七都会議(5)
黄都で神徒を討伐したので、神都へ戻り七都会議を続けた。
予定より10日遅れだ。
左天派の宗主一族が中心にアケラ様不在の間の予定と残された各都の宗主の歓待や遠隔での神徒狩りの補助などを担っていたようだ。事後承諾の様々な書類がアケラ様の元へ集まっていた。
紅葉が深まり美しく彩られた神都で、七都会議最終日の話し合いが行われた。
ほとんどが確定された内容ではあるが。
神都から、赤都をはじめとする各都へ古銭動原の技術支援を行う事。紅都の防衛機能を全都へ展開する事。翠都と菫都へ『白』の境界を監視するような機関を設置する事。寺社組織だけでなく神徒狩りの組織が大陸全土にわたって横のつながりを持てるようにする事。そのすべての実現にあたり、影を移動する朱印の固定化を急務とする事。
そして、春に再び七都会議を行う事。
他にも細々とした決め事や都間の協議を得て、20近い条文が締結された。
数十年ぶりに行われた七都会議は、中断にも関わらず大きな成果を上げる事が出来たのだった。
そして、アケラ様は約束通り武陽城へ再び招いてくれた。黄都の夜に約束した事は嘘ではなかったらしい。
けれどいきなり4人も行くと威圧感があるので、あたしとガーシャだけが面会することになった。
七都会議を行った部屋に入ると、他にはもう誰もおらず、閑散としていた。
立ち振る舞いを気にせず、あたしたちはずかずかと一番奥まで乗り込んでいく。
そして奥の御簾で待っていたのは、アケラ様と――巫のカルラ様だった。
相変わらずひんやりとした空気が部屋の奥を満たしている。
どういった用件でカルラ様を連れてきたのだろう、アケラ様がこの場を用意してくれたものの、あたしは一体何から話し始めればよいのか分からなかった。
そう思っていたら、おもむろにカルラ様が口を開いた。
「率直に問う。お前は以前、この世界が壊れる様を見たか?」
それを聞いて、ガーシャはにこりと笑った。
「見た。最後の神徒が現れた後に、すべての都が滅びる様を」
笑顔で語れる記憶でないのは知っている。
それでも彼はいつものように穏やかに笑った。
「桜の季節、神都の禁忌の森へ烏が降臨した。それだけならいつも通り、その神徒を倒せばよかった。けれど、それだけじゃない。地獄はそこからだった」
カルラ様はまっすぐにガーシャを見据えていた。
「最初に墜ちたのは赤都だった。突如現れた炎の狐が火山を噴火させ、溶岩を吐き、炎ですべてを焼いた。あっという間だった。神都にいたオレたちが手を出す時間は全く与えられなかった」
どくん、と心臓が脈打った。
「次に墜ちたのは菫都だ。巨大な亀はそこに都があるとも気づかずに踏みつぶした。次は、黄都。疾風のように猫が襲って毒の嵐が吹き荒れて、あっという間にほとんどの人が死んだ」
ガーシャの穏やかな声を聞きながら、膝に置いた手が震えた。
けれど凄惨な記憶を語り続ける幼馴染を止める事は出来なかった。
「蒼都もほどなく墜ちた。鷺と蟹の神徒に襲われ、抵抗したが何処からも入り込む蟹と空から飛来する鷺の前に持久戦を強いられて耐えきれなかった」
耳元で心臓の音が大きく鳴り響いている。
聞いているだけのあたしでさえこの状態だ、記憶を辿るガーシャとカルラ様の心境はいかほどのものか。
「紅都と神都も、鯰の雷と烏に襲われて……最後には、滅びた。オレは滅びの最後までを見た事はないけれど、キミは見たのかもしれないね」
最後まで見た事がない。
その言葉に込められた意味が分からないほどあたしは子どもではなかった。
「それが、オレの知るすべてだ」
ガーシャはそこで一度言葉を閉じた。
いつだったか彼は、それを夢であってほしいような結末だったと言った。
苦労して色々なものを失いながらも順に神徒を倒していって。
最後だと思った瞬間に守ってきたすべてが蹂躙されて。
自身も神徒を前に倒れ。
言葉が出なかった。
「……覚えている」
カルラ様が小さな声で応えた。
「外から来た神徒狩りが二人、最後まで戦い続けていたのを覚えている。あれは確かに……お前だった」
