鯰討伐(4)
目の前で光と音が炸裂した。
が、それ以上にガーシャの言葉が衝撃過ぎて呆然となった。
「もし、本当に黒い鼠がカルラで、今の宗主がアケラなのだとしたら……異分子のせいで宗主になれなかった事に憤慨して、ナユちゃんにも八つ当たりしてるだけの可能性もあるわけだ」
そういう言い方はどうなんだろう。
けど、もし本当にガーシャの言う事が当たっているとしたら、カルラは宗主のアケラとも非常に仲が悪い意味もよく分かる。
「気を付けて。宗主のアケラは本当に神都の利の為に動いている可能性が高いけれど、カルラの方は私欲で私怨の可能性がある。その方が何をするか分からなくて危険だ」
集中して、と鯰を指さしながら。
目の前で数度、光と音が炸裂した。衝撃はあれど雷そのものがあたしのところまで到達しないのは、アギがすべて直前で受け流しているからだろう。
2本ほどを残してほぼすべてのヒゲを根元から凍らせた時、ガーシャがアギに叫んだ。
「アギ! そろそろ行って!」
ガーシャの声で弾かれたようにアギは鯰の元へ向かう。
「さ、オレたちはこの先自力で避けないとな」
ガーシャはそう言ってあたしを抱き上げた。
「舌噛むから口閉じてて」
光玉をいくつか並べてとーん、とーんと助走をつけると、ガーシャはそのまま高速で空中を駆け出した。
上下左右、何が起きているか分からない速度で飛ばされている。
音と光から、背後に雷が追ってきている気配があるが当たらない。
舌噛むから、の言葉の通りものすごい速度のまま別方向に飛ばされて、頭がグワングワン揺れた。
「ナユちゃん、凍らせて」
上下反転のまま速度を緩めて指さされ、反射的に手を伸ばして断面を凍らせる。
振り落とされないように首元にしっかりと抱きついた。
次の瞬間には明らかに落下より速く地面に向かって急降下している。
地面すれすれで方向転換したら、その地点に雷が落ちた。
怖すぎる。
そしてそれを避け続けている幼馴染も怖い。
だって光を感知した瞬間には着弾している雷を避ける意味が分からない。
もちろん、それを受け続けていた兄の方も怖い。
あたし自身も強くなったつもりでいたけどやっぱりまだまだだな。
とーん、と大きく弧を描いて、落下しながら狙いを定める。
「これで終わり」
最後まで残っていたヒゲを切り落とした瞬間、地面がこれまでになく大きく脈打った。
とんでもない数の雷が頭上から降り注ぎ、叩きつけるような雨が視界を奪った。紅都が守られていてよかった。こんなものが降り注いだら都自体が滅亡してしまう。
それでも、ぐっと掌を握り締めて、凍らせた部分は放さなかった。
アギとガルトさんがとどめを刺すまで、再生なんてさせるもんか。
地面すれすれを飛ぶように駆けるガーシャは鯰に向かって近づいていく。
発光する白色の神徒が近づいた時、地面はまるで生き物のように波打っていた。これは神徒を倒したとしても、回復可能なんだろうか。
考えている間もなく、急上昇。
左右に振られながら雷を避け、鯰の頭上に駆けあがった。
上から見下ろした鯰はまな板の上に置いた見慣れたソレのようで、切断位置は容易に特定できた。
左からガルトさんが刀を振り上げ、右からアギが三叉戟を振りかぶって降下した。
二人同時に武器を振り下ろした時、鯰は断末魔を上げて地に倒れ伏した。
一拍置いて、鯰の全身が白い人型の紙になってぶわあっと飛び去った。
後に残るのは大量の古銭だ。
じゃらんじゃらんと大きな音を立てて大量の古銭が吐き出された。
安心してほうっと息をついたら、アギもこちらにやってきた。
「お疲れ、アギ」
「おう」
そう言っていつも通り拳を突き合せた二人。
危なげなく倒せてよかった。
ほどなく地面の揺れは止まり、空を覆っていた暗雲がみるみる消えていった。
後に残ったのは、ひどく晴れた夏空だけだ。先ほどまでの土砂降りが嘘のような灼熱の太陽が天を占めていた。蒼く抜ける空は美しく、紅色の薄衣に守られた紅都との対比がくっきりと目に焼き付くほど綺麗だった。
