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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第七章 這い寄る幻影

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箪011 突き進む姉

「早く……」


 ソーニャの目は、下り階段の一段一段をしっかり確認していたので、足を踏み外すことはない。

 だが彼女の頭の中はもう一つの景色を重ねて見ており、それはこの物見台の階段とは、全く別のものであった。


 薄暗く、古びた地下への入口。

 だがソーニャにとっては、水音が響く複雑な水路への入口にしか見えていない。


「おい、待て、待てっつってん……あぁんもう! なぁんでアタシがこんなことしねーといけねぇんだってのォ!」


 もちろん後を追うナタリーにとっては、ただの地下道への入口でしかないのだが。

 しかし、それだからこそナタリーは尚の事、暴走するソーニャを放っておくわけにもいかなかった。


 ミネオマルタ地下水道の闇市は多くの人で賑わってはいるものの、地上の市場と比べれば治安の悪さは目立つ。

 粗悪品、紛い物、訳有り品、それ故のどことなく油断ができない、張り詰めた空気。

 警察の目も届きにくいことから、後ろ暗い取引やトラブルなどはしょっちゅうの事である。

 もちろん国の方も地下を把握しているだろうし、低レベルな所で治安は維持されているのだろうが、それでも地上よりも危険なことには変わりない。


「ロッカ……」


 ソーニャのように、どこかうつろな目をして歩く無防備な若い美女など、カモの中のカモと言ってもいいだろう。


「んだぁーん……」


 ナタリーは言葉になっていないうめき声をあげながら、額を抑えつつ髪留めを指の爪先で叩く。


 特異科。ほとんど知らない女。

 ナタリーにとってソーニャは、何かしてやる義理も、ちょっかいかけるほどの恨みもない、極めて不干渉であるべき他人の中の他人だ。


 しかしマイナスではないからこそ、一般的な人並みには、彼女にも正義感というか、世話焼きな所もあるのだった。


「……いい加減止まれよポーションジャンキー! おい!」

「え? ちょっと、何よ」


 ナタリーが意を決したように踏み込んで、雑踏の中に溶け込もうとするソーニャの手首を掴んだ。

 ソーニャの手はか細く、武器を握ったことのない非力な女性のものであることはすぐにわかったし、その手を取ったのは間違いではなかったと、ナタリーは確信する。


「ここはねぇソーニャちゃん。得物か護衛を持たない婦女が一人で歩き回っちゃいけない場所なんだよ、ぇえ、わかる?」

「……何でよ?」


 ソーニャは心底不思議そうな、同時に拘束されているのが迷惑そうな顔で聞き返した。


「あのねェ……顔に傷もなくて、服が上下合わせて千YEN以上で、胸がでかい。そんな女が闇市を一人で歩いて、無事で済むとでも思ってんのか」


 ナタリーの言うように、ソーニャの格好はかなり小奇麗すぎた。

 選りすぐった真新しい洋服に、整えた長い金髪。良家の魔道士が通う学園内でさえも他人の目を引く彼女の姿は、このミネオマルタの中でさえも、中央地区が似合うほどのものだと言えるだろう。

