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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第七章 這い寄る幻影

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箪010 抜き通す致命打

「多少は身体強化も使えるようだが、サードニクスの防御を崩すなど不可能だ。諦めて平伏し、すりつぶされたまえ」

「ふざけんな! この野郎!」


 辺りには魔術の火の粉が舞い、ゴーレムが振るった手は壁に爪痕を残し、粉っぽい破片が辺りに散らばる。

 薄暗い闇を燃え盛る炎が真っ赤に照らし、落ちた石の破片は、地に長く角ばった影を伸ばす。

 恐ろしげな光景と等しく、私達の体力には限界が近づいていた。


「はあ、はあ……」


 クラインが荒い息をつきながら、私に視線を送る。

 彼は連続の魔術投擲によって疲労困憊。

 ライカンは接近戦による激しい攻防の連続で、さすがに動きも緩慢になっている。

 現状、まともに動けるのは私のみであった。


 でも私には、向こう側の魔道士を直接狙える便利な魔術も、ライカンのように反撃を恐れず攻めるだけの身体強化能力もない。

 私は巨大な人造ゴーレム、サードニクスを前に、手も足も出せないのだ。


「……ウィルコークス君、さっさとなんとかしろ」

「なんとかしろったってよ」


 ゴーレムは巨大な球体。どこを殴っても衝撃は外殻に吸収され、内側まではとても届かない。

 ライカンが本気で蹴れば多少はゴーレムを後退させられるようだが、それでも一時しのぎにしかなっていないのだから、私の力ではとても無理だ。

 かといって魔術を投擲できない私では、魔道士を叩くことなんて……。


「なんとかしろと言ってるだろ」

「だぁ、それができりゃ、私だって地団太踏んでねー……」


 何とかしろと言われてなんとかできる事なんて、大抵の場合、最初からやっているものだ。

 しかしクラインがあまりにしつこく打開策を迫るので、嫌々と思考を巡らせる。


「あ」


 すると、恥ずかしいことにあったのだ。打開策が。

 私は無意識のうちに右腕に触れ、その中に納まる家宝に魔力を通した。


 打開策は、最初からこの腕の中に入ってるじゃないか。

 どうして今まで気付かなかったんだ、私は。


「ふむ、人は死を悟る時、そのような顔を見せるのか」


 魔道士が嗤う。ゴーレムがゆっくりと、こちらに歩を進める。

 こちらが弱ったのを見計らって、すっかり余裕そうなツラである。

 マル印の顔も、フードの下の緩んだ口も。もはやつけ入る隙などは、いくらでもあるように見えた。


「……死ぬつもりはねえよ」

「ほう?」


 私が強がる言葉を吐いても、まだ笑っている。奴は勝利を確信しているのだ。


「ひとつ、先に断っておくぞ、おっさん」

「遺言かね。誰にも伝えるつもりはないが、良かろう。覚えておいてやる」


 他言無用ってことか。なら安心だ。


「……そのゴーレム、弁償しねえからな」

「は?」


 私は右掌からデムピックを抜き取り、ゴーレムに飛びかかった。


 ゴーレムは硬いし、二本の手は力強い上に、向こう側の魔道士の横やりも油断ならない。

 それでも最初から防御力が高いためか胴体の正面自体の守りは薄く、そこへ特攻するリスクはほとんど無かった。

 防御に自信があるからこその無防備。鉄より頑丈な塊ならば、絶対に傷つくことはないだろうという慢心。


 甘い。甘ぇよ。

 この世界にはな、鉄鉱石や鋼なんかよりもよっぽど硬い金属がゴロゴロ埋まってるんだ。

 朱金? 灼銅? なまっちょろいんだよ、そんなのは。


「ようやくきたか」


 私がピックを握り、ゴーレムに向かって一歩を踏み出した際、横目に見えたクラインは薄く微笑んでいた。


「“ラテル(渦巻く)・ヘテル(風よ)・ティアー(吹き荒べ)”!」


 私がゴーレムに立ち向かうのとほぼ同時に、謎の魔道士の背後から高らかな詠唱が響き渡る。

