託宣(2)
鯰の神徒を討伐してから約1か月、ようやくあたしは神都の武陽城にお呼ばれした――もしかすると、もっと前から呼ばれていたけれどアリ様が無視していた可能性もあるが。
お陰様で礼儀作法から一通りを修めたあたしは宗主一族の前に呼ばれても恥ずかしくない淑女のフリくらいは出来るようになっていた。
アヤハナ師範もあたしの付き人として一緒にきてくれるそうだ。
師範があたしの髪から肌からぜんぶピカピカに磨いてくれて、アリ様がわざわざ高級な着物と帯を用意してくれて。まるでどこかの深層の令嬢のような出で立ちで紅都を出発することになった。
神都までは歩いていくと思っていたら何やら立派な乗り物が用意されていた。
黒塗りの籠に金色で大黒天様の朱印が施されているので、一目で神都の宗主一族の関係だと分かる。
「すごくヤダ」
「もう外ですよ、その表情はおやめなさい」
隣のアヤハナ師範に言われてむぐ、と詰まった。
目を閉じて、呼吸を整えて、目を開けて、表情を作る。真っ直ぐに前を見る。きょろきょろしない。姿勢よく、すり足で、早すぎないようにゆったりとした動作で歩く。
いったい何故なのか、望楼の入り口付近には紅都の人たちがたくさん集まっていていた。
「アリ様何かした?」
「俺は何も」
絶対何かしたでしょ。アヤハナ師範に適当な話を吹き込んでたのも知っているのだ。
と思ったら、人ごみの最前列に父親の姿を発見した。
瞬間的に悟った。原因はあの人だ。
だって周りの人に娘自慢してるもん。娘っていうから稚児くらいの年だと思われてたんだろう、思ったより大きい子どもが出てきて驚かれている。本当に恥ずかしい。
これだから人たらしの父を放っておくと碌な事にならないのだ。
「俺ではなかっただろう?」
「疑ってすみませんでした」
巨大な異形の神徒の討伐に関わっているにも関わらず、1か月ほど望楼の最上階に音沙汰なく籠っている謎に包まれた娘、さらに神都の宗主一族に呼び出されるような事態だ。神徒を呼ぶとも噂され、ついでに父が可愛い娘だとあちこちで言いふらしたに違いない。
どんな娘なのかと一目見ようと人が集まってしまうのは仕方なかったかもしれない。
アヤハナ師範が見ているので父を睨むことも出来ない。
「ここからは俺と、同じ牢獄にいるラクシャ以外に触れないように気をつけろ。弾かれるぞ。ああ、アヤハナには無為に触りそうだから事前に牢獄に入れているから安心しろ」
そう言いながら手を差し出されたので、手を重ねる。
観客などさも気にしていないという態度を見せながら籠に乗り込むしかなかった。
走り出す直前に父も籠に滑り込んできて、アリ様とアヤハナ師範、あたしと父の4人で武陽城へと向かった。
ガタゴトと神都へ向かう籠の中、アリ様はようやく今日の話をしてくれた。
「色々あって、今は俺がナユタ嬢の後見人って事になってる。父親はラクシャだが、神都の方で名を通すには俺の方がやりやすい事もあってな」
父はすでに聞いていたのだろう、特に驚いていなかった。
「お前を神都へ攫ってきたのはアケラ様の仕業なんだが、存在自体は一か月前の討伐で宗主一族全員に知られてしまった。討伐にはお前の兄と幼馴染もいたが、そちらはあまり公になっていない。追っ手を出されても困るから俺もラクシャも二人の事についてはあまり大っぴらにしてない。アケラ様の私設部隊が中心に討伐したという話にしてある」
アケラ様の施設部隊――ガルトさんたちの事か。正直、彼らだけでも討伐出来ていたかもしれないから嘘ではない。そのくらい精錬された神徒狩り集団だった。
「それから、新しく研究所の秘設部署に外道衆だった者が追加された。ああ、もちろん表向き道を外れた存在であったことは隠しているが……彼らもお前の知り合いだと聞いたから、時間があれば顔を出すといい」
外道衆。
心当たりがたくさんあるけれど……本当に?
