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神徒奇譚  作者: 早村友裕
第四章 菫都・紅都編
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紅都へ(1)

 見習いの女の子たちには先に帰ってもらって、あたしたちはメイカ様と一緒にゆっくり帰った。

 一人で歩けると言い張るメイカ様を無理やり背負ってアギは歩き出した。さっきまで拗ねてたけど、ご機嫌は直ったんだろうか。

 結局夕方になってしまったな。夕陽に長く伸びた影が今日も3つ。

 不意に先日の事を思い出して、背筋がそわりとした。

「……いるな」

 アギが警戒を強める。

 この焦燥感は敵意だ。野生児の兄二人が感じ取っているものも、これに近い感覚なんだろう。

「代わるよ。アギは動けるようにしておいて」

 ガーシャがメイカ様を受け取った。

 やきもち焼かないでね、と言ったら、お前相手にはやかねえよ、と言われていた。信頼がすごい。

「ちょっと油断したね。ラクシャさんから離れてお社の外に出るのを待ってたのかも」

「私は置いて行ってくれ。後から帰る」

「駄目。人質に取られたら動けなくなる」

 一本向こうの筋には参拝の人もたくさんいるがこちらの道には誰もない。あたしたちの影だけが伸びている。

 堀川(ホリカワ)の屋敷はすぐそこだ。

「ナユタっ!」

 アギが叫んであたしを突き飛ばす。

 体勢を整え周囲を見ると、前回と同じようにそこかしこの影からわらわらと黒い人影が立ち上っていた。

 そのうちの一人がすでにアギと打ち合っている。

「止まらないで! 鳥居の内側まで逃げて!」

 ガーシャの声で弾かれたように駆け出した。

 右から飛び込んできた影は、新緑の糸に絡めとられ、左から来た影からは光玉を使って空に避ける。

 と、その瞬間真っ黒な糸があたしを縛り上げた。

 しまった、むやみに空へ逃げるなって父も言ってたのに。

「させるかっ!」

 アギが飛び込んできて黒い糸を斬り落とす。

 刀の使い方がずいぶん上手になっている。

 解放されたあたしは振り向かずに走る。

 目の前に黒い刃が飛んできたが、回転する光の剣がそれを弾いた。

 メイカ様だ。

 兄姉に守られているのを感じながら、黒い影の足元を滑るように通り抜ける。

 最後に階段を駆け上り、鳥居の中に駆けこんだ。

 鳥居のところで黒い影が皆、止まる。やはり中には入れないらしい。


 そこで一瞬、気を抜いた。


 頭の横から手が伸びてきて、首のあたりに腕が回される。

 腰のあたりも押さえられ、拘束された。

 耳元の息遣い――黒装束だが、生身の人間だ。

 油断した。影は鳥居の中に入れないと思っていたから。

 あたしを捕えた黒装束の人影は、そのまま影にとぷりと入り込んだ。地面ではなく、影の中(・・・)へ入っていく。

 影の中を移動するような朱印の力があるのだろうか。

「ナユタ!」

 アギの声。

 こちらにこようとしたが、数体の影が一斉に襲い掛かかって動けなかった。

 その隣を、猩々緋色の着物が駆け抜けた。

「お父さん!」

 体半分が影に沈んでいたあたしの手を掴んで、そのまま一緒に影の中に吸い込まれた


 影に沈んだ瞬間、全身を絞られるような痛みと苦しさに襲われた。

 が、それは一瞬で、周囲が明るくなり全身が緩んだ。

 さらに拘束していた腕が緩み、はっと見上げると、父が拘束している腕を力ずくで引きはがしにかかっていた。

 少し緩んだ隙に顎に頭突きして抜け出した。

「ナユタ」

 お父さんがあたしを抱きあげて、目の前の男から距離をとる。すぐに壁にぶつかり、そのまま座り込む。

 捕まった瞬間は心臓が止まりそうだったが、お父さんがいてくれるなら大丈夫だ。あたしはぎゅっとしがみついた。

 周囲は闇。

 うっすら蝋燭のようなものも見えるが、広さもよく分からない状態だ。膝をついた床は冷たく、石か岩の感触があった。壁はよく見えないが土壁だろうか。


 と、次の瞬間、急に眩しくなった。

「お帰り、ガルド」

 知らない声がする。

 目が慣れて見渡すと、閉鎖された空間だった。

 周囲は丸太の柱があるものの四方を土壁に完全に覆われており、逃げ場がない。床はのっぺりと磨かれた御影石に覆われていてその上に朱印のような文様が黒く刻んであった。

 黒装束の男は、あたしの背後に向かって跪いている。父が見ている方向だ。

「余計なものも連れてきたな」

「……神都まで跳んだのか」

 そう呟いた父の呼吸の音がおかしい。

 ぜろぜろと異音が混じっている。途中、どこか怪我をしたに違いない。

「申し訳ございません、アケラ様。しかし、おそらく虫の息でしょう。生身で人の朱印に飛び込んでいるのです。四肢が千切れ内腑(ないふ)が破裂していてもおかしくはない」