 ヒューゴの声だ。

 一陣の風が宙を舞う火の粉を攫い、曲線の軌道を描き、真下から掬い上げるようにして吹き付けられる。


「うっ!?」


 強風によって謎の魔道士のケープは裾から捲れ上がり、その視界を奪い去る。

 集中を大きく乱したことにより、ゴーレムへの緊急動作の指示と魔術による対応は潰された。


「ぶっ壊れろ! ギチ人形!」

「今です! “イグジム(雷よ)・ティアー(放たれよ)”!」


 私はゴーレムの腹にピックを叩きつけ、ヒューゴの後ろからはスズメが現れ、雷を放つ。


 ピックはゴーレムの腹部を突き破って深く埋まり、内部の石材に亀裂が走る。

 雷は魔道士の脇腹に着弾すると、閃光を迸らせてその身を痙攣させた。


 意表をついた、ゴーレムと魔道士への同時攻撃。

 そのどちらもが効果的に決まったことは、目に見えて明らかであった。


 だが術者を失っても、命令を受けたゴーレムは動きをやめない。

 短い腕は腹部に傷を負わせた私に殺到し、鈍角の爪が風を切る。


 その両腕を二発の蹴りで弾き飛ばしたのは、加勢に加わったライカンであった。


『いけロッカ! このまま打ち砕け!』

「おおッ!」


 ライカンが身を挺して守ってくれるなら、それ以上に心強いものはないだろう。

 私は中央への一撃に続けて、脇腹への集中的な“掘削”を開始した。


 突いて突いて突きまくる。金属部分は分厚いが、デムピックで貫けないほどではない。

 五か所も突けば大穴があき、内部の石材にも簡単にピックが届くようになる。今度はそこから石を掻き出すキューレン作業だ。

 ゴーレムは苦しんだように身悶え抵抗するが、ライカンを相手にしては体の自由もない。私が全体を突き崩すのも時間の問題だろう。


「ご苦労、ウィルコークス君」

「あ、おいっ!」


 これから本格的に掘削してやろうという時になって、クラインが私の肩を引いて前に躍り出た。


「魔金の外殻さえなければ、もはやサードニクスに恐れる要素は無い」

「でもまだ内側まで……!」

「“スティ・ボウ(いでよ鉄銛)”」


 私が文句を言い切る前に、クラインは振った右手から細長い鋭利な鉄銛を生み出して、ゴーレムの傷口へと放り込んだ。

 鉄銛がサードニクスの岩石部に深く入りこみ、中から大きな亀裂音が響き渡る。


「……」


 すると、もうゴーレムは動かなくなってしまった。

 クラインの魔術による一撃が、致命打となったのである。


「魔石や魔金を通さなければ、反駁石も無駄というわけだ」

「……良い所だけ取っていくよな、お前」

「そんなのどうでもいい。それに、良い所というなら、君に譲った方じゃないか」


 譲ったって、お前な……。

 いや、今はそんなことどうだっていい。


 誰が一番手柄を上げたかよりも、今は謎の魔道士が先だ。


「う……ぐぁあ……」

「……おーおー」


 完全に動作を停止させて、両腕を本体から落としたゴーレムの向こう側では、魔道士が服の隙間から臭い煙を上げて、苦しげに横たわっていた。

 生半可な火傷よりもずっと重い重傷を患ったのは明らかである。

 雷の魔術による一撃は、相当に響いたらしい。


「な、なぜだ、お前たちは、逃げたはず……」

「僕らは逃げてないよ? あんたの背後に回り込んでいただけでね」


 ヒューゴは髪から滴を落としながら、爽やかに答えた。


「こ、この場所は、通路の関係上、後ろへ回り込むには相当な手間がかかるはず……地図無しでは……!」

「地図なんて燃えてないよ。炎の中に捨てたのは、街中でもらった広告の紙。わざと地図がなくなったように見せかけただけさ」


 ヒューゴの後ろからボウマがひょこっと顔を出し、“じゃん”と言いながら地図を広げて見せてくれた。

 炎の中に消えて行ったと思われた地図は、どうやら無事らしい。


「オレは炎に投げ込まれた紙が偽物だとわかっていた。地図を燃やす振り……それはつまり、回り込んで挟み撃ちにするということに他ならないだろう。オレ達は、時間を稼ぐだけで良かったという事だ」

