猫討伐(3)
影を抜けた瞬間、潮風の匂いがした。左手に崖の海岸線、右手に鬱蒼とした密林。
密林からはどおん、どおんという音が断続的に響いていた。
「設置罠は最初ほど効かなくなってるって言ってたけど、神徒がどの辺にいるか分かりやすいから音の方向に気を付けておいて」
そしてああ忘れてた、とガーシャはあたしの胸元に新緑色の糸をくるくると巻き付けた。
「今、別の大型神徒の相手をしてる暇はないからね」
樹冠を越えて飛び上がると、密林が遠くまで続いているのが見えた。
樹海のその向こうに傾き始めた太陽が、そして南に向かって大きく張り出した岬が見えた。あの場所が神徒を追い詰める目標地点だ。
そして、樹林の真ん中から神徒の咆哮が聞こえた。ハテルマ様がいる位置だ。
真ん中のハテルマ様が追いやって、西は逃がさないようにアギが、東はガーシャが、そしてその間を埋めるように事前設置した罠を使っているのだろう。
だいたいの位置を把握できた。
「来るよ」
ガーシャの声で意識を集中する。
大丈夫。
これは狩り。
森の中で獲物を追うなんて、子供の頃から息をするようにしてきたじゃないか。
バキバキバキ、と樹木を倒しながら神徒がこちらへ向かってくる。
先日見た時はするりするりと樹木の間を駆け抜けていたことを考えると、追い詰められてかなり弱っているようだ。
8本の手足は6本に減っている。
再生するかもしれない。
考えるより先に減った手足の根元を凍らせた。
「危ない!」
ガーシャがあたしを突き飛ばすように飛び、そのまま抱き上げる。
背後の木に毒の棘が大量に刺さっていた。飛距離が思ったよりずいぶん長い。
「鯰の時と同じ手でいこうか。毒は雷と違って避けやすいから」
神徒と向き合うように動きを止めて。
「……撃ち抜いて」
ガーシャの言葉で、考えるより先に収束した光線で猫の神徒の耳を撃ち抜いた。
怒り狂った神徒があたしに狙いを定める。
よく観察すると、毒針を飛ばす直前に尻尾がぐいんと持ち上がり、ぶわりと毛が逆立っている。毛が逆立つのとほぼ同時に必殺の毒の棘が十本程度発射される。
なるほど、ガーシャはこの予備動作を見て避けていたのか。
猫の神徒が手足に力を籠める。
来る。
これはあたしでも分かった。
鋭い瞬発力で頭上から爪をひらめかせて襲ってくる。
ガーシャはそれも横に避けた。
こうして見ると、神徒の攻撃は読むことも出来るのか。
もちろんそんな悠長な観察が出来るのは、ガーシャがあたしを抱いて攻撃を避けていてくれるからだけれど。
「よく見れば攻撃は避けられるでしょ」
心を読んだかのようにガーシャが言った。
「それが出来る神徒狩りがこの場に何人いると思う? アギの言う通り、もうナユちゃんは十分な戦力なんだよ。大事に大事に守ってるだけのラクシャさんに苛々してお説教しちゃうくらいにはね」
ふふふ、と笑いながらガーシャは跳んだ。
猫の神徒がそれを追って樹冠より高く跳ぶ。
「何度も何度も一緒に討伐してきたから説明いらないし、こっちの意図をくみ取ってくれるし、お願いしなくても再生しないように凍らせてくれてる。何より――」
神徒の足を絡めとるように糸で結んでもつれさせると、猫は大きく声を上げながらそのまま背中から木の中に落下していった。
「オレだけじゃなくアギやメイカさんもそうなんだけど、ナユちゃんがいてくれると守らなきゃって思っていつもよりよく動けるんだよね」
ばきばきばき、と枝を折りながら背中から落ちた神徒は、再び起き上がって咆哮を上げた。
ちょっと挑発しすぎたかな、と言いながら。
岬は目の前まで迫っている。
神徒の背後に山梔子色の衣が見えた。
ハテルマ様だ。
両手の斧を回転させるように突っ込み、尾を落とそうとする。
が、浅い。
怒り狂った神徒が逆に尾で叩き潰そうと振り上げる。
そこへアギが突っ込んできて尾を切り落とした。
反射的に、斬り落とした尾の根を凍らせる。
手足に生えた目玉がぎょろぎょろとこちらを見る。
