嚢015 知る人ぞ知る逸話
寄贈された灼鉱竜、ラスターヘッグの幼体が、第二棟九階の比較的人通りが多い広場に移された。
そこは十階の闘技演習場へと続く広めの階段がある場所であり、通り掛かる度に、幼い竜と目を合わせざるを得ないという、人によってはあまりよろしくない位置取りである。
私はそういうのは大丈夫だけど、若い女の子からは不評なのだろう。
十階を目指して通りかかる子の中には、恐る恐る檻を避けながら進む者も多い。
それでも人々が上の階を目指すのには、それ相応の理由があった。
「あら、ウィルコークスさん。こんにちは」
「あ、こん、こんにちは?」
掲示板の前でルウナと遭遇し、挨拶されたので、同じ挨拶で返した。
相手と同じ“こんにちは”。なのに、私が使うとこの違和感。何故だ。
「特異科の皆さんも一緒ね」
「わーい、ルウナー」
「おー、ボウマ」
ボウマはルウナの姿を見つけると、子犬のように突進して抱え上げられた。
髪の色などは全く違うが、それだけ見ると、まるで親子か姉妹のようである。
しばらくの間くるくると回っていた二人に和やかな気持ちにもなったが、掲示板の演習予定を見て、朗らかな気分が凝固する。
なるほど、やたらと人が多いと思ったら、そういうことか。
「……おい、ヒューゴ、あれ」
「ああ。書いてある通り、みたいだね」
貼りだされていた組み合わせが本当なら、今日の闘技演習は大荒れになるかもしれない。
波乱の予感を抱え、私達はその他大勢の者達と同じように、観覧席への階段を登った。
ライカンの闘技演習、記念すべき十戦目である。
これに勝てば栄えある十連勝といったところで、今までの中途半端な魔道士とは一線を画する相手が立ちはだかった。
彼に向かい合い、固く握手を交わしているのは、長い黒髪に彫りの深い顔立ちの、どこか渋さを感じさせる男。
名は、デリヌス=マイングルード。
属性科三年の鉄属性専攻、Aクラスである。要するに、ナタリーと同じ派閥の一人である。
「おいおい……十戦目にもなれば、そろそろ優等生がちょっかい掛けてくるだろうとは思っていたけどさ……」
「まさか、ナタリーの派閥から来るとはねー」
ヒューゴ、ボウマ、ソーニャ、そして今日は珍しいことに、クラインも一緒だった。
これまでは低学年の低クラスが相手だったのが、いきなり中学年の属性科のAクラスが相手なのだ。
友人としては、気にならない方がおかしい話である。
私達特異科の五人と、ついでに居合わせたルウナも巻き込んでの六人。
なんとか一塊で観戦できる場所を確保できた。
「つーか、さすがにクラインも、ライカンの応援に来たんだな」
今日のクラインは片手に本を持たない、手ぶらだ。
つまり片手間ではなく、本気で闘技演習を見に来たということ。
さすがに友人の十戦目、それもナタリー派閥の人間が相手ともなれば、こいつの重い腰も動いてしまうのか。
なんてことを思っていた私が愚かであった。
「いや、オレはデリヌスの術を見に来ただけだ」
嫌味っぽさの欠片もなく、即時の否定である。
お前、そこは嘘でも応援しに来たって言えよ。
仮にライカンが聞いてても怒らないだろうけどさ。
「そんなことよりも、どうしてここにサナドルがいる」
「サナドル?」
クラインに汚物を発見したような目で見られたのは、ルウナだった。
そうか、サナドル。
フルネームはルウナ=サナドルだったっけ。
「私が誰と見ていようと、別にいいでしょう」
「なら見ているだけで口を開かないようにしろ。カビ臭さがここまで臭ってきそうだ」
「……」
ルウナは無茶苦茶な物言いで突っかかるクラインに対して何かを言いたげだったが、眉をわずかに痙攣させただけで、堪えた。
これこそが、見習うべき大人の姿であろう。
「ポールウッドさん。お会いできて光栄です。どうぞよろしくお願いします」
『うむ、こちらこそ、よろしく頼む』
私達がそんな漫才をやっている間にも、壇上では二人の男の間に、いくつかの言葉が交わされているようだった。
デリヌスなどは張り詰めた軍人顔に、どこか好戦的な微笑みを浮かべ、ライカンに静かな威圧をかけているように見える。
「まさかワルフ闘技場で輝かしい記録を出したあの闘士が、遥か水国の理学学園に籍を置いていようとは、思いがけないことで」
