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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第十章 焼き尽くす業火

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釜018 寄せ付けない間欠泉

 身体強化によって力が底上げされると、目に映る景色がどれだけ切羽詰まっていようとも、切り抜けられる安心感が湧き出てくる。

 普段はできない動きができるということは、それだけ自分の動きに可能性が生まれ、普段は想像できないような回避の方法を、土壇場で閃かせてくれる。


「“クウザ(水精よ)・ラギレルテル(跳ねろ)”」

「っと」


 弧を描いて迫る水の鞭を、当たる間際で仰け反って避ける。


「“コイズ(水よ)・ディア(襲え)”」

「ふっ」


 無防備な体勢を見せた私目掛けて水の塊が飛んでくるが、つま先だけでバランスを取る片足に力を込め、その場から真横へ飛び退く。


 普通なら成し得ない無秩序な動き。私ですら予想の付かない力任せの挙動。

 身体強化を持った人間とやりあった経験の少ないミスイには、闘い難いことだろう。あからさまに苛立った奴の表情が、そう素直に白状している。


 回避、回避。順調に避け続けたら、あとはもう何歩もない近距離だ。

 身体強化は避けるのみでなく、接近にさえ力を発揮する。

 棒立ちのままのミスイに肉薄することは、難しくもなんともなかった。


「シッ」


 大幅六歩分の距離から右手を握り、一層の強化を込めて突撃を敢行する。

 これは、充分な圏内なのだ。私がアイツを、思い切りぶっ飛ばすための。


「! “コイズ(水よ)・ガミル(蜂起せよ)”!」


 やれると思った瞬間、ミスイの足元の水たまりが膨れ上がり、私がより深く認識する間もなく、私への指向性を持つ狭い爆発となって襲い掛かった。


「ぶっ」


 針のような高圧の飛沫を全身に受け、丁度重心が浮いていた私は綺麗に吹き飛ばされる。

 地に脚がついていなければ、いかに身体強化をしていようとも踏ん張りが効かない。浮き上がらせるような攻撃には弱かった。

 さすが秀才。ミスイも専門外の事に無知ではないらしい。


「ペッ」


 しかし、今のは中級保護であれば一発退場の水圧だったが、身体は吹き飛ばされただけで、怪我はひとつもない。

 身体を濡らす魔力の水も、私の強化に相殺されて、すぐに乾いてゆく。

 ナタリーの使うような鉄魔術はわからないが、生半可な水魔術程度なら、まともに受けても平気というわけだ。


 強化の保護は、心強い。けど、先ほどのように何度も突き返されては困る。

 水を受けた一瞬、身体を覆う強化の魔力がかなりの速さで消耗された。


 そう考え無しに、何度も体当たりできるものではない。

 攻め方も、馬鹿正直じゃ駄目ってわけか。


「魔道士は、敵を近付かせないからこそ魔道士なのです。接近戦は苦手だろう……とでも、思っているのですか?」


 ミスイがロッドを抱き、私を睨む。

 昏い瞳は、侮蔑と敵意を孕んでいた。


「そう思っているのであれば、愚かの一言に尽きます。まったくもって、魔学というものをわかっていない」

「悪いな、勉強中なんだよ」


 身体に纏わりつく水が乾いた。

 これなら、今すぐいける。


「結構。ペンと本を置いて故郷に帰りなさい。貴女には……」


 ロッドが光り、ミスイの周囲に滴る水が浮かび上がる。


「その格好(労働者)がお似合いですよ」


 浮かび上がった水滴は一瞬の内にツララとなり、前触れもなくこちらへと飛来した。

 鋭利なツララ、その数は二十弱。私が避けるであろう範囲まで広くカバーした、とにかく当てに来るための攻撃だ。


 弾いても良い。防御の構えを取っても良い。私が行える対処法はいくらでもある。

 だがツララの向こう側では、既にミスイが杖を構え、このツララ攻撃ではない別の動きを見せている。


 ツララは囮だ。そもそもこれには威力も込められていない。

 本命は向こうからやって来る、別の何か。


「“ケツァル(波よ来たれ)・コラル(水よ怒れ)”――」


 マズい。

 聞き覚えのある詠唱。それと私の直感が、襲い来るツララなど全てを無視しろと告げている。


 自分の勘は一番だ。私は敵に背を向け踵を返し、迷うこと無く駆け出した。


 速く、距離を取らないと……!


