成人(3)
並んで広場に戻ったらすぐにアリ様に捕まった。
こっちこいこっちこいと呼ばれてひょこひょこ近寄っていったら、アリ様はすごく遠い目をしてガーシャを隣に座らせた。
「あのな、ようやくラクシャに許されて嬉しいのは分かるがさすがに浮かれすぎだ」
着物の袖でガーシャの口のあたりを拭いてあげていた。
「お前は化粧を直しておけ。成人したら化粧する機会も増えるだろうから気にしなさい」
アリ様が紅を渡してきてようやく意味を理解し、軽く唇に紅を乗せ直した。
相変わらず保護者だなあ。
「改めて成人おめでとう。俺もこれで養父としての仕事は終わりだな。それから、晴れて婚約おめでとう」
ありがとう、と言いながらガーシャはアリ様に酒を注いだ。この光景をとてもよく見ている気がする。
「不思議だね、アリヤシャさんはおそらくナユちゃんの事が大好きだと思うんだけど、そこまで嫌じゃないんだ」
「それは俺がお前の味方で、かつナユタ嬢の保護者に徹してるからだろうな。アギやラクシャと同じ感覚なんだろう。あとは――」
アリ様はガーシャの耳元にひそひそ、と何かを呟いた。
それを聞いたガーシャは、ああー……と納得して、何も言わずに言葉を飲み込んだ。
いったい何?
「だから、一回だけ許してくれるか? 俺にとってもナユタ嬢は娘みたいなものなんだ」
その問いには答えず、ガーシャは肩を竦めた。
アリ様はおいでおいで、とあたしを呼ぶ。
なんだろう、と寄っていくと、いつも父がするようにあたしを膝に乗せた。父より細いし背も低いからだいぶはみ出しちゃってるけど。
病気を心配したくなるほど細い手であたしを抱いて、頭を撫でた。
「ラクシャがやるみたいに、娘を愛でてみたかったんだ。いつも幼馴染が――いや、旦那が見張ってるから無理だったが」
後ろからぎゅっと抱きしめられたら、ふわりと知っている香料の匂いがした。紅都の望楼の最上階で焚いていた香炉の匂いだ。
どこか懐かしい香りに落ち着いていると、アリ様は優しい声で呟いた。
「何があっても、遠くへ行っても、俺はお前を助けてあげよう。そうだなぁ、ラクシャとアギの次くらいには俺の事を思い出してくれると嬉しい」
それはもうほとんど家族だよ。
あたしが笑ったら、紅都のお医者さんも笑いながらこっちを見ていた。
「ナユタ、君に会ってからのアリは本当に楽しそうだ。これからも適度に振り回してやって欲しい」
「うん、大丈夫。アリ様にはあたし、容赦しないから」
紅都にはもう一人、あたしの父がいるのです。
「容赦はしろよ? というか保護者だと思うのなら敬え」
アリ様はあたしを膝から下ろして、細長い箱を渡した。
「成人祝いだ。あの着物には負けるかもしれないが、持っておけ」
箱を開けると、美しい紅色の紐の根付が入っていた。
香木を削り出したようで、ほんわりと甘みのある上品な香りがした。
「いいにおい」
「縁起のいい香木だ、きっとお前を守ってくれる」
「ありがとう! 大事にするね」
箱の中に戻したけれど、これもまたきっとかなり高価なものだろう事は容易に察しがついた。
みんなほいほい高価な贈り物をするのをやめて欲しい。嬉しいけど、困る。
「ねえ、急がないんだけどさ、荷物置いておくだけの倉庫みたいのが欲しいんだ。アリ様にも作るの手伝って欲しいな」
「何の話だよ。もう少し分かるように話しなさい」
普通に怒られた。
あたしの代わりにガーシャが簡単に説明して、なるほどなあと納得させられていた。
「確かに必要かもしれないな。今回来てみて分かったが、お前たちは本当に、何と言うか、山の中に住んでたんだな」
「着物も小物も、とてもこんなところに置いておけないんだよ」
「あーあの着物な……うん、本当に、遠目に見てもやばかったな。お前ら菫都で何しでかしたんだ?」
あれはアリ様の目から見てもやはり破格のモノらしい。
他の都からの贈り物もすごかったんだけど、あの着物だけは本当に怖い。特にメイカ様のものはおそらく大陸全土を探してもあれ以上の品は二つとないような高級品だろうと思う。
いったんは蒼都で預かっていただこうと思うが、その後どうするか考えなければいけない。
戦う意外にもやるべき事がたくさんあるようだ。
その時、向こうからメイカ様の声がした。
