嚢014 逆流する反動
第五棟の大講義室で連日行われている光属性術の講義は、その回を経る事に参加者を減らしていった。
初回は学科の別け隔てなく学園内のほぼ全ての学徒が、“光魔道士”という至上の名誉を求めて受講した。
それぞれ興味本位、野心、一縷の望み、様々な思いを胸に抱いて臨んだが、その半数以上の学徒が脱落。自らの無学を、また限界を悔やんだ。
残った半分の学徒らも、二回、三回と次々に姿を消し、今では受講者のほぼ全てが属性科。そしてその八割以上が四学年以上という、偏った、しかし当然の結果へと落ち着き始めたのである。
生半可な知識では、意識では、執念では、ただ席に座り、食らいつくことすらできない。
全属性術士、アストラルマスターたるリゲル=ゾディアトス導師が開く講義には、それだけの気迫があった。
「迂遠な式における単純な魔力走破がこの理学式においての大きな課題であるわけだね。式の最後、十三環陣まで到達できなければ、光属性術は発動すらしないわけだ」
年齢は二十。
リゲル=ゾディアトスは、まだまだ若い、数年前には一学徒でしかなかった人物だ。
そんな彼女が、何人もの学徒の前で講義している。
あるいは神童と呼ばれる青年の前で。あるいは熟練と称される実力派の魔道士の前で。あるいは倍の歳にも達する者の険しい視線に晒され、その只中、それでも彼女は堂々と教壇に立ち、言葉を詰まらせることはない。
「何度も試してはみたが、光属性術はその第十三環陣まで行って最低限。中断から生まれる不完全な形は存在しない。不測発動が無い魔術なんだ」
複雑怪奇ともいえる図を掲げて行われる解説の中、椅子に着いた学徒達の目は必死だ。
死んだような遠い目で図を眺める者もいれば、導師の話す一言一句を全て書き起こそうと、分厚い白紙のノートに速記する者もいる。
頭ひとつ高い壇上に立つ若い彼女に対し、侮ったり恨んだりする気配などは一切見られない。
ここに残った俗にいう天才の魔道士達は、それぞれが死力を尽くしている最中である。
「あらかじめ式への魔力を最初から五百十二分割できるように訓練しろ、と言いたいのだが、量を流せば最初のうちは誤魔化しで発動できるだろう。分割に分割を重ねても、式に注ぐ魔力の量さえあれば何も問題はない。ただ、それが初等術に見合う成果を出すかは疑問だが……」
何度も文字を消して薄く白に濁った黒板に、リゲル導師が数字を書き殴る。
数字はいずれも偶数であり、何度か枝分かれする毎にその中身を減らしていく。
「と、こんなところかな。これだけの割合で、流し込む魔力量を操作する必要がある。量はいくら流し込んでも、最後の二の分の帰還が保持されていれば問題はないよ。ただし、途中にある衝開と対棄散の魔力は、均等に保たなければいけないよ。式が壊れる恐れがあるからね」
ここで一人、椅子に座った学徒の目が虚ろになった。
「最初の八分割を力み過ぎないことだね。式を開通させることに気を取られて、自分の魔力を持っていかれることだってあり得る。それが不発だったとしたら、その日はあと二回か……場合によっては、魔力の魂への侵食だってある」
「魂への侵食……」
リゲルの言葉に、誰かが声を震わせた。
「君たちのような優秀な魔道士ともなれば、もう随分と、魂への侵食なんて経験は無いんじゃないかな」
黒板への板書を一旦止めて、リゲルは大講義室に優しげな視線を送った。
しかし席に着く誰もが、先ほどの“魂への侵食”という言葉に、その表情を強張らせていた。
唯一真顔でいたのは、十数人の最上級生と、片手で数えられる下級生だけである。
「堅牢に組み上げた理学式に、無理やり魔力を注ぎ込んでしまうことで起こる現象だ。式へと注がれる魔力量が大きいあまりに、自分が持つ魔力がその精神の後押しによって釣られ、際限なく流れ出てしまう……」
リゲルは自分の手の中に、僅かな光を生み出した。
光属性術の初等術。“レイン”である。
慣れた彼女はもう無詠唱でも難なく生み出せる輝きだが、他の人間はただの一人も、この光属性術を作り出すまでに至っていない。
そして彼女が言うには、未熟な者が無理にこれを作り出そうとすれば、悲惨な事になるのだという。
「魔力の突然の消耗、流出による精神への反動。そして際限を超えた魔力の流れが生み出す魂への負担……この中でも、経験したことのある人は多いんじゃないかな。自分の魔力が感覚的に底をついたと悟り、術が霧のようにかき消えて、体中の力が抜け、死を予感する……あの感覚」
