鯰討伐(1)
アリ様を放置して行きたいが、牢獄に囚われているせいでそうもいかない。
早く早くと急かしているが、運動不足の引きこもりは本当に動くのが遅い。
「……いっそ、一人で、先に、行ってほしい」
心の底から本音を吐いたアリ様は馬引きの籠に乗り込んでぜーぜー呼吸を整えていた。
闇夜の中を明るい紅都に向かって駆けていく。
急く心を抑えきれず、降りてすぐにアリ様の背中をぐいぐい押して望楼の中を進む。おそらく古銭動原の絡繰と思われる上下動する籠に乗り、最上階へ。
部屋の前にはお医者さんが立っていた。
その隣に、黒い頭巾と羽織を着た誰かが立っている。深くかぶっているから顔が見えない。
「おい、本当に、危篤、か、そうじゃないか、だけ、教えろ……」
アリ様が息も絶え絶えに言う。
「落ちつけ。大丈夫だ」
お医者さんの言葉でアリ様が、はああああと大きくため息をつく。
悪かったな、と言ったお医者さんは隣の人を差した。
「こいつが中に入れるようにしてやってくれないか。助手だ」
「助手ぅ?」
首を傾げると、頭巾の奥に金色が見えた気がした。
はっとして手を伸ばすと、バチンと弾かれた。
忘れてた。部屋の外では人に触れないんだった。
「いいから中入れろ」
苛々したお医者さんに言われて、アリ様はあたしとその人の手を同時に引いて部屋の中に引き込んだ。
部屋に入った瞬間、その人に手を握られた。
「――ナユちゃん」
会いたかった人があたしを見下ろしていた。
嘘だ。
だって、何も伝えられてないのにこんなに早く此処にいるはずがない。
びっくりしすぎて声が出なかった。
「ラクシャさんはどこ?」
「奥の寝台だ」
お医者さんが先導する。
どうして何もかも分かっているの。
ふらふらと後ろをついて行って、寝台の横に跪いてお父さんの手を握る。
頭巾をとると、金色の髪が零れた。
あたしの後ろにしゃがみ込むようにしてお父さんの胸元に手を当て、静かに真言を唱える。
新緑色の光がお父さんを包み込むのを見て、涙が出た。
土気色だった顔が徐々に血色を取り戻し、呼吸が安定してきた。
握っていた父の手が動く。
ぎゅうと握り締めると、握り返してくれた。
ぼろぼろと涙が零れた。
新緑色の光が引いて、
「間に……合った……」
その言葉を最後に、幼馴染もあたしの上から倒れこんだ。
「ガーシャ!」
「ごめん死ぬほど疲れた……このままちょっと、休ませて……」
よく見るとガーシャ自身も怪我だらけだ。いったいどんな道を通って紅都まで来たんだろう。
胸がいっぱいになって肩に乗せられた頭を撫でたら笑ってくれた。
「……ナユタから離れろ」
だけど、大きな手が伸びてきてガーシャを引きはがした。
「お父さん」
乗り上げるようにして首に抱き着くと、背中に手を回してくれた。
「お父さん!」
我慢できなくなって、声を上げて泣いた。
こんなに泣いたのは子どものころ以来かもしれない。
わんわん声を上げてお父さん、お父さんと言いながら泣きわめいたら、大きな手が背中をゆっくり撫でてくれた。
自分で思うよりずっと不安だった。
知らない場所にきて、知らない人たちばかりで、何も分からなくてどうしたらいいか分からなくて。それでも近くに父がいてくれると思うから虚勢でも空元気でも、何とか動くことが出来ていたんだ。
不安と憤怒と悲嘆を全部、心の奥底に沈めたまま。
けれど、父が元気になったのを見たらそれは全部溶けてしまった。
「し、しんじゃうかと思っ……怖かっ、た」
しゃくりを上げながらそう言うと、背に回された手に力が籠った。
「俺も今回ばかりは死んだと思った」
「勝手に死なないでよ」
呆れたような幼馴染の声が重なった。
父はガーシャの姿を見て笑った。
「ありがとう、ガーシャ。助かった」
「ラクシャさんはもうオレにとっても父親みたいなものなんだから、無茶して勝手に死なないでよ」
どこにも行くな、とあたしに行った時と同じ口調でガーシャは言った。
子どもみたいな言い方だった。
「……お前は大きくなっても、まだ泣き虫だな」
「泣いてない」
子供のような言い分で。
