旅一座(3)
急いで道を駆け抜けて堀川家の鳥居をくぐり、中に入ってホッとした。
まるで黒い神徒のようなアレは、人型をしていたが黒い鼠と同じものなのはすぐに分かった。おそらくだが、鳥居の内側に現れる事はないはずだ。
「何かあったの?」
急いでやってきたあたしと父を見てガーシャが驚く。
「都の中で人型の鼠が出た。アレと同じものなら鳥居の中には出ないと思うから、今晩ナユタはこっちに置いてやってくれ。俺は早めに嵯峨野の方へ話をつけてくる。アギもこっちに寄越すから、ナユタを頼んだ」
あたしをガーシャに引き渡して。
暗くなった道をテラスと並んで出て行った。
「ナユちゃんを置いてくなんてよっぽどだね」
「……たぶんあたしが邪魔だったの。朱印を使ってなかったとはいえ、お父さんの剣戟を受け止める程度には強かったから」
それを聞いたガーシャがぎょっとした。
「その相手だとアギがいても大丈夫かわかんないな。一応オレもいるし、剣に限った話だから朱印の力を使えばわかんないけど……ナユちゃんは絶対に敷地から出ないでね。用心するに越したことはない」
ガーシャはそう言って、あたしを診療所に迎え入れた。
メイカ様はまだ眠ったままだった。
「この診療所に神都で新しく出来た熱冷ましがあってね、それを飲ませたらすごくよくなったんだ」
それだけでも菫都に寄った甲斐があったね、と笑った。
高熱が出ているだけで体力を削られる。こういった本人が治すしかない病では、高熱を一時的にでも下げられるだけでもかなり治りやすくなるのだそうだ。
手足にはたくさんの発疹が出てきている。白い肌にたくさんの花が咲いているような様子は、確かに子供が山の熱にかかった時と同じ症状だ。
「大丈夫だよ、発疹が出るのは回復に向かってる印だ。ずいぶんかかっちゃったけど、もう何日かすれば動けるようになると思う」
メイカ様の病状がよくなっているせいだろう。ガーシャも落ち着いたように見えた。
「神都にもいつか行ってみたいよね。菫都の医療発展が停滞している間に神都が最先端になってるみたいだから……といっても、狙われてる今の状況じゃ絶望的だけど」
アギも診療所に到着したが、3人もいるとぎりぎり横になれる程度の広さしかない。
アギが板の間に降りて、小上がりであたしとガーシャが寝ることになった。欲を言えば体を洗ってから寝たいけど、もう辺りは真っ暗だ。贅沢は言うまい。
ガーシャの腕枕で横になり、旅一座の話をしているとだんだん眠くなってきた。
あくびをすると、ガーシャは寝ていいよ、と笑った。
「オレもすぐ寝そう」
「うん。よく眠れるといいね」
そう言って幼馴染のおでこを撫でてあげていたら、うとうとと瞼を閉じた。
珍しくそのまますぐに寝息を立て始めたガーシャ。背中の手からも力が抜けて、完全に眠ってしまったようだ。
「……おやすみ」
いつもあたしの方が先に寝てしまうから、彼の寝顔を見るのは久しぶりかもしれない。
普段から寝つきがよくないのに、ずっとメイカ様を診ていたからあまり眠れていなかったのかもしれない。あたしもここのところ父と過ごしていたからくっついて寝てあげられてないし、きっと寝不足だっただろう。
たった一人でみんなの健康を背負うのは大変だ。特に生死に直結するとなるとすごい重圧だと思う。あたしたちはガーシャに責任を負わるつもりは毛頭ないけど、基本的な行動指針をガーシャに委ねているところがあるから。
今回は少し自信なかったのか、カシギの名前を出したりもしてたもんね。
未来視の時もそうだけど、この人はいつも瞬間瞬間の判断に大きな責任を持とうとしているように見える。少しでも負担を軽くしたいのだけど一人で考える方が得意だとそれもまた難しいんだろうな。
考えるうちにあたしも眠くなってきて瞼を閉じて夢と現を彷徨う。
眠りに落ちる寸前にメイカ様の声が聞こえた気がしたけれど夢なのか現実なのかもうよく分からなかった。
けど、アギが応える声も聞こえたからきっと大丈夫だろう。
あたしはそのまま意識を手放した。
朝、目が覚めたらまだガーシャの腕の中にいた。安心したのでもう一度目を閉じてうとうとする。
長い指が髪をするりと撫でていく感触があった。
「起きてるの?」
優しい声が耳をくすぐる。
返事をしようか迷ったけれど、微睡が心地よくて動けない。
