成人(2)
「最後はガーシャ。孤児だから父と母は不明だが、ずっと薬師のカシギが親代わりだった。アギと同じく神徒を狩りながら、薬師としても世話になっていた者が多いと思う。とうに大人と同じように扱っていたから、ようやく成人なのかという驚きが大きいな」
クチバさんの言葉で、カシギも穏やかに笑った。
「そうだね、本当にあっという間だった」
あたしたちが村を出る時に背中を押してくれたカシギは、薬屋の縁側で座っている時と同じように穏やかな声でそう言った。
「ガーシャ、君はとても聡い子だ。そしてとても優しい子だ。でも、親友のアギと似ているようで本質はまるで違う。君は……本当は、弱くて泣き虫だから」
カシギの言葉でガーシャは少し唇を尖らせた。まるで子供のような反応をするのは、育て親に甘えているからだ。
「でも、だからこそ君はたくさんの人を助けようとするだろう。頼られたら断れないし、問題が起きても一人で解決するだけの高い能力がある。けれど、それはとても危うい。そのやり方はいつか君自身を削り取ってしまうからだ」
少し曖昧な言葉でカシギは言う。
けれど、ずっと一緒にいたあたしたちには深く理解できる言葉だった。それは何よりあたしが恐れている事だったから。
「でももう大丈夫だろう。君の周りには助けてくれる人たちがたくさんいる事に気づけたはずだ。少しずつ力を集めて大きな事を成し遂げる事が出来る人間の強さを知ったはずだ。これから君は大きな困難に立ち向かう事になるだろうけれど、それを乗り越えるだけの強さを持っている。君を育てた僕が保証する」
ガーシャはまっすぐにカシギを見つめていた。
泣き虫だった幼馴染は、今も迷いながら、それでも前に進む強さを持っている。
「成人おめでとう、ガーシャ。君ならどんな困難でも乗り越えられると信じているよ」
そしてカシギはあたしに向かって深々と礼をした。
「そしてありがとう、ナユタちゃん。君がいてくれたお陰でガーシャは大きく成長できた。本当に感謝する。君が隣でずっとお手本のように、道を示すように、明るい太陽のようにガーシャを導いてくれたからだ。これからもぜひ、隣で見守って欲しい」
「はい」
間髪入れずに頷いて、笑う。
いつも隣で道を示してくれるのはガーシャの方だ。離れられないのも、あたしの方。
ガーシャと視線を合わせて、笑う。
きっとあたしたちはこれからも一緒にいる。
4人の成人に、皆が惜しみない拍手を送った。
それぞれ言葉を贈った大人たちも、お互いに拍手を送り合う。
父は、あたしを見て、ガーシャを見て、客席を見渡して眩しそうに目を細めた。
「ガーシャ」
「はい」
「一回しか言わねえぞ」
呼ばれた幼馴染が父の方を向くと、父は深々と頭を下げた。
「ナユタを、よろしく頼む」
ガーシャは驚きに目を見開いた。
聞いていたアギも、その隣のクチバさんも、メイカ様も。舞台の下にいたアリ様も。残らずみんなが仰天した。
父は顔を上げて、ガーシャを見た。
「まあ、客観的に見ればお前は神徒狩りとしては指折りの実力だし、薬師としても一人前で、ついでに言うと容姿もよくて、人脈も広くて、頭もよく回る。ナユタの体質を解読したのもお前だし。軋轢を生まないやり方で問題を解決する方法も知っている……て、出来ない事ねえのかこの野郎。非常に不本意だし残念ではあるが、今のところ娘の相手として文句のつけようがない。強いて言うなら不健康だ。ちゃんと寝ろ」
それを聞いてガーシャはきょとんとした後に、ごめんなさい、と笑った。
後ろにいたクチバさんとカシギが同時に吹き出していた。サイショウさんはふっと目を逸らしている。
アギとメイカ様も同じく下を向いて肩を震わせていた。
父がガーシャをそんな風に見ていたなんて知らなかった。でもまあすべて事実ですけど。あたしの大好きな幼馴染は基本的に万能なので。
「俺の記憶の中でも、今でも、お前はずっと泣き虫だ。けど、カシギの言う通り、だからこそ人を見捨てる事ができないんだろう。壊れやすい心にそれは酷だ。けどな……ナユタならきっとお前を守ってやれる」
