鑿004 色づく一角
二日で魔術を覚えろ。
ナタリーの言ったその言葉は、私にもわかるくらい馬鹿げたものである。
二日で新しい魔術が身につくならば魔道士は苦労しない。
そりゃ私自身は、わりと結構すぐに魔術を習得してきたけれども……それは最初の頃に覚えたものが楽な魔術だったからであって、後々になって覚えたガミルなどは壁にぶちあたったし、何日もかかっている。
今回の魔術もそこそこ難しいものだ。ガミルの時と同じくらい悩み、失敗したとしても不思議ではない。
しかし、ナタリーは二日で覚えろといった。
ナタリーに頼んだのは他ならぬ私自身だ。頼んだ以上、彼女のやり方に従わなければならないだろう。
どう考えても無茶な要求だが、やってみせるしかない。
そんな感じで、暗記生活が始まった。
「ああ、死ぬ……」
「……ロッカ、あなたって結構定期的にそんな感じになるわよね」
「頭が破裂する……」
「物騒なこと言わないで頂戴」
朝。講義が始まるその束の間の時間でさえも、私の暗記は続けられる。
昨晩は眠り落ちるまで枕の上に指導書を広げ、ナタリーから教えてもらった特殊な記号の意味を記したメモとにらめっこしていた。
こうして理学式と向い合って勝負するのも何度目かになるけれど、いつやっても慣れる気がしないし、好きになれる気もしない。ナタリーお手製のメモ書きがなければ、多分私は耳から血を流して死んでいたことだろう。
「新しい魔術ねぇ……“スティ・ドット”……ああ、あの防御魔術」
「ソーニャ……知ってるの?」
「まぁわりと一般的な鉄魔術だしね」
ソーニャは机上の魔導書をぱらぱらと捲りながら、当然のように答えた。
そして独り言のように“あーこのタイプの書き方かー”とかなんとか呟いている。
そう。ソーニャはこう見えて、実はかなり頭が良いのである。
それまでかぶり続けていた怠け者の顔は、仮……というか、もうひとつの姿に過ぎないのだ。
「……ソーニャもこの魔術、使えたりするの?」
「え? いや……まぁ、そうね。使えなくもないかも?」
「え、そうなの」
なんとなく言ってみたけれど、使えるのか。
私は驚きの余り、突っ伏していた机から勢い良く起き上がった。
「じゃあできれば、参考のために見せて欲しいんだけど……駄目?」
「え、ええ……うーん……いや、できるって言っちゃったけどね? 一通り鉄魔術も修めてはいるんだけど、この術自体は覚えていないというか……」
ソーニャは困ったようにしどろもどろに弁解する。どうやら“スティ・ドット”を使えるわけではないらしい。
が、それでもかなりの魔術を扱えるような匂いはソーニャの言葉の節々から漂っている。
仮に使えなかったとしても、ソーニャならば私と同じ時間だけ勉強すれば、この“スティ・ドット”を発動できるようになるかもしれない。
「そっか……ごめん、無茶なこと言って」
「良いのよ。というか軽く出来るなんて言っちゃって、私こそごめんなさい」
「……でもソーニャ、覚えようと思えばすぐに使えるようになりそうだね」
「あはは……まぁ、このくらいなら多分ね」
ソーニャ=エスペタル。彼女はただ、お洒落で可愛い女の子というだけではない。
実は影魔法を含めたいくつかの魔術を扱うことのできる、かなり凄腕の魔道士なのだ。
元々は光魔術の研究みたいなことをしていたというのだから、人は見かけによらないものである。
「おーロッカぁー、また勉強してんのかー」
「ああ、ボウマ。まぁちょっと覚えないといけないことがあって……って、なにしてるんだ」
ちょくちょくソーニャに質問しながら指導書を読んでいると、そろそろマコ導師も来るだろうというのに、ボウマが席を立ってこちらにやってきていた。
そして彼女は何故か頭の天辺を両手で抑え、ぐいぐいと一定間隔で押しているようにも見える。
「んぁ、これ? これな、ヒューゴが言ってたんだけどなー、こうしてつむじの所を両手で小刻みに押してると、背が伸びやすくなるんだってー」
わからないけどボウマ、多分それ嘘だよ。
「そうか。ボウマもまだまだ小さいし、止まっちゃう前に早く伸ばさないとな」
「だじぇ」
しかし思い込みの力で伸びるってこともあるかもしれない、彼女に真実を告げるのはよしておこう。
それに、マコ導師がくる数分前にわざわざ講義室を騒がしくしたくもない。
「ところでさあロッカぁ」
「んー?」
「ロッカって背ぇ高いけど、何食ったらそんなんなるん?」
ああ……私の身長か。
まぁ、そりゃ女の中ではそこそこ高い方ではあるけど。別にこれといって変な物は食べてないと思うのだが。
「んー……多分、肉じゃない?」
「ふつーだな」
そんなもんだろう。他に安定して食っているものなんて思い浮かばないし、あるとしたらそれは酒くらいなものだし。
「……あなた達はもうちょっと油気の少ないものを食べたほうがいいと思うわよ」
「えー」
「肉があるなら肉食いたいじぇ」
「だよな」
「……はぁ」
なんて話で私とボウマが笑い合っている間に、マコ導師は講義室に入ってきた。
そういえばマコ導師は野菜が好きなんだっけ。
……野菜ばっかりモリモリ食べてれば、そこそこ肌も綺麗になるのかな?
