嚢013 香ばしい通り
ライカンの快進撃は、一日の連戦においても留まることはなかったし、その翌日でさえ、彼は当然のように勝ってみせた。
とはいえ、挑んできた相手は噂を聞いた鈴生りの学徒達で、いずれも低学年の低クラス。相手が鉄魔術を使おうが、水魔術を使おうが、それらがライカンの障害になることは全くと言っていいほど無かった。
彼自身も、魔術を扱う敵との立ち会いには慣れているらしい。
鉄魔術が飛んでくれば叩き落とし、水魔術が地を覆うならばさっさと突撃し、火魔術が発動する兆候を見れば、鉄のロッドを的確に投げつけて隙を突いた。
相手が低学年故に、小規模な魔術しか扱えないことも、快勝の要因となっているのだろうが、しかしライカンは的確に、肉体派さながらの強引なやり口で勝ち星をもぎ取り続けた。
闘技演習には一際強い興味を示していたクラインに、どうしてライカンの闘技演習に全く足を運ばないのかと尋ねたところ、彼は眼鏡のレンズを取り替えながら、こう言った。
「どうせしばらくの間は、一方的な武闘大会が続くだけだろう」
さすがはクライン。見ていなくとも的確な評論である。
勢いで攻めてくる非魔道士を圧倒できなければ、魔道士として未熟である。
そんなありきたりな言葉が下級生たちの戦闘意欲に火をつけ、絶えず腕試しに来る挑戦者を呼び込んでいるのかもしれない。
ライカンの現在の連勝には、そんな側面もあるのだろう。
それから彼は数日かけて当然のように八連勝もするのだが、その全ての試合に危なげな雰囲気が見られないのだから、ライカンの実力は本物であることに疑いようはない。
試合を経るごとに観客の動員数はじわりじわりと増えていった。
どこからか噂を拾ってきたらしいソーニャが言うには、属性科の下級生の間では、ライカンは属性科が打倒すべき相手だと喧伝されており、我こそ連敗の汚名を濯ぐのだと、みんなが息巻いているのだとか。
結構、大事である。
しかしそんな一方で、マコ導師はいつも通りの講義を続けている。
ライカンとしては連覇中の雄々しい武勇伝を、というより闘技演習自体を見てもらいたいところなのだろうが、肝心のマコ導師にはまだ伝わっていないらしい。
朝、講義が始まる際にいつもと変わらない調子のマコ導師を見るたびに、どことなくライカンの背中が淋しげにみえるのだが、それは私の気のせいかもしれない。
最初こそライカンを見守るように足を運んでいた闘技演習だったが、ライカンが呼吸でもするかのように、あまりにも容易く勝ち続けてしまうので、緊張感も薄まりつつある。
私は数日ぶりに、ソーニャを連れて街の雑貨屋を探索しに、市場を歩き回っていた。
朝市はとうに終わり、昼の市場には適当に売れ残った品々や軽食の屋台が並び、美味そうな香りを漂わせ、道行く人の食指を悩ませている。
私も通りの誰それと同じように、一歩ごとにピザの屋台の前で立ち止まり、まだ辛うじて暖かな財布に手を延ばす。
それをソーニャが呆れた眼差しによって牽引する形で、通りを進んでいた。
私達には目的があるのだ。それも、他ならぬ私自身の目的が。
「もう、石鹸が欲しいって言ったのはロッカでしょーが」
「ご、ごめんって」
今日は町中で、主に私のジャケットに使う石鹸を探しにやってきたのだ。
メルゲコの石鹸。
これは、デムハムドの売勘場では高級のものとしていくつか置かれており、さして珍しいものではないという認識で今までいた。
しかし、どうやらその認識は間違いであったらしく、私が自らの足で探してみたところ、似たような品すらも見つける事は叶わなかった。
なので、困ったときのなんとやらで、ソーニャを解禁したのである。
