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神徒奇譚  作者: 早村友裕
第四章 菫都・紅都編
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紅都へ(2)

 煌びやかという単語がこれほど似合う都は他にないだろう。

 明るい雪洞(ぼんぼり)が町に無数に散っている。朱印の力か宙に浮いているものも多く、まるで空に燈火を奉納するお祭りのようでもある。木造の建屋が隙間なく所狭しと並ぶ繁華街と、その裏通りまで人があふれている。

 何より、歩いている人々の衣装が明るい。菫都(キント)では落ち着いた色合いの着物の人が多かったせいもあり、絢爛豪華な極彩色の着物が多いのがとても印象的だった。

 都の中を小さな川が流れており、そこに張り出すように舞台が作られている。そのでは食事をしながら歌や踊りを楽しめるようで、たくさんの人の笑い声が聞こえていた。

「俺と一緒であれば町にも出られるから、退屈したら連れて行ってあげるよ」

「えっ、いいの?」

 思わず言うと、アリヤシャ様は微笑んだ。

「ああ」

「逃げると思わないの?」

「逃げられないさ。俺の朱印はそういう能力だからねぇ。神都のアケラ様は何かってえと俺のところで牢獄の朱印を結ばせるのさ」

「試してみていい? 逃げたいわけじゃなくて、興味があるからなんだけど」

「構わないよ」

 よし。

 あたしは窓枠に足をかけた。

「は?」

 隣でアリヤシャ様が口を開けていたが、あたしはそのまま夜の空に飛び出した。


 千年杉ほどではないがかなり高い望楼から飛び出したので、勢いよく下に落ちていく――と思ったら、落ちる寸前でふわりと身体が浮いた。

 部屋から一階分も落ちていない。

「びびびび、びっくりした、こんなにどきどきさせられたのは久しぶりだぁ」

 アリヤシャ様があたしに手を伸ばして、部屋の中に戻してくれた。

「部屋の中って言っただろう。部屋の外も手を伸ばしたくらいの距離なら出られるけど、それ以上は無理だ。あと、説明が足りてないのは悪かったけれど、俺の牢獄に囚われたら朱印の力は使えない。気を付けた方がいい」

 朱印の力が使えない。それはちょっと困るかも。

 先に言ってよ。

「出られない事と朱印の力が使えない事は分かったよ。ここで大人しくしておくね」

「頼むよ。心臓が止まるかと思った」

 部屋に戻って寝台を覗くと、父が険しい顔をして横たわっていた。

「お医者さんに診せる事は出来る?」

「呼ぶことは出来るが、おそらくあまり何も出来ないぞ」

 この人は最初に棺桶に片足突っ込んでる、と言い切っていたからな。

 嫌なこと言わないで。

「お父さんは死なないもん……」

「ナユタ」

 見上げると、父が笑っていた。苦しいはずなのに。

 ぼろぼろ涙が零れた。

「ごめんね……ごめんねお父さん」

「泣くな。大丈夫だから」

 大きな手が頭を撫でていった。

 少しでも近くに行きたくて、首元のあたりに抱きついた。

「いいんだ。こんな場所でお前を一人にしなくてよかった。影に飛び込んだ事に何の後悔もねえよ」

 その言葉で胸がいっぱいになった。

 あたしは本当に愛されている。考えるより先に、死を恐れずに未知へ飛び込んでくれるくらいに。

 上に乗り上げないように気を付けながら横に寄り添って胸元に手を当てた。

「手当ててくれるとちょっと楽だ」

 あたしたちの様子を見ていたアリヤシャ様が、気休めだぞ、と医者を呼んでくれた。

「俺は奥で書き物をしているから休んでいるといい。食事は運ばせるようにする。食べられればの話だが……まあ、他にも何かあれば呼んでくれ。後は、神都のアケラ様から連絡があれば教えてやるよ」

 見た目は派手派手しいけれど、この人も優しい人だ。

「ありがとう、アリヤシャ様」

「アリでいいよ、ナユタ嬢。だが次に何かする時は頼むから一声かけてくれると助かる」

「わかった。アリ、様」

 そう呼ぶと、アリ様はにこりと笑って部屋の奥に消えた。


 しばらくすると医者がやってきて、ひどい状態だと告げた。内臓がずたずたらしい。

「自身の生命力が強いんで何とか持ってるが、即死しててもおかしくない状態だ。内部で出血してるから失血もあるだろうによく意識を保ってるよ……まあ、一言にまとめるなら手の施しようがない」

