菫都へ(3)
一人目は攻撃を避けた後に背中を蹴り飛ばして壁に激突させ、二人目は武器を振るのに合わせて雑な前蹴りで迎え撃ち、上から攻撃してきた相手には空転蹴り。躊躇した残りの数人もあっという間に蹴り飛ばしていた。
ゴクジョウ師匠に教えただけあって徒手でも強い。
軽く打ちのめしたように見えるが、おそらく宗主から命を受けたそれなりの実力者であろうことは間違いないのに。
幼馴染が繰り返すように、父と兄が戦闘的な意味で無敵な限り、あたしたちは自由なのだろう。
あたしを肩車したまま目にも止まらぬ速さで数名の白装束集団を地面に沈めた父は、そのうちの一人を覗き込んで、言う。
「武力で潰されたくなかったら大人しくしとけ。今の菫都なんぞ半日もあれば更地に出来るんだからな」
とんでもない脅し文句を吐く父のいう事に嘘が一つもないのが怖い。
しかし、この都にほとんど神徒狩りがいないというのは本当なのだろう。技術も何もかも寸断され、先ほど嵯峨野で見た訓練されていない小さな子しか残っていないのだ。
だから、父相手にこんな無茶な攻撃を仕掛けてくる。父ほどの腕がなくとも、神徒狩り相手に普通の人間を充てても無理なことくらいすぐに分かるはずなのに。
「さて、この分だと残してきた方も襲撃されてんだろな。アギとガーシャがいりゃ大丈夫だと思うが、メイカがいつまで経っても休まらねえ」
さてどうしたものか、と悩みながら関所近くの建物に戻ると、テラスだけが待っていた。
「みんな何処に行ったんだ?」
するとテラスは手紙を渡してきた。
ガーシャの字だ。
そこには、メイカ様の治療の為に御三家の一つである堀川家に行く事、できれば後から合流して欲しい事が書いてあった。
先ほどの事を考えるとあまり歓迎されない気もするが、ガーシャが無意味な判断をするはずがない。
父とテラスと一緒に堀川家に向かうことにした。
堀川家は東のお社。
残された地図に従って先ほどと違う筋を歩いていくと、またも大きなお屋敷があった。薄紫の大きな暖簾がかかった家は、嵯峨野とはまた異なる雰囲気だ。
鳥居に入る前からすでに薬草を煎じる匂いがした。
門番はいなかったが、鳥居をくぐるとすぐに向こうから人がやってきた。先ほど襲ってきた白装束ではないが、白衣にかなり薄い色の紫の袴で全体的に白っぽい。
「ラクシャ様とナユタ様ですね。こちらへどうぞ」
表情が強張っているのはガーシャたちが何かしたからか。
テラスを鳥居の外に置いて、あたしと父は中に入っていった。
鳥居の中には医療所が併設されていて、その中の隔離部屋にメイカ様は寝かされていた。病人用の寝台に寝かされたメイカ様の瞼は固く閉じられていたが、呼吸は先ほどより落ち着いているように見えた。
ガーシャとアギが付き添っていた。
「二人とも来てくれてありがとう。このまま別行動でもよかったんだけど、先に認識だけ合わせておきたくてさ。嵯峨野で何を言われたか教えてくれる? ――まあ、だいたい予想は出来てるんだけど」
隔離用の部屋はさほど広くはないが、立派な造りの病人用の寝台と治療する人間の作業用と思われる二畳程度の畳の小上がりもがあった。寝台の隣の作業台も立派なものが作りつけられているし、もしかすると、高貴な人を隠して治療する前提の部屋なのかもしれない。
父から報告を受けたガーシャは、だいたい予想通りだったようでそのまま腕組みして考えていた。
あたしは小上がりに腰かけた父の膝に乗せられて愛でられている。
「ナユちゃんはどう思う?」
先ほどと同じ言葉で聞かれ、思わず真上の父の顔を見上げた。変わらずゆっくりとあたしの頭を撫でながら穏やかに微笑んでいた。
安心する。
ここにいればあたしは大丈夫だって思える。
「あたしは出来れば……助けてあげたい」
だから本当の気持ちを話せるのだ。
「誰かが困ってたら助けてあげたい。だってあたしにはそのくらいしか出来ないから。これまでもそうしてきたし、きっとこれからもそんな生き方しかできないよ。だから、アマナ様や菫都の人が困っているなら手伝いたい」
