釜016 叩きつける黄鉄鉱
唇に指を当てたクラインのジェスチャーに従い、足音を殺しながら、ひっそりと先へ進んでゆく。
大階段を登り、扉を開け、廊下を歩き、その先へ。
闘技演習場。観覧席全体を見渡せる開けた場所に出ると、半永久的に光を振りまく煌灯の照明が、私達に降り注いだ。
いつもは観覧席から観戦するか、壇上に立って戦うかの場所。
常に人で埋めつくされ、ミネオマルタでは最も……おそらく、夜の酒場以上に騒がしい屋内である。
しかし今は、恐ろしいほどの静寂に包まれている。
広大でいて緻密な石造りと静けさの融合は、以前ソーニャと共に入ったミネオマルタの美術館を彷彿とさせる。
ここも九階と同じように人は居らず、当然、闘技演習も組まれていない。
なかなかお目にかかることのできない、闘技演習場の、真の無人状態だった。
「……ウィルコークス君、足元」
「ああ、わかる」
多方向から浴びせられる光のおかげで、足元に影は出来ない。
足音に注意する分、下方向にも気を張っていたおかげで、私達は床に落ちていたそれに気付くことができた。
クラインは観覧席をざっと見回し、人目を警戒しながらそれを拾う。
丁度、闘技演習場の白い壇上の近くに落ちていたそれは、練っている最中の水飴のような形をした、赤褐色の金属片だった。
クラインが入念に確認するまでもない。熔かされた檻の一部だろう。
「あ、クライン。欠片、壇上にも落ちてるみたいだ」
「……わざわざ道標を残してくれるとは。馬鹿の愚行にも、たまには感謝しなくてはならないな」
金属片は壇上を横切るようにして、点々と床に落ちている。
遠目から見てそれらは形にばらつきがあり、いずれも引き伸ばしたような、何らかの物に挟まっていたような、まとまりのないクズ金属ばかり。
熱せられ、塗料のようにドロドロに溶けた金属が冷やされ、付着していた物から剥がれ落ちたものだろう。
物とは何か。
決まってる。幼竜だ。
「“ラテル・ヘテル・コイザ”」
「“ラテル・フウテル・イオニアル”」
詠唱。私がそれを頭で理解する前に、辺りの空気は瞬く間に輝き、発熱し、膨張し、襲い掛かってきた。
「うわっ……!」
「チッ」
蒸し暑い熱風が吹き荒れ、全身を容赦なく叩く。
薄目から覗く景色は、真横に流れる巨大な炎と、その逆方向に溢れる濁流によって遮られていた。
炎の壁と、水の壁。相反する二つの力だが、この二つを同時に乗り越える勇気は、これっぽっちも湧いてこない。
そして二つの壁によって生み出される、凄まじい蒸気。
まるで、温まった水暖炉の中に突然投げ入れられたかのような現象に、私は警戒していながらも、強張った身体を少しも動かせなかった。
かわりに動いたのは、クラインだ。
私が薄目で前を睨む中、彼は視界の隅でゆっくりと踵を翻し、両手の中指につけた銀の指輪をはめ直している。
「……やれやれ。最悪のパターン、といったところか」
クラインは後方に向かって、言葉を発している。
誰かいる!
気付くのが遅すぎた私は、今更に警戒度を跳ね上げて、立ち込める蒸気をようやく無視して、振り返った。
「ああ、本当に最悪だね。僕も不本意で、仕方がないよ」
壇上全体を駆け巡る円形の炎。
虹色に輝く結晶のロッドによってそれを操る少年、“激昂のイズヴェル”。
「本当に、最悪ですね」
回り続ける炎の内側で、滝のような音を立てながら地を奔る濁流。
漆黒の炭のようなロッドによってそれを操る女、“冷徹のミスイ”。
私達二人の後ろから現れ、魔術によって強引な包囲を仕掛けてきたのは、属性科の神童とも言われるそいつらであった。
……なんで、ここにミスイとイズヴェルがいるんだ。
二人は属性科で、優等生で……そういう奴らは今頃、みんな第三棟でリゲル導師の講義を聞いてるもんだろう。
「……てめえら、何のつもりだよ」
私は二人を睨みながら、憮然とした顔でロッドを握る二人に訊いた。
同時に、身体に振りかかる鬱陶しい熱や湿気を、身体強化によって跳ね除ける。
魔力を込めた瞬間に、肌に張り付く蒸気は失せ、熱も感じなくなった。
「何のつもり、か。ロッカ=ウィルコークス、君とならばもしかしたら、と思ったのにな。どうやら、僕の勘違いだったらしい」
イズヴェルは赤い瞳を細め、私を睨み返した。
意志が込められた彼の眼光には、以前垣間見えたあどけなさは、微塵も残されていない。
彼の感情の昂ぶりと共に一時的に溢れ出た炎は、内側で駆け巡る水さえも乗り越え、壇上のあちこちに飛び火した。
