託宣(1)
明るい雪洞が周囲を照らし出している。
川の流れの音がする川床にてあたしは白藍色の豪華な着物に身を包み、手を揃えて床につき、背筋を伸ばしたまま深く頭を下げた。
観客は知った顔ばかりだが、お稽古の成果を見せる為に用意していただいた舞台だ。
牢獄に囚われ退屈を持て余していたあたしの為に、アリ様は舞踊を習う事を提案した。舞踊の先生を望楼の最上階に招いてくれて、集中して稽古に勤しんだのだ。
何しろ巨大な神徒を狩り終わった後始末が大変で、神都も紅都も驚天動地の大騒ぎになっていたから、おそらく神都の宗主のアケラもあたしの事なんて忘れているだろう。アリ様も忙しくて構ってもらえず、部屋からも出られないし、父と手合せするくらいしかやる事がなかった。残念ながらあたしはアギじゃないのですぐ飽きた。
何日目かに断ったら父は寂しそうにしていた。
面倒くさいので朝の基礎練習だけは毎日一緒にしてあげている。舞踊の鍛錬にもなるし。
あたしの元へいらっしゃったのは、いくつかある舞踊の流派のうち最大の花柳流の師範だ。アヤハナ師範はちょうど専門部の試験に合格し新しく教室を作ろうとしていたらしく、アリ様が教室を開くまでの家庭教師をお願いしたら自身の研鑽にもなるからと一も二もなく承諾してくれた。
師範は19歳、アギたちとそう変わらない年だ。それでお稽古の師範になり教室を開くのだから素晴らしい事だと思う。
師範は赤都のシャラ様とはまた違った意味で所作が美しく、見ているだけでほうっとため息が漏れる。花柳流は華やかさを兼ね備えた細やかな振り付けが特徴で、古典を重んじながら新しいものも取り入れる柔軟さもあるそうだ。
最初に叩き込まれたのは基本姿勢だ。メイカ様に習った奉納舞もそうだったが、落ち着いた動作が要求される。
手持ちの扇子でぴしりと肩を叩かれたのは一回や二回ではない。
何しろあたしは動きが性急らしい。そして無駄な動きが多い。
隣で見学していた父も興味深そうに師範の話を聞いていたから、どこか武道にも通じるものがあるのだろう。
それでもここまでゴクジョウ師匠に徒手の組手を習い、それなりに鍛えてきたおかげで基礎的な筋力や体力は問題なく、10日もみっちり稽古を続けたら長唄の一つは通しで踊れるようになった。
人前で発表しようと言い出したのはアヤハナ師範だ。
「ただ自分で稽古をするのと、人に見せる事を意識して稽古をするのは全く別物です。せっかく覚えがよいのですから、身内でよいので発表する場を設けましょう」
未熟な踊り手ではあるが、師範の最初の弟子になる。
下手なことは出来ないと毎日毎日練習を重ねた。
それならば、とアリ様が忙しい中で時間を取ってくれて、望楼近くの川床を貸し切ってお披露目をすることになったのだ。
演奏者もアリ様がどこかから連れてきた。どういう伝手なのかは知らない。引きこもりの物書きと言ってはいるが、紅都の長でもあるので付き合いは広いのだろう。
最前列のアヤハナ師範の視線が怖いが、せっかくなので楽しんで出来ればいいだろう。失敗しても、どうせ身内しかいないのだ。
久しぶりの休みだと言ってアリ様もとっくに杯を干しているし、隣の父が次々注いでいく。その隣でお医者さんがはやし立てていたが、医者なら無為な飲酒は止めるべきでは。
三味線の音が鳴り始め、唄うたいが朗々と喉を奏で始める。
実は本物の演奏に合わせるのは初めてで、いつも師範の歌と拍取りの手拍子に合わせて踊っていた。
ゆっくりと面を上げて、客席を見渡す。
この演目は、黄都近くの美しい海辺で塩を作る海女が、かつて恋に落ちた男を偲んで、彼の形見を身に纏って舞う姿を描いたものだ。届かぬ恋心を美しく、そして切なく表現する華やかでかつ繊細な物語だ。
あたしのように大した恋も知らない若輩者の初心者が舞うにはあまりに難しすぎる演目だけれど、切ない中にも強さを見せる海女の心を示すような振り付けは好きだった。本来であれば扇子や傘など小道具を使うらしいが、そこまで至れなかったので指先まで神経を巡らせて踊るよう師範から申し付かっている。
導入部のゆったりした動きから三味線の音が激しくなり、恋しさに身を焦がす激しい振りに入っていく。