話している間も優しい手がずっと頭を撫でていた。まるであたしがそう答える事を予想していたかのように。
あの場で返答してもよかったのかも知れないが、父は少しだけあたしに考える時間をくれたのだろう。そして、皆と気持ちを共有する時間をくれたのだろう。
アギもガーシャも、あたしの答えを穏やかに受け止めてくれた。きっと、メイカ様が聞いていても同じように笑ってくれただろう。
だから安心して我儘を言うのだ。
「もしあたし一人じゃ助けられないならアギやガーシャにも手を貸してほしい。もちろん、お父さんも。でもね、何も変わらないよ。これまでと同じ。あたしに出来る限りみんなを助けてあげるだけ」
もしかしたら後戻りできなくなってしまうかもしれない。世界中の人にあたしが神徒を呼んでしまう事が知られて、翠都の時のように世界を敵に回してしまうかもしれない。
「どうせいつかはあたしの事がバレちゃうとしても、今、この瞬間、少しでも人の役に立ちたいなと思うよ」
あたしはずっとそうして生きてきた。
アギが工房を手伝う間、ガーシャが薬師である間、メイカ様が宗主一族である間、何者でもないあたしは町の人たちの困りごとを聞いて解決する御用聞きのようなことばかりしていた。あたしにはそれしか出来ないから。
そして頼まれ事があたしの手に余るときは、他の人の力を借りていた――例えばつり橋を直すのにガーシャやカラハの力を借りたように。
これまでも、これからも、何も変わらないのだ。
結果として受け取った人がどう捉えるのかは分からない。翠都のようになる可能性だってある。でもそれは、あたしが神徒を呼ぶのが現実である以上、避けては通れない問題。ここで逃げたとて同じ事だ。
それはそれとして受け入れるしかない――例えば黒い鼠があたしを糾弾しに来たとしても。
「うん、分かった。行っておいで」
ガーシャが頷いた。
「ラクシャさんが一緒にいれば何かあっても安心でしょ。きっとテラスも一緒に行動するだろうし、メイカさんも元気になったらきっと手伝ってくれると思う」
「ガーシャは?」
「オレはしばらく堀川に留まるね。かつて大陸の医療を牽引した菫都の医療所の名は伊達じゃなくてね、古いものもあるけど残されてる薬の量も種類も段違いだし、設備もすごくいい。本も多くて知らない知識もたくさんありそうだからメイカさんの治療にはこの場所が一番よさそうなんだ」
ちなみに、堀川の暗部は最初に叩いておいたから武力行使は無理だって分かってるはずだよ、と言い添えて。
アギとガーシャの悪友組がいったいどうやって武力を示したのかは置いといて。
父の方でも軽くひねっておいたから当分は大丈夫だろう。
「ここの医師は数十年前の政変を生き延びた老夫婦と、あとはオレたちより若いくらいの年代しかいない。嵯峨野の神徒狩りと同じで、技術の継承と立て直しが必要だろうね。偉い人たちに追い出される前に仲良くなっておくよ。大丈夫、メイカさんの事は任せておいて」
よかった、メイカ様もきちんと治療を受けられそう。
基本的に本人の体力頼りとはいえ症状を和らげる薬は必要だろうし、容体が急変したりした時にすぐに処置できた方がいい。
決まりだ。
父も頷いた。
「なら俺たちは俺たちで適当にやる。毎日寄るようにはするから何かあったら連絡くれ。こちらも何かあればテラスを寄越すよ」
「あ、ちょっと待ってラクシャさん。少しだけ話しておきたいんだけど……二人だけで」
あたしとアギをちらりと見て。
ガーシャの指示は絶対なので、あたしたちはそろって部屋の外に出た。
診療所だと言っていたが、ここは寺社の人間ばかりが住む場所らしいので人は少なく閑散としている。時折、白衣の人が近くを通りかかるが、あたしたちの事は敢えて無視しているように見えた。
アギたちはどういう扱いでここへやってきたのだろう。