でも、頭を撫でる父の手を握って目を閉じたガーシャの手は震えていた。
「二人してこんなに泣いてるんじゃ、確かにまだまだ置いてけねえなあ」
お医者さんが父の上にいるあたしとガーシャを引きはがして、患者の診察を始めた。
「ガーシャはどうしてここが分かったの?」
「すぐサイショウさんから連絡が来たんだ」
きっとアラージャさんが見ていてくれたんだろう。
神都に飛んだ事、父が瀕死の重傷を負ってしまった事、そこから紅都へ移動した事。あたしが攫われた瞬間にはアギもガーシャも神都へ向かって駆けだしており、すべての情報は道中確認したそうだ。判断がはやい。
しかし、アラージャさんも紅都の望楼に入ったところで見失ってしまったそうだ。きっとアリ様の朱印の所為だろう。
仕方がないので望楼に出入りしていた医者を見つけ、ひとまずそちらに向かったそうだ。最初は脅してあたしの元へ連れて行ってもらおうと思ってた、と言った。
その時の事を思い出したのか、お医者さんは笑った。
「ナユタ、君の話をしこたま聞いておいてよかったよ。すぐに彼らだと分かったから無暗に争わずに済んだ」
「……この人、オレたちの事情にめちゃくちゃ詳しくてびっくりしたんだけど。絶対ナユちゃんが全部喋ったと思ったんだよね。でも、ナユちゃんがそうするって事はまあ、多少信じてもいいかなって」
「お前の兄だという少年も紅都へ来ている。あんまりにも疲れてたのと、二人も連れてきたら流石に怪しまれると思って兄の方は白狼と一緒に僕の家で休ませている」
一家全員でお医者さんにお世話になりっぱなしである。すみません。
それにしても、とガーシャがあたしを見下ろす。
「何でオレたちの事まで全部話しちゃってるの?」
「だって、アリ様が話を聞きたいって」
そう言うと、ガーシャは大きなため息をついた。
「これだからナユちゃんを一人にしたくないんだよ。すぐ勝手に誰かについてっちゃう」
「ついてってない、連れてこられたの」
「そういう事じゃないよ。優しい人にすぐ懐いちゃうんだから。ほんと心配」
うるさい、と耳を塞いだら見ていたアリ様がくっくっく、と笑った。
「聞くまでもないと思うんだが、これが過保護なお前の婚約者か?」
「そうだよ。幼馴染のガーシャ」
「翠都の新緑の民だったのか……お前もお前の父もこいつを待ってたんだな。だからどこかしら落ち着いてたわけか」
「落ち着いてたわけではないよ。でも、ガーシャがきてくれれば何とかなると思ってた」
ガーシャはあたしと親しそうな様子を警戒してあたしを上からぎゅうと抱きしめる。
その様子を見てアリ様は真剣に答えた。
「取らない、取らないから安心しろ。むしろナユタ嬢といると心臓がいくつあっても足りんし、無理やり運動させられるし、アケラ様にこき使われるからとっとと引き取ってほしい」
「おい、人の娘を勝手に渡すな。つーかお前はナユタから離れろ、ガーシャ」
いつもの調子が戻ってきた父が割り込んできたが、診察しているお医者さんに動くな、と怒られていた。
「ちょっとくらいいいでしょ、ラクシャさんの為にすっごい急いで来たんだから」
「菫都にいたと言っていたな。2日ちょっとで紅都まで……驚異的な速さだな」
「アギとテラスとオレが全力で走ってきたからね。ナユちゃんがいないから神徒も出なかったし」
それは確かに最速だ。他の誰もついていけない。
お医者さんは最後に父の口の中を覗いて、よし、と言った。
「まあ大丈夫だろう」
「……世話になったな」
「気にしないでくれ。僕もアリも興味を持って首を突っ込んだだけだ」
お医者さんはそう言って笑った。
「まだ回復しきってはいないはずだ。無茶はしないようにしてくれよ、お父さん。それに――」
そこで言葉を切ったお医者さんは、ふと何かを言い淀んだ。
が、やめたようだ。
なんだろう。
「明日以降でいいが、もう少し薬師の彼と話がしたい」
「ん、いいよ」
何か察しているのか、ガーシャも短く答えた。
「アリ、明日はまだここにいるか? また武陽城へ戻るのか? いるなら兄も連れてくるが」