ただし、干潟は見る影もなく山と谷になって海水が流れ込んでいた。
あの中で古銭を集めるのは大変かもしれない。
「神都と紅都の神徒狩りが片づけてくれるだろうから、オレたちは見つかって面倒な事になる前にラクシャさんのところに戻ろう」
見ると、ちょうど紅都の防御も徐々に解除されていく所だった。これなら空から戻れそう。
ガーシャはあたしを下ろすことなくそのまま帰路についた。
「アギはよく雷を受け流せたね。避けながらだと狙いづらいからすごく助かった」
「何だかんだ親父と実戦繰り返してたしてたのが大きいんだろうな。感度がめちゃくちゃ上がってる。お前はよく避けられたな」
「アギを見てたからだよ。雷が落ちる場所と間みたいのがだいたい分かったから。流石にアギみたいに勘では避けらんない」
お互いに先ほどの戦闘を振り返りながら。
そして最後に同時にため息をついた。
「……これがラクシャさんなら全部一人で出来ちゃうってのが困るよね」
「多分、最初にしれっと間合いに入って、雷は避けながら、触れずに剣圧で髭を切ったら、最後に一撃で首を落としたろうな」
全員が同じ想像をしていて笑った。
父が傍に来たことで得られたのは安心感だけではない。競争相手とまで言えない、あまりに遠い理想として、遥かな背中として追いかけているようだ。
「男の子は大変だねえ」
「笑い事じゃないんだよ、ナユちゃん……娘の為にオレたちの敵になるまでは想像できてたけど、まさか娘のためにほんとに死ぬとは思ってなかった。とてもじゃないけど勝てないよ」
雨上がりの紅都はきらきらと光を反射して輝いている。極彩色に彩られた芸術の都。ここはなんて美しい都市なんだろう。
「でもね、ラクシャさんがいるから――オレはキミから少し離れて修行してきても大丈夫だって思えたんだよ」
額にこつりとおでこを当てて。
これから二人は旅立ってしまうから。
急に現実に引き戻されて寂しくなって着物の胸元を掴むと、ガーシャが優しく笑った。
「……どこにも行かないでって言ったのはガーシャなのに。勝手に置いてかないでよ」
「ほんとだよね。ごめんね」
謝られたって寂しい気持ちは消えないのだ。
胸元に頭を預けると、抱いている手に力がこもった。
「朱印の固定化にオレが気づかなかったのは、これまで一度もなかった技術だからだ。アケラの動きが読めないのも、これまで存在しなかったからだ。神徒はこの鯰をいれてあと3体、おそらく予定通りに出現するだろうけど、それ以外の事は自分で情報を取りに行かなくちゃいけない。ちょっと慢心してたところがあるから反省してる。この世界はとっくにオレの知る世界とは大きく離れてしまっているのにね」
出来ない事ばっかりでごめんね、と幼馴染は謝った。
「だから、今のままのオレじゃナユちゃんを連れて帰る事が出来ないんだ」
「お前は一人で全部背負いすぎなんだよ」
アギは言う。あたしもそう思う。
「いいんだ、オレが好きでやってる」
「ったく」
アギも呆れたように息をついた。
「でも、すぐ迎えに来るから少しだけ待っててくれる?」
まるであの時、メイカ様に告白したアギのように。
「……うん、待ってる」
あたしも同じようにお返事をした。
ガーシャが言うならきっと迎えに来てくれると確信する程度には信頼関係を築いてきたから。
「オレのいないところで怪我しないでね。ラクシャさんがいるから大丈夫だと思うけど。病気もしないでね、紅都にはお医者さんがいるから大丈夫だと思うけど」
「分かってる。ガーシャこそ無理しないでね」
いつも睡眠時間を削ったり自分の身を犠牲にしたりするから心配だよ。
ガーシャはあたしの顔を覗き込んで、はあとため息をついた。
「やっぱりやめようかな……ナユちゃんのいない時間に耐えられる気がしない」
「お前が決めたなら必要な事なんだろ。覚悟して行って来いよ」
アギがとん、とガーシャの背を押す。