『はは、俺自身もそう思っているんだけどな』
「記録を出した当時はまだ、確か機人化されていなかったはずですね。ポールウッド、どこかで聞いた家名だとは思っていたのですが、気付くのがここまで遅くなろうとは……」
『気づかなかったのも当然だ。この体に作り変えたのは全盛期を過ぎてからだしなぁ。武者修行の最中に魂を置き換えたものだし、知る人も少なかろう』
「……“人狼”と呼ばれた武道の鬼才。この度は、その胸をお借りします」
『おう、かかってくるが良い。が、気術は無しだからなぁ。ま、対等なものだと思って、戦ってはくれんか』
「対等などとは……」
『はっはっは、なに、同じ学友だ。お前は俺のことを前々から知っていたようだが、立場は対等に違いないとも』
デリヌスの口角がにんまりと上がった。
あれはきっと、良からぬことを考えている顔だ。
この試合、目を離していたらライカンが潰されるかもしれん。
「では……鉄城都市メインヘイムの誇りにかけて」
『メインヘイムの戦士か、面白い。良かろう、ならば俺は、先祖の亡国アダマインの誇りでも掲げようか』
属性科の優等生とライカンとの闘いが、始まる。
「これより、“狼人のライカン”および“弩針のデリヌス”による、中級保護の闘技演習を行う!」
ライカンは飾り気のない無骨な鉄製ロッドを、棍棒を扱うように力強く握っている。
一方でデリヌスは、細めの堅樫材の柄先に、碇を模した鉄を飾ったロッドを、槍でも差し向けるように構えていた。
ライカンがロッドを打撃用の武器として扱っているのは毎度のことだが、相手までそのような、武器らしい構え方をしているのは、十戦目にして今回が初めてである。
私はその体勢を、何か別の投擲杖術の構えかと思っていたのだが、観覧席から聞こえてくる困惑のどよめきを聞くに、そういうわけでは無さそうである。
「距離、初期だし二十メートル近くあるのに。デリヌスって奴、あそこから一体、何を仕掛けてくるつもりなんだ」
「……僕が知っている投擲杖術の中に、あんな構え方は無いな」
ヒューゴは両手を上げ、ルウナは首を傾げていた。
「突きの構えにしたって、距離が遠すぎるし。鉄属性術を投擲する体勢ではない、かな」
「そうねぇ。ま、あの構え方だけなら、騎士さんみたいで格好いいけどね」
「騎士って……あれ、ただのロッドだし」
女三人、私達がデリヌスの姿に思い思いのコメントを交わしていると、片隅のクラインが大きな息を吐き出した。
わざとらしい、しかしそれだけで言いたいことを最大限表現した溜め息に、私達の視線も同じくらいの不満を返す。
「あの構えは、突きでも無意味なものでもない。おそらくは……まぁ、見ていればわかるだろう。珍しいものだ、良く観察するといい」
結局彼の口から答えは出されないまま、その時はきた。
「闘技演習、開始!」
合図と共に、すぐにどちらかが動くということはなかった。
ライカンはロッドを構えたまま前に擦り歩き、正面からの魔術投擲を警戒してゆっくりと距離を詰めている。
では、魔術投擲を扱える分有利であろうデリヌスの方はというと、なんと意外なことに、そちらも同じような動きを見せていた。
杖を両手で握り、先端を槍のように相手に向けて、にじり寄っているのだ。
「えっ、なんで?」
開始早々、思わず声に出てしまった。
だってそうだろう。
今壇上で行われている二人の歩み合いは、単純にライカンを有利に運ぶだけのものでしかないはずなのに。
「デリヌス=マイングルード、ね。あの男はあまり、ナタリーにべったりしているという印象はなかったけど……魔術投擲をしないタイプではなかったはず」
私の疑問にルウナが追加情報を加え、更に現状の歪みを明らかなものにしてゆく。
呼応するように、観覧席で見守る大勢の人々もまた、開始の合図と同時に沸騰した盛況ぶりを冷ましつつあった。
「見ているしか無いんだから、黙って座ってろ。馬鹿が」
「おい、もうちっと言い方ってもんがあるだろうが」
でも実際、事情を解説してくれる人がいない中では、クラインの言う通り黙って静観する他には、手も無かった。
不気味な緊張感を滲ませながら、二人は探りあう野良猫のように、互いの距離を詰め続ける。
