黄都へ(3)
夜遅くで飲んでいたはずなのに大人は皆ザルなので、次の日はちゃんと早朝に起きていた。
雑魚寝気味の広い床板の部屋に広々敷かれた布団の上で、寝ているのはもうあたしとアリ様だけだった。アリ様はいつも昼夜逆転だから仕方ないとして、他の人たちはどうなってるの。
外に出たら、前庭で全員もう朝稽古していた。
父と兄は木刀でほぼ本気の打ち合いをしているし、ハテルマ様がそれを興味深そうに見ている。おそらくだが、ハテルマ様も何らかの武道の達人と呼ばれる域にあると思う。
メイカ様がガーシャと何か話ながら型稽古をしていた。
ガーシャ以外もみんなちゃんと寝てるのか心配だ。あたしが寝すぎなのかどっちなんだろう。
そして、朝一番に偵察をしていた長兄のノエラさんが戻ってきて、昨日からずっと観察していた神徒の位置を地図に書き記した。
「記録はつけていませんが、2、3日前の位置から考えると、おそらく、このあたりをぐるぐると周回しているようです。現地まで行って確認する事はできませんでしたが、おそらくこの村と、この村はもう――」
地図を指でなぞりながら、海辺の二点を指した。
「生き残りがいるかもしれない。神徒を避けながら、すぐに人を遣ろう」
「救出は、村を探す方が時間かかりそうだから任せるね。神徒に会えば足止め程度なら出来ると思うけど」
「大丈夫だ、救出は私の方で手配する」
分かった、と返事をすると、ガーシャは大きく伸びをして気合を入れなおした。
「じゃ、アギ、行こうか」
「応」
悪友二人が装備もなしに行こうとするので慌てたが、大して戦うわけじゃないのと鬱蒼とした森を駆けるから邪魔になるかも、と大事なアギの刀の番を任された。
代わりに毒の採取用の竹筒を何本かと短刀だけを腰につけた。
「一番身軽なトナキを道案内につける。あくまで道案内だ。お前自身は神徒に接触しないよう気をつけろ、トナキ」
「はい、母上!」
14、5歳くらいだろうか、元気そうな男の子がこれまた装備なしでアギとガーシャに並んだ。
お願いします! と元気に挨拶し、二人と共に森の中へ消えていった。
「アケラ様は俺と防御壁の設置をお願いします」
「ああ、分かった」
「私も行っていいか? 防御壁の構築に興味がある。蒼都でも応用したい」
「ああ、いいよ。蒼都の姫」
アリ様とアケラ様もメイカ様を連れて去っていったので、父はあたしの頭にポンと手を置いた。
「暇だし、二人で稼ぎに行くか」
「はあい」
「神徒狩りか? 私も同行していいか」
ハテルマ様に問われ、一も二もなく頷いた。
戦うところが見られるかも!
南側に行くと猫の神徒を呼んでしまう可能性もあるので、昨日到着した北門の方を出た。
朱色の関所をくぐると、鬱蒼とした森が迎えてくれる。森の密度が濃い。
そして昨日も見た大きな蝶が何匹もひらりひらりと舞っている。決して速度は遅くないのに、優雅に見える。この動きは舞踊に取り入れられないだろうか。
蝶を追いかけて舞っていると、背後からキキキキキ、と何かが擦れる音がした。
はっと振り向くと、地面から白い人型の紙が湧き上がってきていた。
―― ノウマク サ マン ダ
「おお……」
ハテルマ様が口を開けてその様子を見ている。
白い発光体がみるみるうちに盛り上がっていき、生き物の形をとった。
鋭い爪、裂けた口、四つ足の蜥蜴があたしたちを見下ろしていた。
「本当に、これほど都の近くに神徒が現れるとは」
感動の声を上げたハテルマ様は、大きく手を振り上げた。
そして真言を唱えると、両手に大きな斧が現れた。アギの三叉戟と同じ朱印の武器だ。
大きく弧を描く刃は長く、手首まで覆うような頑丈な武器だ。がしゃん、と大きな音を立てて両手の斧が連結した。
ハテルマ様はぐるぐると両刃の斧を振り回すと、そのまま神徒に突っ込んだ。
ぱりり、と刃に金色の光が走る。
まるで雷のような音を立ててハテルマ様は神徒を両断した。
ばあっと白い紙が舞い散って、古銭がざらざらと落ちた。
着地するや、斧をまた分解して二本に戻し、両手で振りかぶる。
二体目を左右から斜め十字を描くように数度切り刻み、あっという間に倒してしまった。
「かっこいい……」
父も刀を肩に担いでハテルマ様を見ていた。
とりあえず二人に任せておけば大丈夫そうなので、あたしはそのあたりを適当に歩き回った。これから神徒と戦う事になるのだ。おそらく固定化するであろうアリ様の防御壁を維持する事を考えてもたくさん古銭があった方がいいだろう。
「何だこれは! 本当に無限に湧いてくるんだが?!」
「そうなんだよ。だから、都と都を移動するのが大変でね。今回はアケラ様が連れてきてくれて本当に助かった」
でも、古銭がじゃらじゃら貯まるのでそれはそれでとっても楽しそうだ。
喜んで貰えてあたしも嬉しい。
その時、都を震わせるような咆哮が大気を切り裂いた。
恐怖を覚えるそれは、まぎれもなく神徒のものだ。
「――南だ」
まさか。
ざあっと全身の血の気が引く。
父があたしを片手で抱き上げて残りの神徒を一掃、そのままハテルマ様と共に都の反対側へ駆け抜けた。
北門をくぐり、都を最速で駆け抜け、そして南門を出たあたしたちが見たのは、巨大な山猫の姿だった。
白く発光するしなやかな身体に手足が8本、尻尾が5本。
手足にぎょろぎょろと大量の目玉がついていて、すぐにこちらに気づいた。
次の瞬間、あたしは父に抱かれて空を飛んでいた。
下を見れば神徒の爪が凄まじい勢いであたしたちのいた場所の地面を抉っていた。
速い!
