他校の人たちと挨拶を交わして顔を繋いでおくのが大事なんだから!」
「え、ああうん、そうなのかな……?」
「そうそう! じゃあ私、まだ挨拶してない人がいるから、また!」
「あ、うん」
ルウナは部屋の中でも一際元気な様子で、挨拶回りに飛び出していった。
……うん、積極的ですごく良いと思うんだけど……でもやっぱり部屋の雰囲気とは少しかけ離れているように見えるな……。
「あの女はいつでも旧貴族の錆びついた社交が頭にある。覚えておけロッカ、あれこそが真正の馬鹿だ」
「いや、アンタもそれはそれで酷いな……」
ルウナ=サナドル。“ストーミィ・ルウナ”。
水属性術を操る魔道士……一度は勝った相手だけど、その前には一度負けている。
私の敗北も勝利も、どちらも不意打ちのようなものだった。お互いの力を全て知り尽くした上での戦いは、未だ一度もない……と思う。
……もしも次、私とルウナが戦うことがあったなら、その時に私は勝てるのだろうか? ……知り合いだからって、全然油断はできないな。
「おう、ロッカちゃん。あと爆睡眼鏡。……ぶふっ。って、なんだよテメェらその格好は。やる気あんのかよオイ」
「あ、ナタリー」
次に私達のもとに近づいてきたのは、むき出しのバトルメイスを手に持ったナタリーだった。
いつもの黒いゴシックなコルセットドレスにはリボンの飾りが付け加えられ、化粧でキツそうな目元をしっかりと強調させている。
「おい、爆睡眼鏡とはなんだ」
「言葉の通りだ爆睡眼鏡。なんでてめーらいつもと全く同じ格好なんだよボケ。笑かしやがって」
「おはようナタリー。いや、良い服とか無くてさ。一応これでもちょくちょく探してるんだけど」
「ぁーん? ねェならマルガロアドレスにでも金叩いて作らせとけよマヌケ」
「マルガロアドレスってなんだよ。ていうかあんまり服装のことは突っ込むなよ。いいじゃんかもう……」
ナタリーはキシキシと笑いながら、勝手に私の服を摘んで生地の質やら作りやらを確かめている。
“重ェな”とか“袖は手製かよ”とか勝手に評価しているけど、さすがにちょっと失礼なんじゃないかこいつ。
「こっちは……」
「おいやめろって」
「いッで」
スカートにまで手を伸ばそうとしてきたので、思わず右手で頭をひっぱたいてしまった。
まぁいいや。こういう事する相手は男でも女でも容赦なく殴っていって父さんも言ってたし。
「おお、痛ぇ……ば、馬鹿野郎、そんな強く殴るやつがあるかよ……」
「親しいと思った相手でも胸とスカート触る奴は殴られても文句言えないでしょ」
「そう……いやそうなのか? 案外真面目ちゃんなんだなお前……」
ナタリーは後頭部を心配そうに擦りながら、それでも少し反省したように気落ちしているようだった。
「ところでジキルはどこにいんの? あいつも本戦でしょ」
「ああ……あそこだよ」
ナタリーがぼんやりと適当に指をさす。その曖昧に揺れる先を、目で追ってしばらく注意深く見ていると……なるほどそこにはジキルがいた。
どうも彼は他の魔道士と話し込んでいるようだ。お相手は彩佳系の見知らぬ女性達である。
「あの腑抜けは顔に限っては平均以上だからな。知らねえ奴らからはモテんのさ」
「へー。料理うまいしね」
「そいつは関係ねえよ、あれは顔目当てだ、顔。どこぞの王子様と間違われてるんじゃねえの」
顔だけでモテることなんてあるんだ……すごいなジキル。心なしかいつも以上に生き生きとしてるように見えなくもない。
「そこの爆睡眼鏡もその陰気臭え眼鏡取っ払って、背筋伸ばしてやりゃあ少しは……あーけど髪の癖がなぁ……アタシの好みじゃねえな。キシシ……」
「君の好みを参照する意義がこの世界で生まれるとは思えないが」
「お? 本戦一回戦前に上級エキシビションでもやっとくか? ああ?」
「いやいや、やめろってナタリーもクラインも。特にクライン、なんで入って早々に話相手全員と喧嘩できんだよ」
危うくナタリーがバトルメイスを振りかざそうとしていたので、何もするとは思えないけれど間に入ってしまった。
学園の魔道士は基本的にクラインと合わない奴ばかりなんだな……本人のせいでもあるけど。
「ったく、マジでいちいちムカつく男だな。……クソ、ジキルの野郎めニヤケ面で調子に乗りやがって。一発蹴りいれてくるか」
「かわいそうじゃない」
「いいんだよジキルだから」
本当にかわいそうなやつである。
ナタリーは上機嫌な様子でジキルのもとへとちゃきちゃき歩いていき、容赦ないローキックを彼のふくらはぎに叩き込んでいた。
「……入り口近くに立っていては、延々と変な連中に絡まれるだろうな。端の方の席で待つべきだろう」
