烏退治(1)
あたしとテラスは光玉を蹴って烏の方へ向かい、まずは攻撃の意識をこちらに向けさせる。
眷属たちの動きは速いが黄都の猫の神徒ほどではないし、数は多いが狐の尾ほどではないし、毒も雷も炎もない。捕まればあの嘴に突かれて危ういだろうが、避けられない速さではなく、本気になればこちらの方が早い。
烏が大きく鳴き声を上げるが、耳に水を詰めていたおかげで耐えられた。
ありがとう、アケラ様。
数十羽に及ぶ白烏の小隊を、巨大な烏の周囲から誘い出し、そのまま森の中を駆け抜けた。
あたしとテラスがばらばらに、出来るだけ細い隙間や枝の間を通り抜けていくと、勢いに任せて突っ込んできた眷属は木の幹や葉の中に激突して勝手に数を減らしていく。
何度かそんな事を繰り返すうちに本体を守る眷属の数は少しずつ減っていく。
そして、減った眷属の群れの隙間を縫うようにして烏本体に近づいて。
太陽と烏が一直線に並ぶ場所に到達したあたしは、大きく水の光玉を広げた。
遠くを見る時にするように、真ん中を膨らませた凸構造の水の大鏡。
大きなその水鏡は西に傾いた太陽の光を一点に収束させ、烏の顔を焼いた。
ギャアアアアア、と今までで一番大きな声が烏から放たれた。
耳栓をしていてよかった。この距離で直に受けていたら気絶していたかもしれない。
自分を焼いたのが目の前の小さな人間だと認識すると、烏は翼を広げる。大きな翼は太陽のように眩い光を放ったが、その中にぎょろぎょろと深紅の目玉が蠢いていた。
よし、こちらを見た。
あとは日暮れまで逃げきればいい。
大丈夫、子供の頃から鬼ごっこは得意なのだ。かくれんぼは下手だけど――あたしの考えを先読みする幼馴染がいたせいで。
大きな翼をゆっくりと上下させ、真っ白に発光する神徒がふわりと飛びあがった。
翼の動きだけで周囲の森が吹き飛びそうなくらいの風が吹き荒れた。
体勢を崩されることだけは避けたが、この風の中移動速度は落ちてしまう。
けれども。
父の言いつけ通りに神徒本体を不知森から動かすことにはまず成功した。
後はどれだけ遠くまで運べるか。
何しろ神都と隣接する紅都にはこの後、鯰の神徒が現れるのだ。2体が同じ場所にいた場合、おそらく2倍以上の苦戦が見込まれる。
災害級の雷地震を起こす神徒と、決して倒せない神徒。並んで相手にするにはあまりに危険すぎる。
「おにさん、こちら」
手のなる方へ。
ひい、ふう、みい……とゆっくり数えて敵を引きつけ。
テラスと共に空を駆けだした。
最初に追ってくるのは眷属の烏たち。
なるべく目立つように水の光玉をたくさん出してきらきらと太陽の光を反射させ、烏の気を引く。
もともと烏は急に光る眩しい物体を嫌う性質があるから、きっとこの烏にも効くと思ったのだ。予想通り効果覿面のようだ。
後ろから追ってくる眷属から逃げつつ、横から突っ込んできた別小隊を避ける。
けれど、広がって飛んでくる眷属の白烏は数が多くよけきれない。
無意識に腰の短刀を抜いた。
成人祝いにガオウじいちゃんがくれた赤都謹製の短刀だ。
鞘から抜いただけで炎の線が迸る。
待って、これ朱印武器だ!
自分たちの分を用意するのでさえ忙しかったはずなのに、あたしたちの分まで用意してくれてたなんて。じいちゃんたちの頑張りに感謝しつつ、短刀を振った。
炎は赤都の毘沙門天様の加護だ。
美しい乱れ刃の短刀は、少し神徒を掠めただけでまるごと炎に包み込んだ――これはとんでもない力が付与された武器なのでは。
短刀の性能に気を取られた一瞬に別の烏が飛び込んでくる。
横を走っていたテラスが鋭い爪でそれを裂いた。
「ありがとう、テラス」
続けざま飛び込んできた烏を数体同時に屠りながら、テラスと別方向に飛び出していった。
翼が動くたびに風向きが変わり、渦巻くような気流に翻弄されそうになる。
その時巨大な烏の神徒が急に地面に向かって降りていった。
まるで体を休めるかのように翼を折りたたみ、神都から伸びる街道の真上に陣取ったのだ。
もしかしてあたしたちの意図に気づいて移動を止めてしまった?