その言葉でガーシャは少し目を伏せた。
「あの時は救えなくてごめん」
「もう一人は赤都からきた若者か」
「そうだよ。オレの親友のアギだ」
二人は言葉少なに語り合った。
まるで答え合わせをするように。
「そしてカルラ、キミは神都の宗主だった」
「そうだ。何も出来なかった」
「そんな事はない。神都があれだけ生き延びたのは間違いなくキミの功績だ」
ガーシャは首を横に振った。
「だからキミにはもう一度、神都の宗主になって欲しい」
カルラ様は眉間に皺を寄せた。流石に理由が分からなかったのだろう。
「アケラが宗主として神都を治めるのは父上の意思だ。大黒天様が遣わした子が神都を治めるのを――」
「でも、アケラは宗主に向いてない。キミも分かってるだろう。これから大変な事態が起こると分かっているのに、アケラをこのまま宗主にしておくわけにはいかない」
全く容赦ない言い分で。
驚いたが、アケラ様は平然としていた。どうやらすでに二人の間で決めた事のようだった。
「アケラは確かに頭の回転が速い。けど、それは人の上に立つ資質があるわけじゃないし、もっと力を発揮できる場所もある。例えば――研究所とか。これから影の移動を固定化しなければいけない。それにはアケラの力が必要だ」
朱印の固定化や古銭動原の絡繰も元を正せばアケラが作り出したものだ。おそらく彼はその分野でこそ大成する。
そしてそれは、おそらく大黒天様が未来を変えようとした意図通りに。
あたしを使って、アギとガーシャの戦闘力を莫大に底上げしたように。古銭を大量にこちらの世界へ流入させたように。
直接的な介入ではなく、ほんの少しの変化で世界の行く末を大きく変えようとしている。
カルラ様は全身の力を抜いて脇息にもたれ、落ち着くために大きく息を吐いた。
それでも手が震えている。
「お前は今もあれを回避しようとしているのか? すべての神徒を討伐できるのか? あれを見て、それでもなおその先に未来を見る事が出来るのか……?」
この人は――あの時のガーシャだ。過去を思い出して、混乱して、何が起きているか分からなくて、震えるほどの恐怖に苛まれた幼馴染と同じだ。
今も眠れぬ夜を過ごすほどに恐ろしい記憶が彼を蝕んでいる。
「その為にずっと動いてきたんだ」
その言葉で、カルラ様は眉を下げた。
あの時、黒い鼠があたしを糾弾したあの日には分からなかったことが今は分かる。
ずっと恐怖におびえていたのはこの人の方だった。その恐怖をあたしにぶつけていただけだったのだ。
一度目に滅びた世界に再び生れ落ち、違う未来が次々と襲い掛かってきて、知らない弟が宗主になり、知らない娘が大黒天様の力を喰って神徒をぼろぼろと生み落とし。
何が起きているのか分からず本当に怖かっただろう。
大黒天様は泣く子らを救うために、と言った。
この人もまた、ガーシャと同じように泣いていたのかもしれない。
「ここからはただの惚気になるけど」
前置きをしてガーシャは続けた。
「オレはナユちゃんの事が大好きでどうしようもないから、二人一緒にこの世界を最後まで生きていたいんだ。年をとって死ぬまで一緒にいて欲しい。ただそれだけ。世界を救おうなんて大それた事は望まない。けど、もし世界が滅びるせいで一緒にいられなくなるんだとしたら、全力でそれに抗うよ」
アギもガーシャも、きっと世界を救うつもりはなくて。
ただ穏やかに楽しく生きて行きたいだけなのだ。もちろん、あたしもその一人だ。
「ナユちゃんの存在でオレの世界は変わった。色んな人と繋がる事がとても大きな力になると知った。神徒はオレとアギ二人で倒さなくていいし、得意な事を少しずつ集めて大きな事を成し遂げればいいって学んだ。だから、きっとこの先に起きる事も、皆で力を合わせれば大丈夫だって思えるようになったんだ」
言葉にすると月並みな単語になるけどね、と笑いながら。
「だからお願いだ、キミの力も貸してほしい」
カルラ様はうつむいて額に手を当て、ガーシャの言葉を聞いていた。
