盥007 勧誘する魔女会
ライカンと別れ、私達は適当に展示物を見て回ることにした。
一階の食堂も気になってはいたが、腹は別段空いているわけでもなかったので、今はまだ後回しである。
「……うーん」
とは言ったものの、廊下に張り出された理式科の展示物は、私達にはちょっと難しすぎたようだ。
「ちょっと高度だね」
勉強熱心なヒューゴでさえ、そう言うのだ。彼は特異科であり、属性科でも理式科でもない。
マコ導師の易しすぎる講義では、貼りだされた展示物を解読するほどの知識を得られなかったのだろう。
わからなくて当然なのに、それでも彼は展示物を前に、悔しい顔をしていた。
「ヒューゴ、難しい顔するなよ。楽しもうぜ」
私が何の気も無しにそう言うと、ヒューゴは難しい顔をやめて、笑顔を思い出したように笑い、“そうだな”と頷いた。
難解なものが貼りだされているからといって、それらを全て読み解こうだなんて思っては駄目だ。
ちょっとは勉強するのも良いだろう。けど、やっぱり祭りなんだから、楽しまないとね。
「今度はあっち見に行こう。ここは私の頭がさっぱりわかんないし」
「おう!」
「移動早いわねー」
展示物は多いけど、わからない物を見たってしょうがない。
もうちょっと面白そうな、ボウマがわかるようなものを探すことにしよう。
「やれやれ」
ヒューゴは大して困ってもいないような苦笑いを浮かべて、私達についてきた。
辛うじて理解できる……かもしれない物を見つけた。
投擲杖術による射出物体の飛距離と、そのより効果的な角度に関する実験の結果を纏めたものだ。
「ほへぇー」
「ふーん」
講義室ひとつ分の壁を占有して貼り出されたそれは、たくさんの図を用いているため、とてもわかり易い。
横振り、逆横振り、縦振り、突き撃ち……様々な杖の振り方による具体的な飛距離が示され、術者であり執筆者による、その使用感も添えられていた。
私も以前、何かの本で投擲杖術の解説について触れたものを読んだけれど、それでもここまで詳しく書かれてはいなかったように思う。
「マメな研究だね。同じ振り方でも、角度を細かに変えて試しているみたいだ」
「すげー、四十メートルも飛ぶんだぁ、これ」
「おおー」
最長投擲距離は、逆横振りによる四十メートルだという。
ロッドの先石の位置を膝程度にまで下げ、そこから空を袈裟斬りにするように斜めに振り上げ、放つのだとか。
振り上げる際に、杖の先端は低ければ低いほど良いらしい。しかしこの実験では、先石に何の防護もなされていない場合を考慮して、膝程度の位置に留めているという。使われるロッドによっては、これ以上の距離も出るであろうと、最後に書き添えられていた。
「でも、ロッドかぁー」
「はは」
読んでいる最中、うんうんと納得しながらも思っていたことだけど、私の使う杖は、もっと短いタクトだ。
ロッドはとても良いらしいけど、常にそんな長い邪魔になるものを持ち歩きたくはないし、これから使う予定もない。
貼りだされた研究のまとめがよく書かれているのはわかったけど、ロッドじゃあ、ちょっとね。
「ロッカ、最近魔術投擲の練習やってるんでしょ? だったらもっと長い杖の方が向いてると、私は思うんだけどなぁ」
「うん、練習中……いや、長い杖のが良いってのは聞いてるんだけどさ……」
「ワンドくらいならあまり邪魔にもならないし、僕もソーニャの意見に同意だけど……」
私は、詳しい理由を求めてくる二人への言葉を悩み、頭を掻いた。
「なんていうかさ……」
「うん」
「……杖って、すごく頭良さそうじゃん」
「うん?」
ああ、二人共キョトンとしてるよ。でもここまで言ったらしょーがない。最後まで言い切ってやる。
「頭の悪い私が、そういうの持ってるのって、やっぱりなんか、恥ずかしいっていうか……」
「ぷっ」
「あーもうやっぱり! わ、笑うなよ!」
「ふ、ふふふっ、ご、ごめんごめん」
ソーニャとヒューゴに笑われた。ボウマもケラケラと笑っている。
いや、まぁ私だってそんなに気にしてることじゃないし、自分だってしょうもないなって思うような理由だけどさ。そんなに笑うなよ。
……同じ立場の他人がいたら、そりゃ私だって笑うけども。
「あら、楽しそうね」
そうやって辺りより数段騒がしくしている私達に、上品な声がかけられた。
「あ、えっと、あなたはクラインの」
「ええ、お久しぶり。クラインの姉、クリームです」
落ち着いた物腰の女性は、くるりと毛先が丸まった金髪を揺らし、頭を下げた。
馬鹿騒ぎに夢中だった私達は、クリームさんの登場により慌ただしく礼を返す。
クリーム=ユノボイド。クラインの姉であり、なんか、イメージ的には怖い人である。
前に屋外演習場でクラインをボコボコに打ちのめしたあの光景は、私達にとって忘れようと思っても忘れられない出来事だ。
傍若無人なボウマですら深々と礼をしているのだから、特に彼女に植え付けられた衝撃は、よほどのものであろう。
「あ、私はスズメです。どうもこんにちは」
クリームさんの後ろから、ひょこっとスズメも現れた。
いやスズメ、あんたのことは知ってるよ。
「ああ、ごめん皆、私ちょっと忘れ物しちゃってたから、少し離れるわね」
「え?」
「すぐ戻るから、じゃあね」
クリームさんと出会ってすぐ、ソーニャはそんな事を言い、そそくさと離れていってしまった。
「あ……」
