盥006 取って付ける刃
首謀者が割れて、ナタリーが属性科の注目を浴びたことで、ソーニャへの嫌がらせ騒動は、ひとまず収まったと言って良いだろう。
メルゲコの石鹸もイツェンさんから譲ってもらい、懐かしい匂いがジャケットに戻ってきた。
地下水道の戦いで失ったブーツは最近購入し直したので、今は概ね満足のいくものを履いている。
ポケットの中には十分なくらいのお金が収まっているし、食うにも飲むにも現状、困っていない。
勉強は、まぁ、順調ってことにしておこう。
悩みの種がない、っていうのは、今の私のようなことを指し示すのかもしれない。
そう思えるほどに現状はとても充実していて、平穏そのものだ。
最初は“絶対に分かり合えないだろうな”、と思っていた鉄専攻の嫌な奴らとの関係も、何が転じたのだか、悪くない関係になっている。
……唯一あるとすれば、ナタリーの闘技演習が数日後に開かれることだろうか。
しかしそれもまだ先の事だし、私ができることは無い。
それを除けば、私は結構……言葉にするのは恥ずかしいけど、幸せな生活を送っている。
ずっと、とか、永遠に、なんて都合の良い事は言わないけど、こんな日が、あと一ヶ月くらいは続いて欲しい。
そう願わずにはいられない。
さて、今日は学園の発表会当日である。
どうやら、一週間ほど開催されるらしい。今日は、その初日というわけだ。
事前に、発表会がどんなものであるかは聞いてはいたけど、実際に学園に足を踏み入れてみれば、空気の違いは肌でわかった。
いつもの正門、いつもの石畳、いつもの芝生。
けど、雰囲気はまるで別物だ。
「いらっしゃいませ! 紹介状はお持ちですか?」
「……私、学徒なんだけど」
「あ……これは失敬」
私に小冊子を差し伸べていた男は、恥ずかしそうにその手を引っ込めた。
普段は誰も控えていない、学園の門。
けど今日に限っては、踏み入った瞬間に数人の学徒たちによるお出迎えがあった。
彼らは学園の手伝いとして、来客の対応を任されているのだろう。ほとんど準備だけしかやっていない私達特異科からしてみたら、結構損な役回りに見えてしまう。
「まぁ、頑張って」
「え、あ、はい」
あくまで他人ごとなエールを送り、ひとまず、庭園に入ってゆく。
庭園もいつもと違い、人が多い。朝だからというわけではなく、何やら出し物を構えているらしい人が大勢いるのだ。
広い場所では凧を上げる者がいたり、市場にもあるようなデザートの屋台を出している者もいる。
店の準備をする学徒や、店に群がる客だけでも、かなりの人数だ。
まるで、学園内に市場がやってきたみたい。
いつもと違うけど、賑やかなのは良い事だな。
「やぁ、ロッカ」
「やあ!」
「おー」
庭園の小さな石橋近くで私に声をかけてきたのは、ヒューゴとボウマの二人だった。
「あれ? ヒューゴ早いね」
「おいおい、僕だってこういう時くらい早く来るさ」
「いつも早く来いよ」
「ぎゃははは」
「笑うなよ、朝は弱いんだ」
ヒューゴとボウマは、偶然私に気付いて声をかけたわけではないらしい。何人か集まってから、今日の発表会を見て回ろうと考えていたようだ。
発表会の今日は講義がないので、講義室に行く必要がない。というより、第五棟への立ち入りが制限されているので、行こうと思っても行けなかったりする。
実質、今日は講義無しの休日と言っても良いだろう。
それでも学園に足を運ぶあたり、彼らはまだ律儀な方だと言える。
「今日は私達、何もしなくて良いんだよね?」
「うん、そうだよ。マコ先生も言ってたしね、あくまで客の一人として、っていう感じだよ」
「客ねぇ」
「はは、まぁ、僕らも学園の立派な一員なんだけどさ」
卑屈になる必要はない。そう言って、ヒューゴは学園棟を見上げた。
「表も賑やかだけど、発表会は棟の中の方が充実しているね」
「にしし、屋台とかなさそうだけどなー」
「うーん、けど食堂は今日一日中開いているみたいだから、食事に困ることはないと思うよ」
「へえ、そうなんだ」
食堂は常に開放か。そりゃあ良い。