「念を押して水も被っておいたんだけど、これは必要なかったみたいだね」


 なんと。

 ヒューゴ達が回り込んでくることは、クラインも知ってたのか。


『なるほど……』


 あ、ライカンもわかってなかったのな。

 良かった、仲間がいて。


 ……でもヒューゴ達が回り込んで魔道士をやっつけてくれるなら、無理してゴーレムをぶち壊す必要もなかったじゃねーかよ。


「ふっ」


 私が抗議的な目で睨むと、クラインは意味不明なむかつく笑みを浮かべていた。

 なんだこの野郎。ゴーレムの次はてめーの眼鏡をぶち壊してやろうか。


「はは、ともあれ、ロッカ達が意識をそらしてくれたおかげで、こうして安全に回り込めたわけだよ。ありがとな、三人とも」

「ありがとうございます。魔道士の後のゴーレムの対処には、本当に悩んでいたんですよ」

「お、おー……」


 褒められてはいるが、どうにも私のあずかり知らぬところで話が進んでいたことが、少々ならず結構癪だ。

 私の頭がみんなの咄嗟の考えに追いつけないのが、なんとなく悔しい。


「むはは、よくわかんないけど、あたしたちのが強いってことだなー!」

『うむ! 一件落着だ!』


 ……まぁ、ボウマとライカンも何も考えていなかったようだし、別にいいか。




「……さて、本題だが」

「ぐ……」


 クラインの冷たい眼光が、地に伏す魔道士に向けられた。


「他に仲間はいるか?」


 靴底が、床に転がったタクトの先石を躊躇なく踏み砕く。

 金物の装飾まで施された高価なものを壊すなんて真似は、貧乏症の私にはきっとできないだろう。

 しかしこの場は、それを壊すのがまず第一手として当然であるような空気が漂っている。

 ヒューゴもスズメも、壊れた杖に目をやって、むしろほっと息をつきそうなくらいだ。


 人と人との闘い。魔道士と魔道士による戦い。

 さっきまでのゴーレムとの戦いは、文字通り命を懸けた死闘であった。

 私はナタリーに対しては同じくらいの戦いを挑んだことはあるが、実際に命を脅かすほど魔術戦を繰り広げたことは、一度もない。負けたら確実に殺されるとわかっているものは、これが初めてだろう。

 それでもさほど恐怖を感じなかったのは、最近にゴーレムとやりあった心の慣れと、ナタリーとの戦いで味わった、より深い絶望的な経験のおかげだ。


 しかしこうして、人の杖を容赦なく壊すような場面を見ると、命を懸けた戦いを繰り広げていたのだと、嫌でも実感してしまう。

 魔道士の杖を壊すとは、それだけ大きな保険なのだ。


「休むな、答えろ」

「うっ」


 荒い息の中に沈黙を潜めていた謎の魔道士だったが、その腹にクラインのつま先が食い込んだ。

 音からして、容赦はない。

 当然だ。もしもこの地下水道内に仲間がいれば、私たちが圧倒的に有利な今のこの状況を、容易に覆されてしまいかねないのだから。


 火傷を負い、杖を折られ、その上で足蹴にされる。

 いい歳した魔道士さんには過酷かもしれないが、こちとら命を狙われた身だ。さっさと答えてもらおう。


「聞いてんだよ」

「うげッ」


 クラインに倣い、私もみぞおちに一発叩き込む。

 故郷で私をしつこく茶化してきた馬鹿野郎には、よくこうやって黙らせていたのを思い出した。

 さすがに急所は堪えたのか、男は呻きを漏らしながら、少しずつ口を割り始めた。


「わ……私、ひ、ひとりだ」

「嘘だな」

「がッ」

「おい」


 クラインの謎の判断により、どうやら嘘をついたらしい男にもう一発蹴りが浴びせられた。


「本当のことを話せ」

「う、うう……」

「痛がるフリはやめろ」

「ぐげっ」

「お前は悪魔か」


 その後も、何度か理不尽な蹴りが魔道士の男を襲い続けた。

 喋ろうとしては蹴り、喋ろうとしては蹴る。

 げんなりする光景が繰り返される最中で気付いたのだが、どうやらクラインは無駄に痛めつけようとしているわけではなく、相手に自分との立場の違いや、嘘をつけばどうなるかといった事を、体に覚えさせているらしい。