「――“コイザ(全てを海へ)”!」


 死ぬ!


「うッ、ぷ……!」


 ミスイの周囲から湧き上がった水が、大きな滝を逆回ししたかのように高く立ち上る。

 観覧席から見下ろすのとはわけが違う迫力に竦む間に、その大質量の水は波となって、一瞬のうちに私を飲み込んだ。


「ぐ」


 水に呑まれ、波に巻かれ、身体が床を転がり、何度も打ち付けられる。

 魔力の水によって削られる強化が防御力を緩め、鈍い痛みが全身を襲う。


 これは、“大波濤”だ。

 畜生、こんなもんどうしろっていうんだ。最初から近付き過ぎてたら、こんなのもう逃げようもねえじゃねえかよ。


「ぐぁっ!」


 私は最後に尻を打って、ようやく水の呪縛から開放された。

 新鮮な空気が悶えた肺を満たす。


「“テルス(北風に)・キュアー(凍えよ)”!」

「! しまっ……」


 だが息つく暇などありはしなかった。

 波から解放されかけた瞬間、下半身を浸す水全てが凍りつき、私の身体がマヌケな体勢のまま固定されたのだ。


 尻をつき、両手がつき……四肢と下半身が固定された、最悪の状態。


「あっけない」


 ミスイはそんな私を見て、気分良さそうに嘲笑った。




 大波濤によって相手の体勢を崩し、大量に生み出されたその水を凍らせることで、相手の動きを封じる。


 やっていることは、ド派手な魔術の力押しだ。

 相手を押し流し、押し固めるだけ。ただ、それだけのこと。


 けど、それが強い。単純な私だからこそわかる。単純なものこそ、最も力強く、恐ろしいのだ。


「……」


 分厚い氷の枷には気泡が混じり、白く濁っている。

 自らの手元を見通すことのできない氷の中で、私は指一本分も抗うことができなかった。

 憎きミスイが、口元に気色悪い笑みを浮かべて、悠然とこちらへ近づいているというのに。


「イズヴェルについてきて良かったわ」


 ミスイは戦闘中に乱れた長い紺髪を整えながら、私の目の前で立ち止まる。

 丁度私が尻もちをつき、ミスイが見下すような、屈辱極まる形だ。


「こうして私が直々に、貴女に裁きを下せるのだから」


 ミスイがロッドを片手で持ち、振りかぶる。

 何をするつもりだ。どんな魔術だ。

 私に、トドメを刺すつもりか。


 拙い予想を巡らせきる前に、ミスイのロッドは風を切って、不器用な動きで私を頬を強く殴り抜けた。


「……ッ」


 頬が熱い。

 良い音がした。……思いっきり殴られた。


 ……なんて固い杖だよ。とても木材とは思えない。

 強化も込められていないであろう一撃は、まるで石のように重かった。


「痛いでしょうね。殴るだなんて野蛮なこと、したことも、されたこともないので、私にはわかりませんけど」


 ミスイは私に与えた痛み以上に、殴るために使ったロッドの消耗を気にしているらしい。

 細い病弱な指でロッドの先を擦りながら、傷の具合を確かめているようだ。


 少なくともそのわざとらしい嫌味な仕草は、頬を打った杖以上に、私の精神を強く揺さぶった。


 そうだ、この女は、こういう奴だ。

 ソーニャが侮辱された、幾つかの事件を思い出す。

 陰惨な侮辱。陰湿な口撃。

 一度は飲み込んだ一連の騒動の怒りが、再び頭に込み上げてきた。


「貴女には、この一発だけでは、到底足りない……」


 激しい怒りで、頭が熱くなる。

 身動きが取れず、されるがままの現状が、更に怒りに油を注ぐ。


 今も、顔に少しの衝撃と痛みが走った気がしたが、そんなことが気にならないほどに、腹立たしい。


 頬を打つ熱。手を凍えさせる氷。

 どちらも、この激情を前にしては、何の意味もない。




 これほどの怒りは、いつ以来だろう。


 クラインに嫌味を言われた時?

 ナタリーに喧嘩を売られた時?

 それとも、ソーニャを遠回しに侮辱されて、殴りこみをかけようとした時……?