「オレが言いたいのはそれだけだ。でも、キミの気持ちも痛いほどに分かるから――すぐにとは言わない。けど、来年の春まではそれほど時間がないから悠長に待つことも出来ないけど」
ガーシャはそう言って笑う。
「キミたち兄弟はもう少しお互いに話をしたほうがいい。心を隠さずに本音で話してみて、きっと見えていない事がたくさんあるから。宗主として教育されてきたキミたちにはもしかすると難しいのかも知れないけれど」
カルラ様がはっと顔を上げてアケラ様を見た。
あたしとアギと同じ、腹違いの兄弟。
大黒天様の落とし子。
「オレだって強くないよ。いつも迷って、怖がってばかりだ。それでも……足を止める方が怖い」
本当はカルラ様とおなじくらい傷ついて、恐怖に怯えて、今も微かに声が震えているというのに。
たった一人で背負わないで欲しい。
決して特別な人間ではない。ただ記憶を持っているだけの一人の少年でしかなかったのに。
「何もしなくても同じ未来が来るのなら、少しくらい足掻いてみてもいいじゃないか」
部屋を出たところで、ガーシャは崩れ落ちた。
口元に手を当て、嘔吐いていた。待っていたアギとメイカ様が慌てて左右から支える。
吐くほど辛い記憶を掘って、それでも前に進もうとする。
その強さは一体どこから来るんだろう。
言葉に出来ない感情が胸の内をぐるぐると回る。
もうやめてって言いたい。
どこか知らない場所で、静かに二人で暮らしたい。
でも、この先の事を考えるとそれは叶わぬ願いなのだろう。
だから立ち上がるしかないのだ。
ずっとずっとアギとガーシャはそうしてきた。
もしかすると、二回目じゃなく、もっともっとたくさんの回数を。
薄々勘付いてはいた。
ガーシャの世界は、一つでも、二つでもなかったって。
この人はおそらく――この世界で無限の数を生きてきたんだ。
もしかすると、炎に巻かれて死んだことがあったのかもしれない。大切な人を亡くしたこともあったかもしれない。雷で、毒で、他の神徒の攻撃で、アギや自身が死んだことも一度や二度ではないのだろう。だってそうでなければあれほど神徒の事を詳しく知ることは出来ない。
ほんの一回経験しただけでは知らない事をたくさん知っているのは言葉の端々にそれを感じていた。もしかしたら、アギやメイカ様はとうに気づいていたのかもしれない。
メイカ様が、あたしへの執着が察するに余りある、と言った理由が分かった気がした。
「泣かないで」
頬を指で拭われて、ようやく自分が泣いていたことに気づいた。
声をかける術を持たず、ただ茫然と彼を見つめることしか出来ない。
どれだけ苦しくて、どれだけ悲しくて、どれだけ絶望に落とされて。
それでも世界を変えようとここに立っている。
「さっきは怖い話をしてごめんね。でも大丈夫。今度はきっと勝てるから」
ああ、どうしようもなく苦しい。
あたしは本当にこの人を救えるのだろうか。
何十回も何百回何千回も傷つきながらこの世界へ至ったであろう優しい彼の事を。
あたしはガーシャの手を取った。
またこの人がどこか遠くへ行ってしまいそうで。
ぎゅっと手を握ると、指を絡めて握り返してくれた。
「――お願いだから、ここにいて。絶対にどこにも行かないで」
何度も何度も繰り返す言葉。
理解したつもりでいても、まだ彼の事を全く理解できていなかったのだろう。
優しい抱擁を受け入れながら、深い感情に少しずつ沈んでいった。
それでも未来を信じる幼馴染の為に、あたしも出来る限りの事をするしかない。
大丈夫。一人じゃない。
あたしとガーシャの二人だけでもない。
助けてくれる人はたくさんいる。
これまでの旅でそれを十分に理解した。
自分の事ばかり考えて自責の念に駆られていたあたしは、ようやく顔を上げて見渡した。世界にいるのはあたし一人じゃない。
それは周りの大人たちがずっとずっと、教えてくれていた事だった。
心の奥に火が灯る。
最後まで諦めない。あたしは、この人の為に世界を変える。
5章終わり。