どうせ屋外の出し物は数も少ないんだし、散策するとすれば必然として、学園の内部になるだろう。
優秀な学園の発表とやらが私に理解できるかは定かでないが、学徒たちが懸命に書き記したであろう発表だ。
私も魔術を学ぶ者の一人として、そういったものをどんどん吸収していこうと思う。
「あ、そうだ二人とも。ちょっとこれ見てくれよ」
「何をだい」
「なんだー」
興味を示した二人に、私は薄く微笑む。
不思議そうな顔をする彼らの顔の前で、私は右手を伸ばして見せた。
「いくよ、見てな……“スティ・レット”!」
精神を集中し、かざした右手の中に魔術を発現させる。
「おおー……おお?」
「んあ?」
「どうだ!」
私の手の中には、タクトくらいの長さの岩の針が握られていた。
これこそ、ナタリーに教えてもらった魔術。“スティ・レット”である。
魔術投擲ができなければただ物を出すだけの魔術でしかないんだけど、それはおいおい覚えておけば良い。
んなことはともかくとして、私としては、すぐに手元に尖ったものを呼び出せる事に対する感動の方が大きかった。
大きさと強度には疑問もあるが、私の手元に顕現した魔術は紛れも無く岩。それも、尖った岩である。
これまで丸っこい石しか出せなかった私にとって、この違いは非常に大きい物なのだ。
今はちょっとしたペンくらいの岩の針しか出せないけど、これから成長するにつれて、どんどん大きくなっていくはずである。
けど、ヒューゴらにそれは伝わらなかったのだろうか。
「うん、まぁ、これから練習していこうな」
「頑張れ、ロッカぁ」
私は、不自然なくらい前向きな励ましを貰ったのであった。
「あら、もう居たんだ」
「よう、ソーニャ」
「やあソーニャ、おはよう」
「ソーニャぁー」
後からソーニャもやってきて、ボウマの飛びつきにより手厚く迎えられた。
こうして私達のところへ歩くまでに人の注目を浴びている風でもなかったので、根も葉もない噂については、ほとんど解消したと考えても良いのかもしれない。
「こらボウマ、肩ずれてるわよ」
「んあー」
ソーニャはこれまでの嫌がらせに音を上げたことはなかったけれど、だからといって、完璧に平然としていたわけではないはずだ。
心の奥の、人に見せないような部分では、暗い、悲しい思いも抱いただろうし、傷つきもしたはずだ。
けどその憂いがどの程度であれ、今や不安要素は跡形もなく消え去った。
これは、いい傾向と言えるだろう。
「ん? ロッカ、その……それ、何よ?」
「新技!」
「……そう」
あれ、反応が薄いぞ。
この魔術、思いの外不評だな。
棟から見下ろす庭園は壮観だ。
下に居ても思ったことだけど、やっぱり人の多さがいつもの何倍も、何十倍も違う。
ちょっと堅苦しいものとはいえ、さすが祭りといったところなのだろうか。
「発表会は、誰でも入れる日ってわけじゃない。学園からの招待状が必要なんだ」
ヒューゴの説明に、もう一度窓の下を見やる。
露店、出し物、人、人、人……。
「すごいな。全員紹介状持ちか」
外だけでも、学徒らしからぬ風体の連中がこの人数だ。
その上第一棟から第三棟にいる人を数えたら……招待状は千人近くに届いているのかもしれない。
しかも、人影は学園の塀の外にもあるようだ。
千二百くらいいるのだろうか。そこまでいくと私の中では誤差だけど。
「外にいるのは、警官みたいね」
「警官?」
私の視線を感じ取ったらしいソーニャが、ぼんやり外を眺めながら言った。
「前に聴取を受けてる時、発表会の時も警備の強化をどうたらって言ってたから。地下水道の失態もあったし、今回は怪しい人を徹底して入れないつもりなんだと思うわ」
「ああ……なるほどな。まぁ、彼らも街の番人としての面子があるからね。ここは頑張ってもらわないと」
「そうそう、私を無駄に疑った分だけ、真面目にやってもらいたいところだわ」
ソーニャ、トゲのある言い方である。
証拠もなく犯人だと疑われては、無理もないか。
「でも、こんなお客さんが大勢いてさー、変な奴がどうとかなんて、わかるもんなのかにぇ?」
「な」
ボウマの素朴な疑問に、私は答えを放棄して同調した。