「いい。寝かせておいてやれ」
けど、メイカ様の声がしたのではっと覚醒した。
起きてたね、と笑うガーシャの腕の中から抜け出して起き上がると、アギに支えられてはいるが、メイカ様が寝台の上で体を起こしていた。
見えている両腕も、喉元から顔にかけて斑点がまだまだ残っているが、目を開けて、こちらを見て笑っている。
その姿を見て泣きそうになった。
「メイカ様!」
あたしは躊躇なく抱きつこうとした。
「やめろ、まだ起きたばかりなんだ」
アギに止められて手を握るだけにする。
握った手は少し熱いが、倒れた時ほどの絶望的な体温ではない。
「よかった。本当に……死んじゃうかと思ったの……」
「すまないな、私の為に予定のなかった菫都に寄らせてしまった」
「気にしないで。予定なんてあってないようなものだし、ラクシャさんも楽しそうだし」
「そういえば、ラクシャ様は?」
「昨日から嵯峨野の方に行ってる。あたしを迎えに来るって言ってたからきっとそのうち戻るよ」
あたしたちは、代わる代わる菫都に到着してからの事を話した。
菫都の現状と、立て直しのために嵯峨野家から協力の要請を受けて、父を中心にすでに動き始めている事。すでに家族で周辺の偵察から始めている事。それから――旅一座の事。
メイカ様は蒼天の舞姫の公演の事を思い出したのか、楽しそうに笑った。そのあとすぐに咳き込んで、アギに水を飲まされていた。うちの兄がかいがいしい。
横になってた方がいいよ、とガーシャが促し、メイカ様は寝台に再び横たわった。回復まではもう少しかかりそうだ。
「堀川家の方でもやっぱり動きがあってね、嵯峨野から大量に古銭が横流しされたことで今の対立状態を緩和しようとする動きが出てる。オレたちがこの場所を占拠してても何も言われなくなったのもそのせいだと思う。最初はこっちを排除しようとしてきてたからさあ」
「えっ、そうなの?」
全くそんな事を感じなかったのは、この幼馴染がうまいこと調整していたのだろう。
父がこの場を一任していくはずだ。
「そこはキミたちが気にすることじゃないよ。お陰でオレもたくさん休憩して本が読めたし、宗主一族はともかく医師側とは良好な関係を築いてるし。あとは西京家の方だけど……まあ、堀川家と似たような状況なんじゃないのかな」
話していると、こんこん、と扉が叩かれた。
「おはようございます。調子は如何ですか」
ひょこりと顔を出したのは10歳くらいの女の子だ。医師の見習いだろうか、白衣に白い頭巾をかぶっている。
「おはよう、コノエ。ようやくメイカさんが起きたんだ。後で、サキョウ先生のところに行くって言っておいてくれる?」
「それは何よりでございます。先生にお伝えしておきますね」
朝食の粥を置いて、その子は部屋を辞していった。
良好な関係を築いているというのは本当のようだ。
「アギ、メイカさんにおかゆ食べさせてあげておいてくれる? ナユちゃんはオレといっしょに水くみに行こうか。ついでに先生のところにも行きたいから付き合って」
ガーシャと二人で外に出ると、眩い太陽の光が迎えてくれた。本格的に夏だ。
盆地の夏は本当に暑い。風通しが悪いから熱が滞留するし、夕立も多く湿度も高くなる。あたしたちが育った奥の山よりもずっと南部に位置するこの都はそもそもが暑いのに。
大山脈の尾根を歩いていた時は涼しくて快適でよかった。
赤都では冬しか過ごしていないが、夏の気候はどうなんだろうな。火山も近いし別の意味で暑そうだ。
陽炎の立ちそうな庭を歩いて横断し、ガーシャは隣の建物に入っていった。
こちらも診療所なのか、小さな部屋がいくつもある構造になっている。中には何人か病人や怪我人と思われる人もいて――もしかして、先日父が倒した堀川の手の者もその中にいるのかも――治療の手伝い中なのか、あたしたちより若い女の子が何人も歩き回っていた。
そういえばここは老夫婦と若い世代しかいないってガーシャが言ってたっけ。
ガーシャの姿を見た見習の女の子たちは嬉しそうに寄ってきて次々話しかけてくる。隣にいるあたしは邪魔そうだったので少し距離を置いて待っていた。
薬に関する質問をしている子もいるし、単純にガーシャと話したいだけのような子もいる。
どこにいってもガーシャは人に囲まれているなあ。