5本の尻尾がこちらに向けられる。
キキキキン、と甲高い音が連続し、父が毒の針を弾いたのだと知った。
針の一本一本があたしの掌の長さより大きい。
あんなの毒針が刺さったら、毒以前に大怪我をして死んでしまう。
針の先からは濃い紫色のどろりとした液体がしみだしていて、それが危険な毒だと言うことは聞かずともわかった。
触っただけで爛れる。もし喰らったら大量の水で洗い流す。
ガーシャの言葉を繰り返す。
「まずいな」
父が呟いた。
「すまん、ナユタ。離すからメイカの方へ走れ」
「わかった」
急に自由落下した。
光玉を出して跳び、メイカ様の位置を確認する。
関所の朱色の柱近くに誰かを守って神徒を睨みつけている。
光転剣を十個以上出して、猫の神徒が近づかないように警戒している。その腕には深々と毒の棘が突き刺さっていた。
地面に倒れ伏した姿を見て、全身の毛が逆立った。
父が彼らを守るように神徒との間に降り立つ。猩々緋色の衣を見て、明らかにメイカ様がほっとした表情を見せた。
刀を構え神徒の正面に正眼で構えた。
それだけで何かを感じ取ったのか、神徒は地面を強く蹴って横に跳んだ。
尾が2本、斬られて残された。
切られた尾は白い人型の紙に戻ってヒラヒラと風に舞う。
避けなければ身体ごと縦に両断されていただろう。
「これを避けるか」
父がさらに突きの構えをした瞬間、神徒は瞬きするほどの間に密林の中へとするりと消えていった。
神徒がいなくなったのを見届けると、光転剣が消え、メイカ様もまた地面に倒れこんだ。
「メイカ様!」
その後ろにかばっていたアリ様も、アケラ様もそれぞれ何本も毒の棘が刺さっていた。
意識がなくなっている。
薬師でもない、医者でもないあたしにはどうしたらいいのか分からない。
とにかく水で流す……けど、刺さったままでいいの? 抜かないといけないの? こんなに大きな棘だと思っていなかった。もっと具体的に手当てを聞いておくべきだった。
メイカ様の顔色がみるみる悪くなる。毒の所為だ。
どうしよう。
あたしにも、治癒の朱印が使えたらいいのに……
その時、はっと思い出した。
朱印の固定化の話をした時に、ガーシャがいくつか治癒の朱印を紙に移していたことを。
確か持ち歩いていたはず。
ちょうど3枚の朱印の紙が出てきた。あとは古銭があれば。
「ハテルマ様! さっき集めた古銭をください!」
大きな声で言うと、ハテルマ様が持っていた大きな袋をあたしに投げ寄越した。
これだけ古銭があれば大丈夫だろう。
メイカ様の腕に刺さった棘を手でつかみ、渾身の力を込めて抜いた。
痛みにメイカ様が叫び声をあげたが、今はそれどころではない。
あたしの掌も、紫色の毒でじゅうじゅうと焼けた。
痛いけど、皮膚が爛れた程度なら後でいい。
血が流れすぎない程度に素早く水で傷口を洗い流し、治癒の朱印が焼き付けられた紙を患部に押し付けた。
お願い。
祈るような気持ちで流れ出す血で朱印が消えてしまう前に、大量の古銭を上からざらざらと投入する。
古銭が朱印に触れた途端、新緑色の光が溢れた。
土気色だったメイカ様の顔が徐々に戻ってきた。穴の開いていた腕の傷もみるみる塞がり、呼吸も安定した。
大丈夫だ。
あたしは次にアリ様の足に刺さった二本の棘を抜いた。手にだんだん力が入らなくなってきた。けど一秒の躊躇が命に関わる。
容赦なく傷口の毒を水の光玉で洗い流し、朱印を押し付けた。そこへまた大量の古銭を投入する。
「……かっ、はぁっ!」
アリ様の呼吸が戻ってきた。
あとはアケラ様だ。
アケラ様が一番ひどい。
おそらく二人を毒の針から庇ったであろう事は一目でわかった。
腕に、胸に、足に刺さった何本もの針を抜いていく。刺さった部分が変色している。これだけ抜いたら痛いはずなのに、全く動かない。