「確かに大勢いるけど、正門でしっかり見てるから大丈夫さ。よく見てみれば、有名人も結構いるもんだよ」
私達の疑問に答えたのはヒューゴだったが、私とボウマはまた再び、同じ方向に首を傾ける。
「有名人?」
「そうだね……みんな、あっちを見てごらん」
人差し指に促されるまま、今度はソーニャも一緒になって首をひねった。
棟連絡橋の大きな窓の、二つ隣から下界を覗く。
そこでは、真っ白なスーツの上に青い外套を羽織った、目立つ姿の男が立っていた。
人差し指の先にいる人物は、他にも沢山いる。けど真っ先に目についたのは、その男である。
「あの薄水色の髪の男の人は、ミネオマルタの国立美術館の館長、レオパールっていう人だ。大の美術好きで、個人の蒐集家としても有名だよ」
「へえ……」
ミネオマルタの美術館には、一度だけソーニャと一緒に入ったことがある。
入館料は高かったけど、落ち着いて見て回る分には飽きもしないし、不思議な気分になれる場所であった。
二度行きたいかって言われると、まぁ悩む所だけど。五百YENあれば、もっと他のお店に入りたいしね。
「あっ、おっさんこっちに気付いたじぇ!」
ボウマがぴょんと跳ね、嬉しそうに声をあげた。
見ると、庭園で展示を見ていたレオパール館長が、私達の視線に気付いたらしい。
彼は目を細め、柔和な笑みを浮かべながら、こちらに軽く手を振っていた。
「うわーい、手ぇ振ってる! おーい!」
ボウマ、大喜び。
……美術館の館長、結構良い人である。
「他は、そうだね。おっ、珍しい姿もあるじゃないか。あの人は高級ロッド専門の杖職人」
「ほー」
「あっちは魔石の研ぎ師だね。どっちもミネオマルタの人だよ」
「ヒューゴ、お前詳しいな」
次々の外の人物の名を言い当てるヒューゴに、そろそろ私達も感心を通り越して、驚きの感情を抱きつつあった。
「こういうことを覚えるのが趣味だからね」
私達の驚く様を見るのが楽しいのだろうか。
ヒューゴにしては珍しく、どこか誇らしげな顔をしている。
「ヒューゴってほんと、どーでもいい事覚えるのすきだよなー」
「って、おいおい」
しかし彼の細々とした知識の集積は、ボウマに評価されるものではなかったようだった。
『おーっす』
「お、ライカンじゃん」
しばらく廊下を歩いていると、前から大荷物を抱えたライカンがやってきた。
その後ろでは数人の男子学徒が、小荷物を抱えながら雛鳥のように続いている。
『なんだヒューゴ、花を持つ手は三つもないぞ』
「変なからかい方をしないでくれよライカン」
『はっはっは! 冗談だ』
花って、私達のことか。
男のヒューゴ一人に対して、ソーニャと、ボウマと、私。
ひどい花束である。ソーニャだけは一等級の花だとしても、私とボウマは添え物にすらならないだろうに。いいとこ、野暮ったい赤蘭とベニイログサが関の山だ。
「ライカンは、その荷物……もしかして、まだ手伝いを?」
『うむ、彼らの……』
「はい。我々、気学科の四年生です。ポールウッドさんのお陰で、随分と助かっています」
まあ、ライカンに助けてもらっているってのは、奴の抱える大荷物を見ればわかるけど。
『デリヌス、だったか。あやつとの闘技演習の後から、気学科との個人的な交友が生まれてな。その縁あって、しばらく力を貸しているのだが』
「……特異科の、友人の方々でしたよね。あなたは確か、ウィルコークスさんでしたか」
「うん」
「申し訳ない。あとしばらく、ポールウッドさんをお借りしてもよろしいでしょうか」
「貸すも何も」
ライカン私のじゃないし。
「ライカンがいいなら良いんじゃない?」
「ありがとうございます」
『ははは、すまんな。今日は一緒に見て回ろうとも思っていたんだが』
「気にするなよ、ライカン。まだ日にちはあるんだからな」
私の新技を自慢してやれないのはちょっともどかしいけど、急ぎの用でもない。
ライカンの力がどこかで求められているというのであれば、存分に奮うのがいいだろう。
人のために力を使う。
気術だけに限らず、魔術の分野でも、そんな人間でありたいものだ。