月夜の逢瀬、松の影。
浜千鳥の声、波の音。
もう一度戻ると言ったのに、あの人は帰って来なかった。
再会叶わなかった海女の心が千々に千切れて砂となる。
砂となってあの人を待ち続ける。
あまりに切ない物語に、踊っていても胸が締め付けられてしまう。
大きく手を振り上げながら、海女の思った人を想う。
どれだけ会いたかっただろう。どれだけ寂しかっただろう。
三味線の音がまたゆったりと、海辺の景色を映し出す。
見上げた月はあの人と共に見た景色と同じだろうか。
伸ばした指先にある月が、あたしの脳が描いた景色か、海女が見た景色か、本当に現実の月なのか、最後には分からなくなってしまった。
くるりくるりと回りながら、ゆっくりと床に倒れ伏した。
唄が終わり、三味線が消え。
最後に静寂が訪れた。
ほんのしばらくの沈黙。
その直後に、わあっと拍手が巻き起こった。
まるで全力で神徒と戦闘した時のように全身がどっと疲れていた。
初めての感覚だった。
まるで自分が、本当にお話の中の海女になっていたかのような。
「よく出来ましたね」
アヤハナ師範がにこりと笑ってあたしを褒めてくれた。
それだけで肩の力が抜けた。
「本当に10日やそこらで練習したのか? 正直ほとんど期待してなかったが……いや、驚いた。上手下手の前に目を惹くな。感情に飲み込まれそうだ」
紅都に住んでいて目が肥えているであろうアリ様にそう言ってもらえたらお世辞でも喜んでしまうよ。
「ええ、私もそう思います。踊りを極めれば、紅都でも指折りの芸子になれるでしょう」
アヤハナ師範が珍しく手放しで褒めてくれるので照れた。
「ですが、芸子を目指してはいないのでしょう」
残念ながらあたしは神徒狩りだから。
「だが、舞踊の動きは神都に呼び出されても使えるだろう。基本から精錬された動きだ。意識していれば宗主一族の前でもおかしな事はない。出来るだけ続けておけ」
アリ様が言った。
もしかして、それも見越してあたしに舞踊を習わせたんだろうか。
前回武陽城を訪れた時にも、粗野で粗暴な野生児の動きをしているのが気になっていたのかもしれない。
普段は引きこもりでだらけた人なのに食えないなあ。
「あとは口調だなあ。誰を師につけるか……」
やっぱり。
このまま神都の宗主とでも対等に話せるように躾けられてしまう!
「そちらも私が見ましょうか? これから新たな方に師事する時間も少ないでしょう」
「頼めるか、アヤハナ。悪いな。ナユタの教育が終わったらお前自身の教室の方も用立ててやるから」
「お気になさらず。私自身もとても勉強になりますから」
アヤハナ師範はにこりと笑った。
師範は優しそうに見えるし、声を一切荒げないが、厳しい。言葉遣いの方も直されると聞いてあたしは気が遠くなった。
舞踊師範のアヤハナを家庭教師につけ、あたしの教育計画はみっちり練られた。
読み書き以外に著名な書物の読解はもちろん、舞踊を中心とした動きの強制、言葉遣いや城での礼儀作法。一通りは知っているものの着付けや身支度の整え方まで。
成人したばかりだと言うのに、アヤハナ師範はとても優秀な教師だった。
普段は厳しく手に持った扇子でぴしりぴしりとお小言で締めるのに、時折褒めてくれるから嬉しくなって頑張ってしまう。飴と鞭の使い方の上手な事。きっと教室を開いたらとてもいい先生になると思う。
ガーシャに言わせればあたしは『年上でしっかりした女性に弱い』からというのもあるだろうが。
それにしてもあたし一人にここまで付き合ってくれるのは本当にありがたい事だ。
父はアリ様と一緒に出掛けている。父の方も退屈すぎて紅都の神徒狩りの世話役に身を乗り出したのは知っている。年も近いしいつの間にか仲良くなっているようだ。絶対、あたしを置いてアリ様とお医者さんと3人で飲みに行ってるに違いない。これだから人たらしの父親は。
本日の稽古も最後まで終わり、ぐったりと長椅子に倒れこんでいたら、はしたないですよ、と叱られた。
「ねえ、アヤハナ師範。今日はここに泊まっていかない?」
「それは……」
「一日くらいいいでしょ? お父さんもアリ様もきっと帰って来ないしさ、一人だと寂しいんだ」