魂への侵食。
それは魔術の過剰な行使が生み出す、人体や精神、魂にも至る反動の事である。
使えば使った分だけが目に見えて消耗する気術とは違い、魔道士だけが経験するこの魂への侵食は、状況によっては容易く死者を出す。
術の使用を誤り魂を侵食された人間は、戦闘中ならば一時的に完全な無力となるし、人が見守る最中であったとしても、その身に重篤な症状が現れることだってある。
代表的なものとしては、眩暈、吐き気、頭痛、意識の混濁や朦朧、酷ければ失神もあるだろう。
既に術者が自分で生み出した火魔術などの影響下にある場合には、対抗できず自らの術によって怪我を負うことも、魂への侵食の性質上は、珍しくない。
危険。とはいえ、身の程を知らない下級者が陥りやすい状態であり、魔道士にとって、一度や二度は必ず通る失敗ではあるのだ。経験する者は、かなり多いだろう。
ある程度魔術の扱いにも慣れて、新術の修得にも念に念を重ねる上級者からすれば、魂への侵食という言葉は、さぞ懐かしいものに聞こえる事だろう。
しかしそれが、まさかこのような、理学の究極とも言える位置で、再び立ちはだかろうとは。
着席する各々が自らの過去の苦痛を思い出し、ある者は喉に手を添え、ある者は火傷痕が消えない手を握りこんだ。
「魂への侵食とは、闇魔術を真っ向から受けた感覚に近いものだ。というよりも、ほとんど同じだと言っても良いかな。それは多大な苦痛であるし、危険でもある。環境魔術を駆使している最中に侵食を受けた経験がある人にとっては、もう二度と御免だと言いたい所だろうね」
思い当たる者達が息を呑み、それ以外の者達は想像に恐怖する。
「しかし予言しておこう、座学の今はまだ良い。暗記と理解に苦しむだけだ。夜も理学式にうなされるダケで済むだろう。しかし実践に移すとなれば、どれだけ土台を作っても、一発成功とはいかないものだよ。術は練習中に何度も不発するだろうし、留顕や閃顕を踏む際には、術者の魔力を過度に吸いとる失敗も起こる。当然、魂への侵食だって発生する」
恐れる学徒たちに、リゲルはあえて、更に脅しをかける。
この数日間、事ある毎にこうして違った角度から新しい脅しを用いて、受講者を減らしていったのだ。
もちろんそれは、彼女を知る人々がよく言うような、“腐った林檎に群がるネズミのフンが更に腐ったような性格”による意地悪ではない。
何があっても後悔しない。そんな人間だけが残るように振るいをかけ、試しているのだ。
まだ、この天才達を前にしても、尚。
「もちろん、私だって光属性術を修得するまでには、何度も侵食を味わったものだ。逃亡生活中はそれを正すために、日に何度も吐きかけたよ。暗殺者を前に安定した魔術が使えなければ、どうしようもないからね」
「けど、結局生きて、完全に修得した」
最前列の男が、リゲルの脅しに口を挟んだ。
ここ数日は話が逸れる度に何度も修正を促した、彼女にとってちょっとした問題児である。
ただ同時に、彼はリゲル導師にとっての希望のひとつでもあった。
「そうでしょう、ゾディアトス導師」
「……まぁ、最終的には、そうなんだけどね」
クライン=ユノボイドは、度重なる脅しにも一切怯まずに、受講を続けている。
暗殺者に狙われる、魂が侵食される、修得に人生を費やしても報われないかもしれない、どんな言葉にも、瞼をピクリとも動かさない。
意欲と意志の強さは、導師として喜ばしい、歓迎できる事である。
ただそれだけに、リゲルは内心、複雑な気分でもあった。
姉を倒すためだけにそこまでするのか、と。
「ゾディアトス導師、時間が惜しいです。続きを」
「……はは、うん、そうだね。休憩はこれまでにしようか」
姉のクリーム=ユノボイドに敗北し一時期不安定だったクラインは、最近色々とあって落ち着いたらしい。
その件を聞きつけたリゲルはクリームを厳しく叱り、行動範囲を制限させた。これから同じような家族問題が起こることも、おそらくはないだろう。
しかしそれでもまだクラインの中で“姉打倒”の火が消えないという事は、それまでの確執があまりにも大きすぎるという証明なのだろう。
名家っていうのは面倒くさそうだな。
リゲルは親友の口調を借りるように、心の中でそう呟いた。