なんだかんだで今でもあたしは二人の間には入れないのだ。いつもちょっと寂しくて、もやもやする。
と、不意に気づいてしまった。
「……そっか、あたしやきもち焼いてるかも」
「え?」
二人が同時にあたしを覗き込む。息が合いすぎている。
「アギと仲良すぎて入れなくて、たまに、すごくもやもやする」
「それは……」
アギが微妙な顔をした。
ガーシャはこらえきれず笑い声をあげた。
「うん、そうかも、そうだね。オレがナユちゃん以外を選ぶとしたらアギを置いて他に有り得ないもんね」
そこからも望楼の最上階に戻るまでガーシャはずっと肩を震わせていた。
笑いすぎだ、とアギにどつかれていたが。
ただいま、と帰ると、父が出迎えてくれた。
そして、3人とも平等に頭を撫でて、よくやったと褒めてくれた。
あたしたちは父に褒められると嬉しくなってしまうのだ。嬉しくなって口々に戦いの様子を報告すると、父は笑いながら聞いてくれた。
「お前たちみんな強くなったなあ。それぞれ出来る事を組み合わせて工夫して倒せるようになったのが特にえらい」
「ガーシャが神都の神徒狩りもこき使って指示出してた」
長椅子に寝そべっていたアリ様がよろよろと手を上げる。
「俺もこき使われたぞ……ひどい嵐だった……」
「アリヤシャさんの防御が本当にすごかったよ。あれがあったからオレたち全力で戦えたんだ。そうでなかったら雷の被害とか地震の被害とか、色々気にしながら戦わなきゃいけなかったもんね」
「そりゃよかった……実戦で動かしたのが初めてだからうまくいくかは正直、賭けだったからなぁ」
安心したように転がっていたアリ様だったが、気合を入れて立ち上がった。
「さて、町の様子を確認しなきゃなぁ」
「オレたちも一緒に出るよ」
アギとガーシャも一緒に動き出した。
土砂降りの中戦っていたのでまだ全身びしょ濡れのままだ。着替えようにも替えがないが。
「えっもう行くの?」
「うん、都を出る前にお医者さんの処にも寄りたいし」
そう言えばお医者さんが神都の医術に触れていけ、って言ってたっけ。
ガーシャはあたしの頭に手を置いて少し寂しそうに笑った。
「ナユちゃん、オレがいない間にあんまり浮気しないでね」
「したことないよ」
「……自覚がないって罪だよね」
何を言ってるんだろう。
あたしはガーシャ以外を好きになった事なんて一度もないのに。
「ナユちゃんがオレ以外好きになるはずないって分かってても駄目なんだよ」
おでことおでこが近づいて、至近距離で金色の瞳が細められる。
雨の雫が髪から伝って、頬に落ちた。
「オレはナユちゃんと違って心が狭いから誰かと仲良くするだけでも嫌なんだ。アリヤシャさんと親しそうなのもお医者さんに全部話してるのも、自分を攫ったガルトさんにだってもう警戒心なくなってるでしょ。本当は――アギにもラクシャさんにも近寄って欲しくないくらいなのに」
予想もしていなかった名前が出てきて目を丸くしてしまった。
父と兄を引き合いに出されたら、あたしはもう誰とも喋れなくなってしまう。傍で聞いていた父ですらびっくりしている。
「あと、これは予言だけど、次オレに会う時までに宗主のアケラとも仲良くなってると思うよ」
「……怖い予言しないでクダサイ」
否定できない自分が嫌だ。
だって、宗主のアケラがあたしと同じように異分子だと知ってしまって、すでに興味を持ってしまったもの。次に会ったら話がしたいと思ってしまっている。
「もう一回いうけど、あんまり浮気しないでね」
頭に乗せられた手が離れていって、本当に行ってしまうのだと思ったら急激に胸の中が切なさでいっぱいになってしまった。
いつも心の奥底に傷を隠して、いつも一人で無茶をするこの人を、このまま見送ってしまっても大丈夫だろうか。
思わず立ち上がって、着物の裾を掴んでいた。
「どうしたの、ナユちゃん。寂しくなっちゃった?」
振り返ったガーシャの胸元を掴んで、引き寄せる。
