紅都へ(3)
即答できなかった。アリ様の真意をはかりかねたからだ。
ガーシャがいたなら絶対に止めただろう。神都へすべての情報が筒抜けになってしまう可能性があるからだ。アギだったら少し様子を見るかもしれない。
でもあたしは、目の前で話しているアリ様が何か隠しているとは思えなかった。
単純に興味。それ以上の意図はなさそうだ。
それに、医者の手配をしてもらったり休める場所を提供してもらったり、かなりの好待遇でここにいるわけだからそれなりにお返しをしたい気持ちもある。
あたしはアリ様の顔をじっと見つめた。
長くそうしているとアリ様の方から視線をそらした。そっぽを向いて手をひらひら振っている。
「……人と接するのに慣れてないんだ。照れるからあまり見ないでくれ」
しまった、またやってしまった。
ほぼ初対面の人の顔をじっと見るのはよくないっていつも言われているのに。過保護な幼馴染に知られたらまた怒られるな。
「手紙を書くんだろう? 話はいつでもいいから先に書いてきなぁ」
「うん、ありがとう」
父の休んでいる場所に戻ったあたしは、アラージャさんへの手紙を綴り始めた。
ただ、彼が本当に見ていてくれているかは分からない。何しろあたしは彼の能力をよく知らないからだ。
例えば、あたしの水鏡のようにずっと自分の意識で追わせていないと見えないのかもしれない。例えば、実際に足を運んだ事のある場所しか見られないかもしれない。そうでなくとも、他にも制約がある可能性がないわけじゃない。
それでもあたしは書き綴った。
父が命に関わる重傷を負っている事、すぐにでも助けて欲しい事。
そして、あたしたちが紅都の望楼の最上階にいる事をガーシャに伝えて欲しい事――
手紙を書いているうちに眠ってしまっていたようだ。机に突っ伏して寝ていた。いつかのメイカ様のようだ。血を抜かれたのが自分で思うより堪えていたのかもしれない。
昨日開け放っていた窓から朝日が差して目が覚めた。
窓から外を見ると、右手から太陽が昇っている。北向きの窓なんだろう。
目の前には朝日を受けて輝く海が広がっていた。大きな弧を描く美しい湾だ。
湾の向かいには神都がある。大山脈を発端とする巨大な六郷川と宮戸川が作り出した広大な平野の末端、武陽城を中心とした城下町だ。お社の文化とは別に宗主一族が法を定めて支配するある意味で他の都とは一線を画す独立性を持っている。
平地が広く人の流入が多いという特徴があるので誰にでも開かれているが、反面、法を犯す者は厳しく律せられ排除されていく。
別名黒都の名の通り、黒々とした屋根瓦が波のように並ぶ様子は圧巻だった。一糸乱れぬその様子はまるで昨日会った宗主アケラの雰囲気そのものにも思え、背筋がぞくりとした。
振り向くと、父は固く目を閉じていた。呼吸と脈拍は確認しているが、どちらも弱い。起きている間は辛そうだったから寝ている間は少しでも痛みが減っているといいのだけれど。
机の上に散らばる手紙は書いた時のままで、サイショウさんからお返事は来ていなかった。
それでも眠る前に書いていた手紙の続きを書き始めた。
紅都について聞いた話や、アリ様の事、助けてくれたお医者さんの事、施した治療の事。
取り留めなく綴っていたら、気づかぬうちに背後から覗き込まれていた。
「わっ、びっくりした!」
「悪ぃ。驚かせるつもりはなかった。自分が書く以外に人が何か書いてるのを読むのも好きなんだ」
いつの間にか背後にアリ様がいた。
「やめてよ、アリ様の事も書いてるんだからちょっと恥ずかしいじゃん」
「別に悪い事は書いてなかっただろぉ」
「書いてないけどさ」
だってアリ様はどちらかというと味方寄りだと思っている――とはいえ、宗主アケラにこき使われている時点で神都との繋がりが強すぎるのは事実だが。
何か弱みでも握られているんだろうか。
「なあ、寝物語代わりに少し話してくれよ。さっき言ったが、お前らの半生に興味がある」
近くの長椅子にごろりと横になった。
昼夜逆転なら今から寝るところなのだろうか。
「……道を外れた話しか出来ないよ?」
「大丈夫だ、この部屋は外からの力の干渉を受け付けない。誰も見てないし聞いてない」
「アリ様自身に忌避感はないの?」
そう問うと、生来引きこもりだという紅都の長は寝っ転がったまま答えた。
「道の外を知ることが怖くて物書きができるか」
あたしはゆっくりと話し始めた。
