神都へ(2)
さて、割と自由に動き回ってはいるものの、ガーシャは翠都の宗主なので翠都へ戻らなくてはいけない。今回はあたしも一緒に翠都へ行く事になった。
影移動の朱印の確認も兼ねて、固定化された朱印に二人で飛び込んだ。
翠都の影移動の朱印は、関所から一番近い千年杉の洞の中に設置されていた。
洞で調整をしていた神都の研究者たちといくらか話してから外に出ると、息が白くなった。
神都より春が来るのが遅い翠都はまだ其処彼処に雪を残していた。すでに夕方になっているから大山脈の真ん中の盆地はかなり冷える。
ちょうど一年前、あたしが『白』の境界に落ちたくらいの季節だな。
胸いっぱいに森林の匂いを吸い込んで深呼吸すると、すっとする杉の匂いが心を落ち着けてくれた。ここはまるで奥の山の集落のようだからとても落ち着くのだ。ガーシャがこの都の出身で、またこの都の宗主になる事を選んだ理由は少し分かるような気がした。
もちろん、最も宗主の座を手に入れやすい場所だったというのもあるだろうが。
そう言えば、初めてガーシャに好きだと言ったのもここだったな。
ガーシャに手を引かれて関所へ向かって歩く。
実は、翠都へ帰ってくるのはあの時以来なのだ。
本当は少し怖い。
あの日のように無言で糾弾されてしまうんじゃないかって。
ガーシャはあたしの手を握った。
「大丈夫だよ、ナユちゃん。ここはもう、前の翠都とは違う場所だから」
ふと関所を見ると、夕方なのにたくさんの人が並んでいた。あれだけ閑散としていた翠都の関所は見る影もなく、他の都からたくさんの人が流入してきているようだ。
関所の人がガーシャを見つけて手を振った。
「ガーシャ様! お帰りなさい!」
「うん、ただいま。ゾクチェンさんはいる?」
「今ならお社の方にいらっしゃると思いますよ」
「ありがとう」
そしてガーシャと一緒に関所を通り過ぎるあたしにもにこりと笑いかけてくれた。
「お帰りなさい、ナユタ様。ずっと、ずっとお帰りをお待ちしておりました」
あの時のような戸惑いはなく、自然に迎え入れてくれた。
関所を過ぎると、大きな大きな千年杉があたしを迎え入れてくれる。
まるで紅都の夜のように、空に浮かぶ新緑色の光玉が夜の千年杉を照らし出していた。七都会議でも使用した空気を暖めるような絡繰も導入したのか、都の中は外よりも温かい。
今まで以上に壮大な景色に圧倒されていると、小さな子供たちが駆け寄ってきた。
「ガーシャ様、お帰りなさい!」
「ただいま」
あたしたちがここに滞在していた時に懐いていた子どもらだ。
みんな少し背が伸びただろうか。
小柄なあたしはもう少ししたら身長も追い抜かれてしまいそうだ。
「ナユタだ」
「帰ってきたの!」
嬉しそうにあたしにも飛びついてきた。
「……あたしの事、覚えててくれたの」
「覚えてるよ!」
「お母さんが、ナユタはもう帰って来ないかもって言ってたから心配してた」
しゃがんで子供たちを両手で抱き止めて。
「ありがとう」
何か月もここで過ごしてお世話になったのに、あんな最後で去って行ってしまったから。
他の都での別れが盛大だったからこそ余計に心の中にしこりを残してしまっていたのだ。
ガーシャは一番小さい男の子を抱っこしながら言う。
「ナユちゃんは今度からオレと一緒にいるから、大丈夫だよ」
「えー! じゃあ翠都にいるってこと!」
「まあ、オレみたいにいない時間も多いと思うけどね」
騒いでいたら皆が集まってきてしまった。
「ナユタ、帰ってきてくれたのか」
ずっと泊まっていた宿のおかみさんが、お世話になっていた食堂の親父さんが、千年杉の加工場の人が、猟師のカンジさんが。
懐かしい顔が揃って出迎えてくれた。
おかみさんが最初にあたしの手を握ってくれた。
「ああ……ずっと謝りたかったんだ。よく分からない話をすぐに信じてお前を追い出してしまった事。あの行動は間違いだったと、ずっと悔いていた」