クラインが無関心な眼差しを倒れ込むジキルに向けつつ、白い手は大きく空いている席を指さした。
「そうだね。まだもうちょっと待つことにもなるだろうし」
「連中の装備の観察もしておきたいからな」
「……そんなことまでするの」
「当然だ。儀礼用の服飾は本戦に持ち込まないだろうが、杖は同じものを使う。それならば見ておく価値がある」
そんなものなんだろうか。なんて思ったけど私にはどうせよくわからないことなので、クラインと一緒に適当なベンチに座り込んだのだった。
既に席も疎らに埋まっているので、早めに。
「あ」
前の方の席で、一人の小柄な魔道士がロッドを抱いて腕を組み、眠っている姿が目に入った。
特徴的なマントと、キャスケット帽。そしてスパナロッド。最終予選でロビナを下したベロウズの後ろ姿である。
……ルウナのような強い水魔道士もいれば、ナタリーのように厄介な鉄魔道士もいるし、ベロウズみたいな謎の多い火魔道士も揃っている。
この控室にいるのは皆、一流と言って差し支えない魔道士ばかりに違いない。
……うおお、別に今日試合があるってわけでもないのに、なんかすごい緊張してきた。
本戦一回戦目は一体どうなるんだろうか……楽しみだけど、結構怖いな。
「本戦開催式典の注意点について説明する」
部屋に現れた身なりの良い男性は、一口目にそう告げた。
“立て”とか“整列”とか“点呼”とかではない。説明する。それだけだ。
でも、ここにいる皆にしてみればそれだけで十分なのだろう。百人近い魔道士達は皆、一斉に世間話をやめて壇上の彼に顔を向けている。
……特異科のような面子が百人揃ってたら、こんなにスムーズにはいかないんだろうな……。
「式典中に軽率な行いをした場合、水国の法により裁かれる場合がある。こちらの執政官殿から話を聞いていただこう」
男はそう言って、すぐ隣りにいた人型両生類の魔族に発言を譲った。
どうやら話自体は執政官が行うらしい。
ザイキは相変わらずどこにあるのだかわからないような小さな目で周囲を見回してから、大きく口角を上げて語り始める。
「私は陰五国より派遣されたミネオマルタの執政官だ。発言には君たちで言う所の重さがあると考えてもらって構わない。とはいえ、そもそもこれは水国の法律書にも記されていることだ。後からアレクサンドライト図書館で確認してもらった方が確実だろうが、今は残念なことにその時間がない。だが後から己の不明を呪いたくなければ、私の語る注意点については留意するべきだろう」
ザイキは三本指で大きな額を掻き、その手を私達に向けてケロケロと控えめな笑い声を上げた。
「注意点は三つ。まず最初に、式典中は緊急時の対応を除き、魔術の使用を禁止する。大衆の前だからと目立とうとしないことだ。かつてはそういったパフォーマンスでちょっとした事故が起きたらしいのでな。生憎と派手な個人演出は禁じられている」
指が一本折り曲げられる。
「二つ目。行進中は立ち止まらず、口汚い言葉を使わぬこと。手を振る程度であれば構わん。だが、入場の進行を妨げる行いをしてくれるなということだ。解るな。一人ひとりのために使う時間はないのだ」
二本目の指が折り曲げられ、一本になる。
「最後に一つ。司会の者が“魔道士一同”と言えば、それはお前たちのことだ。お前たちは司会の指示に従うべきだろう。それができない者はただちにこの部屋を出てもらおう」
ザイキは残った一本の指で、隣の男を指し示した。
「こちらは開会式典の司会を務めるネルベレヒト殿だ」
「ただいま紹介に預かったネルベレヒトだ。というわけで魔道士一同諸君、起立したまえ」
ああ、この人が司会なんだ。
と、私が理解した次の瞬間には、部屋中の魔道士がガタリを音を立てて立ち上がっていた。
「馬鹿……」
隣のクラインもである。
「あれ……?」
「つまり、こういうことだ。私の言葉に従ってもらえれば、式典の進行には何ら問題や不備は発生しない。今立てなかった者たちは、今のうちによく意識を切り替えておくように」
なんのこっちゃと後ろに首を向けると……まあ、なんだ。
私以外のほとんど皆が席を立ち、傾聴しているようだった。若干、彼ら彼女らの視線が私に注がれているような気がしないでもない……。
「……」
私はすぐに前を向き直し、なんてことないように立ち上がった。
「魔道士一同、着席」
が、その後すぐに座れと言われてしまった。今度はぼんやり聞き逃さない。しっかり座る。
でも立ち上がった瞬間に言われたものだからすごく恥ずかしかった。……畜生、やるならやるって言ってくれよな。
