研究所(3)
取得した調査結果の解析に夢中になっていた研究員の方々は、壁だの椅子だので寝ているあたしとアリ様を発見して慌てふためいた。
「ちゃんと部屋で寝てください!」
紅都の長をこんなところで寝かすわけにはいかないだろう。書庫を片づけて寝る部屋を用意してくれた。山積みの荷物を片づけて布団を用意して眠れる状態にしてくれたようだ。壁はすべて本棚で、みっしりと本が詰まっていた。
そしてごはんも用意してくれた。
でもあんまり食欲がない。父が臥せっているのにあたしだけ食べる気にならない。
それを察したのか、アリ様がため息をつく。
「気持ちは分かるが食べな。次に何が起きるかもわからん。体力は着けておくべきだろ」
目の前のおにぎりを少しだけかじるが、味がしない。
金平糖は甘かったのにな。
でもあと2個しかないから大事に食べよう。
栄養になるからお父さんにも食べて欲しいけど、アギと一緒で甘いものが嫌いだからなあ。
アリ様は部屋移動したらまた寝始めてしまったので、無理やりふた口だけ米を口に押し込んで、解析をしていた研究員さんのところへ移動した。
「何かわかった?」
「まだ途中ですが、いくつか法則はありそうです」
研究員の男性は調査結果を机に並べながら言った。
「まず、出現位置の方向は一定ではないですが、ある程度の半径内に絞れます。その半径に、最大3体の神徒が出現していました。立ち位置を移動して、ナユタ様を中心としたその半径内にいる神徒が3体以下になったら、新しく1体が現れるようです。それは神徒を倒して3体以下になった時も同じです」
走り書きされた紙の一部を指さしながら。
「ですから、大量の神徒を出現させるなら動き続けるのが効率的ですね」
ひたすら神徒を狩りながら山の中を駆け抜けていたあたしたちは、最高に効率よく神徒を出現させていたわけか。
なるほど。
「出現までの時間は――どうやら、これが一定にならないのですが、時間経過で変わっていくような気がします。まる一日やってみると確定できるのですが、おそらく黄昏時が最も出現までの時間が速そうです」
「ああ、確かに昔から黄昏時はよく神徒が出てたよ」
そう言うと、研究員さんはにこりと笑った。
「そういった情報はありがたいです。先ほど言ったように本当はまる一日計測したいのですが、神徒を狩るのも大変ですからね……古銭は大量に手に入りますが」
ちなみに、昨夜だけで神都一か月分程度の古銭を稼いだらしい。あら稼ぎにも程がある。
蒼都でも菫都でも、いったいあたしたちはどのくらいの古銭を奉納してきたのだろう。
そして亀の神徒を倒した時の古銭はいったいどのくらいあったのだろう。
「一か月に一日程度、神徒を呼んでいただければ、神都は十分に維持できると思いますよ」
「じゃあ、例えば、一年のうち2週間くらいここにいれば、後は自由?」
「アケラ様のご判断にもよりますが、単純な消費量を賄うだけならそれで十分だと思います」
すばらしい!