 そう言いつつ、腕に何か針のようなものを刺していた。

「痛み止めを注射しておく。少しマシになるだろう。とりあえずは絶対安静だ」

「ありがとう」

「あとは輸血できればいいが……君は血縁者か?」

「娘だよ」

 お医者さんは血を調べさせてくれ、と指先に針を刺し、紙にしみこませたりなんだりして何かを確認しているようだ。

「大丈夫そうだな。娘の君の血を少し、父親に移す。失った分の血を少しは補填できるだろう」

「そんな事が出来るの!」

 そう言えば、神都の医療が最先端だとガーシャが言っていたっけ。

 先ほどから見たことのない治療器具が出てきて、見たことのない治療が行われていくものだから、あたしよりガーシャがこの場にいた方がいいんじゃないかと思う。父の容体はともかく、色々な技術が見られた事を喜んだはずだ。

 と、その時はっと思い出した――何度もあたしを死の淵から救ってくれた幼馴染の事を。

 お医者さんは、寝台の横にソファのようなものを移動してくっつけている。

「ちょっと狭いが隣に寝てくれるか? すぐ準備する」

 あたしは父の隣に寝転がって準備を待った。

 どうにかしてガーシャに連絡を取らなくては。

 菫都(キント)で影に吸い込まれて、神都(シント)に飛ばされ、そこから急に紅都(ベニト)に来たのだ。残された彼らは、あたしたちが今どこにいるのかすら分からないだろう。

「針を刺すから少し痛いよ」

 医者の声がして、腕にちくりとした痛みがあった。

 父を少しでも助けられるならこの程度の痛み、痛みのうちにも入らない。

「ここからは少し時間がかかるから君もこのまま安静にしていてくれ」

 そう言ってお医者さんは紙に何か書きながら近くの椅子に座った。薬師であるカシギもガーシャも、菫都の医者夫婦もそうだが、医療に携わる人は皆、病気や怪我の状態を詳しく書き記している。将来同じ症状の人がいた時に役に立つように。

 紙に書く――そうだ。

 手紙を書こう。うまくいけばアラージャさんが気づいてくれて、サイショウさんからアギたちに連絡できるかもしれない。

 間に合うだろうか。

 ガーシャのいる菫都から紅都まで、最短距離でどのくらいだろう。神都の妨害はあるだろうか。

 しかも、ガーシャはあたしとアギ以外に治癒の朱印は使いたくないと言っていた。実際、サイショウさんは足を怪我してそのまま後遺症で以前のように歩けなくなってしまったけれど彼がその傷を治すことはなかった。

 それでもお願いしてみるしかない。

「しかし、父娘にしてはあまり年が離れていないように見えるが、本当の父娘なのか?」

「そうだよ。ちょっと理由あってお父さんが10年ほど年を取らなかったんだ」

「それはどういう事だ」

 説明しようとして、はっとした。

 ここは紅都。神都の姉妹都市で弁財天(ベンザイテン)様が祀られているお社があるはずだ。神都に近いのであれば信仰心は深いだろう。こんなところで道を外れる話をするのは危険すぎる。

「えっと……ごめんなさい、あんまり詳しくは話せないんだった」

「まあ、誰しも話せない秘密の一つや二つあるもんだ。が、ちょっと興味もあるから気が向いたら話してくれ。もちろん、医者としての興味だ」

 お医者さんもそれ以上聞かなかった。

 部屋には字を書く音だけが響いている。

 血を抜かれているせいか意識がぼんやりしそうになるが、これが終わったら一刻も早くアラージャさんに連絡したい。寝てしまうわけにはいかない。

「そうだ、お医者さん、紅都(ベニト)について教えて。急に連れてこられたからよく知らないの」

「ああー……少しだけアリから事情を聞いている。無尽蔵に神徒を呼ぶ体質なんだって? 難儀だな。アケラ様が興味を持つのも分かるよ。何しろ、今の神都はほとんど古銭の力で動いているからな。いくらあっても足りないくらいだ」

 お医者さんがアリと呼ぶのは、神徒狩りの長のアリヤシャ様の事だろうか。

 親しげな呼び名に反応すると、お医者さんは気づいて答えた。

「僕はアリと幼馴染なんだよ。あいつも物書きの引きこもりのくせに朱印の能力が有用なもんだから、アケラ様に指名されて勝手に神徒狩りの長にさせられて……苦労してるよ。本当は引きこもって小説だけ執筆してるのが好きなくせに」

 もう三十路なのに所帯も持ってないしな、とお医者さんは笑った。

「生来引きこもりだからアケラ様に逆らえなくてな。本当なら罪もない君たちをここへ縛り付けておくのも本意ではないだろう」

 おっと、今のは聞かなかったことにしてくれ、不敬になる、とお医者さんは口を噤んだ。

 通りで妙にアリ様があたしたちに優しいと思った。もともと宗主アケラと同じ思想を持っているわけではないのだろう。


「さて、紅都の話だったな。紅都は神都のすぐ隣にある。間に関所もない……と、一か所だけあるな。吉原大門だ。子供に話すにはまだ早いから細かい事は言わないが夜の街の入り口だよ。それ以外、二つの都の出入りは自由だ」