「できれば、石鹸のパッケージくらいは残しておいて欲しかったわねー。それがあれば、製造元も絞れて探しやすかったのに」
「ごめん。薄い紙で、長く持たなかったんだ」
私は包装用のポリノキ被覆はすぐに剥がしてしまうので、実際には保存する気の欠片もなく、屑籠に放られているのであるが。
「まぁ、同じ製造元の品がミネオマルタに流通しているとも限らないからね。どっちみち、いろんな雑貨屋さんを見て回るしかないわ……」
「……」
「なんでそうやってすぐ屋台の方に顔が向くの!」
「ご、ごめん! でも昼間だし!」
何度目かわからないソーニャの叱責に、堪らず言い訳する。
だってこればかりは、しょうがないじゃないか。
腹が減ってはツラドリも出来ぬって言うじゃないか。
私が作る朝の適当料理じゃ、昼間になるとすっごいお腹が空くんだよ。
「もう、まだ正午にはならない頃だってのに……しょうがないわねぇ。じゃあひとまず、屋台で軽くお昼買いましょうか」
「やった」
「ご飯がメインじゃないからね! ぱぱっと済ませて、石鹸を見つけちゃいましょう」
「うん」
ということで、石鹸の前にまず、美味しそうな昼飯を探すところから私達の散策は始まった。
いざ始まると、雑多な屋台のほとんどには目がいかない。
燻した卵、串焼き、サンド、ピザ、色々立ち並んではいるけれど、ここから一つを選ぼうとなれば、出来る限り厳選してしまいたくなるのが人の心情というものだ。なかなか決まるものではない。
それに、ソーニャはどちらかといえばあっさりした物や、甘いデザート系の屋台に目が泳ぐのだが、私は質より量だったり、ギトギトした肉系の屋台が熾す煙に釣られてしまう。
そんな二人が宛もなく探すのだから、とっておきの食事というものが、数分経っても決まらない。
「ソーニャは、あんまり肉とかって食べないんだね」
「んー、そうね。食べるとしてもロッカが好き好むような、切り口から油が滴るようなものじゃなくて、薄切りの肉になるのかしら」
「ベーコンみたいな?」
「それは脂っこいけど、近いかも。ま、私は甘いものがあれば、それでいいんだけどね」
そう言い、ソーニャはクレープ片手に笑ってみせる。
本当に美味しそうに食べているので、彼女は肉無しにでも生きていける人間なのだろう。
私にとっては、肉の少ない食生活なんて想像できないんだけど……。
彼女が先に食べ始めたので、私もそろそろ決めねばなるまいと、視線を周囲に配る。
が、ここまで随分歩いてきてしまったようで、近くには肉らしい気配が薄まり、私の望むような屋台が目に見えて少なくなっていた。
ここらで決めなきゃ、屋台が密集する場所を通り抜けてしまうかもしれない。
そんな焦りを抱いた私は、近くで最も香ばしい香りを放つ鉄板焼きの屋台へと足を運んだのだった。
「おっさん、カシューナッツ。ミドルカップで」
「はい、ちょっと待ってな」
そこはナッツ類を炒める屋台のようで、溢れ出る香ばしい煙は、肉至上主義の私の空きっ腹をも、ちくちくと刺激する。
先ほどまでコビンの骨付き肉を頭に浮かべ、崇拝すらもしていた私は、そんな過去の自分を容易く裏切った。
たまには、火が通った熱々のナッツもいいよね。
「おっさん、私にもこの子と同じやつ……」
「ぁあ?」
私が背の低い女性客の隣に並び、彼女が持つナッツを指し示すように、横を向くと。
そこには片方の眉を吊り上げ、もう片方の眉を強く歪めた女。
ナタリー=ベラドネスの姿があった。
私の姿を見たナタリーは、鳥の糞を踏んでしまったかのような歪んだ表情を、ほんの少しも隠そうとしなかった。
後もう少し彼女に嫌悪感が加われば、往来の中でも構わずに痰の一つも吐き捨ててしまいそうな顔だ。
