釜009 吐露する文句
第三棟九階の準備室にて、リゲル=ゾディアトスは明日の大講義に向けた資料の最終調整に入っていた。
自分にしか扱えない属性術を、他者に教える。それは三年間常に、理総校でも続けてきたことではあるが、未だに彼女とその教え子の努力は花開いていない。
光属性術の実態に懐疑的になり始めている理学会のこともあり、リゲルとしては、首都での公開講義を、何としてでも成功させたかった。
「……原稿の文字も……これで大丈夫なはずだが」
表向きでは飄々としているリゲルだが、実は彼女はここ最近、常に悩み続けていた。
自分の教え方に異常があるせいで、他人に上手く魔術の理論が伝わっていないのではないかと考えていたのである。
彼女は誰かと話していても、他人とのソリやノリが合わないことが多い。
その度に何とか話題を変えて相手の機嫌を損ねないように工夫しているのだが、結果が芳しいとは言い難いことを、彼女も人々の顔色からなんとなく察している。
結論から言って、彼女の教え方は全く問題なかった。
教え子らに伝わっていないのは、単純に光属性術が難解すぎるだけなのだ。
それでもリゲルは、“自分のせいなのでは”と苦悩している。
天才と持て囃されているとはいえ、リゲルはまだ二十歳。それも、導師としてろくに教えた経験を積んだわけでもないし、人との関わりも決して多いとは言えない。そんな自分の成り立ちも、より自身への猜疑を深める要素だったのだろう。
「……うーん」
一言で表すなら、彼女は疲弊していた。
元々、彼女は研究者気質。人に教え広める導師のような素質を持っているわけではなかったし、それ自体あまり好きでもない。
啓蒙活動は理学者として当然の行い。残された者の義務。責任。自分ではどうすることもできない数多くの要因によって動かされているという思いが強かった。
彼女としては遊びたい年頃という言葉のままに呆けたい訳でもなかったのだが、まとまった休息に与りたいというのは、一年以上前からの願望である。
「……この学園で、修得者が出てくれれば良いんだけどなぁ」
二人目の光属性術師の誕生は、リゲルの負担が最大で半分になることを意味している。少なくとも、“世界唯一の光魔道士”などという大それた名指しの重責からは開放され、自らの魔術も公に認められるだろう。
名誉のため。安息のため。
立派な教え子を生み出すために、今回の公開大講義の成功は、避けては通れぬ道であった。
「リゲルさん、いらっしゃいますか」
決意を新たにするという意味のない思考整理をしていると、聞き覚えのある声と共にノックの音が響いてきた。
リゲルが入室を認めると、ドアが開き、金髪の女性がゆっくりと入ってくる。
手元には頼んでいた資料と、軽食を載せたトレイが握られていた。
「おお、ありがとう、クリーム君。助かるよ」
「お疲れ様です、導師。いよいよ、発表会も大詰めですね」
「大して理学を知らないお偉いさん達にもわかるように、初歩の初歩を教えなくてはならないからねぇ……全くもって難しい課題を与えてくれたものだよ」
「ふふふっ、光属性術とどちらが上でしょうか」
「どっこいだね」
二人は笑いながら、葉物が沢山入ったサンドウィッチを口にする。
九階の準備室は埃も多く、決して食事に適した環境ではなかったが、学園の研究室というものは、およそ常に埃臭いものである。
生まれも育ちも良いクリームも、触れるわけではない汚れを気にすることもなく、黙々と食事を摂っていた。
「……ねえ、リゲルさん。お聞きしたいことがあるのですが」
「んー?」
原稿に食べかすをこぼさないよう、片手を念のための受け皿代わりに食べるリゲルに、クリームの沈んだ声がかけられた。
「弟の……クラインの調子は、どうでしょうか」
「クライン君か。前も言った通りだよ。無茶はするけど真面目で……」
「あの、そうでなく」
クリームの青い瞳が、憂いを帯びた長い睫毛に隠される。
「あの子は、光魔術を修得できるのでしょうか……」
「……うーん、そうなると、答えづらいところだね」
サンドイッチのひとつをぺろりと食べ終えたリゲルは、指についたバジルソースを舐め取り、天井を見上げた。
「魂への侵食を繰り返したとしても、実践の経験は大きいものだ。他の学徒とは違って、体当たり的な修練を繰り返している彼は……まぁ、間違いなく他の子よりも進んでいると言えるね」
「しかし……」
「ああ、だからと言って、術の完成まであと一歩かといえば、きっとそうではないのだろうね。これは、そんなに単純な魔術ではないから」
「……そうですよね」
クリームはその答えがわかっていたのか、再び納得するように頷いた。
内向きにカールした長い金髪を指で遊びながら、しかし彼女の表情は、どこか難しそうなものである。
リゲルはクリームの顔を見て、思わず苦笑してしまった。
「あのね、君はクライン君に光魔術を修得してほしいのか、ほしくないのか、どっちなんだい」
「もちろん、どっちもですよ。光属性術、それはあらゆる魔道士が目指すべき、大事だと思いますわ」
「矛盾してるよ。それじゃ修得して欲しいってことになる」
「ええ、わかっています。同時に私は、クラインに修得してほしくないと思う理由があるんです」
「ほう」
リゲルは既になんとなく予想は付いているが、冷めた紅茶を片手に次の言葉を促した。
「……特異理質持ちのあの子が、光属性術なんて大層なものを持ってしまったら……絶対、増長するに決まっていますわ」
「増長かー」
リゲルは“考え過ぎじゃないか”と苦笑するが、至って真剣なクリームに“考え過ぎじゃありません”と真っ向から否定されてしまった。
「これまでクラインは、私という力によって抑圧されて、自らの分というものを考えてこれたんですよ? けど、もしも魔術で私に勝てるほどの力を……術を手に入れてしまったら……」
「力を持った子供は、反抗し始める?」
「そう、それです」
「子供って、兄弟じゃないか」
「私にとってクラインは、子供のようなものです!」
「ははは……それ、本人の前で言わない方がいいと思うよ」
人との関わりが苦手な人間は、どこにでもいる。
目の前の過保護な女性の姿を眺めるリゲルは、そんなことを思いながら、自分が救われたんだか、泥沼に浸かっているのだか、よくわからない気分になってくる。
とりあえず、現状には苦笑を浮かべるのが人間らしいのかもな、などと考えながら、いつも愚痴を耳から耳へと素通しさせるのであった。
「クライン君が、光魔術か……」
そして、リゲルは体当たりで魔術の修練に励む彼の姿を思い起こし、顎を擦る。
確かに、光魔術の習得はそう簡単なものではない。
だが、自らの身を顧みずに励む彼を見ていると、かつての自分の姿を重ねてしっくりとくる事も、無いことも無いのであった。




