菫都へ(2)
建物を出て殺風景な道を歩き出した。
小さな小さな草履を履いてちょこちょこ歩く稚児の歩幅は小さく、ゆっくりゆっくり歩を進めていく。だんだん父が苛々してきた。
「場所教えろ、連れてくから」
しびれを切らして二人を肩の上に担ぎ上げた。
二人ともびっくりしたけれど、高い場所から景色を見下ろすのは楽しかったらしく、きゃっきゃと嬉しそうな声を上げた。可愛らしい。
嬉しそうに父に指示を出している。
「あちらです。そこを右に曲がって」
「白い壁にそってずっと行って、突き当りを左です」
歩いても歩いても誰にも出会わない。ただ静かな路地が続いている。
「この都ってちゃんと人が住んでるの?」
あまりに不安になって双子に聞くと、同時に二人で、はい、と頷いた。
「こちらは都の北部ですから、寺社の人間しか住んでいません。人が住むのは都の南部」
「街道もあちらに御座いますから、外からいらした方は皆様、南部に滞在されます」
「ああ、そうなんだ」
少しホッとした。
あたしたちはいつものように山の中を突っ切ってきたら、いうなれば都の裏口から入ってしまったようなものなんだろう。正面は、反対側だったわけだ。すみませんでした。
「お館様は菫都の御三家の一つ、嵯峨野家の宗主様です。北のお社を守っておられます」
「お館様はお優しい方ですから、きっと貴方達の助けになってくれるでしょう」
双子が案内したのは本当に大きなお屋敷だった。
メイカ様の生家とあまり変わらない。右も左も遠くまで白壁が続き、入口の門の屋根には立派な黒瓦が敷いてある。よく見ると入口の門は鳥居の形を模していて、どうやらこの中はお社の結界の範囲のようだった。
「ここはお社があるの?」
双子に聞くと、可愛い稚児はニコニコ笑って答えてくれた。
「はい、ここは北のお社です」
「3つのお社のうち最も大きなお社です」
どういうこと。あたしは首を傾げた。
「菫都のお社は3つあるの?」
「はい。北のお社、東のお社、西のお社」
「それぞれ御三家の嵯峨野、堀川、西京が護っております」
よく分からないけれどまあいいか。
あたしは父と共に鳥居を潜り抜けた。
鳥居の先のお屋敷には思ったよりたくさんの人が働いていた。
井戸の近くで洗濯をしている人、炊事場で鍋を洗っている人、庭木を整えている人。皆一様に薄紫色の袴を履いている。小さい子は双子のような稚児衣装の子が多い。
ちゃんと都にも住んでいる人がいたことにほっとした。
双子は父の肩から下りると二人並んで礼をした。
「ここまでありがとうございました」
「とても楽しかったです。ありがとうございました」
礼儀正しい。可愛い。愛されて育っていることが一目でわかる。
父が二人の頭をぐりぐり撫でてあげていると、奥からふくよかな女性が姿を現した。
おっとりした雰囲気の40代くらいの女性だ。二人の母にしては少し年かさかもしれない。ふっくらした頬に優しい笑い皺が目じりに目立つ。とてもいい人そうだ。
穏やかに笑ったその女性は丁寧に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。嵯峨野家の当主アマナと申します。不躾なお招きをして申し訳ございません。他の二家が接触してくる前にお話しさせていただきたかったので、二人にお迎えに行ってもらいました」
ありがとう、と双子にお礼を言って、アマナ様はあたしたちを邸内に迎え入れてくれた。
あまりにも美しく整えられた客間に通され恐縮した。
この部屋の為だけに作られた箱庭には夏草が青々と茂り、遣り水がきらきらと光を反射している。わざわざ夏らしい景色が楽しめるようにしてあるのだ。おそらく秋には紅葉が、冬には雪景色が楽しめるよう趣向を凝らすのだろう。
教養のないあたしでも分かる素晴らしい庭だ。
もちろん部屋も落ち着いた調度品が揃えられていて、華美すぎずもてなす心が現れている。
それだけでこの方の人となりが感じられるようだった。