自分の力を正確に知る事は大事である。
あたしたちはこれまで湯水のように湧く資源に任せてすべてを適当にやっつけてきた。そしてすべてをお社に奉納してきた――もちろん、あの頃はこの体質について何一つ分かっておらず、それどころじゃなかったのもあるが。
けれど、こうして数値化すれば何のことはないように思えてくる。
「ありがとう! きちんと数値化するのって大事なんだねえ」
嬉しくなってそう言うと、研究員さんもつられて笑った。
アリ様が起きたらアケラのところへ行こう。そして報告してあたしは父の元へ帰ろう。そうしよう。
夜には眠そうなアリ様を叩き起こした。いつも昼夜逆転何だからそろそろ起きていい時間だろう。
研究員の人が昼のうちに突貫で調査結果をまとめてくれて、報告には最初に案内してくれたでぷりんとしたお腹のおじさんがついてきてくれるようだ。どうやらここで一番偉い研究所長らしい。
欠伸をするアリ様と研究所長さんと共に、長い廊下を歩いていく。
ガルトさんたちはいつの間にか姿を消していた。他にも仕事があるのかもしれない。
「アケラ様にいい報告が出来そうで何よりです。それ以前に、この古銭の量は凄い。少しくらい研究所の原資としてほしいくらいです」
研究所長がいつぞやの師匠と同じ目をしている。
お金とは人を狂わせるものらしい。
「ちょっとくらい減らしても分かんないよ」
「……残念ながら報告資料に一枚単位でまとめてしまいました。誤魔化せません……っ」
変なところ真面目だな。
「そう言えば、神都では昔からこんな研究をしているの? 普通に考えたら、神徒の研究なんて外道そのものなんじゃ?」
お社を暴こうとする事。神様を暴こうとする事。神徒について調べようとする事。
人知を超えたモノの事を当たり前と受け止めず、仕組みを調べようとする行為は神の信仰においてご法度だ。
「それを言うなら、古銭動原の絡繰とて禁忌でしょうな。あれは、固定化した朱印を古銭で無理やり動かす……完全に神の意思を離れたシロモノです。ですが、人々は自分が豊かになる方向には弱いのですよ」
不意に少し声を低めて。
古銭動原の絡繰とはどんなものなんだろう。よく知らないがおそらく、光玉のように光をもたらしていた天井の発光器具や、紅都を明るく照らしていた空飛ぶ雪洞、それ以外にも自発的に動く朱印の力を使った器具が様々にあるのだろう。
ガルトさんの話からすると、武器のようなものもあるのかもしれない。
朱印を固定化するだけなら確かに道を外れてはいない気がする。
「なお、研究所に現在の秘設組織を編成したのはアケラ様です。この十年ほどで絡繰があっという間に神都へ普及し、今後増大するであろう古銭の需要に対策を取るため、神徒の研究ができる部門を秘密裏に設立したのです」
「え、そうなの?」
神都の長が外道に近い研究を推奨しているというのだろうか――そういえばあたしはあの人に言われて研究所に行ったんだった。
ますますあの人の考えている事が分からなくなってきた。
「絡繰の原型を考案したのは私の先代研究所長です。固定化した朱印に古銭を動原として喰わせ、その動力を絡繰に渡す機構を作り出した天才でした。しかしながら最終的には外道に堕ちたと指さされ、都を追われたのです」
「道を外れるところの線引きが難しすぎるよ……」
あまり信仰心のないあたしには、どこまでが普通で、どこからが普通じゃないのか判別できない。
「難しいところではありますね。もはや心の機微の問題でもありますから。人々が忌避感を持てば、それは外道と呼ばれてしまうのです。不文律のようなものです」
研究所長は曖昧な言葉で答えた。
「ですが、明らかに、神様――神都でいえば大黒天様を少しでも疑ったり、少しでも近づこうとしたり、少しでも暴こうとしたりしたならばもはや言い訳は効かないでしょう」
神徒や古銭に関連することはまだ、人々にとって有用であれば赦されるのです。
研究所長さんはそう言った。
「つまり、前の研究所長さんは大黒天様について知ろうとした……?」
そう聞いたが、研究所長さんは答えてくれなかった。
長く話をしているうち、いつの間にか長い長い通路を抜け、武陽城まで戻ってきていた。
前と同じ、広い広い畳の部屋に通された。
が、まだアケラはいなかった。特に事前の約束していないからだろう。研究所長さんが呼びに行ってくれたようで、薄暗く肌寒い部屋にアリ様と二人で取り残された。
まだ眠そうなアリ様が傾いていたので起きろ起きろと腕を引っ張った。
「仲の良さそうな事」
その時、ぞっとする声が響いた。
黒い気配が畳の上を駆け抜ける。
「ルドラ様」
アリ様が両手をついて拝礼した。
慌てて習って頭を下げる。
