釜017 打ちのめす現実主義
無詠唱によって次々と放たれる火球が、火の粉の尾を引いてクラインへと襲いかかる。
顔、胴、脚。致命的な位置にばかり狙いを定めた魔術は、直撃すれば軽くはない火傷をその身に残すだろう。
一瞬の気の緩みから連続で受ければ、命すらも危うい攻撃だ。
「“スティ・リオ・カトレット”」
しかしクラインは、向かい来る火炎を冷静に撃ち落としていた。
角度と回転を加えた抜身の曲剣は、鉄魔術により生成されたもの。
通常、鉄魔術は炎魔術を打ち消すためにさほど有効ではないが、火球を形成する魔力の中心部を潰すことができれば、術を壊すことは可能である。
クラインの投げ放つ曲剣は、イズヴェルの放つ火炎弾を正確に捉え、切り裂いてゆく。真っ二つに断たれた火炎は急速に勢いを落とし、地に落ちて火力を鈍らせ、すぐに消えてゆく。
クラインは涼しい顔でやってのけるが、相手の投げ放つ術に対して真っ向から小面積の魔術を当てるというのは、非常に難しい。水や炎といった環境向き魔術を面で防ぐのは、魔術戦において常識とも言える。
「くっ!? なんてデタラメな……!」
それは相手のイズヴェルも予期していなかったのだろう、放った火球を切り裂きながら襲い来る曲剣を、寸前でなんとか回避していた。
「“イグズ・ディア”」
「! “イアノス”っ!」
かといって攻撃の手を緩めてしまえば、その隙を突くように雷撃が飛んでくる。辛くも小さな火炎で相殺したが、一歩反応が遅れていれば、電流は身体を貫いていただろう。
雷撃自体に殺傷性は無いものの、当たれば一瞬の動きが封じられ、なし崩し的に追撃を受けることとなる。
クラインが一発でも火球を受ければ危ういように、イズヴェルもまた、一発も受ける余裕はないのだ。
だが、クラインの放った雷撃により、相手側にも多少の隙が生まれる。
他属性の魔術に切り替えて発動させるためには、杖の中、正確には先石に残留する理学式の形を、一旦完全に消さなくてはならないのだ。
その際に生まれる僅かなタイムロスが、イズヴェルに魔術行使のための時間を生み出した。
「“イオニス・ラダルス・エリオンエッグ”!」
晶沈鱗のロッドが掲げられ、空中に眩い火球が浮かび上がる。
出現とともに山吹色の熱光を辺りに発散するそれを見て、クラインは慌てて鉄魔術の投擲のために構えた身体を、退避のために後方へと下げた。
浮かび上がった小さな太陽とも表現すべき熱源は、二人の間のクライン寄りの位置に、静かに落下した。
同時に山吹色の熱源は弾け、中に渦巻いていた莫大な量の赤い火炎が解き放たれる。
膨れ上がる炎は肌を焼くような突風を作り、退避行動により距離をとっていたクラインを、更に一メートルも後退させた。
術使用の構えを解かず、魔力を身体強化に回してなければ、全身に軽いやけどを負っていたかもしれない。
「……ッ」
両腕で顔を保護したクラインは、舌打ち混じりに薄目を開く。
爆発した炎の卵は、クラインとイズヴェルとの間に巨大な火の海を形成していた。
「さすがは“名誉司書”。この魔術の範囲を知っているとはな」
「……古びた魔術だな。魔力効率の悪さがいただけない」
「古いも新しいもないよ。古いものは古いなりに、大きさと重さに任せた、力強い戦術が取れるのだからね。丁度、今のように」
炎の向こうのイズヴェルが、七色に煌めくロッドをクラインへと向ける。
「君が強いのは知っている。今までの闘いも、こうして環境戦へと発展する前に、開幕からの連続攻撃で倒してきたんだろう。なるほど、確かに隙のない、連射だった。多くの魔道士達が敗北してきたのも頷ける。けど……」