「これが基本ではあるが、念のために式典の全体的な進行についても説明しておこう。水国の長年に渡る文化に泥を塗らぬよう、式典中は気を抜かぬようにな。特にそこの……ロッカ=ウィルコークス。真剣に臨むように」
嫌味なおっさんだ。確かにぼんやりしてた私も悪いけどよー……。
「では、まず入場からだが……」
そのような流れで、大雑把な式典の流れについて解説が始まったのだった。
悔しいことだが、ネルベレヒトとかいう司会のおっさんの説明は非常にわかりやすかった。
「式典は学園別の入場になる。オレ達はミネオマルタだから、先頭だ」
「へえ。まあ、マルタ杯だし、そんなもんか」
入場行進に関する説明が終わると、私達は部屋で最後の待ち時間を過ごすことになった。
あとは用を足したい人は急いで済ませ、他は粛々とその時を待つだけである。
私とクラインはそんな暇な時間の中で、二人して壁に凭れながら魔道士たちを眺めていた。
「ミネオマルタの人数が最多ではあるが、ミトポワナの学徒らも次いで人数が多い。魔術の腕に関しても、連中は最後の最後まで壁になるだろう」
部屋では学園別になって、魔道士達が固まっている。
それぞれが帰属意識を持っているのだろう。私達のミネオマルタ学園だって、属性科はそれなりの結束を見せていた。……まぁ、相容れない人たちもいるんだけど……。
「特にミトポワナ理総校のスズメ=ウィンバートは強敵だ。身体強化こそ使えないが、あの女の魔術は群を抜いている。杖を見るまでもない」
「へー、スズメ……まぁそうだけど……」
クラインがさりげなく指さした先には、着席したまま二つ結びの髪を整えているスズメの姿があった。
……スズメとは結構長い付き合いだし、彼女がすごい魔術を使う場面も何度も見ているけど……どうしてだろ。あんまりあの子が強いって印象がないんだよな……。迫力がないっていうか。
「理総校では“天罰のエンドリック”も注意しなければならないだろう。雷と風、異色の魔術使いだが、その力量は凄まじい。杖もショートメイスだが、先石はロッドと同じ大型。思いがけない魔術を放つかもしれん」
黒っぽい服を身にまとったエンドリックとやらは、同じ学園の友人と楽しげに話している。
ああして余裕そうに構えているだけで強そうに見えるのだから不思議だ。実際強いけど。
「そして“階段清掃員ジョルジオ”」
「ぷふっ」
ごめん、その名前聞くとやっぱり笑っちゃう。
「ロッカ、君も見ただろう。あれはただの階段清掃員ではない」
「や、やめろクライン、その言い方」
「? ……ともかく、あの試合を見たならばわかるはずだ。あれは上位に入ってもおかしくない実力者だと」
「まぁ……うん、そうだね。強かった」
なんたってあのデリヌスがあんなに完膚なきまでにやられたんだからな……もちろん私だって警戒はしてるさ。
ただ私はクラインと違って、個別の魔道士相手にいちいち戦術を切り替えるほどの芸を持っていない。
注目に値する魔道士と当たったところで、戦い方は似たり寄ったりのものになるだろう。
「もちろんミネオマルタ出身の魔道士も注目すべきだが……連中は底が知れている。今更特筆すべき点はないだろう」
おい、あまり聞こえるような声でそう言うなよ。
私達一応ミネオマルタだからそこそこ近くにいるんだよ。数人こっち見て睨んでるぞオイ。
「もちろん、未だ情報が得られていない奴らもいるが……」
クラインの目線は、部屋の隅の席に座るベロウズを見ているようだった。
……よく見るとその隣にはモヘニアがいて、何やらベロウズに絡んでいる様子だ。
同じ火属性専攻だし学年も近いから、知り合いなんだろうか。
「……ともかく、式典が終わった後に発表される本戦の組み合わせが重要だ。相手によってはブーツや衣類を変える必要もあるだろう。水と火では特に対策が変わってくる」
「ええ、やだよそんなの……この格好が一番慣れてるのに……」
クラインにしてみれば色々と理論もあるのだろうけど、私にとっては着慣れた服や履き慣れた靴こそが最も有用に思える。
慣れないものを突然使っても、すぐ普段通りの仕事はできないものだしね。
「……まぁ、君はそれでもいいだろう。だが、風魔術には気をつけろ」
「風ねえ。まぁ強化あるし大丈夫でしょ」
私からしてみれば風魔術よりも火属性魔術の方が恐ろしい。
もちろん苦手意識もあるんだけど……対戦経験が不足しているせいで、火の環境ってものがまだいまいちよくわかっていないのだ。
本戦の相手はどうなることやら……いや、でも今はそれより式典だな。本番では起立とかで周りに遅れないように、しっかり気を張ってないと……。