嫌な想像を打ち消して、全部の針を抜き切った。
もう掌の感覚がない。
それでも全身を水で包むようにして洗浄して、最後の一枚の朱印の紙を押し当てた。
そして古銭を大量に上から奉納した。
「……アケラ様」
意識を取り戻したメイカ様がアケラ様の手を握る。
今までで一番大きな新緑色の光が放たれ、みるみるアケラ様の傷を癒していく。
お願いだから治って。
残っていた古銭をどんどん追加する。
あまりに追加しすぎたのか、朱印がぼうっと燃え尽きてしまった。
固定化した朱印は使用限度のようなものがあるのだろうか。
どうしよう、あたしにはもう――
「アケラ!!」
後ろから駆け込んできたのはアギとガーシャだ。
「変わって」
ガーシャがアケラ様の胸元に手を当てて、治療を継続する。
神徒が戻らない事を確認し、父とハテルマ様も戻ってきた。
その時、ようやくアケラ様の瞼が少し動いた。
ガーシャは大きく息を吐いて地面に倒れこんだ。
「治癒は……疲れるんだよ……だから、そうそう何人も癒せない。特に重傷者は。ラクシャさんの時も、ナユちゃんが『白』の境界から帰ってきたときに癒したのもすっごく疲れた」
いつだったか言っていた。
下手に治癒の力が使えるって知られたら、縋られて、本当に使いたいときに使えないって。
「ナユちゃん、固定化した治癒の朱印持っててくれてありがとう。それがなかったら3人連続で癒すのは無理だったし、秒単位で回る毒を少しでも早く除去できたのも大きかった」
「待て、ナユタ、お前その手」
メイカ様に言われて掌を見ると、爛れるを通り越して一部の肉まで溶け、骨が見えている箇所もあった。通りでずっと感覚がなかったはずだ。
メイカ様とアリ様とアケラ様の命に比べれば全く惜しくもなんともない。
でも気づいた途端、ずきんずきんとひどい痛みが襲ってきた。
「ナユちゃん、手貸して」
「疲れてるんでしょ?」
「いいよ、もし寝ちゃったらアギに運んでもらうから」
ガーシャはあたしの手を取ると、額に当てるように、祈るようにして治してくれた。
そして予告通り限界を超えて倒れたのでアギが担いで連れ帰った。
今回はたまたま治癒の朱印を固定化してあって助かったが、次からこうはいかない。
メイカ様はすぐに回復したが、アリ様とアケラ様は目覚めたもののまだぐったりとしている。ハテルマ様と父が運んでくれた。
「あの神徒に本気で逃げられると速すぎて俺たちでも追いつけなかった。しかも森の中に隠れて見失うから、こっちが圧倒的に不利だ」
あたしたちの中で最速のアギとガーシャが追いつけないという事は、単純にあの神徒が逃げたら追いかけるのは不可能だという事だ。
「逃げ隠れ出来ない場所におびき出すしかないだろうな」
アリ様がよろよろと手を挙げた。
「安心してくれ、防御の固定化は設置し終わっている。終わって戻ろうと思ったら急に神徒が現れた。蒼都の姫が応戦したが毒を受けて、アケラ様が影の中にかばってくれたんだが、アケラ様自身も毒を受けて……心配かけて申し訳ない」
「いや、南門側に神徒がいると分かっていながら護衛もなしに作業させてしまったのは我々の判断誤りだ」
ハテルマ様が頭を下げた。
父も同じ気持ちなのだろう。苦々しげな表情で黙っていた。
夕方には医師たちが到着し、毒の解析が始まる。解毒剤が出来れば毒で死に至る確率は低くなる。
ガーシャはきっと、目の前で毒に冒された人がいたら治癒しようとしてしまうだろう。とても優しい人だから。
あたしとアギしか治したくない、この力を知られたくないと言いながら、新緑の民である事を推して翠都の宗主になったのだ。それはすべて、あたしの所為だ。
まだ目を覚まさない幼馴染の横顔を見ながら、絶対に使わせない事を誓った。