立ち上がって会場を見渡すと、メイカ様が帰ろうとするゴクジョウ師匠を引き留めている。言い争っている声が聞こえたようだ。
逃がすわけにはいかない。
ガーシャと一瞬視線をかわし、一息で跳んだ。
「師匠―!」
「お前ら重いんだよ、急に飛びつくな!」
重いと言いつつあたしとガーシャが一度に飛びついても師匠はびくともしなかった。
流石。
けど鬱陶しかったようでぺいぺいっと跳ね除けられてしまった。
あたしは徒手では全く相手にならない。
ガーシャはくるりと体勢を変えて再び師匠に飛び掛かっていった。
そしてこちらの様子に気づいたアギも赤都の集団から抜けてきて、師匠を掴もうと手を伸ばす。
が、師匠はその手を払い、ついでに投げようとしたが、アギもそう簡単に投げられない。重心移動で投げを交わすと、そのまま三人で取っ組み合いの組手を開始してしまった。
体格のいい男性が何人も集まって転げまわってると迫力あるな。
「よくやるよ……」
メイカ様も呆れ返っている。
周囲には酔っ払いしかいないので煽ってはやし立てているばかりだ。
と、そこへ父がやってきてアギとガーシャの手を同時に掴んだ。あの速度の攻撃を掴むの。怖い。しかも父はあんまり深い呼吸を出来ないわけだから、自然な呼吸でこれをやってのけているという事だ。
「よお、ゴクジョウ。元気にしてたか」
「げっ」
あからさまに嫌そうな顔をした師匠は、そのまま逃げようとしたが父に羽交い絞めにされて阻止された。
「息子と娘がかなり世話になったらしいな」
「勘弁してください、ラクシャさん……悪い事はしてないし、教えてないはず……」
「何怯えてんだよ。普通に礼を言おうと思ってたんだから逃げるなよ」
そこへテラスが飛び込んできて、諦めた師匠は逃げるのをやめた。
「まさか息子らがお前の弟子になるとは思ってもみなかったな」
「……ただの成り行きですよ」
師匠にどれだけお世話になったかは父にはたくさん話してある。そしてあたしたちがどれだけ師匠を慕っていたかも伝わっているはずだ。
ふさふさの尻尾を振りながら父の膝に乗り上げたテラスが背中を撫でられている。
この場所が一番くつろげるらしい。
「一番感謝してるのは、ナユタに多少なりとも武術を齧らせておいてくれた事だ。それがなければ、俺は娘をこの手で殺してしまっていたかもしれんからな」
「は? 何言ってんですか、ラクシャさん」
本当に意味が分からない、という顔をした師匠に、あたしたちはかわるがわる当時の事を話した。
話を聞いている途中から師匠は頭を抱えてしまった。
こうして考えると、あたしはガーシャがいなければ少なくとも2回は死んでいたことになる。
「まあ、要約するとお前がナユタに戦い方を叩き込んでくれていたおかげで即死を免れたわけだ」
「……生きててよかった、全員。本当に……っ」
どうにかして絞り出した言葉がすべてだろう。
「最初にお前らを蒼都まで連れだした時も相当なもんだったが、その後も大変だったんだな」
「いや、旅路はその時が一番ひどかった」
「うん。師匠がいなかったら諦めてたと思う」
「本当にね。今考えてもよく無事だったなあと思うよ」
あたしたちがそろって笑うと、師匠は大きくため息をついた。
その様子を見て、父も笑う。
「本当にこいつらに懐かれてんな、ゴクジョウ」
「勘弁してくださいよ……ただでさえこいつの未来視とやらに巻き込まれて去年の暮れから大変な目に遭ってんのに」
「それは師匠だけじゃなくて全員だよ」
「疑うつもりはないし最善を尽くすつもりだが、愚痴くらいは言わせてくれよ」
蒼都の神徒狩りの長であるゴクジョウ師匠も今回の大きな計画に組み込まれている。
鷺と蟹の神徒を討伐している師匠を遊ばせておく余裕は何処にもないのだ。しかも蒼都付近の神徒狩りに神格化されており、束ねるのも容易い。そして面倒見もよい。
なんだかんだ言いながらあたしたちを最大限助けてくれるのは知っているし、思っている以上の成果を出してくれるだろう事も分かっている。
だからあたしたちは師匠が大好きだ。
問答無用で信頼できる相手がいるのは本当に幸運な事なのだ。
人だかりができているところがあって、覗いてみたらアラージャさんがものすごい勢いで絵を量産していた。