必要そうな質問にだけ簡潔に答えて、ガーシャは女の子たちの質問を止めた。
「ごめんね、待たせてるから」
そう言ってあたしの方に向かってくる。
「ガーシャ先生、その人は誰ですか?」
女の子が問う。
ガーシャは、少し考えて、答えた。
「オレの婚約者かな」
えー! と女の子たちの驚きと悲鳴が上がった。
「……まだお父さんはいいって言ってないよ」
「いいの。オレの気持ちの問題だから」
楽しそうに笑ったガーシャに手を引かれて、建物の一番奥の部屋に向かった。
カラリと軽い音をたてて開いた板戸の向こうにいたのは医師夫妻と思われる老夫婦だった。
「おはようございます。サキョウ先生」
ガーシャが声をかけると、机に向かって書き物をしていたおじいちゃん先生がこちらをむいた。
「ああ、コノエから聞いているよ。ようやく目覚めたって? よかった。うちでは見たことのない症例だったから心配していたんだ。後で分かっている部分だけでいいから経過をまとめてもらえるかい」
「はい、分かりました」
ガーシャはそのままおじいちゃん先生に色々と報告している。
その間、あたしは奥で薬瓶の整理をしているおばあちゃんのところへ行った。
「お手伝いすることはありますか?」
そう声をかけると、おばあちゃんはにこにこと嬉しそうに笑ってすぐそばの椅子をぽんぽんと叩いた。
「おばあちゃんとでよければ、おしゃべりしてくださらない? 女の子はね、幾つになってもおしゃべりが大好きなのよ」
本当は患者用の、いくつか並んだ丸椅子に腰かけると、おばあちゃんも作業をやめて隣に並んだ。
一つだけね、と掌に小さなとげとげのついた固い何かを乗せてくれた。おばあちゃんに習って口に入れると、とんでもなく甘い砂糖の塊だった。美味しい。
目を輝かせていると、おばあちゃんはやっぱりもう一つね、と掌に載せてくれた。メイカ様に持っていこう。きっと元気になる。
「金平糖っていうのよ。美味しいでしょう。貴方はガーシャの妹なのかしら?」
「そうだよ」
「ちょっと待ってナユちゃん、妹じゃないでしょ。婚約者って言って」
聞いてたのか。
「どっちも同じだよ」
「全然違う!」
怒らなくてもいいのに。
「だって放っておくとナユちゃんすぐに誰かに連れ去られちゃうんだもん。せめて言葉だけでも縛っとかないと変な虫がいっぱいついてくる」
「それはガーシャの方でしょ。いつも人気者じゃん」
「え、嫉妬してくれるの?」
「しないけど……」
だからあたしは嫉妬される側なんだってば。
「オレはナユちゃんにヤキモチ焼いてほしいんだよ。そしたら愛されてるって実感できるのになあ」
「そんなことしなくたってあたしはちゃんとガーシャのこと好きだよ」
ちょっと拗ねたガーシャの頭をなでなでしてあげたらちょっとご機嫌が直ったみたいだ。
その様子を見ていたおじいちゃん先生が笑った。おばあちゃんも口元を押さえて控えめに笑った。
「年の割に落ち着いてるかと思っていたがそうでもなかったな、ガーシャ」
「ガーシャは割と子供っぽいと思ってたけど」
そう言うと、おじいちゃん先生はもう一度笑った。
「この年齢でこれだけの腕を持つ薬師はなかなかおらんよ。最盛期の菫都だったとしても数えるほどしかおらんかったろうよ。師はいたのか? さぞかし優秀な師であったのだろうな」
「はい、故郷に。師であり養父でもある存在でした。もしかすると菫都とも縁があるかもしれません。故郷にある本と診療所にある本に共通するものが多いですから」
「ほう、師の名は?」
「カシギと言います」
「……カシギ」
おじいちゃん先生は一瞬、顔を曇らせた。
「んんんんんん? いや、だが……んんんん……」
おじいちゃんとおばあちゃんが顔を見合わせている。
「どうしたの? おじいちゃん」
「いや、昔な、本当に昔だ。医師ではなく、同じ名の神徒狩りがこの菫都におったのだ。まあ偶然だろう。だが、その名はあまり菫都で出さない方がよいかもしれん」
言い淀むおじいちゃんたちを見て、ガーシャも目を伏せた。
「いえ、きっと本人なんだと思います。その可能性があると思って聞きましたから」
「え?」
どういうこと?
ガーシャを見上げると、彼は困ったように笑った。
「この菫都が荒廃するに至った原因が、オレの薬師の師匠だってことだよ」




