旅一座(4)
菫都が衰退したのは一人の神徒狩りがきっかけだったと聞いている。その人があまりに強すぎたために、神徒を一人で狩りすぎて調和が崩れ御三家の仲が悪くなってしまったのが原因だという――その強すぎた神徒狩りがカシギだったというのだろうか。
カシギは奥の村の薬師だ。翠都の近くでガーシャを拾って育てた養父で、集落では一人だけの薬師だった。いつもたくさんの本に囲まれていて博識で、天気の事、植物の事、動物の事……あたしたちに色んなことを教えてくれた。
カシギが神徒狩りであるなんて考えたこともなかった。
菫都は医療が発達していたと言っていたから、神徒狩りでありながら医療知識も身に着けていたという事になるのだろうか。
「ラクシャさんは知ってたか、とうに気づいてたかのどちらかだと思うよ。菫都の再建に手を貸した理由の一つでもあるんじゃないかな。何しろオレの師匠とラクシャさんは仲のいい友人同士だからね。親子ほど歳離れてるけど」
俺も早く気づかなきゃいけなかったんだけどね、と苦笑しながら。
「どちらかというとここを出て行った医者だと思ってたけど、神徒狩りの方だとは思わなかったなあ……」
「……そうか。あれは遠くで子を育て弟子を育てておったのか」
おじいちゃん先生は優しい声で言った。
まるで長い長い年月のわだかまりを一緒に吐き出したかのようだった。
「その子供が大きくなって菫都に戻ってくるとは、因果とは不思議なもんだのう」
「本当に。でもね、菫都にいるうちは、私ら以外にその名を出してはいけないよ。特に寺社にはまだ恨みが深い人もいるかもしれないからね」
おばあちゃんも優しく頷いて、ガーシャに金平糖を3つあげた。
今日は特別よ、と。
「ガーシャ、貴方がここへ来てくれて、子供たちに色んな事を教えてくれて嬉しいわ。その知識が継承されているのはとても素晴らしい事よ。ぜひ、貴方もまたそれを繋いで行って」
ガーシャは泣きそうな顔で金平糖を一つ口に入れた。
「ありがとう」
でも俺にはちょっと甘すぎるかな、と言って残った二つの金平糖をあたしにくれた。
菫都から翠都へ、翠都から奥の山へ――大山脈の尾根伝いに人知れず何年もかけて移動したカシギは、村でガーシャにその知識を継承しながら何を思っていたんだろう。あの日、アギとあたしと一緒に旅立つと聞いて何を思っていたんだろう。菫都に行く可能性もあることを知っていて、どんな気持ちで送り出したんだろう。
送り出すときに言った言葉――『そんなことは残った大人が考えることだ。君たちは、ただ君たちの道を進めばいい』。もしかするとあれは、彼が昔の自分自身に言ってほしかった言葉だったんだろうか。
またもう一度、村に戻ってカシギの話が聞きたくなった。
おじいちゃん先生とガーシャは再び二人で話をはじめ、あたしはおばあちゃんに話を聞いてもらいながらしばらく過ごした。
とても穏やかな時間だった。
楽しくはあったけれど、もしかしてあたしはおばあちゃんの仕事の邪魔をしただけなのでは。棚の整理は手伝ったけど。
ガーシャにそう言うと、彼は悪戯ぽく笑って言った。
「だって、アギたちを二人きりにしてあげる時間も必要でしょ?」
言われてぽかんとしてしまった。
そんな気遣い思いつきもしなかったよ。あたしはアギもメイカ様も大好きだから無意味に二人と一緒にいる事も多いけど……今度から気を付けるようにするね。
部屋に戻ったら、メイカ様は再び眠っていて、アギは手を握ってその顔をじっと見つめていた。
おばあちゃんにもらった金平糖をあげようと思ってたのに。仕方がないので金平糖は紙に包んで帯に挟み込んでおいた。
くんできた水で手ぬぐいを濡らし額に当てる。あまりに高熱だったときは焼け石に水だったけれど、今くらいの熱にちょうどいい。呼吸も楽そうになっていて、胸より下あたりが安定して上下していた。
「今のうちにサイショウさんに手紙書いとくね」
ガーシャは作り付けの立派な作業机でアラージャさん向けに手紙を書き始めた。
「メイカさんが倒れたでしょ? サイショウさんがすごく動揺してるらしくてこまめに連絡入れてるんだよ。メイカさんの母も不慮の病で急逝したって言うから心配したんだろうね」
手紙を書きながらガーシャが言う。
あたしは傍に立って様子を眺めていた。綺麗な字だな。これもカシギに習ったのかな。
「父親ってどこも同じなのかな。娘の事になると途端に視野が狭くなるんだよね」
「確かに」
アギも同意した。
「ああ、そうだ。アギから聞いたかもしれないけど……ラクシャさんの事。ラクシャさんはおそらく最強だと思うんだけど、ナユちゃんにだけは致命的に弱いんだよね。10年会えなかった可愛い娘だから仕方ないんだけどさ」