いや、なんでマコ導師に憧れなきゃいけないんだろう。やめておこう。何が起こるかわかったものではない。
「今回の講義は、少し趣きを変えまして……近々開催されるマルタ杯に付随した様々な行事について説明したいと思いますね」
教壇に立ったマコ導師は、黒板に丸っこい文字で“マルタ杯の関連行事”と書いて、そう言った。
どうやら今日は普通の講義ではないらしい。魔術の習得に役立つ講義でもやんないかなーとか思ったけど、そう都合の良すぎるものが都合の良いタイミングでやって来るはずもなかった。
……丁度、暗記ばかりで頭も疲れてきたところだ。
どうやら数学で私の頭にトドメを刺そうって訳じゃあないようだし、ここはひとまず休憩ということで、大人しくマコ導師の話を傾聴するとしよう。
「まず基本でーす。マルタ杯とは、水国内の国立理学機関に所属する学徒達だけが参加できる、大規模な闘技演習の大会のことですねー」
五大国の中でも特に優美と魔術に重きを置いた島国、水の国。
その水の国が抱える国立理学機関の学徒達だ。私も当然身を持って知っていることだが、そこらへんの学徒というものは非常にレベルが高く、強い。それこそ、誰もが卒業後にすぐさま傭兵ギルドの即戦力になれる程には、手練れなのである。
「参加の権利はとても緩いです。水の国の国立理学機関に所属している学徒であれば、国籍なども一切不問となっています。なので、ここにいる皆さんにも当然、参戦する権利はあるわけですね」
『ふむ』
ああ、やっぱり間口の広い大会なのか。
知ってはいたけど、国籍も不問。水の国の大会とはいえ、色々な国出身の魔道士見習いが出場することになるだろう。学園内で囁かれる大会出場予定者に関する噂話や、独性科で白熱する闘技演習からも、それは明白だ。
……しかし、国内の理学機関ってことは、他の学園からも出場者が出て来るのか。
じゃあミトポワナにあるとかいう理総校からも出場者が……わざわざミネオマルタまで来るわけか。ご苦労だな……交通費出るんだろうか。出ないよな……。
「マコ先生、質問良いですか? というか、少し話が逸れるかもしれないんですけど」
「あ、はーい。ヒューゴ君どうぞ。何でも聞いてくださいね!」
控えめに手を上げたヒューゴが、わざとらしい咳払いを一つ。
「他の理学機関の学徒も参加できる、ということは……もしかして理総校のスズメ=ウィンバートさんのような人も出て来るんでしょうかね。ものすごく強い魔道士ですけど」
あ。
スズメ……ああ、スズメかぁ。そういえばあの子もまだ学徒なんだっけか。
「んー、そうですね。あの方も、リゲル導師の護衛として度々同伴しているようですけど、確かにまだ理総校に在籍されていますし……リゲル=ゾディアトス導師もマルタ杯の監督者としてお呼ばれされていますから、出場しても何ら不思議はないですね」
げっ、スズメも出場してくるのか。
六属性術士が魔道士のタマゴ目掛けて突っ込んでくるなんて、ちょっと穏やかじゃないな。対戦相手に当たる人が可哀想すぎる。
それはひょっとすると私かもしれないのだから、おっとりしたスズメの存在はこの時ばかりはちょっと怖い。
「んー、わかりました。ありがとうございます」
ヒューゴも同じような事を考えたのか、少々気のないお礼を述べて着席した。
もしかすると、彼も出場しようと目論んでいるのだろうか。
だとすると一人ライバルが増えることになるが……ヒューゴが出るとしたら、こっちもこっちで当たりたくないなぁ。
「この各学園の学徒がやってくるということもあり、期間中のミネオマルタは大変賑わいます。開催日の五日前がセイラの祝祭でもありますし、観光で来られる方も非常に多いでしょう」
水国中の国立理学機関からやってくる学徒達。
そしてそれを見物に来る何十倍、何百倍もの馬の骨。ただでさえ人の多いミネオマルタがさらなる地獄絵図になるのかと思うと、今のうちに食料品を買い貯めしておく必要があるんじゃないかと思えてくる。
