鯰討伐(3)
目を開けるのも辛いほどの雨は、集落を出た日の事を思い起こさせた。
「アギ、眼鏡の硝子入れ替えるね」
「頼む」
この状況では視界は少しでも明るい方がいい。
そこで気づいた。眼鏡の朱印を固定化できれば、あたしがいちいち普通の眼鏡と入れ替える必要はなくなりそうだ。頑張ってこれだけでも固定化できるようになりたい。
紅都の上を飛んでいくと、すでに避難が開始されているのが見えた。さほど神徒がよく現れる都ではないだろうによく訓練されている。
と思ったけど、先日川の氾濫があったって言ってたし、もしかすると災害自体にはよく遭う土地なのかもしれない。
鯰の神徒は、ちょうど六郷川と海が交わる辺り、紅都の中心街からは少し離れた干潟になっている部分に乗り上げている。もともと川の生き物なのに海まで流されて怒っている、って言ってたなあ。神徒にも淡水と海水の違いが分かるんだろうか。
「ナユちゃん」
隣を駆けるガーシャが雨音に紛れる程度の声であたしを呼んだ。
「さっきはみんながいたから言わなかったけど、ナユちゃんの神徒を呼ぶ朱印はさ――おそらく勾玉に固定化されてると思う。動力もおそらく、勾玉を通じてどこかの神様から常に与えられてるんだろう。それなら、ナユちゃんの意志と関係なく動くのも理解できる」
言われて納得した。
確かにそうだ。
「それで黒い鼠の事を思い出したんだけど、あれは確かに『大黒天様の力を喰っている』って言ってたように思う」
「それって、あたしに神徒を呼ぶように力を与えているのが大黒天様だってこと?」
「分からないけどね。状況的にはそうなるんだろう。でも、ナユちゃんと大黒天様との繋がりがないような気がするんだ。神都に来たのも初めてだし」
「ああ、そうだ。あたし、神都で黒い鼠の人に会ったよ」
「え、本人に会ったの?」
「うん、ガーシャも会ったら雰囲気で分かるよ。宗主一族で、カルラって名前の人らしい。宗主の兄の立場らしいけど……詳しい事はアリ様に聞けば知ってそう」
「大丈夫、知ってる。事前にサイショウさんから情報もらってるから」
あたしが思う以上に、ガーシャはサイショウさんたちと密に連絡をとっている。正確にはアラージャさんの持つ莫大な情報が目的なのだろうけど。
「だから、うん、ちょっと納得した」
ガーシャがそう答えた時、ちょうどあたしたちは巨大な鯰の元へ到着した。
干潟に着地しようとして、地面がぐらぐら揺れている事に気づく。
着地しない方がいい。
が、空から降りてきたあたしたちに、鯰のヒゲが四方八方から飛んできた。
「受けないで避けて!」
ガーシャの声で、反射的に躱す。
撓る鞭のように次々襲い掛かってくる雷を帯びたヒゲを避け、再び上空に舞い上がった。ヒゲと言っても断面が木の幹くらいある。雷の前に当たっただけで骨が折れるだろう。そのヒゲが十数本。狐の尻尾より数は少ないけれど、一本一本が長いので鯰の身体をほとんど覆っている。
しかもヒゲの表面にまた気持ち悪いほど大量の目玉がぎょろぎょろとこちらを見ている。
「こいつも首を落とせばいいか?」
アギが聞く。
「うん。でも、頭が固くて体は滑るから、正確に首の付け根を狙って欲しい。ほら、川で獲れるナマズと一緒だよ。いつも捌いてるでしょ」
「これは大きすぎるけどね……」
言われてみれば父も亀の討伐する時には普通のカメを捌くのと似た手順でやってたな。最後は結局一刀両断してたけど。
「動き自体は鈍いんだけど、ヒゲが凄い速さだから先に何とかしようか。狐の時みたいに、ちょっとずつ減らそう。ナユちゃん、断面を凍らせてくれる?」
「分かった」
「オレも遠距離の攻撃手段がないし、本当はもう少し攻撃できる人間が欲しいんだけど……」
最初に思い浮かんだのは狐討伐の時に手助けしてくれたルシャナの弓。彼女がいれば一瞬ですべて射抜いてくれただろうな。
そう思っていたら、向こうから数名の黒装束の集団がやってきた。
きっとガルトさんたちだ。手伝ってくれるのかも。
