菫都へ(1)
翠都を出てもあたしたちは相変わらず大山脈の尾根を進んでいた。
相変わらず大山脈は壮大な景色で迎えてくれた。奥を見れば夏だというのに残る雪。本格的な夏が来ているが朝晩はひんやりと冷えている。氷河に削られた荒々しい山とその奥に見えるのは――『白』の境界だった。
人が少ない土地はだんだんと『白』が侵食してきているように見えた。都から遠いこの場所はだんだん喰われて行っているのだろう。
「出来るだけ離れて通ろう。ラクシャさんがまた落ちたら助けに行かなきゃならなくなる」
ガーシャがだんだんとうちの父相手に遠慮がなくなってきた。どうやらアギとゴクジョウ師匠とカラハと同じ場所に分類されたようだ。
強いけどたまにちょっと考えが足りない武闘派。ついでに言うと面倒見がよい単純素直――ガーシャの好みは分かりやすい。あたしには年上のしっかりした女性に弱すぎるとか言うけど、自分だってわかりやすくすぐ人を好きになるくせに。
「俺だってさすがに何度も落ちねえよ」
そうは言うものの、父もアギと同じで勝手に動きそうな雰囲気がある。テラスが見張ってくれればいいが、賢い白狼もまた気まぐれでいつの間にか姿を消すときもある。
うちの家族は全員駄目だな。
ガーシャも同じことを思ったのだろう。
「せめてナユちゃんだけは残っててね」
そう言ってあたしの手をとった。
と、父が目にも止まらぬ速さで間に入ってきてガーシャの手を振りほどいた。
びっくりしていると、そのままぐいぐい引っ張って先頭を歩き出した。
「過保護」
これまで自分が散々言われてきた台詞をここぞとばかりに浴びせる幼馴染。
「どの口が」
メイカ様が鼻で笑って、アギが吹き出していた。
平和だ。
糾弾されて翠都と縁を切って追い出されてきたのはつい先日の事なのに、そんな事はもう忘れてしまったかのように。
しかし、翠都を出てから気づいたこともある。
黒い鼠が増えている。
いつかのようにあたしの目の前にやってきて何かを語りだすことはないけれど、時に木の上に、時に葉の下に、時に闇の中から目を赤く光らせてこちらを見ている。
見つけるたびにテラスが噛み砕いて飲み込んでいるので、父もそれを敵と認識しているようだ。もしかすると他の誰かに黒い鼠に関する話を聞いているかもしれないが。
「今どの辺りなのかな」
「そろそろ菫都の近くを通るだろう。そこで予定の半分だ」
メイカ様が答えた。暑いからか額の汗をぬぐっていた。
いつの間にかそんなところまで来ていたのか。黄都も遠いと思っていたけれど、冬と違い凍える心配もなく、食料も多いこの時期の旅は非常に順調だ。しかも標高が高いおかげで暑さもない。神徒と戦闘しながら進むくらいで軽い運動にちょうどよい。
木漏れ日の中景色を見ながら歩くのはただただ楽しく、もしかするとこのままどこまでも行けるのではないかと勘違いしてしまいそうになる。
午前中は神徒の発生を抑えてゆっくり平和に歩き、午後は戦闘を繰り返しながら進み、夜は結界で休む。そんな繰り返しを続けていた。
テラスがふわふわと尻尾を振って先導してくれる。尾に結ばれた勾玉が揺れる。
亀の神徒との戦いで朱印の力を使っていたテラスだが、それ以来力を使ってくれる事はなかった。普段は牙と爪があれば戦えているし、父の身体能力があればこの森の中なら光玉がなくとも十分戦える。
でも、本当に素晴らしかったな。
父ラクシャと母テラスの神徒討伐は今もあたしの心に焼き付いている。誰もが憧れたという父の神徒狩りとしての強さを見ることが出来て本当に良かった。そうでなければ、どちらかというと駄目な方の大人に分類してしまうところだった。
隣を歩く父はにこにこしながらあたしの方を見ている。元気に歩いているだけで嬉しいらしいから、やっぱりまだ3歳くらいに見えていると思う。
貴方の娘は15歳ですよ。
まあいいか。
「……メイカ? 大丈夫か?」
アギの言葉で振り向くと、珍しくメイカ様が足を止めていた。
先ほどから汗をかいていたのも暑いからかと思っていたが、どうやら違うようだ。
額に手を当てたガーシャの眉間にしわが寄る。
「酷い熱だ。ずっとしんどかったんでしょ、ちゃんと言って」
「熱……? そうなのか……?」
言われて自ら首を傾げるメイカ様の頬も赤い。