あたしたちの姿も、集落の景色も、それから大切な人たちの姿も。
「アラージャさん」
声をかけると、すぐにあたしたちに気づいてにこりと笑った。
新しい紙を出して、成人おめでとう、と書いた。
「ありがとう!」
描きたい景色がたくさんある。幸せな景色を残しておきたいと。
ずっと描き続けているようだ。
隣でそれをじっと見ていたカラハも、よ、と手を挙げてあたしたちを迎え入れた。
「とうとうお前さんたちも成人か……それぞれ夫婦になるとは。感慨深いもんだなあ」
そんなに年変わらないのに、まるで大人みたいなことを言って。
カラハは最初からずっとそうだった。あまり詳しい話を聞いたことはないが、きっと弟か妹か、それかどちらもいたのだろう。少し年下のあたしたちを見守って、世話を焼いてくれるのがあまりに自然すぎたから。
「俺はお前たち少年少女が青春してる頃から見てたからな!」
テラスがとことこやってきて、カラハの隣に座る。
「久しぶりだな、テラス。元気だったか?」
答えるように頬を舐めたテラス。
新しい煙草を燻らせながら、カラハは横に座ったテラスの背を撫でてあげていた。相変わらず仲良しだな。
「翠都の後、紅都と黄都の神徒も討伐したって聞いたが、相変わらず無茶ばっかりしてやがるな」
カラハはアギの背中を叩いた。
一緒に長い旅をして、面倒見がよくて強くて、アギに最初に剣術を教えてくれて。彼は最初からずっとアギの兄貴分だった。
「他も、大将からそれなりに話は聞いてる。七都の長を全員集めたんだって? しかもお前自身が翠都の宗主の座を乗っ取った? ふざけてるよなああ」
ガーシャの頭をぐりぐり撫でながら。
そして、カラハはふっと表情を変えた。
「それから――菫都の事も聞いている。あと何年早けりゃ、という気持ちがない事もないが、今後は俺みたいに失う人間はずっと減るだろう」
カラハはそう言って、細く煙を吐いた。
彼の複雑な胸中は分からない。
なんと返していいか分からずにいると、カラハはぽん、とあたしの頭に手を乗せた。
「そんな顔するな。いい方向に向かってんだからよ。お前らはお前ら自身の事だけ心配してろ。聞いてるぞ、これから大変な事が起きるって」
「……うん」
サイショウさんを通じてカラハにもまたこの後の事が伝えられているはずだ。
彼自身も、滅びを回避する為の歯車の一つにすでに数えられているのだから。
日が傾いてまだ寒さの残る時期、カラハはテラスに抱き着いて暖を取っている。
そう言えば、カラハはテラスがあたしの母親だって知ってるんだっけ? なんとなく浮気現場を目撃しているような後ろめたい気分になる。
「あのね、カラハ。テラスの事なんだけどさ」
一応伝えておいた方がいいだろう。
あたしはテラスの出自を教えてあげた。最初はよく分からんと言った反応だったが、最後にはぽかんとしていた。
「テラスは狼じゃなかったって事か……」
「どちらかというと、成人の娘持ちの人妻という事になるね」
その単語でカラハはテラスから手を離して、地面に突っ伏した。
テラスはそれを見て慰めるように寄り添った。
こうして見ると浮気と言うよりはあたしたちと同じように幼い子の面倒を見るお母さんに見えてきた。浮気ではなさそうだね。年上だけど、テラスから見ればまだまだ子供なのだろう。
カラハは地面に突っ伏して絶望していた。
「テラスだけは俺の癒しだったのに……俺の性癖をどうしようとしてくれてんだよ勘弁してくれよ」
たくさん食べて、飲んで、話して。
ちょっと疲れたのでメイカ様と二人でお社の方まで戻ってきたら、同じ事を考えていたのかガーシャとアギもいた。
すでに暗くなっているが、ガーシャが新緑色の光玉を出してお社がぼんやりと浮かび上がっている。
「また一緒なのかよ。仲いいな」
「こっちの台詞だよ」
大人になっても変わらないな。
と思ったけど、父とクチバさんとかカシギとか、アリ様とお医者さんとか、大人になっても友達同士は仲いいな。年をとっても幼い頃からの関係はそんなに変わらないのだろう。
と思っていたら、鳥居の方から人影が現れた。
「おや、先客がいらっしゃいましたか」
ゆっくりゆっくりと歩んできたのは、サイショウさん。
それと、村の薬師のカシギだった。