「またテメェかよ。うざってえ」
遭遇して早速これである。
が、内心は私も同じだ。
「私だって、わざわざ学園の外でまでアンタの顔なんざ見たくねえんだよ」
「ほぉ?」
「ちょっとちょっと、二人とも、こんなところでやめなさいよ」
一触即発の雰囲気の中、果敢にもソーニャが割り込んだ。
毒気のないソーニャが介入すると、さすがにナタリーも同じ勢いのまま傍若無人な振る舞いはできないのか、機嫌悪そうに矛を納めた。
「チッ……ほらよ、金だ」
「あ、へえ、まいど……」
「ロッカ、次問題を起こしたら大変だって事、忘れちゃだめよ」
「わかってる」
一呼吸置き、ほんの少し頭を落ち着けて、私も反省する。
ここは市場だ。周りには人の目が多いし、騒げばそれだけの迷惑もかかる。
それに、次に私が暴力沙汰なんて起こしたときには、本格的に在籍に関わってしまう。
それだけの侮辱を受けたならば、退学も辞さずに殴りつける覚悟もまだ腹の中に控えてはいる。
けど、私だけの事情で、居合わせたソーニャに苦労や迷惑をかけるわけには、絶対にいかない。
だから落ち着こう。深呼吸しよう。
次にナタリーが何を言ってきても言いように、腹の中の水を冷ましておかなくては。
すう、はあ。
肺の中身を総取り替えすると、ナッツの香ばしい匂いが容赦なく入り込んできた。
そうだ、怒るよりもまずは飯だ。飯を食えば、苛立つ角も取れるだろう。
「ナタリー、それってカシューナッツ?」
「ぁあ? そーだよ」
「じゃあ、おじさん、さっきも言ったけど、これ同じ大きさで」
「は? アタシの真似すんじゃねーよ」
「真似じゃねえし」
この匂いに釣られて来たんだ。これじゃなきゃ駄目に決まってるだろ。
屋台のおじさんは金属の手箕のようなもので平たい鍋の中のナッツを掬い、それを厚く拵えた紙のカップの中に注ぎ込んだ。
手渡されたナッツは器越しでも熱く、そして口にする前から強い香りを漂わせている。
塩も沢山振られていて、美味そうだ。
私は早速熱いうちにと、ナッツをいくつか摘んで口の中に放り込んだ。
火傷しそうなほど熱いナッツを、ばりばりと噛む。
「うめぇ」
私の舌が率直な感想を漏らした。
「あたりめーだ。一等級のカシューナッツを使ってる屋台は近くでここだけなんだぞ」
「へえ……」
ナタリーは何故か、自分の事であるかのように誇らしげだ。
「あ、ロッカてめー、あまりこの店の話を広めるんじゃねーぞ。早退する奴らに先を取られると、昼前に売り切れになっちまうからな」
「……まぁ、別に私も、いつもナッツ食べるわけじゃないし、良いけどさ」
悪戯心で“そこまで嫌なら逆に食ってやる”なんて言いたくもなったが、ナタリーの様子は本気で切迫しているように見えた。
最初に見た時もナッツを食べていたし、よほど好きなのだろう。
そんなやり取りをしている間も、ソーニャは私に対して“先を急ごう”とでも言いたげな目線を送り続けている。
厄介な相手と長く関わる必要も無いということだろう。私も同意見だ。
同じナッツを買って、居合わせただけ。ただのそんな偶然だ。買い物を済ませたら、さっさとこの場を離れるに限る。
「……」
しかし私は、ルウナとの闘技演習での事を思い出した。
ルウナの猛攻に成す術なく、防戦一方のまま試合を諦めかけていた時の事だ。
私はあの時、観覧席から投げ掛けられた、罵声にも近い声援を受けて、戦意を取り戻したのではなかったか。
そしてその声の主は、ナタリーだった。
姿こそ見えなかったが、耳障りな声だった。間違うはずもない。
「ナタリー」
「あ?」
私や、特異科の皆を侮辱された事は忘れもしないし、許しもしないが。
それでもそれはそれで、これはこれの筋ってもんがあるだろう。
