託宣(4)
父が天守閣を切ってずらしてしまったので急遽移動したのだろう。天守閣のある一番大きな建物ではなく、町の近くの広い建屋の方に呼ばれた。研究所や裁判所もある、いわゆる本丸だ。こちらの建物の方が平屋で上下移動がなくて助かる。
天守閣の方はいつ崩れてもおかしくないもんね。
ごめんなさい。
通されたのはそれでも一番奥の広い畳敷きの部屋だった。先ほどの天守閣にある部屋と雰囲気が似ており、一番奥に御簾のある段があり、宗主アケラが一人でそこに座っていた。
もちろん先ほどのように近くにガルトさん達が隠れて控えているのだろうが。
「お待たせいたしました」
アリ様が手前に座り、礼をする。
先ほどより少し簡易的な感じだ。他の宗主一族もいないし。
「未だ首と胴は繋がっているようだな、アリヤシャ」
「ええ、私の方もラクシャを友人と認識しております故……この者の奇行は今に始まった事では御座いません」
うるせーと言いたげな父だったがすんでのところで我慢したようだ。
アケラ様に研究所の所長さんが何か資料を渡している。
もしかして、一か月ほど前にとったあたしの記録だろうか。父危篤の知らせの後、もしかして報告されてなかった?
と考えたところで、忙しかったんだよ! と脳内のアリ様が怒った。
そうだった。異形の神徒を討伐した後片付けでそれどころじゃなかったよね。古銭は分配したって言っていたからどちらの都もかなり潤っているはずだ。
「これは……予想以上だな」
「はい。ほんの半日の討伐で、神都がひと月に消費する古銭をはるかに上回ります」
宗主アケラは目を細めてその資料をめくった。
そうだよ、あたしは一年に2週間だけここにいれば十分なんだよ! 所長さんがそう言ってたもん。
「成程、大黒天様の落とし子か……」
最後まで資料を読み切って、アケラ様はあたしを見た。
感情をあまり映さない漆黒の瞳。表情も少なく、声に抑揚も少ない。もともとそうなのか、宗主という立場がそうさせているのか。
古銭動原の絡繰を推奨し、そのために動力となる古銭を集め、さらに道を外れる事を恐れずに秘設部署で神徒の研究をさせている。あたしの事は問答無用で攫ってきたけれどそれも神都の将来を見据えての事なのだろう。
ガーシャが言うように、おそらくこの人は宗主らしい宗主で、だからこそ神都の発展に誰よりも尽力しているのだと思われる。
そしておそらく数字で世界を見る事が出来る現実主義者だ。
お互いの利を出せばそれなりに付き合える相手だと思う。
「計算上は10日もあれば1年持つと思えばよいか、コウライバ」
「ええ、今まで通りの消費量であれば。ただ、大型の神徒を狩り続ける事になりますので狩る側の体力を考えると余裕を見て2週間か……もう少し」
「あまりに効率が良すぎるな。何か懸念は?」
「今の時点ではありません」
「危険性のない大きな力などあり得ない。常に疑え」
「御意」
所長さんは軽く礼をした。
あたしは、話しかけようとして一瞬躊躇った。猫を被るか被らないか迷ったからだ。
その逡巡が伝わったのかアケラはこちらをちらと見た。
「いい、好きにしろ。お前も、お前の父もだ。もはや取り繕う気もないのだろう」
よく理解してらっしゃる。
そもそも宗主アケラにはすでに素は晒しているので今さらだ。
そしてアケラ様はあたしの隣の父を睨みつけた。
「本来であればお前だけは神都からすぐにでも消えて欲しい。すべてが危険すぎる。徒手でガルトを押さえられる相手など見たことがない」
「ナユタを開放すれば喜んで二人で出て行くさ」
「娘は大黒天様の落とし子だと言っただろう。神都を離れられる訳がない」
相変わらず会話にならないな。
父もなんだか疲れてきている。
「ねえ、お父さん」
「何だ?」
「少しだけアケラ……様、と二人で話していい?」
「駄目だ」
即答。
本当に仕方ない父親だな。
「……ガーシャの秘密を他の人に知られたくないんだよ。アケラ様とだけ話したい」
そう言うと、アリ様が何かを察して騒ぐ父を連れて行ってくれた。
ありがとう。
二人だけになったのを確認してから、あたしは口を開いた。
「アケラ様、少しだけ聞いていい?」
「……今はお前しかいないから本音を言わせてもらうが、お前ら親子に出来るだけ関わりたくない。早めに終わらせろ」
本音すぎる本音をぶつけられ、驚いた。宗主を絵にかいたような宗主でも、人前では建前を使うのか。最初に受けた印象ほど怖い人ではなさそうだ。
人払いをしてよかった。
あたしは思わずふふ、と笑いを漏らした。
「笑い事ではない」
「笑い事だよ」
笑ったら肩の力が抜けた。
