亀討伐(3)
猩々緋色の衣を翻し、真っ白な狼を携えてとてつもない大きさの神徒に向かっていく。
「お父さんとテラスだけで戦うの?」
「ああ。俺たちは邪魔だとよ」
父の次に神徒との戦闘経験が豊富であろうアギをして邪魔と言われてしまうと、あたしたちに手を出す隙は一切ない。
「……一応、倒し方は教えておいたよ」
「どうするの?」
「言ってしまえば、8つの首を全部切り落とすだけだよ。少しずつ再生するから同時にすべて切り落とした状態にしなきゃいけないのが大変なんだけど」
簡単に言うけれど、この巨大な首を同時に8つも落とす意味が分からない。しかも狐の神徒でやったように、複数人でそれぞれの落とすのであればまだ分かる。
しかし父は一人でよいのだという。むしろ、他の人間は邪魔と言われている。
「まあ、ラクシャさんにはあんまり関係ないみたいだね」
ガーシャが指さした先で、一つ目の首が落ちた。
早すぎる。
じいちゃんが遠くてよく見えん、と言ったのであたしは水の光玉を出して、大きく広げた。
そしてもう一つ、小さい水球を紡錘形にし、光を屈折させる水晶体になる。拡大して水鏡のように大きい方の光玉に広げて映し出す。
白藍色の光玉で作った水鏡に父の戦う姿が映し出された。
ついでにアギの眼鏡もあたしの光玉で置換する。
これでみんなよく見えるはず。
遠くからは小さくて見えていなかったが、大きな亀の周囲には眷属の小さな神徒も大量に湧いていて、それらが手足を縮めて甲羅で体当たりしてきている。
視界いっぱいに飛んでくるソレを、父は目にも止まらぬ斬撃ですべて切り伏せた。
何度刀を振ったのかさえ分からなかった。
アギはその剣速に目を見張った。
「ラクシャの刀は耐性を損なわぬ程度、ほんの少しだけ薄くしてあるんじゃ。それと太刀筋の正確さで、とんでもない剣速と切れ味の攻撃になる」
相変わらずとんでもないやつじゃの、とガオウじいちゃんが言った。
話しているうちに、2個目の首が落ちた。
ガオウじいちゃんが正確無比な攻撃、と言ったが本当にそうで、寸分の狂いもなく頭上からまっすぐに振り下ろされた刀が頸椎の隙間を両断した。神徒に骨という概念はないかもしれないが、もしあの神徒が生き物で、あれの首を落とせと言われたらあたしもあの箇所を狙うだろう。
討伐というより、これは狩りだ。
父の祖父も狩人だと言っていたが、うちは基本的に野生の狩人の血が流れているのだろう。
首を落とした父はテラスと共に疾風のような速度で次の首のところへ駆ける。
「すげえ」
アギは言葉を失って食い入るように父の姿を目で追っていた。
狙う個所の選定は本能的なものだろうが、普通は動く神徒、それもあの巨大な体に対して狙い通りに攻撃する事そのものが難しいはずだ。
「アギなら首落とせる?」
「炎に弱い神徒なら三叉戟で吹っ飛ばせると思うが、やってみないと分からん。それに、首を引っ込められたら終わりだ。今の俺があの甲羅を破ることは絶対に無理だからな」
巨大な異形の神徒も、さすがに二つの首を落とされ何らかの攻撃を受けていることに気づいたらしい。
残りの首をもたげて敵を探し出した。
首にみっしりと生えた目がぎょろぎょろと別の方向に動き出す。気味が悪い。生理的嫌悪をもたらすその動きにあたしはちょっと目をそらした。
「あ、こら、ナユタ、ちゃんと見ろ。お前の意識と連動しているのだからラクシャ様の姿が絵から消える」
メイカ様があたしの顔を無理やり向けさせる。
そういえばメイカ様は父の熱烈な支持者だった。忘れてた。
父とテラスの動きが速すぎるので、集中していないとすぐに見失ってしまうのだ――この術ももう少し改良が必要だな。自動で追尾してくれるような仕組みにしたい。
「アギと同じ毘沙門天様の朱印かな。刀を強化してるのと、ゴクジョウ師匠みたいに両手足に身体強化を施してるように見えるね……もしかして、それだけ?」
父は本当に単純な術しか使っていないらしい。
純粋な戦闘力がおかしいのだ。朱印を使わない戦闘であればおそらく誰も勝てないだろう。
全く無駄のないその動きは、何度も何度も繰り返した基礎鍛錬によって培われたものだ。もともと戦闘に対して天賦の才を持つものが、人生のほとんどを懸けてたどり着く境地だ。途方もない修練を思ってぞくりとした。
そして猩々緋色の衣は神徒狩り中ひどく目立つ。緑の中でも、白色に発行する神徒の体を背景にしても、すぐにどこにいるか分かる。おそらく海でも、雪の中でも。
視線を惹かれる。
目を離せない。
「……しかも、割と余裕に見えるんだよな」
アギがぼそりと言った。
「ラクシャは戦闘狂じゃ。いつも楽しそうに戦うからの。苦戦していたとしても外からは分からんよ」
「アギとメイカさんも割とそのケがあるよね」
前衛の性なのだろうか、危険な戦場ほど高揚するのは。
「アギは分かるが、私もか?」
「自覚ないの?」
言われてメイカ様は黙り込んだ。
と、その時、どどおん、と大きな音がして地面が大きく揺れた。
はっとして直接神徒の方向を見ると、地面に向かって残された頭を打ち付けていた。その反動で起き上がろうとしているようだ。
3か月近く前に『転ばせた』と言っていたから、それからずっと起き上がる様子を見せずにいた神徒がようやくその意思を見せたのだ。
たった一人の人間が生命を脅かしてきていることをようやく悟ったのだろう。
「……起きる気あったの、あの神徒」