父の方を見ると、知らない知らないと首を横に振られた。
「あとはそうだな、この1か月で菫都が復興してきた話や、翠都が外交を始めたという話も聞こえた。蒼都も宗主が代替わりしたと聞いたが……お前の兄たちも頑張っているんだろう。帰ってきたら話を聞いてやるといい」
言われてはっとした。
あたしが望楼にこもってみっちり絞られていた1か月の間、アギもガーシャもメイカ様も離れた土地で頑張っていたのだ。
心のどこかに温かい火が灯るようだった。
「1か月の動きとしてはそのくらいか。異形の神徒を討伐した後始末はほぼ終わっている。古銭の分配も含めてな。お前を完全に放置していて悪かったが、俺もそれなりに忙しかったんだよ」
紅都だって防御を発動したからと言って全く被害がなかったわけではない。
その上、面倒なあたしの存在を抱えて、教育まで施して、後見人になってくれて、おそらく――戦うために1か月の猶予まで与えてくれた。
メイカ様も言っていた。着飾る事はある意味で武装なのだと。同じように礼儀作法を身に着ける事もまた、武装だ。
紅都を治めるアリ様はそれをよく知っている。
「うん、知ってる。ありがとう」
ほんとか、と疑われたが、心の底から本当に感謝している。アリ様が思っている以上にあたしはこの人を全面的に信頼しているのだ。
「で、今日の事なんだが――カルラ様が大黒天様から託宣をいただいたそうだ」
「えっ」
あの人、大黒天様の巫だったのか。
怖いから会いたくないなあ。
顔に出てしまっていたのか、アヤハナ師範の扇子でぴしりと手を叩かれた。
平常心平常心。
「内容については俺達にも知らされていない。だが、発表に際してナユタ嬢を連れて来いと言われているからおそらくお前に関する事なんだろう」
城に到着したら研究所の所長さんがたゆんとしたお腹を揺らして出迎えてくれた。
「ナユタ様、そして御父上もご健勝のこと、何よりでございます」
そう言えば前回は父危篤の知らせを受けて何も言わずに帰ってしまったから申し訳なかったと思う。お陰で父は元気になりましたよ!
元気に報告してもよいのだが、アヤハナ師範が見ているので穏やかに微笑むに留めた。
今日は猫かぶりをするというのは伝わっているのだろう。所長さんもそれ以上求めずに城内へ導いてくれた。
アリ様を先頭にして、あたしとアヤハナ師範、そして父が後ろを守るように続く。
長い廊下を歩いて、階段を上って、また歩いて……この道順だけは何度歩いても覚えられる気がしない。階段を上るときは父が手を貸してくれたけれど、女性が住むには絶対に向いてない城だ。それだけは間違いない。
階段を登りながら、ふと蒼都の秋祭りでガーシャと一緒に石段を登って、花火を見たことを思い出してしまった。
ずっと忙しくして、毎日必死で、寂しさなんて忘れていたのに。急に会えない寂しさを思い出してしまったのは、さっきみんな遠くで頑張っている事を知ってしまったからだ。
考えさせないほどに課題を与え続けたのも、アリ様の掌の上なのだろうか。何だろうとても悔しい。
自身を引きこもりの物書きだと言いながら、神徒狩りとしてとんでもなく優秀だし、物書きだからか博識だし、実は交友関係も広いし、優しいし、面倒見もいいし、気づかぬうちに導いていてくれているし……実はアリ様はちょっとだけガーシャと似ている。違うのは体力が全然ない事くらいだろうか。
あんまり親しくするとガーシャが怒るかもしれないけれど、どうしても気を許してしまう相手なのだ。
前を歩く背中に念を送っていたら、また師範に気づかれてピシリとされた。
なんて優秀な付き人なんだ。
脳内はともかく見た目だけは清楚に大人しく。
たどり着いたのは、宗主アケラに会ったあの畳の広い広い部屋だった。
「集中しろ」
アリ様が言うと、部屋の中からアリヤシャ様がご到着されました、と声がして襖がすぅっと開いた。
前に来たときはがらんとしていた部屋に、今日は多くの人がずらりと整列していた。
ここへ来る前に教え込まれた知識を引っ張り出す。
右手にずらりと並ぶのは天の左一派、左手にずらりと並ぶのは竜の右一派。宗主一族はそれぞれが左天派もしくは右竜派に所属する。
これは先日聞いた事だが、宗主アケラの母は左天派、その兄カルラと妹ルドラの母は右竜派の出身らしい。前宗主を父に持ちながら母の異なる異母兄妹だそうだ。だから宗主の三兄妹ではあるが、カルラとルドラは仲が良く、アケラはそこから少し離れている。