ガーシャに指で示すと、ちょっと迷ったけれどそちらに向かって降下した。
「ガルトさん!」
大きな声で呼ぶと、こちらに気づいて何故かとても嫌そうな顔をした。
「アリヤシャ様はどうした」
「紅都を守ってる。あ、安心して、牢獄を解いたわけじゃないよ。効力を止めてるだけだから」
何を言っているんだ、という顔をされたが無視した。今はそんな場合ではない。
ガルトさんはあたしと共にいる二人の兄の姿を見定めて、さらに嫌な顔をした。
「……何故、牢獄の効果が切れ、迎えも来ているのに未だここにいる?」
問われて困った。
確かに、牢獄の効果を抑制出来て、アギとガーシャが来ていて、父も復活している今紅都に留まる理由が一つもないな。
気づかなかった。
でも、すでに神都の研究所にも紅都にも心を落としてしまったあたしは、単純にここから逃げるという選択肢をとることは出来ない。
「あたしたちは神徒狩りだから、神徒が出たら討伐するの。ただそれだけ。大丈夫、討伐した後も逃げたりしないよ。ガルトさんたちも同じ目的なら手伝ってくれる?」
そう言われて、ガルトさんはますます嫌そうな顔をした。
けれど、アケラ様から討伐の指令を受けているのだろう、嫌々ながらもあたしたちの話を聞いてくれた。
ガーシャが簡潔にあの鯰の特性を話して、
「最終的にはあの鯰の首を落とさないといけないんだけど、出来る人いる?」
ガーシャが問うと、アギとガルトさんだけが手を挙げた。予想通り。
というか薄々思ってたけど、ガルトさんは真面目だ。よく知らない若者が謎の質問をしてきても恥ずかしがらずにちゃんと手を挙げてくれる。
「で、首を落とす前にヒゲを全部切り落としたいんだけど、触らずに遠距離攻撃で落とせる人は?」
あたしを含めて4人が該当した。
ガルトさんが真面目に従ったので部下も手を上げざるを得なかったのだろう。
「よし、何とかなりそうだね。ナユちゃんは切った断面を凍らせる方に集中して。アギとガルトさんはそれまで好きにしててもらってもいいけど雷は食らわないでね。動けなくなるから。それから、あいつが暴れると地面が揺れるから足場に注意して。特に干潟は砂地だから危険かも。あと、そっちの部隊の人はオレの指揮下じゃないから指示お願いしていい?」
全く知らない初対面の人々――正確には一度敵同士として会っているかもしれないけど――にまで指示を出したガーシャは空を指さした。
「よし、じゃあ行こうか」
土砂降りの雨の中、アギとガーシャと共に再び空に舞い上がった。
その時、上空の黒雲からすさまじい音と光が走って、紅都近くの松の木に雷が落ちた。
近すぎて反応できなかった。耳がじぃんとしびれるほどの音だ。
雷が落ちた松の木は真っ二つになった後、ぱちぱちと火を出して燃え始めた。燃え広がる前に水の光玉で鎮火させた。
けど、あんな雷がいくつも落ちたら、木造建築の覆い都なんてすぐに燃えてしまう。
と思った時、紅都を包み込むように薄紅色の光がぶわっと膨れ上がった――まるでお社に大量の古銭を奉納した時のように。よく見ると、紅都の周囲数か所の地面と空に浮かんだ雪洞を起点にして、亀の甲羅のような模様の膜が浮かんでいる。
よく見るとそれは雨すらも弾いているようだ。
再び上空から都に向かって雷が落ちる。
が、まるでその威力を吸収するかのように薄紅色の膜が拡散させていた。
「アリヤシャさんすごいね。さすが紅都の神徒狩りの長に任命されるだけある」
これだけの防衛機構を作るのにどれだけの時間と手間がかかるのか。あたしたちには想像もつかない。
「敵じゃなくてよかった。仲良くなっといてくれてありがとう、ナユちゃん」
「どういたしまして」
あたしもびっくりしている。これだけ巨大な朱印の力を使いこなしているなんて、あのだらけきった姿からは想像も出来ない。アケラが紅都の長に任命するはずだ。
びっくりしている間に、ガルトさんたちの部隊が鯰の神徒に向かっていく。