 少しも悪びれた風なく真顔で蹴り続けているものだから、相手からしてみたらさぞ恐ろしい拷問官に違いない。


 見守る私達の顔が大体全員引き攣る頃になると、男は呻きすら出せないほどの状態にまで疲弊したようで、今までとは違った低い声色で、呟くように話し始めた。


「……仲間はいない」

「そうか」

「……何度も言ったはずだ」


 どうやら仲間はいないらしい。

 何回か前に答えた時から私はそれを信じていたが、ここでようやく、クラインも納得したようだ。


 フードを深く被っていた男は、今や既に顔も露出し、その薄汚れた髭面を私たちの前に晒している。

 嘘もつけず逃げられもしないと観念しきった顔は、それでもまだ落ちることのない絶望の深みを感じてか、顔立ち以上に老けた印象を私たちに与えた。


「ここで何をしていた」

「……禁じられたゴーレムの製作……他にも、まだいくつかある」


 この男は地下でずっと人形作りに励んでいたらしい。


「禁じられたゴーレムって?」

「サードニクスみたいなゴーレムのことですよ。私有地でない公の場所に移動困難なゴーレムを配置したり、理式楔晶を取り出し困難な機構にしたり……さっきのは、とても許されるタイプの物ではなかったんです」

「へえ、そうなんだ」


 ゴーレムも、法によって色々と束縛を受けているとは初耳だ。

 他にも決まりごとはありそうだし、作る方は面倒くさそうだな。

 まぁ、頭が良くなきゃそもそも作れないんだろうけどさ。


「ゴーレムを誰かに売りつけるつもりだった?」

「……完成すれば、そのつもりだった。物によって、売る宛は変わるがな」

「ほう、種類があるのか」

「当然だ。どうせ悪事に手を染めるのだ。手広くやっていくに決まっているだろう」


 自らの邪悪さを隠さず、男はヒヒヒと笑う。

 さまざまな種類があるらしいゴーレムの中には、きっとろくでもない物もあるのだろう。

 それこそ、ゴーレムに関する法の全てに抵触するような、邪悪なものまで。


「お前の工房はどこにある?」

「ゴーレムはすべて五区画目の工房で作っている」

「五区画?」


 クラインが訝しみ、スズメは地図を広げた。

 私も一緒になってそこを覗くが、覚えの通り、地図は精密で丁寧に描かれたものではあるが、どこが何区画かなどは表記されていないようである。


「五区画とはどこだ」

「どこって……」

「方向だ」

「ああ、こっちだよ」


 男は精いっぱいの力で上体を起こすと身を捩り、後ろの壁面を掌で二回叩いた。


「後ろか」

「いや、そうじゃない……何度言えばわかるんだ」


 壁に手をついた男の手が、床に垂れ下がる。


 すると、男のローブの袖から、きらびやかな意匠が施された金属製の腕輪がずり落ちてきた。

 この場面で現れるそれが普通の腕輪でないことは、すぐに理解できた。


「ふはっ」


 “しまった”と。そう思ったのは、私だけではなかったらしい。

 私たちは男が嗤う瞬間に、その場から一斉に飛び退き、杖を構えて距離を取っていた。

 それでも先手を打っていたのは、悔しいことに、拷問を受けながらもまだ足掻きを諦めていなかった、この男なのである。


「“ジック・ギロル(出でよ、開け)・レトケント(あの門よ)”」

「あ!」


 男は勝ち誇った笑みを浮かべながら、床の上に広がった暗い影の中へと落ちていった。


「“イグズ(雷よ)”……くっ!」

「そんな!」

『おお、落ちていったぞ!?』


 駆け寄るも、時既に遅し。

 男の姿はここから消え去り、かわりに残ったのは床に張り付いた魔術の暗闇だけであった。


「に、にげたのかぁ!?」

「影魔術による転移です! 場所を指定するもので……!」

「私たちもそこに飛び込めば!」

「駄目だロッカ! 相手がそこで何の準備をしているか、わからない!」


 鮮やかに逃げ去った魔道士に、私たちは半ば恐慌状態だった。


 恥ずかしいが、心の中に油断が生まれていたことについては、何の言い訳もできない。

 相手が一歩も動けないからといって、私たちは勝ち誇っていたのだ。

 男を取り囲む人数の多さにも、“この人数なら大丈夫だ”と安心しきっていたのだろう。


 その結果が、これだ。


「あああ、何をやっているんだオレは、このようなくだらない……!」


 こういう時はどうすればいいんだ、クラインに視線を送ると、彼は腰につけたポーチの中を漁り、その中の匙やら布きれやらを水路に放り込みながら、狂ったように何かを探していた。


「何してるんだ、クライン、どうすれば!?」

「黙れ! 衝紋記録紙を探している!」

「は!?」

「この影魔術の残滓から遁衝紋を記録して、あの男の素性を暴くと言っている! そのくらいわかるだろう!?」


 わからなかったよ! 怒ることねーだろ!


