神都へ(3)
不知森。
そう呼ばれているのは、神都の関所を出て少し歩いた場所にある深い森の事だ。世界の辺縁ではないのに、昔から神隠しが起きると言われてきた禁足地。
もしかすると、最後の神徒の影響があるのかもしれない。
いま、その森の樹幹に立つように、烏の神徒がいる。
森を隠さんとする真っ白な翼は二枚。翼の内側は目玉に覆われていて、ばさりと翼を動かしたらぎょろぎょろと動いた。大きな丸太ほどあろうかという足が3本。とはいえ、これまでの神徒の異形ぶりを鑑みると、この程度は遠目なら普通の烏に近い。
しかし、真っ白な身体がこれまでの神徒より強く発光している。
まるで太陽を見た時のように神々しい。本当に神から遣わされたかのように。
これまでの神徒と一線を画しているのは明らかだった。
背筋がぞくりとした。
この神徒を倒しても次があるんじゃないか、とうっすら疑っていた心は一瞬で吹き飛んだ。
今になって福禄寿様の託宣を思い出す。
リーリャさんが告げたのは、あたしが『無意識に神徒を呼べる事』と『いつか神徒を統べる神を顕現させる事』。
もしかして、これが神徒を統べる神なのではないかと思うほどに。
だって順に6体の神徒を倒した結果がこの神徒による侵略なのだとしたら、これはあたしが顕現させたと言っても過言ではない。
思考がまた負に落ちそうになった時、聞きなれた声があたしを呼んだ。
「ナユタ!」
神都の方角からアギが飛んできて、あたしたちを背後にかばうようにして炎で烏を蹴散らした。
その姿を見て、ガーシャも膝をついた。
駆けてきたテラスがガーシャの顔を舐める。
「平気か、ガーシャ。実際目にするとしんどいだろ。少し休め」
「いや、大丈夫」
あたしの手を握り、呼吸を整える。
呼吸を合わせて、自分自身も落ち着けた。頭痛は残るが動けない事はない。
「ラクシャさんは?」
「指示は全員に出し終えてる。メイカはさっきすでに蒼都へ向かった。俺もこのまま菫都へ飛ぶ」
「気を付けて、お兄ちゃん」
そう言うと、アギはあたしの頭をぽんぽんと撫でた。
「お前も気をつけろよ。ガーシャもな」
二人で拳を突き合せて散開。
信頼関係のある彼らにはそれだけでいい。
再び烏がけたたましい雄たけびを上げた。
脳に直接響くようなその声が悪意をもってあたしたちを襲う。
「……これ何とかしなきゃな」
「アケラ様に相談しとくね」
「お願い」
あたしの手を握り、額をこつりと当てて、ガーシャは目を閉じた。
「不思議だね、あんなにも怖かったのに、今はちょっとだけ――ドキドキしてる。皆がいてくれるってだけでこんなにも心強いんだね。これは絶望への道なんかじゃなく、挑戦だ」
絶対に負けない。
ガーシャはもう一度呟いて、目を開けた。
確かにその金色の瞳には光が灯っていた。
「ナユちゃんはテラスと一緒にラクシャさんたちと合流して、無理だけはしないで。とっとと全部倒してくるから!」
ガーシャも一番医者が必要なとこに行かなくてはいけない。
あたしは父やアケラ様たちと共に、ここで烏を足止めする。
研究所の壁は烏の鳴き声と眷属の嘴ですでにぼろぼろになっている。
本当は今日、影移動の朱印を不知森から離れた場所に移すつもりだったのに、その時間がなかった。朱印自体は早々壊れないと思うが、付与された岩が割れたり、移動してきた人がすぐに攻撃されたりする可能性もある。
「じゃあ、オレも行くね。ナユちゃん自身も無理しないで。逃げて生き延びさえすればまた立て直せるんだから。それから、絶対に、絶対に、ラクシャさんを烏本体と戦わせちゃダメだからね!」
最後まで口うるさく言っていたガーシャも朱印の向こうに消えた。
あたしも行こう。
烏の攻撃を避けながら、まっすぐに神都の天守閣へと飛んだ。