「兄さまの処へいらしたのかしら。臭い臭い、禁忌の臭いが染みついているわ」
「お言葉ながら、研究所へ行ったのはアケラ様のご命令です」
「私には関係ありませんことよ」
ルドラと呼ばれた女性の足元には、影が落ちており、そこからざわざわと不穏な気配がした。よく見ると、影の中に無数の赤い目が――
ひっと息を呑んだ。
やっぱり、旅をしている時に見た黒い鼠を操っていたのはこの人だ。あたしたちがどこにいるのか、何をしているのか、ずっと鼠を通して見ていたのだ。
背筋をぞわりとした感覚が駆け上がり、震えた。
その様子を見てルドラは満足げにころころと笑う。
「兄さまは、父さまに似て頭が固いから放っておくと面白くない事ばかり。でも、少し面白くなりそうかしら」
あたしを冷たい目で見下ろして。
鈍いあたしでも分かるほど。この人はあたしの事がとても嫌いなんだろう。
黒い鼠を操るならあたしに幼馴染の婚約者がいる事を知っているだろう。その上で、普通なら絶対に断ることの出来ない神都の宗主への輿入れを提案した。
普通なら宗主一族の言葉は、提案は、命令は絶対で、言葉にした瞬間に事実になるから。
ルドラの影から黒い鼠が一匹走り出てきて、あたしの手の甲を駆け抜けた。
ぶわっと鳥肌が立ったが、細く息を吐いて耐えた。
「少しは取り乱せばいいものを」
何故この人はあたしを敵視するんだろう。
分からなくてじっと顔を見ていたら、さすがにふいと目をそらされた。
造形だけならガーシャともまた違う系統で美しく整っている。白面に黒髪、無表情が近寄りがたいほど爪痛い空気を纏う美人だ。
彼女の傍らにもう一人、雰囲気のよく似た男性が立っていた。
その人を見た瞬間、あたしは凍り付いた。
漆黒の着物に深紅の重ね衿。
色合いだけでなくその纏う空気に覚えがあった。
ほんの一度邂逅しただけの相手。
理屈ではない。肌で理解した。
蔑んだというよりは明らかな憎しみを持ってあたしの方を睨め付けたのは。
「……よくも神都に足を踏み入れられたものだ」
聞き覚えのある声。
間違いない。
蒼都であたしを糾弾した黒い鼠は――この人だ。
「本日は武陽城においででしたか、カルラ様」
アリ様が丁寧に挨拶をした。
心臓がとてつもない速さで拍動している。思わず胸元の勾玉を強く握りしめた。
呼吸が浅くなる。
その様子に気づいたアリ様がふわりと笑った。
「アケラ様を訪ねて参りましたが、御在所でしょうか?」
「知らん」
「貴方の弟君ではありませんか」
その言葉でカルラと呼ばれた男性はすうっと目を細めた。
仲の悪い兄弟なのかな。
そう思ったら少し肩の力が抜けた。
カルラ、アケラ、ルドラ。
確かに名前も似ている。もしかしたら他にも兄弟がいるのかもしれないが。
「いま一度問う」
カルラは再びあたしを見た。
ぼうと立ち上る黒い靄があの日を思い起こさせる。
「理を破壊していくお前は誰だ」
師匠に習った息吹を使い、呼吸を整えていく。
大丈夫、もうあの日のあたしじゃない。
「あたしの名前はナユタ。蒼都の神徒狩りです。父はラクシャ、母はテラス。兄のアギと二人、奥の山で育ちました。母はこの世界の者ではありません。おそらく神徒の世界から落ちてきた人。だから、あたしは神徒を呼びます」
つい昨日、アリ様とお医者さんにあたしの半生を語ったおかげで、迷わず言葉を選ぶことが出来た。
まだまだ短い人生ではあるが、振り返ってみると色々な事があったものだ。
進んでも進んでも何かわかる気がしない。何か解決する気がしない。それでも、あたしは二人の兄と共に前へと進み続けてきた。
「もし神徒のいない世界が、神徒に侵食されぬ世界が理だと言うのなら、確かにあたしの存在は異端でしょう」
侵食、という言葉を使ってみたが、カルラは眉一つ動かさなかった。
それよりも気になっている事がある。
この人は、あたしの事を『誰だ』と問うた。
一度この世界を生きたことがあると、これは二度目なのだと言った幼馴染と同じ言葉。
「それとも――あなたの知る一度目の世界が壊れているという事ですか?」
その言葉で初めてカルラが眉を跳ね上げた。
ただただ嫌悪と憎悪をあたしにぶつけていたのに。
驚きと怒りの混じった表情でこちらを見ている。
再びあたしに憎悪を吐こうとした時、遠くから大声が投げかけられた。
「ナユタ様!」
先ほどの研究所長さんだ。
どうしたんだろう。
「紅都の医師より連絡が……お父様の容体が……!」
危篤の知らせ。
でも、紅都を出てからまだ1日しか経っていない。2、3日帰らなかったら呼び戻すと言っていたのに。
まさか本当に――?
「……失礼します」
アリ様がカルラとルドラに礼をして、あたしたちはすぐにその場を離れた。