「当然、これだけ一度に多くの人が集まるのです。国としても当学園としても、何もやらないはずがありません。期間中は闘技大会だけでなく、他の展示物や催しごとも大事な楽しみのひとつですよ!」
と、マコ導師は良い笑顔で言うのだが、講義室の反応は微妙なところだ。
多分皆、その催し事には大して興味がなかったりだとか、私と同じで発表会と似たり寄ったりなものだと考えているのかもしれない。
別に発表会を貶すわけではないけれども、私としてはもっとわかりやすくて面白い……やっぱり闘技演習の見学をしていた方が楽しいように思えるのだ。
「むぅ、反応が悪い……あのですね、闘技大会は確かに見ていて面白いものではありますよ。けれど、大会は本戦前に長い長い予選があるので、その消化には多くの施設が使われるのです。当学園の二つの演習場だけでなく、城や兵舎も総動員されます。目当ての演習が見れるとは限らないので、予選中はべったりと張り付いているのも考えものですよ?」
あ、この学園以外にも演習場ってあるのか。
……他にも色々あるってことは……見たい闘いだけをピンポイントで見続けるのは難しそうだな。
「あー、ミネオマルタ中でやってますからね」
「そうなんですよ。だから予選中は応援に行きたくても、時間も場所もバラバラなんです……きっと皆さんも、お友達の応援に行くことさえ難しいと思われますよ」
んー……結構面倒くさそうだ。
というか、戦う場所が変わるのは何だか抵抗があるな。私はこの学園以外の闘技演習場なんて見たこともないし……まずは迷わずにたどり着くところからはじめなければならない。
誰かが丁寧に現地まで案内してくれたら楽なんだけど……。
「ですので! 予選期間は無理なく校外学習に励んでください!」
……マコ導師は随分と熱心にその、大会以外の部分をオススメしてるようだけども。
「ねぇーマコちゃん、なんでそんなに見ろ見ろゆーのん?」
「……それは、あの……科を受け持つ私の導師としての立場もありますし……展示会の設営も色々と大変なので……担当する学徒が誰も来ないのは、ちょっと……」
ボウマに訊かれ、マコ導師はあっさりと心中を零した。
……要するに、彼も色々と大変なのだろう。
『おい皆、マコ導師がこれほど仰っているんだ。行くよな?』
前の方の席に座っていたライカンが、やけにギラついた目を私たちに向けてくる。
彼の語調はいつになく気迫に満ちていた。
普段はそこそこ温厚なくせして、なんでこういう場面で使ってしまうんだろうか。
「……しゃーないじぇ、マコちゃんに免じて見に行ってやるよぅ」
「あ、ありがとうございます!」
「まぁ、色々見られるなら足を運んでみますよ」
「か、感激です!」
ライカンに凄まれたってわけじゃないけれど、マコ導師にそこまで言われたんじゃ仕方ない。彼も半分涙目な感じだったし、見るだけ見るとしようか。
「ソーニャも行く?」
「ロッカが行くなら、ついていくわよ」
「そっか。じゃあ行くときは、一緒に見る?」
「ええ、行きましょ」
よしきた。まぁ、できれば皆と一緒に見て回りたいけど、それは皆の予定と相談するしかないな。
大会に出場する人によっては、予選でも見ておきたい試合があるかもしれないし。こればかりは開催日が近くなってからでないとわからないことだ。
「はぁ、良かった……」
ともあれ、マコ導師が安心したようで何よりだ。
ほっと胸を撫で下ろすライカンの背中から、そんな声が聞こえてきた気がする。
その後、クラインから“本は読んでいるようだな”とか言われつつ何故か鼻で笑われたり、ボウマから“あんまり勉強してると爆発するじぇ”とかよくわからないことを言われたりした。
別に褒められているわけでもないし腹が立つわけでもないんだけど、必死に暗記しようって時に意味の分からない言葉を投げかけてくるのにちょっとイラっとした。
いや、もちろん怒ってるわけじゃなくて。本当にただちょっとイラっとね。
講義も終わり、私は屋外演習場にやってきた。
マルタ杯の開催も近いためか、昼の屋外演習場にはちらほらと人の影がある。