どうやらあたしの事を敵と認識したようだ。鯰や亀に比べて賢そうだ。
アギの後ろから白い狼が走ってきて、あたしを追おうとした猫の額に蹴りを入れた。
「オレたちが囮になるから逃がさないように追って!」
ガーシャは叫ぶなり、再び森の隙間を、光玉を蹴って駆け抜けた。
雷を避けた時と同じだ。
弱っているとはいえすさまじい速度で追ってくる神徒の必殺の攻撃をすれすれでかわしながら森を駆ける。
そして次の瞬間には密林を抜け、目の前に平原、そしてその先の岬。
視界が開けた。
水平線に夕陽が沈んでいく。
到着までに夜になってしまうかと思ったが、囮を追わせたことでかなり早く到着したようだ。
ガーシャはそのまま真っすぐに岬へと向かう。
「遅くなってごめんね」
「待ちくたびれたぞ」
岬で立って待っていたメイカ様の上を跳んで通り抜けていく。
追ってきた猫は同じように通過しようとして、鼻先に光転剣を受け、すんでのところで躱したが、耳を飛ばされてしまった。
新しい敵が発生し、さらに周囲に隠れる場所もない。
方向転換して森へ戻ろうとしたところでテラスが牙をむいて立ちふさがり、アギとハテルマ様がその背後で地面を打ち砕いて岬を孤島へと変えた。
前後左右が海、しかも自分を害するモノに囲まれて、逃げ場がなくなっている。脚と尾はすでに何個か再生できなくなっている。攻撃も避けられて当たらない。
もともと山猫は狩りをする生き物だが、流石に狩られる不安に襲われたのだろう。走り続けた神徒は初めて足を止めた。
ちょうど太陽は水平線の向こうに消え、淡く発光する神徒が黄昏の空に浮かび上がった。
時が止まったかのようなその空間にどこからともなくひらりひらりと舞い来る蝶が、海風に煽られてくるりと翻る。
猫が動き出す前に、あたしは白藍色の光玉を大量に作ると、出来るだけ広範囲にばらまいた。攻撃力のないあたしは皆の補助に徹することにする。
周囲の光玉に照らし出された神徒は、残った4本の尾をぶわりと膨らませて前後左右全方位に毒の棘を飛ばした。
アギがすべて三叉戟で吹き飛ばし、メイカ様は光転剣で弾き飛ばし、ハテルマ様は斧を回転させて盾のようにして避けた。テラスは左右に避ける。ガルトさんが影の中に沈み、ガーシャはあたしを背にかばったまま短刀ですべて叩き落した。
怒り狂った神徒は残った手足に力を込めて目の前のいるメイカ様に飛び掛かる。
が、回転する光の剣が数個同時に突っ込んできて顔をずたずたに切り裂かれた。
ぎゃああああ、と叫びをあげる猫の後ろからアギが三叉戟を振り下ろす。
影に消えていたガルトさんが影から飛び出して足を切り落とした。
後ろ足が2本同時に飛んだ。
即座にそれを凍らせておく。
再びぶわりと膨らんだ尻尾の先端から毒の棘が飛ぶ前にハテルマ様の斧が投げられ、1本刈り取った。
どしん、と重く地面に落ちた大きな尻尾ははらはらと白い紙に姿を変えた。
間髪入れず、あたしはその切断面を凍らせる。
2本だけ残った尾は膨らんだまま収束し、毒の棘を大量に飛ばした。
目の前にいたメイカ様にすべての毒の棘が集中した。
光転剣を分解してしまっていたメイカ様の回避が遅れた。
「メイカ!」
アギが飛び込んで抱きかかえて飛ぶ。
が、メイカ様の足を毒の棘が掠めていった。
紫色の毒々しい液体が傷口からどろりと流れている。
「ナユちゃん、洗浄して。すぐに解毒する!」
アギは、ガーシャの元へメイカ様を横たえると、すぐにテラスと並んで神徒へと向かっていった。
メイカ様の足をすぐに水の光玉で包み込み、毒を洗い流す。
ガーシャが解毒剤の瓶を開けて傷口にかけた後、残りを飲むように促した。
どうやら美味しくはないようで、メイカ様の眉間に皺が寄った。
「処置が速いから大丈夫。そこまで毒は回らないはず」
怪我に素早く包帯をきつく巻きつけ、念のため、と高い位置で血を止めるように括った。
「すまない」
「大丈夫、ここまで弱らせればもう大丈夫だ。逃げられさえしなければ狩れない神徒じゃないから」