あたしはアケラ様を見つめた。相変わらず感情の読みづらい漆黒の瞳がこちらを射抜いている――お互いに全く視線を逸らす気がないからすごく見つめ合ってしまう。
うまく説明できるだろうか。
いつも穏やかに皆を説得する幼馴染の彼ならば、いったいどういう風にこの人と話すだろうか。
「……アケラ様は、この世界が一度目じゃないって言ったら信じる?」
そう言うと、アケラ様はほんの少しだけ目を細めた。
その反応で確信した。
アケラ様も知っている。
「神徒の娘、お前は」
「ナユタ」
ここだけは譲れない。
「あたしの名前はナユタ。大黒天様の落とし子でも神徒の娘でもない。父はラクシャ、母はテラス。あたしは、ナユタ」
大黒天様に恨みはないが、勝手に神都の所有物のような名前を付けられるのは堪らない。
むっと眉間に皺を寄せながらも、あたしの勢いに押されて、ナユタ、と言い直した。
「これは想像なんだけど……大黒天様の『白』に関する託宣は初めてじゃないんでしょう。初めてだとしたら、あんなにも落ち着いて聞けるはずがないもの」
そう言うと、アケラ様は懐疑的な表情をした。
近くでよく見ると感情がない訳ではない。もしかすると、小さい頃から人前で感情を表に出すなという厳しい教育を受けてきた為に大きな表情の変化がないだけかもしれない。
その想像が出来るようになったのは、曲がりなりにも一か月、あたしも同じ事を繰り返し叩き込まれたからだ。
「お前はあの内容を理解したのか」
「あの場で理解した訳じゃなくて、知ってただけだけどね」
「ああ……蒼都を追われた宗主の末子はお前達の一派だったな」
アケラ様が口にしたのはサイショウさんの事だ。研究所に外道衆が増えたってアリ様が言っていたのはやっぱりサイショウさんたちの事らしい。
「でもそれはアケラ様も同じだよ。『白』の事なんて、たったあれだけの説明を一度聞いただけじゃ分からないはず。それなのに貴方が託宣を聞いても驚かなかったのは、公表されていないけれど過去に同じ託宣があったから?」
漆黒の瞳に移る感情が初めて揺れた。
それでもアケラ様はあたしから目を逸らさなかった。
「これもただのあたしの想像なんだけど。貴方は秘密裏に『白』の侵食がある事を知っていて、それを回避する為に動いてきたんじゃないかな。朱印の固定化も、古銭の絡繰も、神徒の研究を始めたのも?」
研究所の所長さんと数字を見ながら話が出来るのは、アケラ様自身が研究そのものに興味があるからだと思うのは突飛すぎるだろうか。
あまりの現実主義は、道の外へ足を踏み入れる。
しかし、ここまで神徒に侵された世界で、世界を救うために世界を知る事は外道と呼んで忌避している場合じゃないと思うのだ。本来であればすべての人が、すべての都が真実を知って、手を取り合って問題に立ち向かうべきだ。
あの託宣を通じて大黒天様もそれを望んでいるのならとても心強いし、神都を治めるアケラ様が同じ思想でいるとしたらそれを広める事も出来るだろう。
「きっと貴方もかつてあたしと同じように大黒天様の落とし子の一人だと言われたんでしょう」
今となっては知る術もないが、巫のカルラが大黒天様からそんな託宣を得ていたら。
そして今は亡き前宗主が託宣を聞き、さらに研究者肌の現実主義であるが故、外道に偏見を持ちづらいアケラ様の方を宗主としたら。
アケラ様がその意を汲んで淡々と神都を護り、神徒を狩ろうとしていたら。
兄妹たちとの軋轢もないがしろにするほどに。
初めてアケラ様の姿が見えてきた気がした。
ルドラは『頭が固い』と言ったけど、確かにそうなんだろう。そして、とても真面目で不器用な人なのだろう。無表情なのも感情が分かりづらいのも今なら納得できる。
あとは当たり前に宗主一族として生きてきたから考え方が宗主らしすぎるだけだ。
ここまで話してきた事は単純にあたしの想像でしかないけれど、ガーシャの言葉を合わせるとかなり正解に近いところまで来ているはずだ。
「何故……そこまで」
アケラ様がようやく動揺の色を見せた。
さて、ここからが本題だ。
ようやくあたしの言葉を聞いてくれる土俵まで乗せる事が出来た。
「アケラ様。あたしと手を組もう」
少し身を乗り出して手を差し出した。
「最初に言った通り、この世界が一度目じゃないっていう可能性はある人に聞いたの。前の世界の終わりは本当に夢であってほしいような凄惨な結末を迎えたって」
それ以上の事をガーシャは語ってくれない。思い出したくもないほどに酷い記憶なのだろうと言う事は容易に想像がついた。
もしかすると、巫のカルラも同じなのだろうか。ずっと世界に怯えているのではないだろうか。