「でも、あれは事実だったよ。今も変わらない現実だ」
神徒を呼ぶ体質なのは何も変わっていない。ただ、ガーシャと一緒にいる時だけは抑制してもらえるだけだ。
「それでも、私たちがお前を追い出してしまった。少し考えれば、お前に悪意があるはずないと分かるはずだったのに。ごめんな。よく帰ってきてくれた」
心のどこかに温かい火が灯る。
こうして色んな人の心に触れて、だからあたしはまた人の為に尽くすのだろう。
「もう一度あたしを受け入れてくれてありがとう」
しばらく見守っていたガーシャが、あたしの手を引いた。
「これからはいつでも来られるでしょう。だってキミはオレの奥さんなんだから」
「えー!」
子供たちが真っ先に大声を上げた。
大人たちも騒めいた。
急にみんなの前で宣言するものだから、あたしも困惑してしまった。自分の顔が真っ赤になったのが分かる。
「祝言は……まあ全部終わってから考えようか。新居も考えなきゃなあ……」
「よし、それなら任せろ!」
杉大工の親方が我先にと手を挙げた。
勢いがよすぎてガーシャも苦笑した。
「後で相談するよ。ありがとう」
猟師のカンジさんが、ガーシャの肩に手を置きながら笑う。
「一年前まで過保護の兄だと思われてたくせに」
「うるさいよ、カンジ。お前なんて相手にもされてなかっただろ」
肩の手を振り払いながら。
「お前とアギが二人そろってナユタに言い寄る男を全員叩き落としてただけだろ」
そうだね、あの頃は本当に二人とも過保護だったもんね。
ふふふ、と笑うとカンジさんが笑い事じゃねえよ? と真剣な顔をした。
「お前は気づいてないかもしれねえが、こいつの執着はほんっっっとーにやばいから」
「ちょっと黙っててくれる?」
にこにこ笑ったガーシャがカンジさんを排除した。
相変わらずどこへ行っても仲良しがいるなあ。
たくさんの人に祝福されながらお社へ向かって歩いていたらなんだかとても楽しくなってきた。
きっとあたしは翠都のことも大好きになるだろう。
鼻歌交じりに歩いていると、ガーシャが笑っていた。ご機嫌だね、って。
「もしかして、あたし、宗主の奥さんになっちゃうの?」
「そうだよ」
全く想像していなかった。
あたしにとってガーシャはガーシャで、それに付随する肩書きなんて全部どうでもよかったから。
でもきっとこれからはそうもいかない時がやってくるんだろう。
「神都や蒼都や菫都なら大変だろうけど、翠都は規模も小さいし、そもそもナユちゃんはアリヤシャさんのお陰で礼儀作法は一通り身につけたって聞いてるけど?」
「あんなの一瞬で忘れちゃったよ……」
ガーシャがあはは、と笑う。
「深く考えなくて大丈夫だよ」
ただ隣にいてくれればいいと繰り返すけれど、あたしを迎えるために宗主になってくれたガーシャの隣にいる為にはあたしだってそれなりに頑張らなくてはいけない。
ガーシャに相応しくないと言われたくはないのだ。
そうして歩いていると、向こうから小さな男の子が駆けてきた。
「ガーシャさん! お帰りなさい!」
金髪金目。
ガーシャと同じ配色の可愛らしい男の子は、以前翠都の外で会ったことがある。
そう言えばアリ様が、新緑の民を翠都に帰還させて――って言っていた気がする。
「ただいま、リョウタ。お父さんいる?」
「いま、都の外に出てます。お母さんならいますけど」
「じゃあ後で行くね。お父さんが帰ってきたら教えて」
はあい、とお返事をしたリョウタくんは、あたしにぺこりとお辞儀をしてまた駆けていった。
「リョウタくんたちも都にいるの?」
「そうだよ。今回の準備もものすごーく手伝ってもらってるからね」
ものすごーく。
そう言えば、治癒の朱印の固定化をするのと、各都に医師薬師を配置するのと、新緑の民自身を派遣するのと。ガーシャはその辺りを管理してた気がする。
あたしはその間何をしてたかって?
延々と古銭稼ぎをしてました!