床の上で燃え盛る炎が、イズヴェルのロッドによって注がれた魔力を喰らい、更に火力を増して、背丈を伸ばす。
「どうやら、僕が君にとっての最初の黒星みたいだな。“名誉司書・クライン”」
「……」
イズヴェルの挑発的な言葉を受けて、クラインの表情から不機嫌そうな、面倒くさそうな強張りが消えてゆく。
やがて闘いの構えさえ解いて、両手をだらりと下げた棒立ちにまでなると、彼は眼鏡の位置を整えて、正した背筋まで猫背に戻してしまった。
「はあ……」
言葉には出さず静かに訝しむイズヴェルをよそに、クラインは両手をポケットに突っ込んで、人の神経を逆撫でするほどの大げさなため息をついた。
「……馬鹿も、ここまでくると……一つの才能か」
「負け惜しみを言う前に、両手の指輪を捨てることだね。それをつけている限り、僕は君を敵として……」
「負けまいとする馬鹿とは多く戦ってきたが、そこまで過剰なまでの勝利を確信して向かってくる馬鹿は、お前が初めてだよ。“激昂”」
イズヴェルの額が、ぴくりと震える。
だが“激昂”と自分の二つ名を最後に持ち出されては、あからさまな反発もできないのだろう。
彼はただ、瞳の中に静かな闘志を燻らせるばかりだった。
「お前がオレに勝つだと。調子に乗るのもいい加減にしたまえよ」
「何だと、事実じゃないか。僕は炎を極めた魔道士だ。水魔術を使えず、火魔術を僕ほどに使いこなせない君では、環境戦にもつれ込んだ僕を倒すことは、決して……」
「浅いッ」
クラインが後の言葉を遮るように、大きな声で嘆いた。
そう、それはまさに“嘆き”だった。呆れて物も言えず、一喝に吐き出さざるを得なかったかのような、そんな思いを纏めた一言である。
「浅い、浅すぎる……環境を埋めたら勝ち、環境術の実力が上ならば勝ち……なんて愚かしさだ。属性科とは思えない……いや、だからこそと言うべきか……」
「何が言いたい。僕のどこが劣っている。いや、劣ってなど……」
「知れたことだ」
右手で眼鏡を整えながら、クラインは歪んだ口元を隠しつつ、言う。
「真剣勝負は、ただ勝てば良いんだよ」
「!」
嗤う口元を隠した手が翻される。
眼鏡を整えるために上げた手の中には、いつの間にか小瓶が握られていた。
「どんな手段を使ってでもな!」
小さな小瓶が鋭く宙に放り投げられ、火の海へと落ちる。
「卑怯者ッ! “イオニアル”……!」
「勝者と呼べ、日和者。“トグ・テルス”」
地に落ちて割れた小瓶は、熱に当てられ人の目に映らない蒸気を発し、それは間もなく、クラインの生み出す突風によってイズヴェルのもとに運ばれた。
「ッ……!」
火の粉を巻き上げながら吹き付けてくる烈風に目を細め、イズヴェルは反射的に口を強く結んだ。
砕かれた謎の小瓶。その中身が、風によってこちらへと送られている。
それを吸えばどうなるか。
毒か、麻薬か、またはそれ以上の何かか。
先ほどの宣言通り、手段を選ばないであろうクラインの策謀は図り知れない。イズヴェルは、戦闘において欠かすことのできない目は閉じないまでも、息だけは止めておく事が、現状において最善であると判断した。
「“イグズス・ディオ・デュレイヤ”!」
息を止めたイズヴェル。
しかし、炎の向こう側の眼鏡の悪魔は、息つく暇ばかりか、考える隙さえ与えてはくれなかった。
差し出された右手の指輪に、青白い雷光が眩く煌めき、迸る。
雷魔術の速度は早い。イズヴェルは息を殺しながらも、危機感を持ってその場から真横へ飛び退いた。