 間違っても、警官の気配が薄い地下の闇市を一人で彷徨って良い姿ではない。


「そこらのションベンくせぇ暗がりで犬の役をやりたくなかったら、さっさと戻れ。冗談抜きで、ここは危ねェんだぞ」


 普段から着飾るナタリーだからこそ言える、実体験からくる言葉であった。

 無論、彼女は襲い来る邪な手は捻り上げるか“貫くか”するのだが、ソーニャにそのような芸当は、とても無理だろう。


 真剣な目で訴えるナタリーに、ソーニャは少しの間、目の前の眩惑の景色を忘れてしまうほどに、あっけにとられた。

 しかしすぐに微笑み、腕を掴む彼女の手に、そっともう片方の手を添える。


「……あなた、結構優しいのね」

「っは、優しさじゃねえ、常識だ」

「ふふ……言葉を繕うと、意外な言葉ばかりが飛び出してくるわね。似合わないわ」

「おい、マジでうるせーぞ、黙れジャンキー」

「ごめんなさい、ありがとうね、気遣ってくれて」


 ソーニャは手首を掴むナタリーの手を静かに解き、微笑みを消した。


「だけど、私はロッカを探さないといけないの」


 真剣そのものな表情だった。

 それは先ほどからうわごとのようにつぶやいていたし、必死さは十分に伝わっているのだが、しかしナタリーにとってはその返事こそが、何より問題なのである。


「ロッカちゃんねぇ。あんな芋臭い女を探してどーすんだよ」

「あの子、今頃は地下水道にいるはずなのよ。ここよりももっと、ずっと深い場所に」

「……あぁん?」


 ナタリーは三角形の髪留めを叩きながら、記憶を探った。

 ミネオマルタ地下水道。闇市の更に下の階層。


 貯水路、放水路、下水道……さまざまな管や水道が巡るこの町の地下だが、闇市と同じ構造の地下水道といえば、もう使われていない古代の揚水貯水路のことであろう。


 だがそこは一般の人間が立ち入ることのできない、封じられた施設だ。

 地下へ行くほどに魔獣や魔族の生息数は増え、それらは魔具の鍵によって閉じられているのだという。


 ナタリーには、ロッカが地下水道へ向かう理由など、一片すらも思いつかなかったが、その部分はソーニャが補足した。


「国からの依頼で、今日は地下四階の水道を調査している最中なの」

「ほー」


 ロッカがそこにいることに合点がいった。だが、また別の部分では新たな疑問も生まれた。


「なら、アンタはなんなんだよ」

「え?」


 ソーニャは至って不思議そうな顔を作ってみせるのだが、それが相変わらず、ナタリーにとっては気味の悪いものに映ってしまう。


「アンタだよ、アンタ。ロッカがなぜか国の仕事で地下に行って、頑張っちゃってるわけだ。で? じゃあアンタは何なわけ? なにがしたいのさ?」

「何って……」


 問うナタリーの真剣な眼差しに、ソーニャの目線もまた、引き込まれてゆく。

 赤い虹彩の中に浮かぶ黒い瞳孔の闇が、ソーニャの意識を再び、幻の中へと引きずり、静かに誘う。


「……探さないと駄目じゃない」

「は」

「探さないと。だって、あの子は、まだ死んだって決まったわけじゃない」

「おい」

「私が助けなきゃ」


 ソーニャは再び支離滅裂な自己完結の言葉を並べ、闇市の中を歩き始めてしまった。

 だがそのことには、今更ナタリーも慌てはしない。

 むしろソーニャが持つ異常性に対して揺るぎない確信が固まり、これで自らの取る行動に迷いを持たなくて済む事には、多少の安堵さえしていた。


 ナタリーは左手に持った鉄製のメイスはさておき、空の右手を、立ち去るソーニャの後ろ姿に向けて翳した。


「“スティ(鉄よ)ビ・ホウル(この手に命を繋げ)”」


 雑踏の中で呪文を呟いた瞬間、ナタリーが差し向けた右手と、あらかじめソーニャの手首に込めた魔力同士が線で繋がり、それらは鉄の手錠と鎖に変化して、離れる二人の距離をその時点限りのものとした。


「いった、なにこれ!」

「悪いな、だがまぁ、頭のおかしい奴にはこーいう方法しかねーってのは」

「離しなさいよ!」


 ソーニャが自分の手にまとわりついた手錠を、鬱陶しそうに引っ張ったり、叩いたりしている。

 だが急ごしらえの魔術でも、鉄は鉄。それなりの強度を持った金属の束縛からは、容易に抜け出さるものではない。


 とナタリーが思っていた矢先に、鎖は地に落ちた。


「ふんっ」

「……は?」


 そして、その場で消滅した。ナタリーが手にしていた鎖ごと、全てが一度にである。


「は、は!? いやオイ、ふざけんなちょっと待、待てっての! おいテメー!」


 ソーニャはどうやってか束縛を振り切って悠然と進む。

 その後を急いで追うように、ナタリーは走った。


「なんで、なんで術が切れたぁ……!? ンな適当な構築ぁしてねーぞ!」


 走りながら、整った金髪を追いながら、口にするのは先ほどの不可解な現象の答え合わせだ。

 自分が術の構築を甘くしたか、ソーニャが術の芯を破壊したか。しかし自らの術に絶対の自信を持つナタリーには、どうしてもその両方とも認められるものではなかった。


「あっ」


 やがて姿を見失ったかと思ったところでナタリーが立ち止まると、往来から横へ外れた狭い路地に、ソーニャの姿が見つかった。

 細い路地の先は、薄汚れた行き止まりである。

 ナタリーは無駄に長い追いかけっこがようやく終わったと、今日一番大きなため息を吐いた。


「おいおいソーニャちゃん、勘弁してくれよ……」

「……」


 ソーニャは地下水道のさらに下の階層へと続く、分厚く大きな格子戸の前に立っていた。

 もちろん、この格子戸には鍵がかけられており、一般人が立ち入ることはできない。


「ロッカ、今行くから」

「行くも何もそこは……」


 だが、ソーニャはその鉄の格子戸を、当然のように開いてみせた。


「開か、ない……?」


 ソーニャの危うい後ろ姿が、ゆっくり閉まり始めた格子戸の奥の階段へ消えてゆく。


「うおおッ!?」


 格子戸が完全に閉まる間際、咄嗟にそこへと身を乗り出したのは、ナタリーの本能的な反射であった。


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