天守閣の窓から勢いよく中に飛び込んだら、せめて大人しく入ってきなさいとアリ様に怒られた。
急いでたの。すみませんでした。
そこへ、伝令から第一報が叫ばれる。
「鷺の神徒が顕現しました! 場所は予定通りです!」
最後の戦いが始まりを告げた。
数か月前、カルラ様に宗主を交代したその日、カルラ様とアケラ様が連名で右竜派と左天派の有力者を全員集めて再び大黒天様の託宣を告げた。
春を迎えたある日、不知森に巨大な烏の神徒が現れる。烏の神徒は首を落としても、翼を切り落としても、何をしても必ずまた復活する。その所為で倒すことが出来ず、神都は窮地に立たされる。
さらなる絶望が大陸全土を襲う。
烏の力で大陸各地に主級の神徒が同時に発生するのだ。これまで倒してきたはずの鷺、蟹、狐、亀、鯰、猫。一度倒したはずの神徒がすべて復活してしまう。
実を言えばこれは大黒天様の言葉ではなく、カルラ様とガーシャの記憶を擦り合わせて作り上げた架空の未来の話なのだが、時には方便も必要だろう。
信仰の深い神都の宗主一族は、大黒天様の巫であるカルラ様の言葉を信じた。
そして、翌年春の大災害に向けて表面的にだけでも無為な争いを止める事を宣言したのだ。
カルラ様とガーシャの予測によると、おそらく烏の神徒を倒すには――先にすべての主級の神徒を倒す必要がある。
だから、あたしたちがすべきは神都の烏を足止めしながら各地の神徒をすべて倒しきり、最終的に神都に集合して最後の神徒を倒す事だ。
その為にずっと準備をしてきた。
黄都でやったように、父は人に模した宝石を地図上に転がす。今度は、大陸全土の大きな地図だ。
まずは鷺の位置。
蒼都よりさらに向こう、影移動の朱印がない場所だけれど、ちょうど奥の山の里から下ったばかりの師匠がいるはずだ。あとは、眷属を一掃する為に、あの町の出身で外道衆の弓使いが向かっているはずだけど。
「ここは心配していない。ほっとけ」
父も割とゴクジョウ師匠に冷たい気がする。冷たいと言うより信頼を置いているのだろう。きっとそうだ。
だって他の人たちもあまり心配していなさそうだもの。
次に、蟹
蒼都近く、氷見の海岸に出現する異形の神徒だ。
前回は師匠とメイカ様が二人で倒したのだが、今回はメイカ様と蒼都の神徒狩りだけで倒すことになっている。今のメイカ様であれば全く問題ないと思うが、大量に湧く眷属の相手をしなければならない。小さな敵を狩るのが苦手なところがあるので、そのあたりは鍛えられた蒼都の神徒狩りたちが補助するだろう。
「おそらくここも問題ない。今のメイカなら瞬殺できる。もし、何かあるとしたらここだ」
父が指さしたのは赤都。
炎の狐が現れる場所だ。
ガオウじいちゃんと共に赤都の神徒狩りが担当している。さらにそこへ、大量の朱印武器を投入した地域だ。
実はこれにあたしもだいぶ協力している。
じいちゃんたち刀鍛冶が打った刀に、氷の朱印を大量に付与したのだ。朱印を付与した刀で炎の尾を切り落とすだけで断面を凍らせる効果がある。
とはいえ、炎に巻かれながら戦う事に変わりはなく、被害が大きくなるのは赤都だろうと思われる。
「出来ればメイカか、亀をさっさと倒してカラハとアギに移動して欲しい。が、神徒が出現する順にもよるから読めん」
菫都に派遣されたのはアギとカラハだ。
亀の神徒は固い。前回は絶好調の父が両断して軽く倒したがそうもいかない。あの亀に刃を通せるのが現状、アギとカラハくらいしかいなかった、という事だ。
逆にほとんど攻撃してこない亀を二人がかりで即倒して他の場所への補助に回した方がいいという判断だった。
そして黄都の猫。
ここは毒の被害が出る可能性があるのと森の中を駆ける必要があるので医師の一団とガーシャが向かう。二度目の討伐、ハテルマ様もいるので大丈夫だと思うが、怪我人の回収の為にガルトさんもいったんそちらに配置していた。