『……構え、足運び、どちらもなかなかのものだ』
「……“狼人”にお褒めいただけるとは、光栄の限り」
直線的に進むだけだったライカンが、僅かに歩みを曲げる。
それに合わせて、デリヌスも反対方向に歩みを反らした。
二人は七メートルほどの距離を保ったまま、見えざる円の上をなぞるように、ともすれば、それ以上近づくことが迂闊であると互いに理解しているかのように、無意味な円周上の一歩一歩を、慎重に運び始める。
『しかし、その小さな錨をあしらっただけの杖では、俺には届かんな。柄の端を握ったとて、俺の腕とロッドのリーチには、僅かながら及ばず、勝るものではない』
「……確かに、そのようです。ここまで距離を詰めれば、貴方のその大振りな握り方を少しでも短くしてくれると踏んでいたのですが……仰るとおり、あと数センチの隙が足りない」
その時、突如デリヌスが真後ろに飛び退いた。
ライカンが何かを放ったような様子はない。ただひとりでに、デリヌスが距離を取ったのだ。
『魔術による遠距離戦か、それも良いだろう』
「まさか。栄えある“狼人”との闘い、術による安易な飛び道具などは無粋。それに、こちらとしてもそのような不得手な真似は避けたい所……」
『ほう? ならばそこから何を……』
「言ったでしょう、わが鉄城都市の誇りにかけて、と」
デリヌスが杖を構え、腰を低く落とす。
投擲杖術の構えではない。構えの気迫が、そう語っている。
「“スティ・フェイブルム・バルストス”!」
『ムッ!』
デリヌスが力強い詠唱を紡ぐと同時に、低く溜めた腰が力を弾き出し、身体を勢い良く前方へと運ぶ。
突進。それは、術の魔光を滾らせた杖を前方に差し向けた、突進である。
近づいてはならない、近づかせないの魔道士のセオリーを完全に無視した、意表そのものでしかない動きだ。
両手で柄を握りこんだデリヌスの“突き”に、ライカンの長い腕が防御の“払い”を繰り出す。
どちらが先に届くかは、お互いの得物の掴み方や、腕の長さからして明白。ライカンの圧勝であった。
あるべきだったのだが。
『ぬうっ、これは!』
「く、一番槍を止められるか……!」
この瞬間、観覧席が驚きと興奮に沸き立った。
デリヌスが杖によって繰り出した突きを、ライカンはなんとかロッドで受け止めた。
それだけであれば当然の結果ではあるのだが、会場を騒がせたのは、デリヌスが握ったその杖そのものである。
デリヌスの杖の先が、変化した。
いや、変化したという表現はちょっと違う。伸びた。いいや、それもちょっと違う。
そう、それは……そう、出現だ。
デリヌスの杖の先端に、五十センチほどの細長い針が生成されている。
錨型の金具を基点に、しっかりと固定された金属のスピアー。
一見すると、最初から元々武具であったような杖の変化とその攻撃に、会場が驚愕したのだ。
「すげー、槍が出た!」
「わーお」
「リーチが伸びやがった。あれじゃあライカンのロッドよりもずっと長いぞ」
状況は、鍔迫り合い。
いきなり突き出されたスピアの刺突を防げたのは、幸いにもライカンが防御に回したロッドが、デリヌスのロッドの錨型の金具部分に引っかかったためである。
唯一存在する取っ掛かりにて、ライカンはなんとか槍の侵攻を防いでいた。
「やはり、“弩針のデリヌス”。メインヘイム騎士団の誇りとも言うべき魔術を使ったか」
「メインヘイム?」
クラインの口から漏れたのは、私の故郷、鉄国の首都の名前である。
「鉄国の騎士団でのみ使われる武装魔術だ。水国の杖士隊とは違って、あちらでは魔道士であっても武具の心得が必要とされている」
「へえ」
「だから騎士団に所属する者はもちろん、候補生や志願者もその忠誠を示すために、各々得意とする武器をだな……」
「ほうほう」
「……おい、どうしてオレが君の故郷の説明をしてやらなければならないんだ」
「そんなこと言われたって、首都の方なんか行ったことねーし。騎士団もあんま興味なかったし」
これだから田舎者は。
そんな小さな言葉に私は席を立ちかけたが、ソーニャに裾を引かれたので、ここは大人しく座っておくことにする。
まだライカンの試合中だ。