そしてここからは覚えたてのあやふや知識になるが、本来であれば大黒天様の巫である兄のカルラが宗主になるところを、前宗主が神徒狩りのアケラを宗主にと強引に推したらしい。
前宗主はすでに不慮の死を遂げているのでその真意は定かではないが、アケラが宗主になってから約3年、左派と右派はとても仲が悪いとのことだった。
そこへ異物が放り込まれてしまった。
神徒を無限に呼ぶ金の生る木。
宗主アケラが神都に招いたとはいえ、その存在はすでに宗主一族全体に知られてしまっている。後で聞いた話によると、蒼天の舞姫の名で呼ばれる娘と同一人物である事も知れ渡っていたそうだ。
大黒天様の巫であるカルラが、前世に存在しなかった異物に対して一体何を告げようとしているのかは全く分からなかった。
一つだけ分かる事は、カルラが大黒天様を深く信仰しており、その意に背くようなマネはしないだろうという事だけだ。
左右の宗主一族の真ん中をアリ様に続いて進む。付き人であるアヤハナ師範は部屋の前で待つことになるので父に守られる形で進んだ。
皆の視線が集中しているのを感じるが、習った通り視線を揺らさず、まっすぐに前だけを見据えた。
先ほど出迎えてくれた研究所の所長さんは左天派のかなり前の列に座っていた。宗主に近いほど地位が高いはずだから思ったより偉い人なのかもしれない。
部屋の奥に近づくにつれて空気が冷えていく。
これは気の所為ではない。
おそらく、宗主とその一族が持つ影の朱印の効果なのだろう。
前回は上がっていた御簾が今日は完全に降りていた。
アリ様は手前で立ち止まり、二礼する。お社で神様へ行う礼とおなじだ。
あたしと父もそれに倣って、その場に坐した。
御簾の向こうから宗主アケラの声がした。
「御苦労、アリヤシャ」
「勿体ないお言葉で御座います」
この場にそぐわない、くすくすと笑う女性の声が響いている。
御簾の向こうにルドラもいるようだ。
あたしですら礼節を学んでこの場に来たというのに、本当に自由な女性だな。それは、前宗主の娘で、宗主の妹という立場だから許されるものなのかもしれないが。
「皆も知る通り、我が兄であり大黒天様の巫でもあるカルラが託宣を賜った」
よく通る声。あまり抑揚はないが、自然と耳に入る聞きやすい声だ。
広い部屋だが、末席の人間まではっきりと聞こえているだろう。
「この場で公示を行う」
アケラの言葉で、御簾の手前にすぅっとカルラが現れた。
漆黒の狩衣を纏い、笏を手にして深々と礼をした。
「大黒天様は仰いました」
こちらも朗々とした声ではっきりと。
言葉が始まると周囲の人が皆低頭したので慌てて倣った。先に言っておいてくれ。
一拍遅れてあたしが頭を下げるのを見守ってから、カルラは続きを語りだした。
「『現世が白に侵されている』と」
しぃんとした部屋に彼の声が響き渡る。
「白は神無き色、七都を護る神々いずれにも属さぬもの。白による侵食はすでに大山脈で、大海原で始まっている。神徒は白が落とす生き物。人を喰らい白の世界へ連れ帰るためにやってくる」
まるで神話を語るように。
外道衆が道を外れて辿り着いた結論が今、世界で最も大きな都を護る神様の口から語られている。
これは何の皮肉だろう。
「大黒天様はこうも仰いました。『侵食に抗えず泣く子らを救うため、現世に命を落とした』と」
神様の言葉は曖昧だ。
それは、翠都で福禄寿様の言葉を賜る巫女だったリーリャさんの時に知った。
それをどう解釈するのかは巫女に、巫に託される。
「その命の一つが神徒を呼ぶ娘であると」
その瞬間、さすがに部屋がざわりと騒めいた。
あたしも心臓がどきりと跳ね上がった。
「娘には侵略する神徒を大黒天様の御力で討伐する義務がある。神徒はその殲滅を防ごうと娘の周りに現れるのだ」
ちょっと解釈が違うような。
あたしが神徒を呼ぶのは朱印の力で、その朱印の発動を止められていないだけだ。
別に大黒天様に言われて神徒を狩っているわけではないし、殲滅する気もさらさらない。ただ現れるから狩っているだけだ。
とはいえ、神様のお告げをしている巫を途中で止められるわけもない。
「願わくば、神徒を呼ぶ娘が大黒天様の御力により全ての神徒を討ち滅ぼさん事を希う」
最後にあたしへの言葉で締めて。
カルラはすうっと御簾の向こうへ消えていった。