さらさらと紙の上に鉛筆を走らせながら、別の話をしている。器用だな。
「もしナユちゃんが危機にさらされたら無抵抗になる可能性があるんだよね。ただ無抵抗になるならいいんだけど、オレが一番危惧してるのは、オレたちの敵になる事だ」
「敵?」
「うん。もちろん感情的な意味での敵ではないよ。けど、これは例えばの話。ナユちゃんが人質に取られて、解放の条件として誰かへの攻撃を提示されたとき――具体的に言うと、ナユちゃんを殺されたくなかったらアギやオレを倒せって言われたらラクシャさんは迷わずオレたちに攻撃するでしょ」
「……するね。確実にする」
容易に想像できて途方に暮れた。
「殺される心配まではしてないけど……と思ってたけど、もしかして殺される心配もしておいた方がいいかな」
「親父はどっちかというと考え方がナユタと似てて悲観的だから、もともとオレやガーシャとは意見が対立する可能性が往々にしてあるんだよな。そうなった時にナユタの命を懸けられたら……まあ、そっちを取るだろう。追い詰められたらその場の勢いであっさり殺されそうだ」
アギは震えあがっていた。普段から手合わせしている相手だ。実力差は分かっているのだろう。
「いずれにせよ世界一敵に回したくない人だから、ナユちゃんは自分の身を第一に守ってね」
「ワカリマシタ」
どうやら父の力が世の為人の為に使われるには、大前提としてあたしの身の安全が必須のようだ。
無駄に強い父が世界の敵に回らないようにしないと。そういえば、半日あれば菫都を更地に出来るって言ってたな――何故あたしの周りには、すぐに世界を破壊しそうな人間が集まるのだろうか。
蒼都で破壊の獣と呼ばれた二人も、世界最強の父も、できればずっと大人しくしておいてほしい。
「あたしより先に世界滅ぼさないといいな……」
冗談半分にぼそりと呟いたら、ガーシャがあたしの唇に人差し指を乗せた。左手は手紙を書き続けたまま。
「ナユちゃんは世界を滅ぼしたりしないでしょ」
「でも、翠都でリーリャさんが」
続けようとしたらほっぺをぐにんと潰された。
「リーリャはナユちゃんが『神徒を統べる神を顕現させる』と言ったんだ。福禄寿様は決して、ナユちゃんが世界を滅ぼすとは言ってないよ」
そう言えば、その話をしてなかったね、と言いながら。
「福禄寿様が告げたのは、『ナユちゃんが無意識に神徒を呼べる事』と、『いつか神徒を統べる神を顕現させる事』の二つだよ。リーリャがそれをどう解釈したのかは知らないけどね」
ひやりとした温度の声で。
この件に関してそれ以上は踏み込むなな、とあたしの手前に線を引いた。
「オレはナユちゃんが世界を破壊するどころか、むしろ救うと思ってるよ?」
「え?」
首を傾げると、手紙を書く手を止めて、あたしに笑いかけた。
「だって向こうの世界から力の源になる古銭を無限にこちらの世界に流入させられるんだよ? どう考えたってこちらの世界を救おうとしているとしか思えない。そうでなくとも――オレは前から考えられないくらいに本当に楽しくて、幸せで、最後まで生きていたいと思えたのは初めてなのに」
ガーシャが笑うのを見ると、胸のどこかがきゅっと締まるような感覚に襲われる。それは少し苦しくて、とても暖かい感情だ。
「ナユちゃんが理解するまで何度だって言うよ。キミはオレの世界の福音。オレの望んだ世界への道標――お願いだから、傍にいて。絶対にどこにも行かないで」
……不思議だなあ。ガーシャが言うと、本当にそんな気がしてくるんだ。
存在するだけで迷惑で誰の役にもたてないあたしなのに、生きていてもいいのかも、と思えてしまう。
だからあたしは、この人の傍を離れられないんだろう。
頬に当てられた手に自分の手を重ねて温かい体温を感じながら、心が凪いでいくのを感じた。
父がこちらに戻ってきたのは、それからさらに二日後の夜だった。
メイカ様は自ら身体を起こせるようになるまで回復し、アギに支えてもらえば立てるようになっていた。でも何日も寝込んだせいで明らかに痩せてしまっている。普段のように戦ったり、山脈を越えようと思ったらもう少し時間が必要だろう。
けれど、回復したメイカ様の様子を見て父もほっとしたようだ。
「サイショウさんも安心してたよ。遠くにいるから気が気じゃなかっただろうね」
「あいつはあいつで大概親馬鹿なんだよな」
父が苦笑した――あいつはあいつで、ってことは自分自身も親馬鹿の自覚あったのか。驚きだ。
「別れ際にサイショウからメイカの事を任されてたのに、誰も死なせないってガオウ爺さんにも言ったのに……病気相手じゃ俺は無力だからな。ありがとう、ガーシャ。本当に助かった」
「オレだって気が気じゃなかったよ。でも、菫都に来てよかった。まあ、オレの師匠の故郷でもあるしね」