皆それぞれ周りとの距離を気にしながら、自らの魔術の出来栄えを確認しているようだった。
屋外演習場では、ひたすら自分の魔術に集中できる。相手との闘いに気を割く必要もない。
純粋に自分の実力を把握できるし、自分の魔力を全て使い切ることもできる。実戦経験は積めなくとも、全力を振るう場所があるってのは良いもんだ。
私はいつも通り屋外演習場に入り、なんとなく隅っこに配置されたミネオマルタの彫像をぼーっと眺めてから、人の居ないスペースへと移った。
私は魔術投擲ができないので、他の人よりもスペースを使う必要が無い。他の人は自分の投擲がどこまで届くのかを試すためにかなりの場所を使っているけれど、それと比べれば私はかなり省スペースだ。
なにせ、今日やることもその場で壁を出すことだけである。
……いや、ヘタしたらその壁さえも出ないかもしれないな。
今日試す魔術は、出来るかどうかもわからない初めての魔術なわけだし。
「覚えたっちゃ覚えたんだけどな……」
屋外演習場の隅で、分厚い本を開きながら最終確認。
使う魔術は“スティ・ドット”。目の前に頑強な壁を生成する鉄魔術だ。
私の場合はこれが岩になるのだが、そこらへんは細かな違いである。生成物の造りとしては“スティ・ラギロ・アブローム”に近いものなので、特殊な発生法を用いる“スティ・ガミル・ステイボウ”のような苦戦はしないとは思っている。
……ただ、これは難しい魔術だ。これまでやった単純な魔術よりも一線を画すほどに難しい。環陣の厚みが違う。
なので、単純な難しさ故に使えないなんてことも十分にありえてしまう。まだ試していないが、私にとってはそれが一番の恐怖だった。
ナタリーの指定した期限は明日まで。今日中にできないと、ちょっとやばい。
さて、術はちゃんと発動するだろうか……それなりに頭を振り絞って一通り覚えたつもりではあるので、どうにか出来て欲しい。
「……いくぞ。アンドルギン」
本を鞄に放り込み、破砕杖アンドルギンを両手に握り込む。
魔力を流し、閉ざし。自分の力が杖の先にまで通じていることを確認しながら、ゆっくりと手に馴染ませる。
身体強化の馴染みとは違う、魔術を使う時の魔力の浸透。それは私にとって少し難しい作業だけど、この学園に入ってから慣れたような気もする。
「うし」
力は漲った。
あとは、新しく覚えた魔術を使うだけ……。
「……もう一度読んでおくか」
アンドルギンを握って気合を入れたら、暗記した内容が頭からすっぽ抜けてしまった。
もうちょっとしっかり覚えてからやることにしよう、うん。
それから数十分、私はその場で本を読むことにした。
これが最後の最後の最終確認である。これを読んで、しっかりと理学式を頭に叩きこんだら魔術をぶっ放してやるつもりだ。
そのために石の上に胡座をかいて、じっくりと内容を反復しているのだ。覚えが悪いわけではない。
「……よし!」
今度こそ大丈夫。
そう確信して、私は本を閉じて立ち上がった。これでもう、同じページはすぐには開けない。不退転の覚悟の表れである。
「あれ……あ、もしかして、ここ使うの?」
「え?」
いざ実践だと意気込んだその時、私のすぐ後ろから戸惑うような声がかけられた。
振り向くと、そこには背の低い……男だか女だかよくわからない人が立っている。
背は低い。頑丈そうな革のロングブーツに、大きめの革手袋。頭には古びたハンチング帽。野暮ったい姿は赤っぽい髪の色も相まって、水の国の中では珍しい印象を受けた。
……あれ。でもなんだ、この人。
「……ごめん。どこかで会ったことあるっけ?」
そう、どこかで見た覚えがある気がするのだ。
別に知り合いってわけでもないと思うんだけど、確かに覚えがある。
私が聴くと、赤髪の彼は困ったように頬を掻いた。
「ああ……ぼくは属性科の六年、ベロウズ=ビスマロイド。きみ、ウチの機人整備店に来たでしょ?」
「……あ! そこにいた住み込みの人!」
「そう」
思い出した。
ちょっと前に腕の整備店で働いてた男だか女だかわからない多分男の人だ!