可愛い一番弟子のお願いに、厳格なアヤハナ師範も心動かされたようだ。
今日だけですよ、とため息とともに了承してくれた。
いつも父と寝ている寝台の隣に長椅子を2台くっつけて広くした。
ゆるい浴衣に着替え髪を下ろしたアヤハナ師範は、いつもより年若く見えた。そうだよね、まだ19歳だもんね。あたしと4つしか違わない。
「アヤハナ師範は家族と住んでるの?」
「いえ、私の師匠に弟子入りする時に家を出ました。元々芸事に興味がありまして、家は神都の下町ですが紅都へ一人やってきたのです。ですから、今も師匠の家を一部屋お借りしているのです」
「もしかして、あたしの世話をしているせいで教室が持ててないから……?」
「いいえ、それは違います。もともとこの紅都で自分の教室を持つというのは非常に困難なのですよ。むしろ私はアリヤシャ様に気をかけていただき、このように舞踊関係のお仕事をさせていただいているだけでも非常に幸運なのです」
それは、アヤハナ師範が優秀だからでは。
アリ様はこんな大きな都の神徒狩りの長と思えないほど優しいけど、誰彼構わず面倒を見ているわけじゃなくて、それなりに相手を選んでいると思うよ。
「それに――ナユタに教えるのはとても楽しいです」
「えっほんとに?」
思わず声を出してしまった。
そうしたら、アヤハナ師範は練習の時には見たことのない可愛らしい笑顔で笑った。
「ええ、覚えがとてもよい。最初に教えた方がよかったのでしょうね、何をしても基礎がしっかりしているのですぐに応用できる。そして素直にこちらの言う事を吸収してくれる。これほど優秀な生徒はいませんよ。最初の生徒がナユタで本当に幸運でした」
「えへへへ」
そんな真っすぐ褒められると調子に乗ってしまうよ。
稽古の間は毎日毎日ぴしりぴしりと言われてばかりだからさ。
「もうすぐ宗主のアケラ様の元へ嫁ぐとお聞きしています。それまでには最低限の所作だけは覚えられるようにしましょうね」
宗主の連れ合いの家庭教師ともなれば大きな箔がつきますから、と言われ頭がくらくらした。
「ねえ、師範。それ誰に言われたの……?」
「アリヤシャ様からはそうお聞きしておりますが?」
アリ様あああああ
あの人はいつもいつも適当な事ばっかり言って! でも宗主の妻って言っておけば最上級の振る舞いを身につけさせてくれると思ってそう言ったんだろうね!
だってあの人はあたしがガーシャ以外を選ぶはずないって確信しているはずだから。
「あのね、師範。もっとあたしたちはよく話すべきだったと思う」
「どういう意味でしょうか?」
アヤハナ師範は小首を傾げた。
こんな時まで美しい完璧な角度だ。素晴らしい。
「あたしは宗主に嫁がないよ。心に決めた人がいるんだ。今は……少し遠くにいるけど」
「そうなのですか?」
アヤハナ師範だって19歳の女の子だ。女の子はいくつになってもおしゃべりが好きなのよ、と言っていた菫都のおばあちゃんの事を思い出しながら。
「てっきり私はラクシャ様がそうなのかと……」
「実の父親です!!」
お父さんって呼んでたでしょ? というと、宗主一族あたりでは養父がそのまま夫になるのは珍しい事ではないらしいと聞いて衝撃を受けた。そもそも実父だ。見た目の年が若いから不自然な事は認めるけど。あとあたしが無意味にべたべたくっつきすぎなのも認める。父があたしを甘やかしすぎなのも認める。
ねえ待って、アヤハナ師範にいったい何がどう伝わってるの?
というか何も伝わってないの?
あたしはアリ様の適当さに気づいてため息をついた。
「ねえ、少しだけ長い話を聞くつもりはある?」
「ええ、いいですよ。夜は……長いですから」
アヤハナ師範の中では、あたしと父が恋仲で、でもあたしが神徒を呼び寄せる体質だから神都に呼ばれて、泣く泣く花嫁として宗主一族に差し出される……という物語がうっすら描かれていたらしい。その設定だと父が楽観的すぎるだろう。だって今この瞬間にもここにいないし、あたしの修行も横で面白そうに見てるだけだったし。
全然違う。
自分の身の上話をしながら、ものすごく既視感を覚えたが――何のことはない、ここへ来たときにアリ様にも同じ話をしたんだった。