近くなった顔を、頬を、両手で包み込んで。
それからそっと彼の唇に自分の唇を重ねた。
金色の瞳が驚いたように見開かれてこちらを見ている。
唇を離して、至近距離で目を見て。
「どこにいても、元気でいてね」
そう言って笑ったら、両手で強く抱きしめられた。
「やっぱ連れて行こうかな」
耳元で呟いて。
でも、あたしの背後から不穏な気配を感じてぱっと離れた。
ガーシャがいたあたりをすごい速さの拳が空を切っていった。
「ごめん、ナユちゃん。殺される前に行くね!」
アギと二人で弾かれるように部屋の扉を出て行く。
追おうとした父が、扉のところで弾かれるのを見た。
「……ナユタ嬢はあれを過保護ですませてるのか」
アリ様は何か言いたげにあたしを見た。
兄も父もだいたいあんな感じですけど、と首を傾げると、アリ様は乾いた笑いを見せた。いつだったかのメイカ様のように。
「まあ……確かにふわふわしたお前の相手にはあの少年くらい重くてちょうどいいのかもなぁ」
その背後から、隠しもしない怒りの空気がめらめらと燃え上がった。
「……おい、これ解除しろ、すぐ行って殺してくるから」
「デキマセン」
アリ様がカタコトになっている。
父を開放すればもれなくガーシャが殺される。そもそもアケラ様の命令に背いてはいけないのに。
「あっ、俺、紅都の被害を確認しなけりゃならない。人的被害はあまりないだろうが、いくらか建物はやられてそうだ」
これでも紅都の長だから!
と言いながら、アリ様も部屋から去って行ってしまった。
あたしと父は牢獄の朱印があるから出られないというのに。
嵐のように皆が去って行って、あたしと父だけが部屋に残された。
怒っていた父もため息を一つだけついて、寝台に座るとあたしを膝に乗せた。手ぬぐいで髪を拭いてくれる。力強くて大きな手は思いのほか優しく撫でてくれた。
窓からは夏の風が吹き込んでくる。海が近くて潮の香りがする。先ほどまでの大雨などなかったかのように。
「あー腹立つ、成人するまで手出さないとか言ってただろうがよ」
「あたしが手を出したんだよ」
遠くにいても少しでもあたしの言葉を思い出してもらえるように。
父が肩を落とした。
「何であいつなんだよ……」
「あたしと違う視点で世界を見てるからだよ。だから一緒にいて楽しいの。どこまでも一緒に旅したいなって思ったの」
分かってるくせに。
あたしたち家族は似た者同士だから、どうして彼に惹かれたのかなんて父にだって分かるはずだ。
「……小さい小さいと思ってたけど、お前も少しずつ大人になってるんだな」
「冬に誕生日がきたらもう成人だよ」
父はいつまであたしを3歳扱いするんだろう。
ガーシャはそれより早く秋には18になるし、アギだって来年の春には18で成人だ。大人と同じように扱われる事になる。とはいえ、二人ともだいぶ前からほぼ自立しているのであまり変わらないと思うが。
今だってそれぞれ単独行動で遠い都の間を行き来し、目的にむかって努力し続けている。道に迷う事はほぼなく、常に自分で考えて前に進み続けている。
「でも、今はまだお父さんと一緒にいさせて」
菫都でお父さんみたいになりたいと言ったのは心からの本心なのだ。アギやガーシャとは違う意味で、あたしは父を目標としているのだから。
「ああ、大丈夫だ。お前の為ならとーちゃんは死んだってかまわない」
「やだ」
その言葉が本気だったのは今回の事で実感した。
「あたしの為なら絶対死なないで。必ず生きていて」
父はあたしを見下ろして、どこか眩しそうに目を細めた。
「そうだな、気を付けるよ」
村を出る時は一緒だった幼馴染のあたしたちは、もうすぐ大人になりそれぞれに道を見つけていく。
離れるなんて考えもしなかったあの頃には知らなかった世界が見えてきた。
けれど、父の膝の上は今でも世界で一番安心できる場所で。最後の子供時代をはここでもう少しだけ安寧に浸かっていたかった。
四章終わり