仕方ない。古銭動原の絡繰を大量に動かすのだ。古銭はいくらあっても足りない。
ついでに付近の神徒狩りの訓練も兼ねて、父と兄とメイカ様や時にガルトさんたちが交代で付き合ってくれて、ずっと神徒狩りに明け暮れていた。ガーシャも息抜きに来ている事もあったけれど、他が忙しくて構ってもらえなかった。
たまに他の都へ出張したりもしたが、基本的には神都付近にいたから神都と紅都の神徒狩りの戦力はかなり増強されたはずだ。何しろ父も兄もメイカ様も厳しい。自分が出来るからって最終的に同じ水準を人に求めるのはどうかと思います。
それなのに、菫都だけでなく、神都でも猩々緋色の衣が流行っているそうですよ。皆もうちょっと考えるべきだと思うよ。
きちんとお社にお参りしたら、翠都の神徒狩りとすれ違った――彼らがあたしの姿を見て青ざめているのは何故ですか。
ガーシャの方を見たけれど、彼は知らんぷりしていた。
絶対何かしてると思うんだよなあ。
リーリャさんの姿もまだ見てないし。
けど、メイカ様曰く、そういうのはあたしに見せたくない姿でもあるらしいから、深く追求しないでおこう。
「せっかく翠都まで来たし、ついでに古銭稼ぎしようか?」
「そうだねえ。明日少しだけお願いしようかな」
予告通り次の日、神徒狩りを集めてたくさんの神徒を狩らせた。
一年前にメイカ様とアギが鍛えていたので大型神徒相手にも善戦している。数人でかかれば倒せる程度の連携が出来るようになっていた。素晴らしい。
最初に翠都に来た時の腑抜けぶりから考えると目を見張るような進歩だ。
とはいえ、父の計画に翠都の神徒狩りは入っていなかったな。
「翠都の神徒狩りは数が少ないから、新緑の民の護衛に就くことになってるんだよ」
なるほど。
人材は余すところなく使う計画になっているようだ。
どんどん神徒を――古銭を生み出すためにその辺りを飛び回り、大量に大型神徒を生み出していく。
それを見て皆、悲鳴を上げた。
「まだまだだよ、動けるうちは狩り続けて」
ガーシャが非情な檄を飛ばす。
どうやらよく訓練されているようで、ガーシャの言葉で疲れ果てた神徒狩りも泣き顔をしながら再び武器を構えた。
大変そうだなあ。
とはいえ、倒し切れない分はガーシャが糸で縛り上げて古銭に変えているし、各組が二体以上と対峙しないように糸で縛り上げて動きを止めたりもしている。
器用だなあ。
湧き過ぎた神徒の額を光線で貫きながら、全体の様子を確認している幼馴染をじっと見た。
うん、よけいな事を考えながら倒せるようになったあたしも十分に強くなっている。
けどこれ以上続けると皆の心が折れてしまいそう。
そろそろやめませんか、とガーシャに目で訴えたが、嫌そうに目を細めた。
全くもう。
仕方ないので継続しようか、と思った矢先。
足元を黒い鼠が走り抜けた。
「ひえっ」
今は味方だと分かっていたも、これまで何度も嫌な思いをした記憶が先行して悲鳴を上げてしまった。
が、突然、黒い鼠からアケラ様の声がした。
――神徒が現れた。すぐに神都へ戻れ
簡潔な言葉で、全員の空気が変わる。
ガーシャはあたしの胸元の朱印に糸を巻き付けると残っていた神徒を瞬間的に一掃した。
「ミラレパ、古銭を集めてから戻って。他は全員すぐ翠都に戻って準備、決めてあった組の人員が揃ったら神都へ順に移動して欲しい。出口がかなり神徒に近いから移動前にルドラに一声かけて。オレは先に神都へ戻る」
そしてあたしの手を引いて駆け出した。
「……予想より早い。けど、ぎりぎりで予定してた準備は終わってるから、すぐにカルラとラクシャさんが動いてくれるはずだ」
翠都には戻らず、そのまま千年杉の洞に飛び込んだ。
通達はここにも来ていたのだろう、研究員の人がすぐに朱印を起動してくれた。
あたしたちは何も考えずにそのまま黒の影に飛び込んだ。
影を飛び出した瞬間、耳を劈くような烏の鳴き声がびりびりと大気を震わせた。
あまりの衝撃に耳を塞いで動きを止めてしまったら、ガーシャがあたしを抱いて飛んだ。
真っ白な烏が低空飛行でこちらに嘴を向け高速で突っ込んでくる。
「もう眷属が湧いてるのか」
新緑の糸で烏を縛り上げながら空へと逃げるが、そこは烏たちの独壇場だ。
声の余波でまだ頭がずきんずきんと痛む。
まるで声以上の何かで攻撃されているかのようだ。
「大丈夫? ナユちゃん」
頭痛に耐えながら目を開けたあたしは、不知森に降臨した神徒の姿を見た。