「馬鹿にすんな、この程度平気に決まってんだろ」

 びちゃ、と地面に血が落ちた。

 ざあっと血の気が引いた。

「その女を渡せ。神徒を無限に呼ぶ稀有な能力の持ち主だ」

「阿呆か、名乗りもしねえ奴に娘は渡さねえよ」

 動けない。

 抱きしめる父の力が強いのもあるが、あたしのせいでどれほどの怪我を負ったのか知るのが怖くて動けない。

 大きなため息をついた背後の男は、軽く笑った。衣擦れの音がする。こちらに近づいている。

神都(シント)の宗主、アケラだ。神徒狩りの長でもある。神都の安定のため、その女の力が必要なのだ」

 神都の長。

 神都は、この大陸で一番大きな都だ。その宗主となると、実質的にこの世界で一番偉い人、という事になる。

 怖い。

 怖いけど、このまま目を背けているわけにはいかない。

「放して、お父さん」

「駄目だ」

「大丈夫だから」

 少し声が震えたかも。

 それでも父はあたしの意思を尊重してくれた。

 ゆっくりと肩から下ろし、それでも肩を抱きながら前を向かせた。黒装束の男にも意識を配りながら。

 地面に大量に血が落ちている。父は口元を着物でぬぐい、ぺっと口の中の血を吐き出した。内臓のどこかを傷つけたのは明白だった。

 壁に座り込んだのは、立てなかったからかもしれない。

「こんにちは、アケラさん。蒼都(ソウト)の神徒狩りのナユタと言います。初めまして」

 当たり前のように挨拶をしたことに驚いたのか、その人は少し目を細めた。

 紫紺の着物に黒の羽織。父ほどではないが長身だ。長い黒髪を後ろに束ね、白い面立ちは冷たそうな印象を受けた。

「神徒を呼ぶ能力が必要って言ってたけど、こんな荒っぽい攫い難しなくても、お願いしてくれればあたしは神都に協力するよ。菫都が落ち着いてからになるけど」

 以前にも外道衆に問答無用で攫われたこともあるのだが、皆、言葉が足りなさすぎる。何がしたいのか、何をしてほしいのか、もっと言葉にするべきだ。

 話せばわかる事だって多いのに。

 しかしアケラという名の神都の宗主は眉を跳ね上げた。

「何か勘違いしているな。何故私がお前にお願い(・・・)などせねばならん? お前は命令を聞くだけでいい」

「何故?」

 不意に、翠都でガーシャが言った事を思い出した。

「何故あたしは貴方の言う事を聞かなくちゃいけないの? あたしは神都の民ではないのに」

「だからガルドを寄越したんだ。自分の立場が分かっているか?」

 仲間から遠く離れた知らない場所に二人。父は強いがおそらく重症で、周囲には敵しかいない状態で。

 殺されはしないだろうが、何をされてもおかしくない。

 父が苛々しているのには気づいていたが、それ以上に容体が気になる。人の朱印に飛び込むことがどれだけ危険か分からないが、深刻な深手を負っているのは間違いない。

「……分かった、とりあえず貴方の言う事を聞くから、父を休ませてほしい。あたしも父も、抵抗したりはしないから」

「ナユタ」

 父が止めようとしたが、制した。

 たまにはあたしの我儘も聞いてほしい。

「心配なの。お父さんが無理しないかって」

「それはお前が心配することじゃない」

「心配するよ!」

 あたしの大声で父がびっくりした。

「お願いします。協力するから、父の治療をさせてください」

 ガーシャがいればすぐに見てもらえたのだけど。

 ここにはあたししかいないから、父を守るのはあたしの役目だ。

「……分かった、娘に手を出さず、娘と離さないのであれば、俺もこれ以上は抵抗しない」

 父も両手を上げた。

 アケラはそれを鼻で笑い、連れて行け、と黒装束の男に指示していた。



 黒装束の男に連れられ、階段を上ると地上に出た。先ほどの部屋は地下にあったらしい。外はすでに暗くなっており、先ほどの部屋が地下なのに明るすぎるくらいだったのはいったいどんな理屈なのだろう。

 よろめいた父を支えると、ずしりと重かった。

「賢明な判断だったな。もしアケラ様に手を出していれば、その場で切り捨てていた。万全の状態ならともかく、今のお前など盾にもならん」

 外に出てすぐ馬で引く牛車のようなものに乗せられどこかへ移動し始めた。

 木製の籠はがたんがたんと揺れる。

「悪い、ナユタ、お前に判断を委ねた」

「いいの。お父さんと一緒いいたかったのはあたしの我儘なの」

 そう言うと、父はかすかに笑った。

「だが、助かった。あの場では虚勢張ってたが、かなり……やばい……」

 ずるずるずる、と身体が倒れた。

 鼻と口から血が流れ出ている。どれほど体の内部を傷つけられているか分からない。

「お父さん!」

「朱印に飛び込んだのは初めてなんだが、いや、すごかったな……」

 そんなのんきな事を言ってられる場合なの? それとも、本当に危険なのを誤魔化そうとしてるの?