炎のひとつが、壇上に落ちたアカガネの金属片に降り注ぎ、鉄臭い煙を燻らせ、熔かしてゆく。
……なるほどな、そういうことか。
そういうことだったのかよ。
「お前たちは馬鹿ではないと思っていたが……まさか、ここまでとはな」
クラインは眼鏡を外し、何気ない仕草でレンズを指で押し砕いた。
砕いた瞬間にレンズは消え、手をかざすとそこには新たなレンズが精製される。
一連の作業を行う間、クラインはずっと眉間に皺を寄せ、不機嫌そうだった。
眼鏡をかけ直したクラインが、そのままの顔で、向こう側に立つ二人を睨む。
「さっさと術を解き、頭を冷まし、立ち去れ。闘技演習場の無断使用、学園内での魔術による直接的傷害……たとえ属性科のお前たちでも、見過ごされるものではない」
「今更、僕らがそんなこと、気にすると思っているのか」
イズヴェルが怒りに声を震わせ、しかし静かに答えた。
ミスイは隣で、小さく頷いている。
「たとえ、退学になろうとも……犯罪者になろうとも……いいえ」
ミスイが黒い大きなロッドを胸の前で抱き、目を見開いた。
黒く淀んだ、濁った目。彩佳系の鮮やかな青が深まり、翳りきった、不吉な色だ。
「たとえ私が……ススガレ家が、拭いきれない程の汚名を被ろうとも……クライン、貴方は私が、止めてあげますから……」
怒りと、狂気。私はその強い二つの意志を感じずにはいられなかった。
そして、この場からは逃げられないことを、私は直感する。
なぜ二人が。どうして今。
そんなことを考える余裕は、どうも、なさそうだ。
「ふん……良いだろう。力づくでオレを否定してみろ。言っても解らない馬鹿に付ける薬は、いつだって一つだけと決まっているからな」
クラインが両手を前に突き出し、指輪型の杖を構える。
完璧な戦闘態勢だ。
「……そうか。やろうってのか」
イズヴェルと、ミスイ。
属性科三年の中でも特に強いと言われる火属性使いと、水属性使い。
特にミスイなどは、本気を出したナタリーを圧倒的な力でねじ伏せる程の実力者で、私が戦う前から諦めるしかなかったくらいに、有り得ないほど強い。
けど、強いってのは、あくまでルールの上での話だ。
ここは闘技演習場だ。けど今は、ここに立つ者を縛る“ルール”が無い。
魔術を撃ち合うことを目的とした闘技場で、今はその枷が外されている。
身体強化が有効なのだ。
今も私は身体強化をかけているが、外へ弾き出されるような気配はない。
つまり、本気でやれる。
強化なし、正直に言ってしまえば不得意な魔術だけを使って戦う必要がない。
「私に“喧嘩”を、売ろうってんだな?」
魔力が滾る。全身に力が溢れてくる。
身体強化の解禁。それは、私を魔道士としてではなく、もっと根本的な部分で底上げするルール改定だ。
「……泥まみれの鉱夫風情が。そろそろ場違いであることを知ったらどうなの」
ミスイが、私のことを汚物でも見るような目で睨む。
「ナタリーの仇討ちだ。死にかけるまでぶん殴ってやる」
私は抜き放ったデムピックを左手に構え、鋼の右手を強く握り締める。
「炎に炙られ、己の罪と向き合うが良い!」
イズヴェルが宝石のようなロッドを高く掲げ、歯をむき出しにして叫ぶ。
「知っているかね。無知こそが罪なのだと」
最後にクラインが呟くのと同時に、私達の壮絶な戦いが始まった。
膨張した殺気と共に、それまで辺りを旋回していた濁流と火焔が、直線的な動きに変わってこちらに殺到した。
燃え盛る業火はクラインに、鉄砲水は私の方に狙いを定めている。
私達二人は横並びだったために、避ける方向がお互いの逆側一つだけしかなかった。丁度私達を分断する形で、炎と水の激流が間を通過する。
「君はミスイを倒せ」
熱蒸気の余波で煙った向こう側で、クラインはあっけらかんと言いのけた。
これが普通の闘技演習であったなら、何を無茶なと捲し立てているところだけど……今は強化有り、ルール無用の本気の勝負。
「じゃ、そっちはイズヴェルね」
私の方は返事の中に入れるまでもないと、向こうの心配をしてやることで、余裕を示してやった。
やがて私とクラインの間に流れていた濁流が一瞬にして凍りつき、炎は黒い煙だけを緩やかに燻らせて、嘘のように消え去った。
残ったのは、ミスイによる巨大な氷塊の壁のみ。
濁流をまるまる一本凍らせたそれを壊すのには、不可能ではないまでも、少々時間がかかりそうだった。