 ……比べる必要なんかない。

 今の私の怒りこそが真実で、最高潮なのだ。


 今が一番、私は怒っている。

 今の一瞬こそが、私の頂点。


 納得できない気持ちに、怒る気持ちに、度合いなんかあるものか。


 ミスイ、お前が今、何故にこうやって悪意をぶつけてくるのか、それは私にはわからない。

 でもこうして何度も、必死の形相で、慣れない握り方で杖を振るう辺り、相当の怒りを抱いているのだろう。それが、的はずれなものであったとしてもだ。


 いいさ、怒るのは勝手だ。私だってよく怒る。


 だから今、この私の怒りを受け止めてみせろ。

 殺意なんて言葉じゃ生ぬるいほどの怒りを、受け止めてみせろよ。




「ァアアアッ!」

「うッ!?」


 石のように硬く、壁のように分厚い氷の枷を、四肢の剛力が力任せにへし折った。

 私の瞬発的な力が、氷の枷の拘束力を僅かに上回り、ぶち壊してみせたのだ。


 煉瓦のような氷礫が勢い良く宙に舞い上がり、小さな破片は煌灯の明かりの中できらきらと輝く。

 それが綺麗だとは思わない。

 ミスイが作った。ただそれだけで、忌々しいものとしか感じられなかった。


「やっ……」


 全身から氷をまき散らしながら、無言で立ち上がる。

 声を掛ける段階は、とうの昔に過ぎ去った。


 相手に容赦がないのだから、こちらも手加減する必要は全くない。

 たとえ相手が一時の油断で形勢逆転を許したのだとしても、である。


 喧嘩は、お互いの心に決着がつくまでが喧嘩だ。

 途中で満足して攻め手を緩めるような半端者の事情なんぞ、私の知ったことではない。


「近寄るなッ!」


 ミスイが叫び、見開く瞳に魔力を通わせた。

 詠唱なき魔術が発現する。しかし、私の歩き出した怒りは、その程度の睨みで足を竦まるものではない。


「オラ」


 力任せに振りきった右腕が、襲い来る冷気の壁と拮抗する。

 痛みを覚えるほどの冷気が右腕に集中するが、どれだけ痛かろうとも、私の右腕は全て金属製だ。

 樹脂もポリノキも一切使っていない私の腕は、極端な冷気をも耐えてみせる。


 そして、瞬間的に生成された薄氷の盾は、砕け散る。


「やっ……」


 薄いガラスのような即席の防御は数多に砕け散り、作り手であるミスイに牙を剥く。

 痛みに耐性の無い奴の全身を、血の出ない範囲で鋭利な欠片が傷めつける。


 自分が痛みを知らないくせに、他人には痛みを強いるとは……本ッ当に、都合の良い女だ。


「く、“凍れ”!」

「うるせえ!」


 性懲りもなく襲い来る冷気の波動に、再び拳をぶつけて砕く。

 突如現れる壁は、まるで空間を殴っているかのようだが、手応えはそこそこ。壊せないほどではない。


 ミスイは何度か後退しながら冷気を放つが、力が拡散しきる前に殴って打ち消しているので、身体にくるのはせいぜいその余波だ。

 全身を覆う強化も相まって、凍えることはない。


 私得意の力押しと、恐れを捨てた極端な近距離が成せる、強引なミスイの攻略法。

 私の右腕が、針山を殴るようなキツい痛みさえ無視すれば、相手の冷気をものともしないことも幸運となった。


 ともあれ、良いことだ。痛みだけで済むなら、いくらでも受けてやる。

 いっそこの義手すら、粉々に砕けたって構わない。


「な、何故、なんでッ……!」


 痛いだけで、悪の権化と言っても過言ではないこいつに一矢報いてやれるなら……。

 もう一度、右腕くらいくれてやるよ!


「ナンデもカンデもあるかスカタンッ!」

「がッ」


 私の拳が氷壁を貫き、向こう側のミスイの腹を深く抉った。


「あ……」


 肺から全ての空気が吐き出され、濁った黒目が苦しみに大きく見開かれる。


 しばらくそうして硬直していたかと思えば、微かな痙攣はすぐに止まり、ミスイは目を薄め、そして、彼女は力なく、水浸しの床の上に崩れ落ちたのだった。




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