向こうは私のこと覚えてたのに、こっちは忘れてるなんて……しかも相手は六年生だ。ちょっと失礼なことしちゃったな。
「すいません、忘れてたみたいで……」
「あ、気にしなくて良いよ。ぼくが一方的に覚えてただけだし。それにきみ、有名人だしね」
「有名人……ぁあ、いや、あれは……そりゃ有名なんですけど」
やはり私の名前は広いらしい。
百歩譲って有名なのは別に良いけど、“竜砕きロッカ”っていうのはやめてくれないかな……。
「それで、場所邪魔してるようだったらぼくは後から来たし、移動するけど」
「あ……別に大丈夫です。私は投擲しないし、あんまり場所も取らないんで、そのままでやってもらってても」
「……そう?」
どうやら彼は、今まで私の後ろのほうで魔術を使っていたらしい。
屋外演習場で読書に耽るなんて、私は結構邪魔な奴である。むしろ私が今まで彼の邪魔をしていたのなら、そっちの方が少し申し訳なかった。
「それじゃあ、遠慮無く……」
どうせ私は壁を出すだけだ。危険もないし、場所も取らない。なので無理にその場から離れることもなく、とりあえずベロウズさんの魔術を見ていることにした。
彼が手にしたのは、銀色の金属製ロッド。
しかしその形状はかなり独特で、まるで巨大なスパナのようである。
柄がもっとしっかりとした造りであったなら、あの先端部も形なりの実用性を備えていたかもしれない。
だけどその代わり、杖の先の部分には魔石が埋め込まれているのだろう。
大きなスパナを横に構え、ベロウズさんは一気に振りぬいた。
「“イアノス”!」
発動させたのは火属性術の初歩。小さな炎を出現させる基本的な魔法だ。
しかし現れたのは人間一人くらいであれば飲み込めるほどの大きな火炎であり、それは緩やかな弧を描きながら鳥のような速度で宙を駆ける。
上向きに放ったわけでもないので、飛距離は短めの十メートルほど。着弾と同時に炎は弾け、石タイルの上で擦りおろされたように拡散した。
……私が覚えなければならない魔法は、ああいった遠距離攻撃から身を守ってくれるための盾だ。
水魔術であれば、初等魔術くらいなら柱でもどうには防げるかもしれないけれども……こうして間近で見ると、炎が相手だと熱の煽りをもらうだけでもかなり危ないな。
私は今まで戦ってきた相手が火属性術を使ってこなくて助かっていたのだろうか。
「“イアノ・テルス”!」
二発目の魔術は、最初のものよりもずっと巨大な火炎の投擲。
しかも今度は球状の形を保ったまま飛び、着弾と同時に更に広い火の海を作り出す。
強い人はあれを空中で撃ち落としたりもできるんだろうけど、完全に受け身の私としてはものすごく辛い魔術だ。
本格的に壁の魔術を覚えないと、大会ですぐに負けてしまうかもしれない。
「……私もやるか」
激しい炎に触発されて、やる気がみなぎってきた。
私は再びアンドルギンを握り、気合を入れる意味も込めてとりあえず石タイルの一枚に振り下ろす。
軽めの一撃だったが、石タイルは真ん中から綺麗に割れて五等分にできた。
さすがはアンドルギン。杖とは思えない威力だぜ。
今の一振りでベロウズさんがぎょっとした顔をこちらに向けてきたが、魔術を使う時はこんな気分でやるのが一番良い。
私はアンドルギンの嘴を土に押し付けながら、昨日と今日で頭に刷り込んだ呪文を口にする。
「“スティ……ドット”!」
詠唱と共に、杖の先で輝く魔光。
組み慣れない理学式に魔力が走り、一つの魔術を形作ってゆく。
すわ一発成功か。と一瞬喜びかけるが……。
「……うん?」
私の前の前に生成されたのは、斜めに生えた大きめの石柱と、それを支える斜めに生えた小さな石柱。
……アブロームを斜めにして、それを強引に支柱で支えたような……そんな魔術であった。