一瞬不安が駆け抜ける。
が、神徒の烏は周囲を飛び回っていた眷属をすべて身内に吸収すると、一度翼をたたんで丸く座り込んだ。完全に休息状態のようだ。
どういう事だろう。
日暮れまでにはまだ時間があるというのに。
と、足を止めたあたしとテラスの下に、黒い鼠が駆け込んできた。
―― 鷺の神徒が討伐された!
カルラ様の声で告げられた事実に、思わず拳を握り締めた。
ありがとう、ゴクジョウ師匠!
やっぱり心配いらなかったね。
―― 蒼都には先ほど蟹が出現、現在戦闘中だ
蒼都の蟹と言われ、亜麻色の髪を思い浮かべた。
メイカ様。頑張って。
あたしよりずっと強い姉に祈りは不要かもしれないけれど。
―― 赤都は桜島が噴火した ほどなく狐の神徒の出現が予想される
その時、うずくまっていた烏の神徒に変化が現れた。
下向きにうなだれていた首がぐぐぐ、と持ち上げられ、ゆらーりゆらりと左右に振れる。
「何が起きてるの?」
ゆわん、ゆらんと横に振られていた首が、ぐるんと一周、旋回した時。
なんと、頭がばらりと三つに増えた。
「なっ……!」
三つの首が揃って雄たけびを上げる。
耳を水の光玉で塞いでも防ぎきれない声が脳天を直撃した。
テラスも痛手を受けたようで、突っ張った前足が震えている。耳のいい狼にこの攻撃は堪えるだろう。
大きく翼を広げると、内側の目玉が一斉に開いて、ぎょろぎょろ動いた後、ぴたりとすべてがあたしの方を見た。
ぞわ、と背筋が凍る。
次の瞬間、考えるより先にその場を跳んでいた。
凄まじい音がして地面が抉れる。
烏の甲高い声が、音の砲撃として地面を吹っ飛ばしたのだ。
冗談じゃない。
あんなもの喰らったら一撃で動けなくなってしまう。
よろよろ、と立ち上がったテラスと共に、地表近くを光玉で駆けた。
いったい何が起きているか分からないけれど、とにかく予定通り烏の神徒を都から遠ざけるのが先決だ。
あの大きさの神徒の身体を休められるとしたら、宮戸川の河川敷くらいしか思いつかない。
赤都や翠都へ向かう街道の途中にあり、街道交通の起点ともいえる永代橋もかかっているから破壊されたりするとよくはないのだけれど、紅都側の六郷川に鯰が出るのであればそこから遠くへ引き離したい。
何より、こんな状況で細かい被害まで考えていられない。
声の砲撃を避けながらとにかく逃げ続ける。
どういう理屈か、代わりに眷属の白烏が残らず消えているのでさほどの難はないが、とにかく声をあげる度に頭の中身を揺さぶられているような感覚に陥る。
頭が割れるように痛い。
烏を倒すにはこれを封じるか、攻撃の前に首を落とすしかないだろう。
首は先ほど3つに増えてしまったが。
平衡感覚を崩されながらも何とか宮戸川までたどり着いた時、太陽はすでに水平線にかかろうとするところだった――今が春分でよかった。夏至だったらさらに長い間逃げ続けなければならなかったから。
すると、大気を攪拌しながら迫ってくる烏が、再び地面に降り立った。
翼を折りたたみ、3つの頭を地面に垂れるようにして草原の中に座り込む。
また進化するのだろうか。
宮戸川の河岸でテラスと並び、息を整える。
頭の中でずっと大きな鐘が鳴り響いているかのようだ。
耳がおかしい。
平衡感覚もおかしいので何度か光玉から足を滑らせそうになった。
それでも、真っ赤な夕陽の中、真っ白に発光する烏の神徒を睨みつけた。
最初に震えたのは翼だ。
体を覆う二枚の翼がぶるぶると震えはじめ、止められないほどに大きく動いた瞬間、突風が吹き荒れた。
風に耐えられず両腕で顔を覆う。
テラスがあたしを守るように一歩前に進み出た。
再び烏から耳を劈くような威嚇の声が放たれた。
びりびりと大気を大きく揺らすその波をやり過ごして烏を見て、絶句した。