「クラインさん、気を付けて! まだ魔術空間は開いてます!」


 スズメを含めた私たちは妖しげな暗闇の穴から距離を取るが、クラインは取り出した紙を手に、勇敢にも近づいてゆく。


「おいクライン! そこからまた仲間とか来るかもっ……!」

「時間勝負だ、手遅れになるわけにはいかない!」

『無茶をするな!』


 クラインは仲間の制止を振り切って、暗闇の淵までやってきた。

 灯りに照らされていてもなお黒く暗い、丸く大きな床の闇。その間際に立ち向かう彼の姿は、とてもではないが、穏やかに見えるものではない。

 だがいくら声をかけたところで、勇んで踏み出された頑固なクラインの足が止まるはずもないことは、私たちが一番よくわかっている。

 彼の危うい姿を。私たちは見守る他にない。


 だが幸か不幸か、クラインはすぐにその場を離脱することとなる。


「なっ……」


 暗い穴の中から、魔道士の男の不健康そうな首が、ぬっと生えてきたのだ。

 突然戻ってきた魔道士の顔にさすがのクラインも驚いたか、私たちとを同じくらいまで距離を取る。


「や……やむ……」


 暗く大きな穴の中から首だけを出した魔道士が、苦しそうに言葉を紡ぐ。

 不気味だ。


「……止むを、えまい。見つかったからには……ゴホッ」

「おい!」


 歯切れの悪い言葉の最後におびただしい量の血を吐いて、首だけだった男はゆっくりと、穴の中から再び上に上がってきている。


 だが、様子がおかしい。

 先ほどまでの勝ち誇った表情が嘘のように消えて、顔色が悪くなっている。

 言葉もたどたどしく、顔色も悪い。

 吐血だってそうだ。クラインは、相手がああなるまで強く蹴ったりはしていなかったはずである。


 正直、恐ろしい。


「お前、何のつもりだ!」

「……何の……ふ、ふふっ」


 徐々にせり上がる男の身体が、ついに腰の部分まで露出するようになって、私たちは信じられない光景を目の当たりにした。


「うっ……」

「な、なんだ……」

『……』


 暗闇の中から再び姿を現した男の腰から下は、真っ白な“何か”の巨大な口によって、咥えられていたのである。


 それはカエルとも、水竜(デオルム)とも似た大口であったが、人を一口に頬張れるほどのサイズであることから、私の想像できる範囲の生物でないことは確かだった。


 男は巨大な口の中で血を吐きながら、私たちを嗤っている。


「もはや、これまで……全て、消し去るしかないのだ……ふふ、ふふふ……ゴボッ」


 笑いとともに、吐き出される血は熱湯のような湯気を立て始めた。

 喉の奥で湧き立つようなおぞましい音と、立ち込める生臭い異臭に、私の本能と魂が警鐘を鳴らしている。


「あれは……まずい、まずいぞ」

「あっ!?」


 謎の生物の口の中で、ジュウジュウと音を立てて溶かされた魔道士の躯が、崩れるように床に落ちた。

 液状になった魔道士の肉体を口元から滴らせ、謎の生物は真っ白な上半身を穴から這い出し、このトンネル内に全身を運び込もうとする。

 そんな動きを見せた時、ついにクラインとスズメは、ほとんど同時に叫んだ。


「逃げろ! レトケンオルムだ!」

「どこでもいいです! 逃げて!」


 五感に障るおぞましい光景に危機感も限界だった私は、その言葉を皮切りに躊躇なく身を翻し、震える脚に鞭を打って、がむしゃらに駆け出した。


 私が逃げる寸前に垣間見たのは、トンネルの上下左右の壁に、八本の長い手をついて歩く、巨大な両生類の不気味な白い姿であった。





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