城塞でもなければ、壁ですらない。
言ってしまえば直立した石柱よりも頼りない歪な彫像が出来上がってしまった。
「あ……それ、杖なんだ……」
私が新たな魔術の出来に面食らっている一方で、ベロウズさんからは別のところで驚かれてしまった。
……なんか、変な空間だ。
魔術は、何度かやってみた。
いつぞやの“スティ・ガミル・ステイ・ボウ”とは違って発動しないということもないし、前もって術を敷設しておく必要もないので心持ちとしては悪く無い。
しかし、“スティ・ドット”は私の理想通りに発動することはなかった。
「うーん?」
出来上がったのは、どれも中途半端に伸びた斜めの石棒である。
太さはアンドルギンの柄と同じくらい。要するに、ただの棒だった。
それがわざわざ二本の石棒によって斜めに支えられており、際どいバランスを保ってやや上向きに伸びている。
長さはおよそ二メートル。私の背丈より高いといえば高いが、これで一体何を守ればいいのやら……。
「ふんっ! あ、折れた」
案の定、右手で思いっきり捻るようにしてやれば、石棒はボキリと折れた。
どうやら二本の短い支柱を備えた根元のあたりが弱いらしい。
……一応発動したことはしたけども。
手で折れる城塞って、そんなもんナタリーが“成功だ”って認めるわけないよな。
「今回は何がいけないんだろ」
もう一度本を開き、目当ての魔術を探し出す。
本を閉じる時に調子に乗って何も栞を挟まなかったので、またページを見つけるところからだ。こうやって私の僅かな集中力はじわじわとどこかへ吹き飛んでゆく。
「“スティ・ドット”を練習してるんだね」
「うん……あ、いや、はい」
本を読んでいると、後ろからベロウズさんが声をかけてきた。
もう一度話しかけられるとは思っていなかったので内心驚いていたのだが、私は本に集中して上の空でいたせいか、自然な風に返事を返すことができた。
「そういえば……きみの闘技演習、何度か見たけど。魔術投擲はしないんだね」
「ああ、私、投擲が使えない特異理質を持ってるみたいで……あ」
言ってから、“喋りすぎたか”と後悔した。
投擲ができない。それは戦っていればそのうち相手も気付くことだろうが、あまりおおっぴらにして良い情報でもない。
口が滑った。言わなきゃ良かったな。
「そう、なんだ……ごめん。気にしてたよね」
「え? いや、大丈夫。です」
しかし、ベロウズさんは私に心底同情しているような、悲しい表情を浮かべている。
良い情報を手に入れた、と喜んでいる様子は無いけれども、これはこれで私としては傷つく反応である。
「……気にしてないです。ていうか私、それに気付いたのも最近だったんで」
「そっか……なるほど。じゃあ、確かにそうだね。防御魔法を覚えないとだね」
「はい」
ベロウズさんは遠慮がちに私の横に並び、開いた本を覗き込んできた。
どこか懐かしい、仄かな機械油の香りが心を落ち着かせる。
彼は開かれた“スティ・ドット”のページを見て、“あー”とか“そうか”とか、気難しそうな顔で何か呟いている。
私のようなできの悪い奴にはわからない、何か高い次元の事でも考えているのだろう。
「んと……生成物はこれだよね。高さはそこそこあるけど、太さが足りてないんだ」
「あ、はい」
正直言って魔術投擲ができないことよりも、林立するこの粗末な棒状の城塞を見られる事の方が恥ずかしい。
しかしベロウズさんは、私が生み出した失敗魔術と本を見比べながら、真剣な顔で悩んでいるようだった。
「鉄魔術のこういった生成失敗は、よくあるんだ。この術の場合は、えと、理学式の……ここの環陣に式の欠落があるんだと思う」
「え、ここ……?」
ベロウズさんが指差す理学式の箇所は、私としては多少慣れた造形のものだった。