その言葉ではっとした。
父はあたしだけではなく、ガーシャも守りたいと思っているのだ。
息子の親友で、本当に息子のようにも可愛がっている幼馴染が無理しているのを見て肩を落としていた姿を見たじゃないか。
「俺が伝えたかったことは全部カシギが言ってくれたからいい。お前なら何が起きても乗り越えられる」
この先、桜の季節に起きるだろう事象を父は知っている。
何故なら準備をする上で皆が知っておくべき情報は上層部に共有されているからだ。
もしかして、滅びを回避する為にすべてを懸けた幼馴染への手向けとして今、許しを与えているのだろうか。もう少し深読みをするなら、死さえも厭わない幼馴染の現世への足枷としてあたしの手を握らせる気なのだろうか。
そう思うのは考えすぎだろうか。
父も肩の力抜いてふっと笑った。
「何より、娘を幸せに出来るのはお前以外にいないと思っている」
あたしたちをずっと父親の立場で見守って、大きな大きな愛情をたくさん注いでくれた。あたしたちが目指すべき姿をその背中でずっと示し続けてくれた。
そして自分が守っていた存在を誰かに託す。
言葉に込められた父の思いを受けて、胸が苦しくなった。
「だから――」
一回しか言わない、と宣言した通り、父はそれ以上言わなかった。
でも、ガーシャは穏やかな笑顔で答えた。
「うん、ありがとう。幸せにするよ。絶対に、それだけは約束する」
胸を締め付けるような痛みを抱えたまま、あたしはお父さんを見上げた。
そして少し寂しそうに笑う父の胸元に飛び込んだ。
「ああ……娘可愛いな。本当はずっとここにいて欲しいんだが、もうお前は大人だから、自分の道を自分で歩くんだ。その時はきっと、ガーシャが隣にいてくれるから」
世界で一番安心できる場所で、いつものようにゆっくりと頭を撫でられながら。
「愛してる、ナユタ」
父の声を聞きながら、子供時代が終わった事を実感した。
お披露目が終わったので、あたしたちはすぐに着物を着換えた。汚してしまうわけにはいかない。
着替えて家からでて伸びをしていたら、ガーシャも向こうからやってきた。
「やっと着替えられてよかった。あんな高価な着物、汚さないようにずっとヒヤヒヤしてたよ」
「でもとっても似合ってたよ」
ガーシャは翠都の宗主らしく落ち着いた深緑の着物だった。そちらも菫都の美しい西陣織が使われていて、光が当たったら新緑色に見える。春の日差しできらきら輝く金色の髪にもよく似合っていた。
「ありがとう。でもまあ……当分、着たくないね」
「分かるよ」
あたしも着替えてようやく落ち着いた。
家から遅れてアギも出てきた。こちらもようやくホッとした様子だった。菫都の英雄でもある父ラクシャの着物をそのまま西陣織で再現したらしい猩々緋色の着物は、大人になったアギにぴったりだった。その色の衣が菫都でとても流行しているらしいと噂話も耳にしている。
「ガーシャ、よかったな。親父が認めてくれて」
「うん。きっとアギがラクシャさんに説教してくれたお陰だよ」
説教? と首を傾げたアギは、どうやら思い出したようで声を上げて笑った。
「そういや説教したわ。忘れてた。それで少しでも考えを変えてくれたんならよかった」
あっはっは、と大きな声を出して。
相変わらず仲良さげに笑い合う二人は、成人しても何も変わらない気もする。
けど、あたしたちにはきっとこれから自分たちの行動の責任を負う事が求められる。これまでは大人たちが肩代わりしてくれていたから。
「俺からも、ナユタを頼むな。行動と言動は突飛で読めねえし、すぐいなくなるし、体質が変わったわけでもねえし、本当に大変だと思うが」
「うん、よく知ってる」
今さらだよなあ、と笑いながら。
「アギとラクシャさんが大事に大事に守ってきたんだもの、オレも命を懸けて守る事を約束するよ」
兄と父が今後、あたしを守らなくなるという事ではない。