その言葉で、父は肩をすくめた。
「何だ、バレたのか」
「確認したのはつい最近だよ。菫都の医術にあまりに既視感があるんだ。さすがに関係あるってわかっちゃうよ。でもオレの師匠は神徒狩りなのに医者でもあったの?」
「まあ、あいつは俺と違って器用だし割と何でも出来るからな。そういう意味ではガーシャ、お前とよく似てるよ」
そう言われて、ガーシャは嬉しそうに笑った。
「最終的に菫都が衰退したのはあいつのせいでも何でもねえ、古銭に目がくらんだ寺社の宗主どもの強欲さが原因だ。あいつを恨むのはお門違いだよ。とはいえ、若い頃は擦れてたって本人が言ってたから、いらん事までしてた可能性はあるかもな」
今となっては分からんが、と父は付け加えた。
「さ、あいつの心残りの為にも少しだけ手助けしてやろう。ナユタ、明日はまた外に行くから今日はちゃんとよく寝るんだぞ」
父はあたしの頭をぽんぽんと撫でた。
「大丈夫、毎日よく眠れてるよ。ガーシャと一緒に寝てるから」
「は?」
手が止まった。
「お前ら一緒に寝てんのか?」
「狭いからね。それにオレもナユちゃんと一緒だとよく眠れるし」
父は無言であたしを確保すると、ガーシャから引き離した。
ガーシャは両手を上げて笑う。
「誓って手は出してないよ、成人前だし」
「ふざけんな来年成人じゃねえか。俺はまだ認めてねえぞ」
苦しい。
ぐぐぐぐぐと首を絞められ、父の腕をばんばん叩く。
しかしその腕は緩められることはなく、あたしは父に連行されていった。
そして嵯峨野の屋敷まで引っ張られ、その日は父といっしょに眠ったのだった。
父の隣でもとてもよく眠れたことは書き添えておく。結局あたしはどこでもよく眠れる質なのだ。
次の日あたしは父とテラスと共に都の南門へ向かっていた。
先日通った時はよそ者への風当たりの強さにびっくりしたものだが、今回は少し雰囲気が変わっていた。
こちらを見ながらひそひそと噂話をする人がいるのは相変わらずだが、これ見よがしに扉をぴしゃりと閉めたり、わざと聞こえる声で嫌味を言う声はなくなっている。
「お父さん、何かしたの?」
「お前がいつもやるような事だよ」
つまりは、町の人たちの困りごとを聞いて仲良くなったわけだ。
怖い。
ほんの数日で空気を変えてしまう父の手腕が怖い――と思ったけど、あたしたちも翠都で似たようなことをしてたっけ。血は争えない。
南門の外に出ると、待っていたのは旅一座の面々だった。
「興行の方はどうだ?」
「順調ですよ。1日2回の公演を3回に増やしてもまだ人が入るくらいです」
座長のセリキャさんが言った。
待って、公演ってあれだよね。蒼都と赤都のアレだよね。
あたしが目を泳がせていると、少し遅れて南門からアギが姿を現した。
「ご兄妹はこちらへ」
あたしとアギは旅一座の人に連れられて、近くの小屋に入った。
待機していた女性たちに囲まれ、あっという間に着替えさせられ、髪を結われ、綺麗な簪をいくつも差した。アギも同じく着替えさせられていた。色はいつもとおなじ猩々緋色の着物だが、金の刺繍が入っていて遠くから見てもよく目立つ。
これはおそらく舞台用に作られた衣装だ。
まさか舞台に立たされるのでは……?
不安になりながら外に出たら、関所の前にはものすごい数の人が集まっていた。
「さ、行くぞ」
何の説明もなしに父に連れられて都の関所を離れていく。
観客らしき人達もぞろぞろと連れ立って歩いてきた。
「ねえ、お父さん。あたしたちどうしたらいいの……?」
「お前らはいつも通りでいい」
「神徒を狩れってことか?」
「ああ。最初はちょっと神徒の数を増やしてくれるか? その方が見栄えがいいからな」
人の住む場所を抜けて、古い関所に近づくころには不穏な気配が満ちていた。
キキキキキ、と何かが擦れる音がする。
そちらは父が視線を遣りもせず倒して、さらに遠くへ進む。
古い関所を通り抜けたあたりで、急激に神徒が湧きだした。そろそろ限界だ。
「よし、いいぞ。ナユタ、その辺を飛び回って神徒を増やしてこい」
「え? いいの?」
父を見上げた時、その背後の関所に詰めかけた人を見て妙な既視感を覚えた。
関所に集まる人。飛び回って神徒を呼んで、アギがその神徒を倒して――
唐突に理解した。
「うん分かった、行ってくる。アギ、後はお願いね」
「……ああ」
兄の方も気づいたようだ。
「『大丈夫、何があっても被害だけは俺が出させねえから』」
いつかの台詞を繰り返して。
大丈夫。アギがいれば何も怖くない。
あたしは光玉を浮かべて、空に飛んだ。
夏の蒼天に舞台衣装が映える――父が描いた計画の通りに。
観客はあたしの姿にどおっと湧いた。
これは、蒼都襲撃の再演だ。