ナユちゃんお願い、とメイカ様をあたしに任せて、ガーシャも再び神徒の方へと向かった。
あたしは凍らせた末端を握り締めるように手を掲げた。
神徒は放っておくと再生してしまうのが厄介だ。だから、再生しないように押さえておく必要がある。
「……ハテルマ様は強いな。アギと共に朝からずっと森の中を駆けて、それでもなお未だ神徒と戦っている」
「うん、すごい」
体力がアギと同等かそれ以上、戦いに関してもほぼ同じ水準なのだろう。
黄都の宗主で神徒狩りの長。メイカ様は女性の神徒狩りであればだれもが憧れる存在だと言っていたが、その意味がよく分かる。
「私も――」
まるで兄が父を目指すように。女性としては体格に恵まれたハテルマ様と、小柄なメイカ様とでは比較できない部分もあるだろうが、大きな目標を目にしたようだ。
ガーシャの糸が残っている手足に絡みつき、神徒の動きを止める。
そこへガルトさんとアギが同時に飛び込んだ。
ガルトさんが下から剣を振り上げ、アギが上から三叉戟を振り下ろし、神徒の首を切断しようとする。
が、猫の神徒は柔らかい体をよじって完全な切断を避けた。皮一枚つながった首を再びもたげようと声を上げる。
「どいてろ!」
そこへ、上からハテルマ様が斧を下に降下し。
今度こそ、猫の神徒の首が落ちた。
ごろりと転がった首がはらはらと白い紙に崩れていく。
一拍おいて身体が崩れ、ざらざらざら、と古銭が落ちた。
それを見て、アギとハテルマ様が地面に座り込んだ。
「さすがに、疲れた……」
朝からたった二人でずっと神徒を追い続けていたのだ。それも、森の中に隠れる設置罠の舞台を守りながら。
ハテルマ様がアギの背中を叩きながら褒め称えていた。
「若いのに本当に凄いな、お前は。森を駆ける間もお前がいるのは心強かったぞ」
「親父には、まだ追いつけねえけどな……」
「ふふ、お前は求道者だな」
アギの頭をぐりぐりと撫でて。
「私も若かったら惚れていたかもしれんな」
その言葉でメイカ様が複雑な表情をした。眉がハの字になっていてとても可愛い。
と思っていたらガーシャも同じものを見てにやにやしていた。あたしもガーシャもこの似た者夫婦が大好きだから。
「古銭集めは明日にして今日はもう帰ろうか。アギもハテルマさんも疲れてるだろうし、メイカさんも休ませたいし、森の中で眷属を狩っていた人たちも引き上げて、まだ怪我人もたくさんいるはずだからオレとナユちゃんはそっちも手伝わないと」
「森に散った人員の回収は任せておけ。アケラ様と分担して終わらせる」
「じゃあ、オレたちだけ先に戻してくれる? ごめんね、テラスは走って戻ってくれるかな」
ガーシャが言うと、テラスはわん、とお返事をした。
あたしの光玉が作り出す影をガルトさんが指で突くと、ゆらりと影が揺らめいた。
本当に便利だな。
あたしもその能力使いたい。好きな場所に行き放題だ。
メイカ様を抱いたアギが最初に影へ飛び込み、ハテルマ様が入り、あたしとガーシャも影に飛び込んだ。
拠点に戻ると神徒を倒した報に皆が湧いていた。すでにアラージャさんを通して皆にも連絡が入っていたのだろう。
本部へ戻った瞬間に父があたしを捕獲した。
「よかった。無事に帰ってきた」
「ただいま」
「はあ……本当に待つのは性に合わねえなあ」
心の底からため息をついた父を見て、かなり余裕を持って討伐できたことに感謝した。
結局、皆が強すぎてあんまり役には立てなかったけど、そのくらいでちょうどよいのだろう。何かあれば父が飛んできてしまう。出来ればそれだけは避けたい。
結果的に、奇跡的に人死にはなく、重症者は何名かいたものの解毒剤のお陰で回復傾向。
最悪、数日かける予定だった狩りも1日で終了することが出来た。
宗主一族の人数がまた増える事は避けられたようだ。
そして案の定、皆で宴会が始まっていた。
毒を喰らった人も、腹に穴が開いた人もいたはずだけどその辺は気にしないらしい。
陽気な気候の黄都の人々はやはりとても陽気でお祭り好きなのだ。