ヒューゴやボウマは特に気にも止めなかっただろうが、その時何かを言いかけたスズメの気持ちは、私だけが察することができた。
「ええと、クリームさんは、ゾディアトス導師の護衛でしたよね。大丈夫なのですか?」
果敢にもヒューゴが尋ねると、クリームさんは柔和な笑みを浮かべて“ええ”と頷いた。
「防御用の魔術はまだ機能しますから、問題はありません。それに、私達は私達で、導師の講義の準備をしなくてはなりませんから」
「講義、ああ、ゾディアトス導師が、発表会のためにやるっていう、大掛かりな」
「ええ。なかなか準備する事が多いので、それに追われているのですよ」
どうやら、リゲル導師はこの発表会でも講義をするらしい。
だとすると、今回の発表会の主役はリゲル導師による公開講義といっても良いのかもしれない。
「あの、リゲル導師の講義って、外部の人でも聞けるんですか?」
私は浮かんできた素朴な疑問を、そのままクリームさんにぶつけてみた。
「そうですね。まぁ、それでも素人の方々ですから、あくまで発表会中の講義は、啓蒙、お披露目のような形になりますが……」
「お披露目……」
「初歩の初歩の講義といったところです。光属性術の簡単な周知も、導師にとっては重要な仕事の一つですから」
招待されて、お客として見て回る分にはこの学園の発表会も楽しめるだろう。
しかしリゲル導師のように、発表する側の人となると、そう楽しんでばかりもいられなさそうだ。
あの人やクリームさんも、ゲストとしてこのミネオマルタへとやってきたというのに、大変なことである。
「講義の準備もそうですが、こういう場では前もって様々な方とお会いし、挨拶をして回らなければなりませんから……なかなか、発表会を見て回る時間が取れません」
「リゲルさん、そういうの全くやってくれませんしねー」
スズメは気の抜けた声でそう言って、青い溜め息を吐き出した。
あの導師にこき使われる苦労人具合は今も変わらずなのだろう。そういった意味では、彼女ら二人はリゲル導師その人よりずっと忙しいのかもしれない。
「おや、貴女はクリーム=ユノボイドさんではありませんか」
噂をすれば、廊下の向こうから歩いてきた人物が、クリームさんに声をかけてきた。
こうしてただ廊下を歩くだけでも声をかけたり、かけられたりしなくてはならないとは。有名人の護衛も、名前以上に大変な仕事である。
声をかけた人は、二人組。
一人がボロボロのローブに大きなとんがり帽子を被った子供で、もう一人は二十か三十くらいの、真面目そうな顔つきのローブの女性だった。
どちらも魔道士っぽい装いで、理学に関わっているであろうことがすぐに予想できる。
「あ……ら、貴女は……」
「魔女会のアリアネです。お久しぶりですね。後ろの行き遅れは弟子のファシニアさんです」
「初めまして、ミス・ユノボイド。ファシニアと申します。先輩、行き遅れは否定しませんが、こういった場では控えていただけますか」
「そうしましょうか」
見た目にも、変わった二人組だ。
前に立って一番に声をかけた小さな女の子が、明らかに年上の女性から“先輩”などと呼ばれているのもそうだけど、彼女らに対するクリームさんの反応も、ちょっとおかしい。
対応に困っているような、話していたくないような。そんな、どこか気の進まない顔をしている。
「おや、そちらの方々は?」
私達が置いてきぼりにされていると、トンガリ帽子を被った女の子は月のような黄色い瞳をこちらに向けてきた。
夜の雨雲色の紺髪に、月色の瞳。背は低く顔立ちも子供なのに、物腰は大人びている。
謎の子供に私達が戸惑っていると、クリームさんは遮るようにして立ち位置を変え、ふふふと笑った。
「この方々は、特異科の学徒さんです。ところで、魔女会といえば大婆様は……」
「特異科ですか。それはとても興味深いですね」
クリームさんは、強引に話題の舵を切りたかったらしい。
しかしその思惑が、少女の強引さの前でうまくいかなかった事を、私は何となく感じ取れた。
クリームさんの横をすり抜けて、とんがり帽子の子供が私に近づき、不思議な目でじっと見つめてくる。
ぼんやり見つめていると吸い込まれそうになるような、不思議な瞳だった。
「初めまして、私の名はアリアネ。魔女会に所属しています」
「はあ……」
そうとしか返せなかった。
視界の隅でクリームさんが手をぱたぱたと振って、“構うな”と言っている。
「もしも皆様の中で、魔法の神秘に夢とロマンを求める方がいらっしゃるのであれば、是非とも我々魔女会に……」
「先輩、強引な勧誘は禁止されていますよ」
「おや」
全く流れの読めない少女の話に呆気に取られていると、そんな子供の脇に腕を通し、後ろに控えていた女性が持ち上げてしまった。
「何をするのですかファシニアさん。特異魔術といえば、独性術にも再現できない不可思議な現象を多く持つという、まさに神秘の魔法と呼ぶにふさわしい……」
「お話中、大変失礼しました。それでは私達は、この辺りで」
「ファシニアさん、離して下さい。まだ勧誘は……」
「先輩黙って下さい。では、ええと、ミス・ユノボイド。またいつか」
「ええ、また……」
とんがり帽子の子供はずっと何か変なことを喋っていたが、女性に抱えられたまま、廊下の先へと持ち運ばれてゆく。
「……はぁ」
「……やっぱりこういう場所にも、いるんですね」
それを見送るクリームさんとスズメの表情は、先ほどまでよりも、ずっと疲れの色に満ちていた。