『なるほど、メインヘイムの騎士団、それも魔道騎士とは厄介な……! そしてスピア、俺の苦手とする良い武器だ……!』
「ポールウッドさん、この槍を出したからには、もはや俺に手加減はあり得ません……!」
『なぁに、俺も最初から全力のつもりさ!』
「ぐっ!」
ライカンの力任せな振り払いが、両腕で槍を握りこんだデリヌスを遠くへと押し返す。
ひとまず息をつける程の距離が開けると、さすがにライカンの方も油断はできないのか、ロッドを両手で構え、剣のように正眼に構えた。
完全に隙を断ったライカンの姿に、デリヌスの彫り深い顔立ちが、更に険しいものとなる。
『魔道騎士らしく、遠慮無く魔術を併用するといい。なに、俺も初めてのことではない。旅の道中、何度も立ち会いを申し出た魔道戦士を相手にしたものだ』
「……」
『未だかつて、騎士相手に敗北したことなどは一度も無いがね』
「ならば、ここがその一度目となりましょう!」
デリヌスが再びスピアを構え、ライカンの元に突撃する。
魔道士対魔道士であるべき、闘技演習。
しかし今日この時、この壇上では、魔道士らしからぬ両者による闘いが始まったのであった。
「せいッ!」
デリヌスから繰り出されたのは、やはり突き。
魔術を使うような素振りも見せず、彼はただ真っ当に、突きを繰り出した。
『ふ』
当然、弾かれる。
ライカンの反射神経や動体視力は、はっきり言って異常だ。少なくとも、既に人の領域にはない。
至近距離から放たれる魔術投擲すら、ロッド一本で対処できるのだ。人が腕力で繰り出すような、前動作が見え見えの刺突などは、きっと欠伸をしながらでも避けてしまうだろう。
しかしライカンを倒すならば、どうあっても遠距離からの魔術。それしかない。
近づかせず、一点集中の攻撃ではなく、決して二本の腕では防げないような魔術で攻め、倒す。彼の鉄壁の守りを前にしては、物量。それしか突破の方法はないだろう。
私はここしばらくそう思っていた。
だが、デリヌスの攻めが作り出した状況は、私の想像の真逆に展開されていた。
「せい、はァ!」
『ぐむっ……!』
刺突。魔道士の基本である、距離を置いての魔術ではない。
ただひたすらに、刺突。スピアによる、最適な距離を置いた上での連続突きだ。
ただスピアを上下に何度も押し込むだけの動きではない。
武器の扱いに熟練しているとひと目で分かり、常人にはあそこまでの速さは出せないであろうことを理解できる、見事な突きの連射である。
その速さは、ライカンの反射をもってしても一回一回の突きを捌き切れないほど。
本来ならば一発目の突きで、ライカンの鋼鉄のロッドがスピアをどこか遠くへ吹き飛ばしていてもおかしくない。
しかし、ガードの甘い位置に鋭く狙いを定めるデリヌスのスピアを、ライカンは弾き飛ばすことができないでいる。
突きの一つ一つが、速い。そして、力強いためだ。
「らァ!」
『!』
最後の一突きが、ライカンの首目掛け、空気を貫いた。
下から上向きへの、強烈な一撃。
鋼を穿つ音が高らかに響き、ライカンの巨体が僅かに宙に浮いた。
決着。その言葉が頭を過ぎる、冷ややかな一瞬だ。
『ぬぅ……見事。強化無しで、俺を打ち上げてみせるか』
ライカンは、まだ無事に壇上に立っていた。
当たれば即試合終了間違いなしのデリヌスの突きを、ライカンはなんとか紙一重で防いでみせたのである。
しかし、咄嗟の不完全な防御の代償は、大きかった。
『ロッドを盾にしたが……ふむ、まさか、導芯まで貫いてみせるとは』
ライカンはスピアを防ぐ際、握っていたロッドを横に向けて、即席の棒状の楯としてみせた。
が、最後の一撃だけは、真正面から防いではならないものだったようである。
これまでの九戦、常に無敗を誇り続けてきた頑強な鉄のロッドは、その中央部をざっくりと貫かれていた。
「メインヘイムの武装魔術は、騎士の誇りそのもの。王に捧げる我が武器は、生鉄の楯を前に蹈鞴を踏むことはない」
鉄棒を浅く貫き、ライカンを浮かせ、押し飛ばしたその強靭なスピアは、まだまだ鋭い刃先を潰していない。
魔術によって生み出されたあのスピアの先端は、ナタリーが乱造するような鉄針とはまるで違う強さを持っている。鉄すら容易に貫いてしまうくらいなのだから、おそらくは床に突き立てたとしても、一切曲がることも、潰れることもないのだろう。