「あのガルトって奴がナユタを攫った本人だな」
「そう。影の中を移動できるみたいで、神都まで一瞬で着いたよ」
アギは複雑そうな表情だ。
「……あいつだけ別格だな」
そうだね。鯰の首を落とせるか聞かれて出来る、って即答したもんね。あの時のお父さんみたいに。
あたしたちがいなくてもガルトさんたちだけで討伐できたのかもしれないな。さすが神都の神徒狩り。
そうしている間に一本目のヒゲが切り落とされた。
「おっと、思ったより早そうだ」
あの部隊は宗主直属だと言っていたが、ラハーヤナさんがそうだったように、一人ずつが大型の神徒を狩れる程度の戦闘力を備えているようだ。それが数人。それもガルトさん以下、動きの統率がしっかりとれている。相手取るならかなり手ごわいだろう。
ガーシャの指す先、あたしは狐の尾を切り落とした時のように、氷漬けにした。
ここは火山ではないし溶岩もない。
それでも土砂降りの雨が視界を曇らせ、雨粒の音が耳を鈍らせ、時折落ちる雷が視界を白く染めてくる。集中力が削がれる。
氷を溶かさないようにぐっと手に力を込めた。
その瞬間、目の前で凄まじい音と光がはじけた。
あまりの衝撃にクラクラする。ガーシャが後ろから支えてくれなかったら落下していたかも。
「アギ、ありがと」
「ああ……だが、狙い撃ちされるとちょっときついな」
目の前をアギの炎が通り過ぎた。
いつの間にか構えていた三叉戟がぱりぱりと雷を帯びている。
もしかして、雷を受け流した? 我が兄ながらそんな常識はずれなことする?
「やっぱラクシャさんに来てもらった方がよかったかな」
ガーシャが意地悪そうに言うと、むっとしたアギが三叉戟を両手で握りなおした。
「大丈夫だ、お前らはそこで動くな」
あたしたちから少し上空に距離を置いたアギは、三叉戟を振り回して、構えた。
集中するように呼吸を整え、次の瞬間には炎がぶわりと広がった。
あたしたちを狙った落雷は炎の流れに乗るように飛散し、音と光と衝撃だけを残していった。
「……アギも大概、人間離れしてきたよね」
ガーシャがそう言いながら鯰の方を指さす。
はっとして次に切り落とされたヒゲを凍らせた。
黒装束の集団は、足場もないのに空中を駆けまわり鯰の気を引きながら、遠距離で確実にヒゲを落としていっている。
「光玉と似た類の影の足場を使ってるね。あとは……オレと同じ、糸を使う人がいそうだ」
目を細めて雨の向こうを観察した幼馴染は、戦闘慣れしている彼らに驚いていた。
「他の都でこれだけ神徒を狩るのに慣れている集団はいないだろうね。神都を維持するのに常に大量の古銭を使用する必要があって、それを集めるのに多大な労力を払っているのだとしたら、彼らのような集団をいくつも編成しているのかも」
ちょっと手ごわすぎるね、と言いながら。
そして彼らも慣れてきたのか、ヒゲを落とす速度が上がってきた。
単純に邪魔をするヒゲが減ってきたのもあるだろう。あたしは次々に切り口を凍らせていった。
「前はどうしたの? 凍らせたりできなかったでしょう?」
「再生しないようにアギが焼いてたよ。炎ほどではないけどこの相手はオレと相性が悪くて……オレの使う糸を伝って雷が拡散してしまうんだ。紅都もめちゃくちゃになるし、炎の次に被害の大きい神徒だったよ」
今回はアリヤシャさんが守ってくれてるけど。
「待って、アリ様は前回、いなかったの?」
「いたかもしれないけれど、長は別の人だった。それに、朱印を固定化するなんて技術もこの世に存在しなかった」
どういう事?!
この世界は、あたしの存在と関係なく別の歴史を歩んでいるというのだろうか。
「あと、もう一つ恐ろしい事実がある」
ガーシャは意識を鯰に向けたまま、小さな声で告げた。
「神都のアケラという宗主。オレは、あれが誰か知らない」
「えっ?」
「オレの知る神都の宗主はいつもカルラという名の男だったよ。アケラなんていう名の人間がいたことは、一度もない」