 ガーシャがいれば診てもらえるのに、あたしには何をすることも出来ない。


 しばらくするとがたんと音がして乗り物は停止し、外から扉が開けられた。

「降りろ」

 父を支えるようにして立ち上がり外に出ると、夜だというのに眩いばかりの建物が立っていた。人の出入りもがやがやと多い明るい望楼が目の前に立っていた。黒い瓦に白壁、色とりどりの雪洞(ぼんぼり)が無数に釣り下がっている。

 中央に目立つ(くれない)色の扉を開けて中に入り、さらに奥の扉を3枚ほど抜ける。奥に行くにつれて人が少なくなっていく。

 そうしたら突然、地面が動き出した――いや、これは籠のようになった乗り物だ。籠が上に吊り上げられて、上に向かって登っているのだ。

 到着した場所は、ここもまたひどく煌びやかな部屋だった。極彩色の調度品があたしたちを出迎える。壁も棚も、そこに飾られた絵も置物も宝石があしらわれており光を反射して輝いている。目から入る情報が多すぎてクラクラした。

 そして、部屋の天井にはまるで光玉のような光源がついていた。

 理屈は分からないが先ほどの地下の部屋もこれ(・・)で明るくなっていたみたいだな。

「もうきちまったのか。まだ寝かせろよ、俺の昼夜が逆になってるってわかってるだろぉ?」

「アリヤシャ様」

 部屋の奥から届いた声に、黒装束の男はさっと頭を垂れた。

 偉い人らしい。

 首から勾玉を下げているから神徒狩りだとは思うけど。

「いいよ、その辺に置いてって。後はやっとく」

「よろしくお願いいたします。アケラ様直々のご命令です」

「分かってる、分かってる」

 部屋の奥から現れたのは、白に近い桃色の着物をほぼ着崩した妙に色気のある男だった。白銀に近い長髪も相まって、まるで発光しているかのようだ。

 黒装束の男はあたしたちを置いて去っていった。

 抵抗しないと約束しているので、あたしたちは逃げずにこの部屋へとどまった。

「どういう関係か分かんないけど、強い絆だけ見えるね。恋人同士にゃ見えないが……しかもそっちの男――棺桶に片足突っ込んでるな」

「父なの」

 そう言うと、彼は驚いた顔をした。

「父娘にしちゃ年が近くないかぁ?」

 男はふいと笑うと、あたしの胸元に指を伸ばした。

 不意に指先に朱印が浮かび、どくんと全身が脈打った。

「何をした?!」

 父が男の手を振り払う。

「ここから出られなくしただけさ。抵抗しないと言葉では言ってるが、念のためな」

 続いて父の手の甲にも同じく朱印を刻み込んだ。

「これでお前らはこの部屋からは出られなくなった。ここで一通り生活できるようにはしてあるからアケラ様に呼ばれるまではここにいた方がいい。あいつに逆らうと碌な事にならねえからなぁ」

 そして、これまた華美な扉をカラリと開けて奥の寝台を指した。

「そこで寝ときな、おとーさん。大丈夫、アケラ様お気に入りの娘さんには何もしないさ」

 あたしは父を支えて奥の寝台に寝かせた。

「ありがとう。ええと、どなた?」

「ああ、そうだ、名乗ってなかったなぁ」

 男は白銀の髪をばさりとかきあげた。右の目元にほくろが三つ並んでいるのが印象的だった。

紅都(ベニト)の神徒狩りの長のアリヤシャという者だ。」

「え、紅都……?」

 さっきまで神都にいたと思っていたのだが。

「それも知らなかったのかぁ」

 男はまるで舞のような足捌きで優雅に壁まで向かうと、天井から下がっていた金色の紐をぐいっと引っ張った。

 どうやらそれは窓の覆い幕になっていたようで、その向こうに煌びやかな景色が浮かび上がった。

 遠くに見えるのは夜の海、湾の反対側にはさらに明るい都が見えている。

「向かいのあれが神都だ。そして、ここはその姉妹都市」

 手前に視線を落とすと、夜だというのに昼のように明るい街並みが広がっていた。

紅都(ベニト)へようこそ、蒼天の舞姫様」


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