「まあ、何だ。ほんとは言いたくねーけど」
「んだよ」
「あの時は、ありがとう」
「……」
あ、ナッツこぼした。
「んなどうでもいいことで一々溜めてんじゃねェ。つーかあの時ってなんだよ、気持ち悪ィ、死ね。もう一度上級保護でズタズタにすンぞ」
ありがとうって言っただけなのに、ギャーギャー言われる。
ナタリー特有の不条理な反応である。こんな性格で同じクラスの奴から慕われているっていうんだから、世の中わからないものだ。
これ以上彼女と話していると、火の気も無いのに争いが自然発火しそうである。
それに、また成り行きで上級保護の闘技演習をする気には、全くなれない。
理由もなしに傷つくのは御免だし、クラインのあの白い薬も御免だ。恐ろしい。
離れた場所でこちらを伺うソーニャのもとに行こうと、私はジャケットの裾を翻した。
「おいロッカ、ていうかよ、一ついいか」
ところが今度は、ナタリーの方が私を呼び止めた。
ナッツを齧りながらとどこか面倒くさそうな立ち振る舞いだが、話す態度ではあるように見える。
「なに?」
「最近後輩がよ、闘技演習でつえー奴が出てきたって騒いでるんだわ」
「あ、うん」
誰かなそれ……。
「アタシはそれを見たわけじゃねーけど、なんでも、そいつァ魔術をほぼ使わずに、強化なしの武道だけで完封しちまうって話なんだが」
「へー」
「同じ特異科だろうが、ライカンって奴だ。とぼけてんじゃねーぞ」
「ああ、うん、知ってたよ」
やっぱり、ナタリーの耳にも入っていたか。
そろそろ属性科の高学年や高クラスの耳にも入るだろうとは思っていたが、試合を見ていない彼女までライカンの存在を把握しているとは。
「いや、アタシがそいつをどうこうしようってわけじゃねえ。鉄専攻の弱っちい後輩共が勝手に挑んで、勝手に負けて騒いでるだけだしな。武道が魔術を倒すってのにも、アタシは別に気にならねえ」
「そうなの?」
てっきり魔道士は皆、魔術を素手で叩き落としていくライカンのことを“邪道だ”とか後ろ指をさすものだと思っていたけど。
「聞きたいのは、やたらと強いそいつのことだよ。狼頭の全機人が特異科にいるってのは、前々から知ってはいたんだがな。一体何者なんだ? その、ライカンって野郎は。近頃はデ……友達も気にしてるみてえなんだが」
「……」
真剣というか、素直な聞き方だった。
見つけ出して囲んでシメてやろうという悪意は、言葉にも顔にも表れていない。
ならば、答えてやってもいいだろう。黙っていることもない。
「私も詳しくは知らないけど、元々は気術の使い手なんだって。昔は武者修行とかしてたらしいよ」
「へえ、武者修行な……」
ナタリーは思案するように、ナッツを前歯で挟んだまま俯いた。
しばらくそうしていた彼女だったが、すぐにナッツを噛み砕いて飲み込むと、用事を思い出したようにどこかへと歩き出してしまった。
申し訳程度の別れの言葉もなかった。
やっぱり、私とあいつはその程度の仲なんだろう。
まあ、こっちも慣れ合いたいわけじゃないけどさ。
「……ロッカに負けたからかしら。ナタリー、前ほど攻撃的じゃなくなったわね」
遠巻きに見ていたソーニャが戻ってきて、そんな感想を述べる。
攻撃的じゃなくなった。というと柔らかすぎる表現だろう。
私の中ではあれはまだまだ、ようやく人並みの会話ができるようになったという程度だ。
ナタリーが気に食わないのは、私の中では変わらない。
そんな風に思いながら、同時にクラインの事も頭に浮かぶ。
身近な存在ではあるし何度も力になってくれているクラインだが、奴は下手したらナタリー以上に気に食わないかも、なんて、罰当たりな事を思ってしまうのだった。