ガーシャがアギの荷物を受け取って、アギは黙ってメイカ様を担いで熱さにびっくりしていた。
「大丈夫じゃねえだろこれ」
背負われたメイカ様がぐったりしている。
どう考えても歩いている場合ではない。
午後の討伐も中止し明るいうち早めに野営の準備をはじめたが、メイカ様はそのまま起き上がれなくなっていた。
熱を測って、他の症状も確認していたガーシャが腕を組んで考えこんでいる。熱覚ましの金銀花を飲ませてみたものの、あまり症状は芳しくない。
「高熱と頭痛と関節痛、何かしらの病原に感染してることは間違いないと思うけど……」
そっとメイカ様の手を持って、着物の袖を捲ってみる。
触られたり動かしたりすると痛みがあるようで、メイカ様がびくりと動いた。
「ごめんね、ちょっと確認したくて」
二の腕の内側、真っ白な肌にぽつぽつと赤い発疹が広がっているのが見えた。よく見ると、首元にも赤い斑点ができ始めている。
「んー……確証はないんだけど、山の熱のような気がする」
「山の熱ってあれか? 子供のころに一回だけかかるやつ。アギもナユタもちっせえ頃にかかってたな」
「そうそう。最初に山に入ると罹るって言われてるんだけど、もしかしてメイカさんて都育ちだからこれまで一度も罹ったことがないんじゃないかな?」
言われてみれば。
海近くの蒼都で育ったメイカ様が山の熱にかかったと思えない。
「奥の山で子供の頃に通らない人はまずいないから、この年で罹るところは実際見たことない。基本的には子供の病気だと思ってた」
カシギがいたら確実に分かるんだけどな、と零しながら。
「残念ながら特効薬もないから、回復は本人の体力任せになっちゃう。少なくともこんな山の中で野宿してたらよくないね。大人になってから初めて罹ると重症化すると言われてるし、このまま熱が下がらなきゃ命に関わることだってある」
命に関わる。
あたしもアギも息を呑んだ。
「明日すぐ菫都に行こう」
ガーシャは即決断した。
毎日毎日神徒と戦いながら、まともに休憩もとらずもう長い間都にも戻っていないのだ。メイカ様が特別丈夫だからここまで来られただけで、とっくに倒れていてもおかしくなかったのだろう。
「……無理させてたよな」
ぽつりとアギが呟いた。
熱い額に、首筋にを少しでも冷やすように大きな手を置いて。
「そうだ、アギ、雪を取って来られる? 谷の反対側になるけど、そっちの方が冷やせるかも。ナユちゃんの氷でもいいけど、冷やしすぎそうな気がする」
「わかった」
アギが立ち上がり、テラスも追いかけた。
テラスがついていれば遅くなっても帰って来られるだろう。
「山の熱だとしたらオレたちにうつることはほぼないと思うけど、なるべく気を付けてね。体力が落ちていたら発熱したりもするからさ」
「じゃあ夕飯用に獣でも狩ってくる」
「鳥がいいな。出汁をとって飲ませてあげたい」
「わかった。待ってろ」
父はあっという間に姿を消した。流石狩人。
苦し気な息遣いで目を閉じたメイカ様を見ていると、あたしの心も苦しくなってくる。あたしには何も出来ないのだろうか。
また無力を感じてため息をつきながら黙々と夕飯の準備をしていたら、ガーシャがぽんと頭に手を置いた。
その感触が優しくて、また泣きそうになってしまった。
それが伝わってしまったんだろう。ガーシャはあたしの頭を引き寄せて胸元に押し付けた。
「きっと大丈夫だよ。メイカさんは強いから」
あたしも手を回してガーシャに抱き着いた。
「……ナユちゃんに触れるの久しぶりかも。ずっとラクシャさんに邪魔されてたから」
そう言われて笑ってしまった。確かにそうかも。
半分泣き笑いで肩を震わせていたら、背中を優しくなでられた。
「みんな疲れてるよね。菫都で少しでも休めるといいんだけど」
菫都は、急峻な尾根を越えた盆地にあった。
上から見下ろした都は異質な形をしている。
まっすぐに東西南北に整然と伸びた道。正方形をいくつも並べた盤遊戯の目のような美しい形。黒灰色の瓦屋根が一矢の乱れもなく並んでいる。千年杉に抱かれた自然ばかりの翠都とは正反対、人間の作り出した規則に則った秩序ある都がそこにはあった。
中央通りは上から見てもわかるほどに広く、まっすぐにお社と思われる敷地へと続いている。