見た目はただのスピアを作り出すだけの魔術だが、そんな簡単なものではない。
「次は、先ほどのように防がせはしません」
あれは、業物だ。
職人が鍛え上げたような、騎士や達人が扱うための、鋭い業物……。
「参る!」
『来い!』
デリヌスのスピアが決して折れず、鈍らないものだということが分かった上で、ライカンはもう一度、先ほどと同じような攻防を買って出た。
しかし今度は、守るばかりではない。ライカンもまた相手と同じように、攻撃としてロッドを振るい始めたのである。
『ふッ』
二発。デリヌスの目にも留まらぬ突きを、ライカンがロッドで防いでみせた。
ロッドでスピアの軌道を外側へとはじき出す、高度な防御である。が、デリヌスも馬鹿正直に、先端が弾かれたスピアを正面に突き出し続けることはない。
弾かれたとわかった時点か、弾かれると予感した時点でか、とにかくライカンまで届かない距離であっても素早くスピアを引き戻し、次の突きへと転じたのだ。
先程はデリヌスがその連続でライカンを追い立てたが、今度は違った。
相手の攻撃を弾き防御した時点で、ライカンのロッドが素早くデリヌスの手に狙いを定め、振り下ろされる。
それは、相手の突きを予測した上で振り下ろされる、先読みの鉄槌。
デリヌスの突きと共に前に出る握り手を狙った、胴を突かせて篭手を叩く、あまりにも割りに合わないカウンターだ。
それは現実的には、相手の手を叩き折るだろうが自らの腹を突かせる自殺行為に近い反撃である。
がしかし、この壇上では、少々事情が違ってくる。
「チッ!」
『ほう、退いてみせたか。良い読みだ』
僅差で手を叩かれると予感したか、デリヌスが素早く一歩退く。
見事な判断である。
外や別の場所でなら、肉を斬らせて骨を断っていただろう。デリヌスのスピアがライカンに致命傷を与え、決着していたことだろう。
だが、闘技演習ではそうもいかない。
中級保護という、ある一定以上のダメージによって強制的に試合を決着させるこの場においては、篭手だろうが胴だろうが、先に一発を決めたほうが勝者となるのだ。
ライカンのロッドによる一撃は、きっと片手に当たったとしても、デリヌスの両手によって繰り出される渾身の突き全体をねじ曲げるほどではない。
それでも先に当たれば、試合決着の致命傷となるのだ。デリヌスは退かなければならなかった。
『納得がいかない顔だな。はっはっは、しかし、それがこの闘技演習という場でのルール、やり方というものなのだ』
「……有効な一撃ではないが、しかし……ここでの致命打と成り得る」
『いかにも。ここは闘技場だ。その騎士特有の、浅い深いの考え方、早めに直しておくといい。でなければ――』
ライカンがロッドを大きく振りかぶり、勢い良く振り下ろす。
距離はある。デリヌスが構えたスピアに当たるものでもない。しかしライカンは躊躇なく、白い床に鉄のロッドを叩きつけてみせた。
「……!」
『――驚く間に、負けとなるぞ』
僅かに砕け散って宙に浮いた石壇の破片が、ライカンの素早い切り返しによって、打ち放たれる。
「うおっ!」
開いた距離と不可解な行動に戸惑っていたデリヌスは、なんとかわずかな一瞬の反応で、飛んでくる破片を避けてみせた。
……っていうか、ライカン、なんだそれ。
あいつ、当然のようにロッドで床の石を砕きやがったぞ。
『ほー、不意打ちのつもりだったんだがなぁ』
「……ここでの勝ち筋、邪道などと郷違いな事は言いませんが……」
『あらゆる手を使え。それがここでの戦い方。ここでのルールだ』
ライカンが再び、ロッドを前に突き出して構えた。
防御とも攻撃とも取れる立ち姿。握った鉄のロッドは、既に傷まみれでぼろぼろだ。
『俺に舐められたくなければ、出し惜しみなどするな。さっさと本気を出せ。魔術を使ってこい』
「……! おうよ、ならば搦手など飛ばしてやる! これが本気だ“テルス”!」
デリヌスの表情が怒りの一色に染まり、叫ぶ。
『テルス、風……!』
叫びと共に、床の上の石片が吹き飛ばされ、ライカンの上体が大きく後ろ側によろめいた。
「お望み通り」
デリヌスのスピアは無情にも、迫る。