武陽城を背景に降臨していたのは、数十枚の翼をまるで輪のように広げた真っ白な神の使いの姿だった。
もともとあった大きな翼2枚はたっぷりとした羽を蓄えているが、他の翼は背中から直接生えたような形で、全体的に細っているように見える。けれど、メイカ様の光転剣のように円環を成す翼は、先ほどよりずっと太陽に近い姿に見えた。
内側の目玉がぎょろぎょろとあたしを探している。
はっとして光玉を巨大化させて光を反射させた。
三つの首と、すべての翼が宮戸川の方向に向けられた。
太陽は半分ほど水平線にかかっている。
円環を成す翼が、ぶわりと膨れ上がった。
何か来る。
考えるより先に、空へと跳んだ。
地面に突き刺さったのは、一本一本があたしの腕ほどある大きな白い羽根だ。
飛び上がったあたしに、音の砲撃が飛んでくる。
空中で身動きが取れず、平衡感覚も狂って、音の衝撃をまともに喰らってしまった。
全身をはじけ飛ぶような痛みが貫く。
痛みに耐えて体勢を整えようと思ったが、平衡感覚が崩されていて気づいたら体の上下が逆になっていた。
わおーん、とテラスの遠吠えが響いた。
頭から地面に着地する衝撃を覚悟したが――
想像した衝撃はなく、代わりに優しい感覚に包まれた。
「よく頑張ったな、ナユタ」
優しい父の声がした。
猩々緋色の衣が翻る。
「日没――お前の勝ちだ」
目の前で、太陽が水平線に落ちるのを見た。
烏の神徒はすべての翼を折りたたみ、また地面に伏せ、神々しいまでの光を放ちながらも眠りについて行った。
父と共に武陽城の天守閣へ戻ると、そこは変わらず戦場より戦場のようだった。
あちこちから声が飛び交い、情報交換している。
アラージャさんから連携される情報をサイショウさんとルドラ様が各地へ伝えていく。
ルドラ様とは接触禁止なのだが、今そんな場合ではなさそうだ。彼女もあたしの存在に気づいているはずだが、無視して自らの仕事を続けていた。
サイショウさんと話していたカシギがこちらに気づいて軽く手を挙げた。
「おかえりラクシャ。ナユタちゃん一人でも大丈夫だったろう?」
「ああ、たった一人であの神徒を相手どって神都から遠ざけて……本当によくやった。他の戦力をかなり温存できた。ただ――明日はわからんな。おそらく、ガーシャの予想が当たっている」
「今、討伐されたのは蒼都の鷺と蟹だ。狐と亀はすでに出現済み、猫は樹海の中にいるかもしれないが未確認、鯰は今のところまだだね」
「鷺が倒されて頭が3つに増えた。蟹が倒されて翼が増えた。おそらくだが、他の神徒も倒すごとにあの神徒は強くなる」
父が言い切った。
「カルラ! アケラ! ちょっと来い!」
神都の宗主と前宗主を呼び捨てで呼びつけた父は、烏について軽く報告した。
そのままカシギも連れて、明日からの討伐予定を組み始めたようだ。
計画は父や他の人たちに任せよう。
烏の音の波動を何度も何度もくらっていたあたしは、そのまま壁に寄り掛かって気絶するように意識を手放した。
はっと起きた時にはまだ外が暗かった。
よかった。日の出前には再び烏のところへ向かいたかったのだ。
気づいたら隣にメイカ様が寄り添っていて、あたしたちを包むように大きな上着がかけられていた。
「起きたか、ナユタ。メイカも起きたら一緒に烏のところへ行け。ただ、鯰が出たらアケラを使いにやるからメイカを紅都へ戻してくれ」
……また神都の偉い人を顎で使って。
「他の都は?」
「猫はまだ見ていない。鯰もだ。亀は苦労しているようだがアギがいれば最終的には何とかなるだろう。それよりやはり赤都の被害がひどい。鯰相手にするために残していた神都の人員をそっちに回す。代わりにメイカを鯰対策に残すのと、アリヤシャに働いてもらう」
人使いの荒い父だ。
ちょうどメイカ様も起きたので、日の出を待たずに二人で宮戸川の河岸へと向かった。