「ここまで綺麗だと逆に怖いな」
父が頭をがりがりかいた。
「かなり閉鎖的な都らしいから、入れてくれるかも分からないな。せめてオレとメイカさんだけでも入れるといいんだけど」
関所に向かって歩いていくと、途中途中にぽつぽつと荒廃した家が建っている。廃村か、と思ったがよく見ると人もいるようだ。ささやかな畑にも夏の野菜が植えてあり、細々とした水路も備えてった。豊かとは言えないがこの場所で生活している人もいるのだろう。
都に近づくに連れてそんな人々が増えてきた。関所の中ではないこの場所では神徒が湧くこともあるあろう。なぜ関所の中で暮らさないのか。
その理由はだんだんわかってきた。
ボロボロになった門が姿を現し、そこから縦横目のそろった道が出てきたからだ。
でもそこは関所ではなかった。上から見た時は都の一部に見えたのだが、ずいぶん前にお社の範囲から外れていて、関所の場所が徐々にお社近くに向かって移動しているようだ。これは過去捨てられた関所だ。
「都が狭まってるのか……古銭が奉納できてなくて、神様の力が弱くなってる?」
菫都の神様は寿老人様だ。確かに言われてみれば、あまり寿老人様の力を使う神徒狩りに会ったことがないような気がする。
「本来は健康や長寿の神様だから菫都では医療関係も昔は発達してたって聞いてたけど、今は……どうだろうね」
捨てられた関所を通り抜けてしばらく行くと、本物の関所が現れた。
こちらは厳重に管理されているようで、立派な黒塗りの建物になっているし門番もいた。扉はあるが、基本的に閉ざされているようだ。固く閉ざされた重い扉が開きそうな気配はなく、外と中を完全に隔離しているように見えた。
入る前からほんのり怖さを感じた。
「ちょっと待ってて」
父とガーシャだけが先に行って、門番と何かを話している。よけいな事を言いそうなあたしとアギは後ろの方で待機だ。
最初は全く話を聞かなかった門番だったが、神徒狩りであることを知ったとたん、態度が全く変わった。
古銭の大量に入った袋をどさりと出すと、門番は慌てた様子で中に入っていった。
父が手招きするので関所の方に近寄ると、ぎぎぎぎぎ、と重いしんどい音がして扉が開かれ、目の前にまっすぐに伸びる道が続いていた。
この扉が開くのは珍しいようで、関所の外に住んでいる人たちも興味深げにこちらを見ていた。
「どうぞ中へ」
門番の人はあたしたちを中に迎え入れると、再び重い朱塗りの扉を閉じた。
関所の中はどこか既視感のある景色が広がっていた。
整然とした道、草一本生えていない美しく磨かれた石畳の道、左右に白壁が隙間なく並び、道を歩いている人はほとんどおらず、静まり返っている。
「……蒼都の寺社組織の町に似てる」
メイカ様に連れられて入ったあの場所にとてもよく似ている。
門番の人に連れられて最初に連れて行かれたのは、関所のすぐ隣にある大きな建屋だった。客人を迎え入れるための施設でもあるのだろうが、閑散とした邸内に人の気配は薄かった。
病人がいることを伝えると、離れに案内された。
久しぶりの屋根のある場所だ。あたしたちが薄汚れているので部屋を汚しそうで申し訳ないが。
しばらく待つと、2人の稚児が現れた。
薄紫の美しい衣をまとって、兵児帯をひらひらと泳がせている。幼い顔に白化粧、ぽちりと眉墨を入れている。赤い口紅が愛らしい。
双子のようにそっくりだけれど、首から下げている勾玉の色が異なっていた。黄色と青色。
「蒼都よりお越しの神徒狩りの皆様をお館様がお待ちです。いらしていただけますでしょうか」
「病気の子がいるから、行けないよ」
そう返答すると、双子は顔を見合わせた。
「お館様は菫都の中でもとても偉いお方です。菫都に滞在されるのであれば、一度小目通り願います」
「どなたかお一人だけでもいらしていただけませんか」
「俺が行くよ。大人は俺だけだ」
父が立ち上がった。
それを見たガーシャが不安げにいろいろ言いたそうにして、迷って、やめた。
ガーシャはメイカ様の隣を離れられないし、アギをつけてもテラスを付けても不安は同じ。
「……ナユちゃん、一緒に行ってあげて」
あたしがいればひどい無茶はしないだろう、との読みで。
父とあたしは菫都の偉い人とやらに会いに行くことになった。