「まずは、関所にて多量の古銭を奉納いただきましたこと、菫都を代表して厚く御礼申し上げます」
アマナ様は深々と頭を下げた。
偉い人にそんなことをされると困る。
「やめてくれ、滞在させていただく上で当たり前の事をしたまでだ」
父が首を横に振る。
だってあたしがこの都にいる間は、寿老人様の恩恵にあずからなくてはいけないのだ。古銭を奉納するのは当たり前だ。何なら、毎日外で神徒を狩って奉納し続けるつもりでいるのだ。
蒼都でも赤都でも翠都でもそうしてお社の恩恵に預かってきた。
「ですが……聡明なお二方ならもうお気づきでしょう、菫都の惨状に」
その言葉で父は一瞬、口を閉じた。
荒廃した都の外。狭まるお社の結界。打ち捨てられた関所と、ぼろぼろのままの家で暮らす外の人々――
「神徒狩りがいないのか?」
「……はい。お恥ずかしい話です」
そう言ってアマナ様はここ最近の菫都の実情を語ってくれた。
「数十年前まで、この菫都も栄えた都でした。おそらくここへいらっしゃる途中でご覧になったと思いますが、非常に広く整備された都があったのです。独自の寺社文化も栄え、建築や産業も他の都へ影響を与えるほどに発展していたのです」
「確かに、蒼都の寺社組織の町はここの街並みや建築とよく似てたよ」
そう言うと、アマナ様は唇の端を上げた。
「ラクシャ様とナユタ様は蒼都の神徒狩りでしたね。まさに、赤都の工芸品や蒼都の建築は、我々菫都の影響を受けていると思います。その栄華が崩壊し始めたのは、数十年前――お社を巡って、御三家が分裂してしまったのが原因でした」
もともと御三家は仲良くとまでは行かないまでも、対立することはせず菫都の発展に寄与していたそうだ。嵯峨野家が神徒狩りとお社の管理を、堀川家は寿老人様の健康長寿にあやかって医療術を、西京家は都の伝統工芸を、それぞれ象徴的に管理していたのだという。
それが崩れたのは、たった1人の神徒狩りのせいだったという。
「その方があまりに強すぎたのです」
利益は人を狂わせる。
それまで都を維持する程度の古銭を奉納していた嵯峨野家は一人の神徒狩りの出現によって急激に力を持つようになった。
その神徒狩りが悪かったわけではない。ただ、良かれと思って神徒をたくさん狩っただけ。
けれど、他の二家が黙っているわけがない。三すくみの状態だった御三家の関係が崩壊した。
「御三家が争い合うようになった都はあっという間に荒れ果てました。堀川の医師は診察をやめ、西京の職人は工芸品の制作をやめ、常にどこかで誰それと小競り合いが起き、時には朱印の力を使って屈服させたというような話も聞いています。その為人死にを伴う争い事も多かったとか。庶民は都を離れましたが残った寺社の人間たちはそれでも争い続けました」
非常に愚かな事でした。アマナ様はきっぱりと言い切った。
「そして争いの原因となった神徒狩りは仲間を全員連れて都を去り、後にはお社も碌に維持することの出来ない荒廃した都が残ったのです」
古銭が奉納されなくなってようやく寺社の人間は慌てだした。
しかし時すでに遅し。
御三家の争いと荒廃した都に嫌気の差した医師たちと職人たちも都を去っていき、気づけば菫都には何も残っていなかった。
思い出した。カラハが言っていたじゃないか。菫都では、蒼都とは比べ物にならないくらい神徒の被害が身近だったって。
例えばガーシャが言っていたように、勾玉と朱印が神様の力を借りるための何かだとしたら、弱ってしまった寿老人様の力を多くの人間に分け与えられるはずもない。そもそも神徒狩りの数自体も少ないのかもしれない。
兄弟を神徒に喰われて外道に落ちたというカラハの半生を思ってあたしは口を閉ざした。
静かにアマナ様の話を聞いていた父が口を開いた。
「それで、俺たちに何を求めようとしている?」
少しヒヤリとした口調で。
「菫都の宗主という立場であれば、俺たちが何故翠都を出てここを訪れたのか分かっているだろう。その上で、俺たちをこの場に呼んだ意味は何だ?」
そわりと背筋を冷たいものが這う。