そして鯰。
こちらは烏の近距離に出るため放置できない。
神都と紅都の神徒狩りが総出で倒すことになっている。ガルトさんの部隊が一度、相手にしているので大丈夫だと思うが、災害のような力を持つためどれだけ被害が広がるか分からない。
刹那、烏の声が響き渡った。
遠く武陽城の天守閣にいると言うのにこの音量。頭に直接打撃を加えるかのように揺さぶってくる。手や指で耳を抑えてみたけれどあまり効果がない。
「この音、何とかならないかな?」
「お前の水を耳に詰めてみたらどうだ?」
言われてすぐに実践してみる。
小さな小さな水の粒。
耳の中にギュッと詰めてみたら、かなり音が緩和された。
「アケラ様天才」
にへらと笑うと、お前の能天気さに毒気を抜かれるな、と呆れられた。
けど、一人ずつにこれをするのは面倒くさいな。
あたしはアラージャさんから柔らかい紙をたくさんもらって小さい朱印をとにかく大量に付与した。
この紙を丸めて、耳に詰めればそれなりの効果が出るはずだ。
天守閣で動く人たちに配ってもらうようアケラにお願いしておく。
指で地図をなぞっていた父が烏の神徒の位置で指を止めた。
「ああ、まずいな、影移動の朱印が不知森に設置されたままか……来い、アリヤシャ。あれが壊れたら終わりだ。ナユタも一緒に移動するぞ」
間髪入れず父が躊躇なくアリ様を担ぎ上げた。
「は?」
呆然としたアリ様を無視して、父はそのまま外へ飛び出した。
慌ててあたしも後を追って窓を飛び出し、光玉を浮かべる。
父は適当にあたしの光玉に相乗りしながら都の外を目指した。
烏の攻撃をかいくぐりながら研究所へ到着。
父に負ぶさって到着したアリ様はすぐに研究所全体を護りの中に入れた。
大人なんだから自分で移動した方がいいと思うけど、まあ、緊急事態だからこっちの方が早いか……
「おい、ラクシャ。ガーシャからお前に無理させるなと言われている。頼むから大人しくしていてくれよ」
「お前みたいな鶏ガラ担いだくらいで何ともならねえよ」
アリ様自身もかなり不服そうだったが、忘れることにしたようだ。
「ナユタ。まずは、あの神徒を不知森から引き離せ」
「はい」
父の指示を受けて、あたしは研究所を出た。
再び見上げた神徒は、やはり神々しいまでに輝いており、太陽が二つに増えたかのようだった。
テラスが駆け寄ってきて、あたしの隣に並ぶ。
白い毛並みを撫でたら落ち着いた。
烏の攻撃は今のところ脳に刺さる鳴き声以外は使っていない。おそらく他にも攻撃方法があるだろうが、今のところそれを見せる気はなさそうだし、来たら来たでその時対応するしかない。
巨大な神徒の周囲を取り囲むように、群れを成して円を描き飛び回るのは眷属の白烏。群れは数個に別れており、近づくものや攻撃対象があれば塊で突っ込んでいく。
先ほどアギが炎で焼いたのはこの一個小隊のようだ。
あたしにはそれほどの攻撃力はないし、数を減らしてもまた復活する可能性の方が高い。
つまり、この群れをうまくかわしながら本体に接近、何らかの方法でこの場所を移動しなければ、と思わせなければならない。
考えろ。
いつだってアギとガーシャが、父が、そうしてきたように。
ガーシャとカルラ様の知る唯一の烏の弱点は、夜に一度活動を止める事だ。ただ、攻撃すれば起きて反撃してくるので放っておくのが一番だ。
原因が何かは分からないが、これまでの神徒と同じように形を模した生物と似た性質を持つのだとしたら、夜はあまり動けないのだろう。
だとすれば、烏の苦手なものは――
太陽を見上げ、位置を確認する。
夕方までは少し時間があるから大丈夫だろう。
「行こう、テラス」
賢い白狼はわん、と鳴いてあたしに続いて空へと駆け上がった。