蒼都の西、大山脈手前の奥の山に生まれた事。父と兄がいる事。兄の実母はあたしが生まれた時すでに亡くなっているので自分自身の母は後妻である事。そしてその母は――おそらくこの世界の人間ではなさそうだという事。
途中で『白』の話を挟んだ。あたしも詳しくは分からないが聞いた限りで説明すると、外道を恐れないという言葉通りアリ様は興味を持って聞いてくれた。
翠都や菫都付近ではすでに侵食を始めている『白』とそれに対抗する力をくれるこちらの世界の7柱の彩色の神。『白』は神徒の光だという事。
翠都の神去りの話をした時にアリ様は何かを思い出すように言った。
「それに似た話が海にもある。例えば、黄都のニライカナイは海の向こうの死者の国と言われている。この神都でも常世の国と呼ばれる似た伝説があるな。山奥も海の向こうも人が入れない場所だ、昔からそういった言い伝えが多いんだろう。まさかそれが、現実に起こり得ることだとは思わなかったなぁ」
さすが物書きというだけあってアリ様は物知りだ。他にもいろいろな言い伝えを教えてくれた。
あたしの母はそういった別世界から落ちてきたらしく、その影響で娘のあたしは神徒を呼ぶ体質になったらしいという事を話した。
神徒を呼んでいるのがある意味での朱印の力であることは伏せた。まだこれはあたしたちしか知らない事実だからだ。どうせガーシャがいなければ抑制できないのだ、止められない術は現象と変わりない。
「お社の影響のある都とか、町とかにいれば神徒は出てこないよ。けど、その外にいたら常に大型の神徒が出現する状態になっちゃう」
「それは何日経っても変わらないのか?」
「うん。今のところ最高で二週間くらいは都には行ってない事もあったかな。その時もずっと神徒を倒し続けてたから」
冗談のような話だな、とアリ様は呟いた。
「あのアケラ様が形振り構わず欲しがるわけだ」
「だからね、普通にお願いしてくれればあたしだって協力するんだよ。それなのにこんな風に無理やり攫ってお父さんまで傷つけたからすごく怒ってるの」
あたしの『お願い』という単語でアリ様は鼻を鳴らした。
「誓っていい、お願いなんて単語はアケラ様の辞書に載ってない」
どういう事なの。
未だに宗主のアケラという人がどんな人なのかよく見えない。
何を求めているのか、何がしたいのか、何のためにあたしを無理やり連れてきたのか、そしてあたしに何をさせようとしているのか。
全く何も分からない。
そして、分からない事は……怖い。
最初に会った時、父が隣にいてくれて本当によかった。たった一人で攫われて、たった一人で初めてあの人と対峙していたらと思うとぞっとする。父がいてくれたお陰で冷静に対処できたのだ。
感情をあまり移さない漆黒の瞳を思い出してぞくりとした。
あたしが旅に出たのは14歳の時だ。アギとガーシャは16歳。
集落の中にまで神徒が出るようになってしまったから、体質を何とかする手段を探して、また10年前に出て行った父親の足跡を追って旅に出たのだ。
その時はまだ神徒を狩り続けねばならない過酷さが分かっていなかった。
最初の町で師匠に出会えなかったらどうなっていただろう。蒼都でメイカ様に会えなかったら、カラハと共に行動しなかったら。赤都でガオウじいちゃんに会えなかったら。サイショウさんやアラージャさんに会わなかったら。
どれか一つでも欠けていたら今ここにあたしはいなかっただろう。
大切な大切な思い出を振り返りながら、翠都で父を『白』の境界から助けたところで、アリ様は大きく欠伸をした。
ずいぶん話が長くなってしまっていた。外を見れば太陽はそろそろ頂点に達しようとしている。
「アリ様、寝なくていいの?」
「いや、思った以上に話が面白くてな。できれば最後まで聞きたい」
白銀の髪をざっとかき上げると肘をついて頭を上げ、あたしの方を見た。
いいのかな。
父を助けた後は翠都から大山脈の尾根をまっすぐ伝って里帰りした話をして、アギがメイカ様に告白した話をして。ガーシャがあたしと結婚しようとして父に断られたところでアリ様が笑った。
「娘の為に命を懸ける父親がそんな簡単に娘を渡すわけがないだろう」
「そうかもしれないけどさ」
寝台に横たわる父は相変わらず固く瞼を閉じている。
一瞬の迷いもなく手を伸ばしてくれた父。そのせいで今、生死の境をさまよっている。
泣きそうになって唇を噛みしめた。
それを見たアリ様はよっこらしょ、と起き上がった。
「続きは明日にしようか?」
……気を遣われた。この人は本当に優しい人だ。
あたしの隣を通り過ぎる時にぽんと頭に手を置く。