ここと同じ魔力の流し方は、最も心得ているつもりなんだけど。
「記号、読み違えてない? この本は古いから、留顕と閃顕の記号が似ているのかも」
「留顕? ……閃顕なら聞いたことあるんだ、ですけど……」
「無理してかしこまらないでいいよ。ぼく、そういうの気にしないし。楽に話して」
「あ、うん」
ベロウズさんがダボダボの革手袋で指差す場所は、丁度支柱となる石材が生まれる箇所だろうか。
足自体はしょぼいけれど出ているし、ここに特別問題があるとも思えないんだけど……素人考えか。
「ここはね、次の環陣に主線が走って対になる留顕に魔力を流す時にも魔力を流さなきゃいけないんだ」
「えっ!?」
「ほらよく見て。形の古い数字だけど1、2ってちゃんと符号が書いてあるでしょ」
「ほんとだ」
「……普段、ちゃんと勉強してる?」
「……頑張ります」
「……ふふっ」
不勉強を笑われてしまった。
が、不思議とそこまで嫌な気分にはならない。
私はその場でちょいと頭を下げて、お礼を言った。
「教えてくれてありがとうございます。助かりました」
「いいよ。ぼく、一応センパイだもの」
「……よっしゃ、忘れないうちに早速試すか!」
「頑張って」
おし、疑問が一つ解決した。
理学式の組み方に問題があるのであれば話は早い。今日でなくともミスの所在は発覚はしたかもしれないが、今は急ぎで習得しなければならないのだ。
……さて、一つのミスは見つかった。
特別難しくはない。体感だけで修正は効きそうだ。
次は実際に、術として出して確認してみよう。
「ふぅーッ……」
息を吸い、吐く。
重々しいアンドルギンを正眼に構えると、驚くほど頭の中がクリアになった。
あとは体に染み付いた動きのままに、こいつを振り下ろすのみ。
「“スティ・ドット”!」
ツルハシの勢いづいた振り下ろしがタイルを砕くと同時に、魔術を発動させる。
破壊されたタイルの大きなひび割れからは魔光が溢れ、先程よりも強力な魔術が実体化したことを早くも私の目に知らせてくれた。
「おおっ!」
「え……」
そして、数秒もしないうちにそれは生えてきた。
今度は文句なしだ。
最初の失敗は何だったのかと言うほどに立派なものが出てきた。
高さは三メートル。横幅二メートルはあろうか。
岩の壁が、タイルを突き破ってせり上がってきたのである。
「できた!」
「うそ……一回で……?」
足元にはしっかりと二本の支柱が生えており、壁をやや斜め向きにしっかりと支えている。
この傾斜が、正面からやってくる水や炎を防いでくれるのだ。
初めて出したにしては、理想的な形と言えるだろう。
……よし! やったぞ!
まぁ私のものにしてはちょっとサイズが小さいかもしれないけど、それはこれからやっていけばいい。
ひとまずこれで、ナタリーやクラインに認められる程度の形にはなったはずだ。
「ベロウズさん、ありがとう! ございます! 言われた通りにしたら、私できました!」
「……うん。良かった。というか……すごいね。そんな簡単に出来ちゃうなんて」
私があまりに大げさに喜びすぎたせいか、ベロウズさんは苦笑いを浮かべている。
一人ではしゃぐのも大人げないので、私はすぐに居住まいを正し、しかしもう一度だけ深く頭を下げた。
「……でも、凄いよ。本当に。おめでとう、ロッカ=ウィルコークスさん」
「私、ロッカで良いよ。年下……だと思うし、さんもいらない」
「うん……わかったよ、ロッカ。じゃあぼくのことも、ベロウズって呼んで」
最後に私はベロウズさんと握手を交わし、しつこいようだが最後にもう一度お礼を言ってから、屋外演習場を後にした。
新しい魔術は覚えられたし、上級生の友達もできたし、私にしては良い事尽くめな日だったと思う。