それが実際の雷鳴であったのなら避けようもなく直撃していただろうが、幸いにして放たれたのは魔術の雷。速さには魔力の制限があり、人間業でも見切るのは難しくない。
イズヴェルはどうにか、間一髪のところで横殴りの落雷を回避した。
「ぐ……!」
だが、今度は息が持たない。
呼吸を止めての、手に汗握る緊張を要した回避行動だ。体内の酸素は急激に奪われ、全身が窒息に陥るのは必然である。
無呼吸は時間にして五秒にも満たないが、急激な運動と回転する頭脳は、短時間でイズヴェルの肺を苦しめていた。
「“スティ・カトレット”!」
避けなくては。息をしなくては。
二つの問題を解決するために、イズヴェルはここではない場所に飛び退き、大きく息を吸い込む決心を固めた。
クラインの振り下ろす手から曲剣が放たれ、歪んだ重心を軸に、殺傷力を極めた回転をしながら襲い掛かる。
殺意ある剣の軌道をイズヴェルは正確に予測し、かつ、クラインが瓶を放った場所からなるべく離れるようにして、彼は頭から床の上に滑り込んだ。
少々不格好な退避ではあるが、炎に紛れつつ新鮮な空気を吸い込むのであれば、これ以上合理的な避け方は無い。それに息が詰まっている今の彼には、そんな動きで避けるのがやっとだった。
「“スティ・タンブラル”」
そしてクラインは、そのようなイズヴェルの動きを全て予期していた。
イズヴェルが息を止めることも。
その時に隙を見せることも。
一度はなんとか避けることも。
そこで息が尽きることも。
最後にもう一度は避けるが、その時には既に地に伏しているだろうということも。
イズヴェルが曲剣を避けようと身構えた時既に、クラインの術は完成していたのだ。
「グあっ」
床の上に滑り込んだイズヴェルの腹に、全鉄製の直方体がめり込んだ。
イズヴェルが床を滑るのと同じようにして、それは炎の向こう側から正確に、イズヴェルを狙って、地を走ってやってきたのである。
重く硬い鉄製の箱。
高さは五十センチほどではあったが、寝そべった人間の脇腹を強かに打ち据えるには十分すぎる鈍器だった。
「がはっ……」
肋骨二本。激痛のあまりにイズヴェルはロッドを手離し、口から唾液を零して悶えた。
すぐさま放たれた小さな鉄球が柄の中央にぶつかり、晶沈鱗のロッドが床の上をガラガラと転げ、遠ざかってゆく。
「まあ、鉄でもほどほど、滑りは良いようだな」
「ぐ……く、そ……!」
クラインが悠然と歩み寄る足音に、イズヴェルが歯噛みする。
浅くはない傷を負わされ、杖はない。無手で足掻くには、現状はあまりにも絶望的だった。
「なぜ、こんな……ッ! 卑怯、な……!」
「卑怯? 卑怯とは随分な言い草だな。闘いは常に全力勝負。持てる全てを出し尽くして何が悪い」
「あんな……ゲホッ、あんなものを使っておいて……!」
「あんなもの?」
クラインが片手を広げ、表と裏をひらりと見せる。何度か裏と表を交互に見せた後に、クラインは軽く拳を握り、再び開いた。
「な……」
そこには、いびつな形のガラスの小瓶が握られていた。
「そうだな、確かにこんなものだ。……こんな魔術に頼るなど、オレらしくもない」
ガラスの小瓶が床に落とされ、イズヴェルはそれを呆然と眺める。
もはや、言葉も無い。手の平から水のように溢れ、床へとこぼれ落ちる小さな小瓶たちを前にして、彼は全ての戦意を喪失した。
「だが……案外、使えるものだな」
クラインは小瓶の一つを手の中に遊ばせ、無邪気に微笑んだ。
いびつなガラスの小瓶は辺りで燃え盛る火炎を映し、きらきらと輝いて見えた。