「メイカが宗主一族だから、無理やりねじ込んだ。ガーシャは主治医で俺はメイカの家族扱い」
血筋大事だね。
よく考えたら当たり前のようにあたしたちと一緒に行動してくれているけどメイカ様は本来ならきっと、とてもあたしたちみたいな田舎者の手が届くような人じゃないのだ。
外で壁に背を付けて二人で並んでいると、空から雨がぱらつき始めた。
夏の夕立だ。日差しで熱くなった地面が冷やされていく。
「……ランカお姉ちゃんの子供が生まれた夜の事思い出すね」
「確かに」
あの時も、部屋の中ではカシギとガーシャが働いていて、あたしとアギはジンさんと一緒に外で無力を感じていたっけ。
あたしたちは、旅立ったあの日から何一つ変わってないな。
何かある毎に自分の無力に打ちひしがれている。それでも人の力を借りて前に進めるようになったのはきっと多少なりとも成長したからだろう。
「あの時のジンさんの気持ちが今ならほんとによく分かるよ……」
アギが頭を抱えた。
「あと、お前が『何故この村に留まってくれたのか』ってジンさんに聞いてたろ。あの時のジンさんの言葉も今なら理解できる」
今の僕と、これからの僕が旅先で出会うかもしれないすべてを天秤にかけても、ランカさんの隣の方が楽しいことが待ってると思ったからなんだ――ジンさんはそう言っていた。
最後には必ずメイカ様の元へ行く、と言ったアギもきっと同じ気持ちなんだろう。
「……アギって思ったよりメイカ様のこと好きなんだねえ」
「うるせえなあ」
だからこそ、今何も出来ないのがもどかしくて仕方ないのだろう。
そんな未来が考えられるようになったのも、きっと父が帰ってきたからだ。ずっとずっとあたしの事ばかり考えていたアギが将来の事を少しずつ認識できるようになったのは。
ざああああ、と雨の音がする。空が明るいからすぐに止むだろうけれど、強い雨があっという間に地面を濡らしていった。
「そういえば……親父が気づいてるから大丈夫だと思うが、ここのところ、お前の周りで何かの気配がすごい。ざわざわする。おそらくアラージャのように遠隔的に見るか、聞くか、感じるか、何かそういった力だと思うんだが、細かい事はよく分からん」
「え、何それ」
お父さんからは何も聞いていませんが。
「都に入ってから黒い鼠を急に見なくなったが、それに近い類のものだと思う。気を付けろ。俺もなるべく傍にいるようにはするが、絶対ではないからな」
このところアギは意図的にあたしに自衛を求めるようになった。
父はあたしにあまり何も言わず守ろうとするから、曲がりなりにも1年、一緒に旅をして兄には少し信用されてきたと思いたい。その辺りはあたしの事を3歳児と思っている父親との違いなのだろう。
同じ事を思ったらしいアギは苦笑した。
親父の気持ちも分からんでもない、と1年前の自分を思い出しながら。
「あとは、ちょうど親父がいねえから言うけど……親父は確かに最強だが、お前にだけは致命的に弱い。おそらく、何らかの要因でお前が人質に取られたり、危険に晒されてしまったら動けなくなる可能性がある。これはガーシャからの忠告でもある。もし動けなくなるだけならいいが――」
そこでがらりと扉が開いて、ガーシャが顔を出した。
アギは話の途中だったが言葉を切った。
「もういいよ、ごめんね。ああ、雨も降ってきちゃったか」
「夕立だ。すぐ止むだろ」
言葉通り、しばらく待ったら雨が止んだので、あたしは父と二人で診療所を後にした。
雨上がりの夕刻の菫都は綺麗だった。美しく磨かれた石畳が濡れ、夕陽を反射して眩いほどに輝いている。黒々とした瓦がしっとりと濡れ、葉は露を弾いて揺れた。
待っていたテラスの尻尾にも雫がついていた。
夕陽で長く伸びた影が親子3人で3つ。
幸せだな。
並んで歩きながら幼い頃の自分を思い出す。当時はきっとアギとガーシャと3人で歩いていたはずだ。あの時もきっと、あたしは幸せだった。