ただ、主体を譲るのだ。あたしの手を一番に引いて駆け出す役目をガーシャと交代する。
「ガーシャ、命は懸けないでね。お父さんにも言ったけど、あたしの為なら何があっても生きてて」
「ん、ごめん。そうだね」
あたしはガーシャの手を取った。
「アギはメイカ様を迎えに行ってあげていいよ」
そう言うと、アギはまた笑った。
そしてあたしの頭を撫でて、名残惜しそうに離した。
「後でな。メイカ連れて、さっきの広場に行ってる」
今生の別れなんかじゃない。
今日も、明日も、明後日も、一緒にいる。
けれど今、この瞬間は一つの節目だ。
あたしは去っていく兄の後姿に小さく手を振った。
アギを見送った後、ガーシャは懐から何かを取り出してあたしにそっと差し出した。
「これは、オレからナユちゃんに成人のお祝い。翠都の千年杉を削って作ったんだ」
両手で受け取ったのは虹色に輝く曼殊沙華の螺鈿細工が入った濃い色の杉の櫛だった。よく見ると、新緑色の朱印がいくつか刻んである。
「……綺麗」
「ナユちゃんは秋生まれだから、彼岸花がいいかなって」
言いながら、結い上げた髪にそっと櫛を刺した。
「うん、よく似合ってるよ」
「ガーシャが作ったの?」
「うん、野営の時とかに少しずつね」
あんなに忙しかったのに。
「あたし何も用意できていないよ……」
ちょっとしょんぼりしていると、彼は笑ってあたしを抱きしめた。
「ナユちゃんは隣にいてくれるだけで十分なんだよ」
ガーシャはそう言うけれど、やっぱり何かしてあげたかった。
「じゃあ、もう一回ナユちゃんからしてくれない? 紅都で別れた時みたいに」
紅都で別れた時。
あの時は、別れるのが寂しくて、どうしたんだっけ。
思い出したら急に恥ずかしくなってしまった。
でも、ずっと一緒にいるっていう事はそういう事だもんね。
どきどきしながら見上げたら、幼馴染はちょっと意地悪そうに笑っていた。揶揄われているのは分かったけど、そこで引くのは悔しいから。
そっと両手で彼の頬を包み込んで引き寄せる。
それから、そっと唇を重ねた。
すぐに離れようとしたら頭の後ろに手を回されて止められた。
強い感情を押し付けられて息が止まる。
動けずにいると、不意に離れて行ってふふ、と耳元で笑い声がした。
「ああ、可愛い。けど、我慢できなくなっちゃうから続きは今度にしようね」
小さい頃からずっとしてきたように額をこつりと当てて。至近距離で微笑まれて、心臓が止まりそうになる。
こんなにも近くて、どうして今まで平気だったんだろう。
近寄りたいのに近いと困る。けど、絶対に離れたくない。
矛盾するこの感情をどうやって押し留めればいいのだろう。
ガーシャはゆっくりとあたしを下ろして頭を撫でた。まるで恋人から兄の立場に戻るかのように。
そしてあたしの髪を指で弄んで穏やかに笑う。
「髪が伸びたね、今度は一緒に簪も買いに行こうか。ずっとみんな一緒だったから、二人で出かけることなんてほとんど出来てないもんね」
「行きたい!」
みんなと一緒も楽しいけど、ガーシャと二人も楽しいから。
にこにこしていると、ガーシャは髪の簪を指で突いた。
「これはハテルマさんからの贈り物だと思うけど、他にもたくさんもらってたよね」
確かにアケラ様からもとんでもなく精巧な金細工のついた鼈甲の簪が届いていたし、セイカからは珊瑚を細工した海のような簪をいただいている。
どれも美しいが、今回はアヤハナ師範と里のねーちゃんたちがこれを選んだのだ。
「男からもらったやつは捨てて欲しいんだけど」
今、当たり前のように言われたけど、とんでもない事を言われてないだろうか。
「頂き物を捨てるのはちょっと」
「言ったでしょ、オレはナユちゃんと違って心が狭いから他の人と――他の男と仲良くするのは絶対許せないの。これまではラクシャさんが許してなかったから我慢してたけど、今日からは駄目」
困ったな。
やはり早めに倉庫を用意すべきでは。
後でアリ様に相談してみよう。