 先ほど見た海の向こうの明るい都を思い出す。確かにほとんど距離がなかったけれど、道もつながっているのだろうか。夜が明けたらもう一度見てみよう。

「紅都は芸術の都と呼ばれている。歌や踊りや、文芸、絵画。ありとあらゆる文化の発信地だ。ああ見えてアリの小説も皆によく知られているよ。歌や踊りは教室を開いている流派も多い。絵画に関してもたくさんの工房がある。刀剣や硝子なんかの工芸が有名な赤都(セキト)とはまた違った意味で人の生み出すものが多い都だね。あとは、芸事だから昼よりも夜の方が栄えている。どうしてもそう言ったものを売るのは酒を飲みつつ夜に相手をすることになるからな」

「アリ様は興味あるなら町にも連れて行ってくれるって言ってたよ」

「あいつが? 珍しい」

 書き込む手を止めて、お医者さんはこちらを見た。

「紅都は明るく見えるが、神都から吐き出された膿の溜まった暗部もある。もし本当に外に出るなら気をつけた方がいい」


 真夜中になる頃、ようやくあたしの方の針を抜いた。

 血を抜いて父に移したと聞いたがさほどではない。『白』の境界で父に刺されて死にかけた時の方が辛かった。

 でも、父の方の顔色はここへ到着した時よりずっとよくなった気がした。

「鎮痛剤も入れたし少し落ち着くだろう。だが、僕にも正直何も出来ない。生きるとしたら本人次第だ」

 お医者さんは器具を片づけ、カバンに詰めた。

「深夜までありがとうございました」

「いや、気にするな。袖振り合うも他生(たしょう)の縁というだろう。君たち親子ともう縁が出来てしまった。明日も見に来るよ。死んでなければ」

 最後の一言が余計だが、死ぬなよという医者なりの励ましなのだろう。

 あたしは最後まで頭を下げて見送った。

 優しいお医者さんのお陰で少しは猶予が延びただろうか――みんなの前では死なないと言い切っているものの、生死がかかっている事は理解している。むしろ今生きている父の強靭さが人並み外れているのだという事も。

 助けるにはもう、幼馴染の力を信じるしかない。

 あたしは父の傍を離れ、部屋の奥へと向かった。

 真夜中ではあるが、昼夜逆転していると言っていたし大丈夫だろう。

「アリ様、欲しいものがあるんだけどいい?」

 部屋の奥の襖に向かって声をかけた。

 少し待っていると、すうっと襖が開いてアリ様が顔を出した。

「どうした、ナユタ嬢」

「紙と、書くものが欲しい。手紙を書きたいの」

「構わないが、手紙を出すことは出来ないぞ? 外に助けを求められたら困るからなぁ」

「忘れないうちに書き溜めておくだけだから、出せなくていいよ」

 アラージャさんなら書くだけで気づいてくれるだろうから。

 少し思案したアリ様だったが、入って、とあたしを襖の向こうに迎え入れた。


 部屋の中はまるでサイショウさんの部屋のように紙が大量に積まれていた。

 物書きだと言っていたっけ。どんなお話を書くんだろう。

「そっちに俺がいつも使う紙を入れている。騒がなければこの部屋にはいつでも入っていいから、好きに持って行くといい。書き物は……筆がいいか? 鉛筆の方が慣れているか?」

「鉛筆がいい。墨の準備が大変だから」

 アリ様は引き出しから何本か鉛筆を出して渡してくれた。

 どれも可愛らしい千代紙が巻かれており、これだけでアリ様の性格が分かる気がした。

「アリ様はいつもこの部屋にいるの?」

「書き物はこの部屋だが、隣に居室がある。そっちは入らないでくれると助かる」

 鍵がかかっているわけでもなさそうな部屋に驚いた。

「あたしたちみたいに、ここへ拘束される人は他にもいるの?」

「いない。普段はここで朱印を刻んだら地下牢に送っている。ここに泊めるのは君たちが初めてだなぁ」

「何で……?」

 何故あたしたちだけここへ残してくれたんだろう。

 同じように朱印を刻んで放置すればよいのに、父に休む場所を与えて医者まで呼んでくれた。

「君の父があまりに死にそうな状態だから同情した所もあるが、打算的な部分もある。気まぐれだ、気にするなぁ」

「打算?」

 首を傾げるとアリ様は鼻を鳴らした。

「単純に君たちの半生に興味があった。少し聞こえていたが、年が近すぎるのも裏がありそうだ。物書きとして珍しい人生を送っている者の話を聞いてみたい衝動にかられたってだけさぁ」

 アリ様が頬杖をついてこちらを見ている。

「ここへ泊まるための宿代だと思って、話聞かせてくれないか?」


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