「神徒の事も『白』の事も問題がたくさんある。でも、それは神都だけの話じゃなくて大陸全体が巻き込まれる大きな話になる。何しろあたしは翠都と菫都に隣接する大山脈が『白』の境界に飲み込まれている様をこの目で見てきたし、実際にあたしと父は『白』の境界に入った事もある」
「境界に入った?」
あれ、その辺りも知っていると思っていた。
黒い鼠が偵察にきているのだから、あたしたちの行動なんて筒抜けなのかと。
「その話も皆で共有しよう。何かを解決する切っ掛けになるかも。目的が同じならお互いに協力しようよ」
言いながらふと気づいた――もしかしたらガーシャはこの結論にとっくにたどり着いていたんじゃないかって。皆で手を取り合って世界を救おうとしていたんじゃないかって。
だからサイショウさんは神都に移動してすでに研究所に入っているんじゃないだろうか。
最後に残していった予言だって、あたしの行動すべて見透かされているじゃないか。あの人は手元にある札をうまく配置して動かして目的を達成していく人だから、あたしもその中に組み込まれているに違いない。
何だか悔しいなあ。
けど、期待には応えるべきだろう。
「大黒天様は前の世界を救えなかったと嘆く人たちが今度こそ世界を救えるように、アケラ様やあたしのように、前の世界にいなかった命を作ったのかもしれないからさ」
どういう理屈かは分からない。だってあたしは大黒天様の子ではなく、ラクシャとテラスの娘だからだ。
それでももし本当に慈悲深い大黒天様が新たな世界を救うために意図的にあたしたちを創り出したというのならば。
「アケラ様は頭がいいし、宗主だから力もある。でも、他のみんなで一緒に頑張るのも悪くないと思うよ」
お願いもお断りも知らない、自分と対等な関係を持つ事もなかっただろうアケラ様は、あたしの言葉をどうとらえるんだろう。今までなら全く会話にならなかったけれど、ここまで踏み込んだのだから少しは届くといいのだけれど。
アケラ様はまだあたしの方を見ていた。
何かを迷うように。一歩踏み出すのを躊躇う様に。
今ならわかる。
人の手をすぐに取れないのはきっと、孤独に頑張ってきたからだ。出会った頃のメイカ様のように。集落を出たばかりのアギのように。
「アケラ様ももう一人だけで頑張らなくてもいいんだよ。これからどうするか一緒に考えようよ」
そう言って笑うと、アケラ様は驚いた顔をした。
ああ、初めて感情のある顔を見られた気がする。
そして、手を伸ばしてあたしの手を取ろうとして――凄まじい音がして弾かれた。
「大丈夫かナユタ!」
「どうした、何があった?」
「ご無事ですかアケラ様」
その瞬間にあちこちからみんな駆け込んできたのでびっくりしてしまった。
心配されてたんだなあ。
「大丈夫だよ、牢獄の事ちょっと忘れてただけ」
「お前がナユタに触ろうとしたのか」
父があたしを確保してアケラ様に威嚇する。
「何かするとしたらどう考えても神徒の娘の方だろう」
ガルトさんが間髪入れず言い返した。
あたしは思わず笑ってしまった。
アケラ様も愛されているんだよなあ。アリ様だって何だかんだ言ってアケラ様の事好きだしね。
「さっきの話は考えておいて、アケラ様。あたしはいつでも待って――」
「いや、いい」
アケラ様は首を横に振った。
えっ、やっぱり駄目なのかな。神都の宗主と協力関係を築こうなんて。
「アリヤシャ、彼女らの牢獄を解除してくれ」
アケラ様の言葉で、あたしたちがずっと囚われていたアリ様の牢獄が解除された。
そして今度は、アケラ様から手を差し出した。
「待たなくて、いい。私はお前を……信じてみたい」
あたしは迷いなくその手を握った。
「ありがとう!」
握られたあたしの手を引き寄せて、手の甲に唇を寄せた。軽く口の端を上げただけだけれど、初めてこの人が笑っているところを見た。
突然の事で反応できず、ぼおっとしてしまった。
「ただし、父親にだけは手綱を付けておけ」
……最後の命令が一番大変かもしれない。
イチかバチかの賭けだったけど、どうやらうまくいったようだ。
アケラ様と協力関係を築くことが出来そうで安心した。かなり踏み込んだことを話してしまったから、あのまま決裂したらどうしようかと思った。
ご機嫌で研究所への道を歩いていると、アリ様が後ろでため息をついた。
「お前の幼馴染には心の底から同情するよ。これは遠くにいたら心休まらないだろうなあ」
「え、何で? ガーシャに言われた通りアケラ様を仲間にしたのに?」
「言われた通り……いや、まあ、そういう解釈もあるかもしれん」
わざわざ俺が言う事でもないか、とアリ様は諦めた。