父は警戒しているのだ。翠都を追われるあたしの立場を知って、その異端性と危険性が世間に知られている前提で。
翠都は他との交流が少ない都市ではあるが、完全に閉鎖されているというわけではない。人の口に戸は立てられない。あれだけ大々的に糾弾された後でその情報が外に出ていないはずがない。
特に、都を治める寺社組織の人間であれば情報を手に入れる手段を有しているはずだ。アラージャさんほどの能力は稀有にしても、何らかの網を全土に張り巡らせている可能性の方が高い。
「隠しても詮無い事なのではっきりと申し上げます。我々にお力を貸してください」
アマナ様は畳に手をついた。
「怠慢とまでは行かずとも危機感を失っていた翠都の寺社組織と神徒狩りを叩きなおした手腕はお聞きしております。お恥ずかしながら我々もまた神徒狩りの継承が途絶えた地です。このままでは都は近く滅びてしまうでしょう」
深々と頭を下げたアマナ様に父は目を細めた。
「驚いたな、菫都こそ寺社至上主義で閉鎖的な都だと思っていた。だからこそ、ここまでの衰退を招いたはずだ。それを覆そうというのか」
「もはや形振り構っている時期は過ぎました」
きっぱりと言い切ったアマナ様。
「他の二家は未だ過去の遺恨を振り切れておりません。ラクシャ様たちを独断で招き入れた我々との対立が再び深まるかもしれません。それでも――菫都に住む人々と、その周囲に住む人々を見捨てることは出来ないのです。これは寿老人様が最後に菫都に与えてくれた好機と信じております」
瞳の奥に強い光を灯して。
「どうか、我々に再び立ち上がる為にお力を貸してください」
父はしばらく考えていたようだった。
「……ナユタ、お前はどう思う?」
「あたしは――」
「この都を立て直すにはおそらくお前の力が必要になる。良くも悪くもお前はほぼ無限に古銭を生み出すことが出来るんだ。そして俺やアギもそうしているが、神徒との戦闘経験を無理やりにでも積ませることが出来る。おそらく、この宗主はそれも計算に入れてるだろう」
きっぱりと言い切った父の言葉は、最初からずっとゴクジョウ師匠に言われてきた事と全く同じだった。ガーシャがいてくれれば多少の制御が効くとはいえ、無意識に神徒を呼び続けるあたしは金の生る木だ。
そこに神徒狩りとしておそらく最強に近い父と、翠都を立て直した実績のあるメイカ様たちがいればおそらくどうにかできてしまう。
ただそれは、諸刃の剣だ。
あたし自身がそういった存在であると世間に知らしめる事と同義だから。
「そうなればお前は否応なしに歴史の表舞台に立つだろう。これまでのようにひっそりと生きて行く事は難しくなる」
父はそう言うと、立ち上がった。
「……少し考えさせてくれ。断ったからと言って都を追い出したりはしないよな?」
「無論です」
「よかった。病人がいるんだ、少し休ませてやりたい」
帰るぞ、と言われて慌てて立ち上がった。
アマナ様は、あたしたちを見送る間もずっと畳に額をこすりつけるくらいに礼をしたままだった。
嵯峨野家のお屋敷を出た父はあたしを担ぎ上げてそのまま肩車をした。
「どうしたの、お父さん。あたしもう子供じゃないよ」
「こどもだよ」
上からは、父の表情は見えない。
「俺にとってはずっとこどもなんだよ。だからまだまだこんな事からは遠ざけておきたいんだ」
先ほど双子を担いで歩いた道を父は先ほどよりゆっくり歩いた。
「……だが、あまり悠長にしている時間もなさそうだからな」
「え?」
聞き返したが、それ以上父は話してくれなかった。
ただ、本当に子供にするように、景色を見せながらゆっくりゆっくりと人のいない町を歩いて行った。
歩いていると、人気のなかった道の向こうから白装束の集団がやってきた。口元も布で隠しており、表情が読みづらい。
しかし、友好的とは思えない空気を醸し出していた。
「お前らは堀川か、西京か、どっちだ? 白装束は医師団の方、堀川か」
白装束集団は無言で各々武器を構えた。
父は面倒くさそうにため息をついた。