「戻って来いって言われるだろうけど行きたくない……」
「じゃあ怒られるまで無視しとけ」
お医者さんを見送って。
「俺は奥で書き物の続きをするからそこで寝てろぉ」
いつの間にかだらけた着物に戻っていたアリ様も奥に引っ込んでいった。
今度こそ本当に休ませて、と言ったガーシャは長椅子に横になるとすぐに寝始めた。知らない場所で、寝つきも悪いはずなのに。ずいぶん疲れていたんだろう。
起き上がってきた父がガーシャの頭を撫でた。
「俺の所為で無茶させたな」
ガーシャはさっき、オレにとっても父親と言ったけれど、父にとっても息子のようなものなんだろう。
「……治癒の朱印の事も新緑の民だって事も知られたくないはずなのにな」
ずきんと胸が痛んだ。
あたしが大怪我をした時も一番知られたくない翠都の人たちにそれが露呈する事を恐れずに使ってくれた。未だって、敵か味方か分からないアリ様とお医者さんの前で父を治してくれた。
父にそっと寄り添ったら、肩を抱き寄せてくれたので胸元に抱き着いた。
「あー、今日も娘可愛いな。本当に生きててよかった」
怪我をしている間は負担になるからと思ってほとんど触れる事も出来なかったから。
弱まっていた心臓の音がしっかりと、良い律動で拍動している。
生きている事を実感して、あたしはまた一滴、涙を流した。
ふと顔に影が下りた気がして目を開けると、ガーシャが唇に指をあてて覗き込んでいた。
隣の父を起こさないようにそっと抜け出すと、外から少し光が漏れていた。もう明け方のようだ。
窓の覆い幕に二人で潜り込むと、外の景色が遠くまで見えた。湾の向こうに白と黒の巨城。配下に広がる黒い瓦の波。眼下の紅都は夜は明るくて賑やかだけれど、今は静かだった。
窓枠に手をかけて外を見ていたら、落ちるよ、と後ろから手を回された。
そう言えば、ここに来た日に飛び降りようとしたんだっけ。落ちなくてよかった。
「ナユちゃん、ここにきてから怪我しなかった? 誰かに嫌な事されなかった?」
「お父さんがいたから大丈夫だったよ」
そう言うと、ガーシャはそうだね、と笑った。
「宗主のアケラには会ったよ。あと、妹だと思うけど、ルドラっていう影使い」
「ああ、オレたちを執拗に追ってきてるやつね」
やっぱり神都にいたのか、と言ってガーシャは目を細めた。
「で、宗主には何て言われたの? 神都の為に古銭を稼げって?」
「うん。あと、宗主に嫁げって言われた」
「は?」
ガーシャの声が一段低くなった。
「何でそんなことになるの?」
「それは……あたしの子供なら同じ力を持ってるかもしれないからっ……て」
ガーシャの顔から表情が消えた。
地雷を踏み抜いたのはいかに鈍感なあたしでも分かった。うかつだった。
「ちゃんと断ったよ!!」
「神都の宗主が断った程度の話を聞くわけないだろ」
どういうことなの。
お断りもお願いも、宗主には届かないというのだろうか。なんて面倒くさい人なんだ。
「ラクシャさんはいなかったの?」
「その時は重症で動けなかったから……」
大きなため息。
「ありえない。これだからナユちゃんを1人にしたくないんだ。すぐオレを置いてどっか行こうとするんだから」
怖い。
見たこともないくらいに静かに怒っている幼馴染に、あたしは硬直した。
怖いのに動けない。
後ろから拘束されていて動けない。本気を出せば動けるかもしれないが、これだけ怒りを帯びた彼から逃げられる気がしない。
「……そもそも、子供作るって意味わかってるの?」
耳に絡まる声はヒヤリと冷たいのに、かかる吐息はひどく熱くて脳が混乱する。
心臓の音が速い。
呆然と見上げたら、金色の瞳が見下ろしていた。
「相手が誰であっても渡すわけないだろ」
それがたとえ神都の宗主でも。
「あー本当に腹立つ。腹立つからちょっとオレも権力手に入れて来よう。そうしよう」
権力を手に入れる? 何を言っているのだろう。
ガーシャはにっこり笑って言った。
「ちょっと話が変わってきたから、ラクシャさんとアギとも相談しようね。大丈夫、ナユちゃんを神都に渡したりはしないから」