と、ちょうどその時、昨日も来てくれた医者の人と目が合った。いつの間に部屋に入ってきていたんだろう。
お医者さんが顔をゆがませている。
「おいアリ、その子15だぞ。娘でもおかしくない年の子を泣かせて何やってんだよ」
「え? おい、違う。俺が泣かせたわけじゃ……いや、俺の所為か?」
慌てふためくアリ様が面白くてあたしは泣き笑いしてしまった。
「アリは引きこもりだからこれまで女の影など一切なくて……半分以下の年の娘に手を出したのかと思って少し慌てた。すまなかった」
お医者さんは父の脈をとりながら謝ってくれた。
「ナユタ嬢にはちゃんと将来を誓った婚約者がいるらしいぞ。父の許しは出てないらしいが」
アリ様があたしの事情に妙に詳しくなっている。
「だったらなおさら誤解される行動はやめるべきだ」
どういう事だよ、とアリ様が反論しているが無視して、お医者さんは父の診察を続けた。
「良くはないが、悪くもなってない。ただ、体内の損傷がひどいからこのままでは水も食べ物も受け付けられず弱っていくだろう」
どうしたものか、と思案するお医者さんは、眉間に皺を寄せた。
「……ただ少し気になるのが、脈拍が安定しているがかなり少ない。意識的に生命活動を低下させているように感じる。人間にそんなことが出来るか分からないが、生命の危機を感じてなるべく消耗を抑えているのか……それとも静かに何かを待っている?」
待っている、という言葉でどきりとした。
あたし自身が待っているものを見透かされた気がして。
お医者さんはその様子に気づいただろうけど、あたしには問わなかった。
「気休めだが、今日も少し輸血しておこう。少し辛くなるかもしれないが構わないか?」
「あたしは大丈夫」
少しでもお父さんが楽になるならと昨日と同じ長椅子に横になる。
そうしたら、アリ様が上から覗き込んできた。
「なあ、ナユタ嬢。続きを聞かせてくれよ。まだ紅都までたどり着いていないだろう」
「ええっと、どこまで話したっけ?」
「お前の幼馴染が婚約しようとして父親に断られたところまでだ」
「……何だその面白そうな話は」
お医者さんが興味を持ってしまった。
仕方ない。
故郷に戻ったところまで一度戻って、話を始めた。
輸血が終わる頃には夕方になっていたが、それまで全く退屈することなく3人で話し続けていた。
「で、影に入る時にお父さんがあたしの手を掴んでくれて、一緒にここまで来てくれたんだけど……他の人の朱印の力に生身で飛び込むのは本当に危険らしくて」
「当たり前だ」
「馬鹿か」
二人同時に突っ込みが入った。アリ様とお医者さんが幼馴染というのは本当のようで、言葉の端々から仲の良さが伝わってきた。
父のした事は本当に危険だったらしい。というより生きている事が不思議なくらいらしい。
そして二人ともあたしに対して容赦がなくなってきている。仲良くなった、と思えば収穫だが。
ほぼ自分の人生すべての話をしてしまっているのだ。今さら隠し事はないも同然だ――幼馴染で婚約者のガーシャが実は新緑の民で治癒の朱印を使えるという事だけは隠しているが。
「神都に着いた後はアリ様の知ってる通りだよ。急にここに連れてこられて、そのまま」
「ああ、やっと繋がった」
アリ様が座っていた椅子の背もたれにぐったりともたれかかった。
「しかもこの先も何が起きるか全く分からないわけだ……あっ」
唐突に、アリ様が立ち上がった。
「忘れてた、アケラ様からナユタ嬢を連れて夜に神都の武陽城まで来いって通達がきてた」
「おいもう日が沈むぞ」
窓の外はすでに夕陽が差していた。
「すぐ出ないと間に合わない!」
どたばたと奥の部屋に入っていったアリ様。
「……あたし行かないよ。だってお父さんの近くにいたいもん」
そう言うとお医者さんがたしなめるように言った。
「僕が代わりにここにいるから行ってきなさい。無暗にアケラ様との軋轢を生むのは得策ではない」
「でも、すぐに帰って来られるか分からないのに……」
「そうだな、もし2、3日帰って来なかったら、危篤の知らせを僕から出そう。流石に父の死に目に合わせない事はないだろう。それが僕に出来る精いっぱいだ」
「縁起でもないね……」
けどお医者さんがついていてくれるなら少し安心だ。
医者ってことは他にも仕事があるだろうに、あたしたちに突き合せてしまって申し訳ない。
とはいえ、いつまでも宗主アケラから逃げ回っているわけにはいかないし、もう一度正面切って何がしたいか聞きにいくべきだ。