クランブルとして、氷なんざいくら分厚かろうとも数秒でぶっ壊して、向こう側まで開通してやれるけど……。
「クラインを唆す田舎者め」
目の前に立つこいつは、そんな猶予を与えてくれそうにない。
いつも人を見下しているような半目は大きく開かれ、まさに“殺気立っている”と表現するに相応しいほど、血走っているように見える。
「私がクラインに何をしたってんだよ」
「貴女たち特異科のせいで、クラインはまだ、自分の魔術を捨てきれない」
「はあ?」
「私がクラインの……雑念の露払いになる」
「何をブツブツと……」
いう間に、ミスイがロッドの石突きを床に叩きつけた。
木製のロッドが響き、共に、ミスイのロッドを起点として、床上に水が溢れ出す。
まるで私の使うラギロールを水にしたかのようなその魔術。しかし範囲は私よりも確実に広く、お互いが闘技演習の開始位置である二十メートルとほとんど相違ない場所にいるにも関わらず、低い波は既にこちらへ到達しようとしていた。
「くっ」
さすがに、何もしないまま床全てが水で浸されるのはマズい。
私の魔術は、床が無ければどうしようもないものばかりなのだ。そこが他人の魔力……つまり魔術によって生成された水で侵されていては、手出しができなくなる。
この戦いで私の魔術が陽の目を見るかは不明であったが、私は咄嗟に後方へ飛び退いて、デムピックを床に突き立てた。
「“スティ・ラギロール”!」
後方への退避は、身体強化がある分だけ俊敏に行えた。
ラギロールは無事に最大、半径五メートルほどの大きさまで広がり、床を大きく占領する。
こちらに流れて来ようとした低い波は、僅かな起伏を持つ岩の足場に阻まれ、進行を止めた。
足元が水浸しだと、いつ相手の氷結魔術によって拘束されるか、わかったものではない。
身体強化で終始戦っても良かったが、やはり魔道士相手にそれだけで戦うのは危険だ。こうしていざというときのための安全地帯を作っておいて、損はないだろう。
「“コイズ・ディア”!」
ミスイがロッドをこちらに掲げ、先石を輝かせた。
巨大な水の塊が宙へ投げ出され、私を飲み込むであろう鋭い軌道を描き、こちらへと飛んでくる。
闘技演習なら、ルウナの時のように、必死になって避けていただろう。
だが今はもはや、逃げる必要はない。
「! 向かってきますか」
私は全身に魔力を注ぎ、岩の足場を勢い良く蹴って、正面に駆け出した。
強化を込めた身体は凄まじい勢いでミスイに接近してゆく。
足元は水浸しだったが、雨の多い水の国で売られている頑丈なブーツがそこで馬力を発揮できないわけもなく、力強い一歩一歩が踏み外れることもない。
この速度であれば、投げ放たれた水の着地点は、ギリギリで私の後方となるだろう。
向かい来る超重量の水をやり過ごすのは、強化の力を得た私にとって、造作も無いことである。
「では予定変更、死んでください。“ジキア・キアンナ”」
ミスイが不気味な笑みを浮かべ、掲げた杖を僅かに下げ、光らせた。
――嫌な予感がする。
予感と同時に、私は全身に強く振りかかる圧力と、水が急速に冷やされて固体へと変わる音を知覚した。
「な」
嫌な予感、どころではない。
丁度私の頭上にある水の塊が、急激な冷気と、急激な重力を与えられ、それまでの鋭い弧の軌道を無視し、こちらに急降下しようとしている。
氷塊は、デカい。
坑道の上に吊り下げる防火水嚢の中身をそのまま凍らせたかのような、とてつもないサイズと、重量だ。
無防備なまま直撃すれば、まず間違いなく全身の骨を砕かれて圧死するだろう。
「――おッ」
確かに無防備だ。
避けられないし、頭を防護するものは何もない。
けど、私には“力”がある。
何の力かって、そりゃ当然……。
「らァアアッ!」
腕力だ。
強化の魔力を収束させた鋼の右腕が、全身をバネに真上へと打ち出された。
腕は見事に、こちらに狙いを済まして落下した氷塊の中心を打ち据え、有り余る力のままに、襲い来る重力に真っ向から反発する。
そして、私の力は巨大な氷に勝利した。
「……原人」
コナゴナに四散する氷雨の向こう側で、ミスイが歯噛みしながらこちらを睨んでいる。
――ざまあみろ。
私はあまりそんな柄でもなかったが、あいつのそんな表情を嗤ってやった。
「この調子なら、てめえを殴り飛ばすのに時間はいらねーかな」
「……」
相手の無言の内に、命をかけた闘いは、静かに、そして速く進行してゆく。
それはきっと、氷の壁の向こう側でも、同様に。