呆れたような幼馴染の言葉にアギが同意して頷いていた。
見ると、父は起き上がろうとする神徒を見て攻撃の手を止めていた。
刀を振って納刀し、完全に起き上がるのを待つようだ。
「ラクシャ様はやはり余裕なのでは?」
「……色々あって鬱憤溜まってるって言ってたから、楽しむつもりではあると思う」
しかし、舞っている間に一つ目に切り落とした首が少しずつ再生を始めている。
でも父は気にしていなかった。
気にしていないどころか、自ら亀の側面に回り、頭を地面にぶつける間に合わせて下から両足で蹴り飛ばした。
おかげで神徒の身体はごろりと転がり、四つ足を地面につけて立ち上がることが出来た。
すさまじい地面の揺れに、あたしたちはその場にしゃがみ込む。
切り落とされていた2つの首もちょうど再生したようだ。
それなのに、水鏡に映し出された父は明らかに楽しそうに笑っていた。
ただ倒すだけでも面倒な神徒をわざわざ万全の状態にして、仕切りなおした。
「人んちの父親に言う事ではないけどさ、オレにはもうあの人が理解できない」
ガーシャが言った。
「翠都の進路をずらして転ばすだけでも割と苦労したのに、あっさり戻しちゃってさ」
「……うちの父がごめんね」
そういえば最初に、亀の神徒が大きくて固くて倒せないって言った時に『任しとけ』って即答してたよね。どんな神徒でどのくらい大きくてどのくらい固いかも知らないで。
今さらだけど、それってものすごい事なのでは。
しかも実際、余裕でその神徒と立ち会っている。
立ち上がった亀の神徒は本当に山のようだった。甲羅には一本一本が巨木のような棘が無数に生えていて、支える脚は千年杉の幹のよう。見上げる甲羅からは8つの首が伸びている。首1本もそれぞれ千年杉の太さくらいはある。
赤黒く裂けた口からそれぞれ甲高い声が上がった。
びりびりと頭を揺らす声に思わず耳を塞ぐ。
水鏡に映る父は、しゃがんでテラスと何かを話しているようだ。そしてしばらくするとにこりと笑って鼻先に顔を寄せた。テラスも顔をぺろりと舐めて答えた。
白い毛並みの背中を撫でて、二人は目の前の神徒に向き合った。
何の合図をするでもなく、同時に動き出した。
次の瞬間、父の進行方向に朱色の光玉がぶわりと現れ、神徒の頭を囲むように、無数に広がった。
「テラスの朱印――?!」
驚く間もなく、父がそれを足場に空へと駆け上がった。
あたしたちが光玉を足場にする姿を見ていただろうけれど、まさか出来るようになっていたとは。というか、おそらく今この場で初めて実践したに違いない。なぜなら朱印の使用に関してあまり器用でない父は、光玉を作ることが出来なかったから。
テラスの作る光玉の上、初めてとは思えない精度で空を駆る。
まるで蒼天を舞うように。
猩々緋色の衣が翻り、あたしの目の奥にその色をくっきりと焼き付けていった。
そこからはまるで、音楽のない舞を見ているかのようだった。
空から降下して一つ目の首を静かに落とすと。
地を這うように光玉を蹴ってとてつもない速度で次の首に向かうと、下から突き上げるようにして2つ目の首を刈り取った。
そのまま甲羅の上に跳びあがって、甲羅に生えた棘の上をとーんとん、と跳んでいく。
最初から定められた律動のように。
そうして反対側まで渡っていって、今度は左端の首を落とした。
周囲に広がった光玉を使い、縦横無尽に飛びながら上空から飛来する小さな神徒は蹴り飛ばし、切り伏せていく。父の隣を同じようにかけているテラスも、牙や爪で小さな亀の神徒を狩っていった。
これまでもずっと共に戦っていたかのように互いを補い異形の神徒を追い詰める。
見ているあたしたちは、息をすることさえ忘れて見入っていた。
この高揚を、感動をどうやったら言葉にできるだろうか。
これがあたしの両親である事実が、心のどこかに温かな感情を灯していた。
神徒は大きな足を振り上げて踏みつぶそうとしているが、あまりに動きが遅すぎる。そんな速度では父とテラスを捕えることなど出来はしない。
大きな亀の首がぶおんと振られ、凄まじい風が巻き起こる。
光玉がいくらか風に乗って揺られたが、二人は特に慌てる様子もない。
むしろ巻き起こった風に乗るようにしてふわりと飛び、次の首を落としていった。
何をしても叩き落せない小さな敵を前に、亀の神徒は大きく暴れた。
地面が波打つように揺れ、立っていられない。
水鏡もの表面も大きく波打って絵が乱れた。
「ここも危ない、避難しよう」
あたしたちも空中へ飛び上がり、上から神徒の様子を見た。
山のように巨大な神徒はすでに首がほとんど残っていない。どしんどしんと地面を揺らされ、空気さえも大きく揺れる。その揺れの中を猩々緋色の着物が残った頭の方に向かっていた。
あっという間に7つの首を落とした父は最後の1つの首と向き合った。
亀の神徒は、この小さな敵を倒そうとする事を諦めたらしい。
固い甲羅の中に頭をしまい、手足を引っ込め、完全に籠ってしまった。
地面の揺れは止まったが、このまま放っておけばすぐに最初に落とした頭が復活してしまう。
父は軽い音を立てて着地し、刀を正眼に構えた。集中するように目を閉じる。
刹那、静けさが場を支配した。
思わず隣のアギの手を握っていた。
アギも握り返してくれた。
目を開けた父の刀が振り上げられ、縦に一閃する。
ピシリと音がして空間まで切れたかのようだった。
次の瞬間には亀の神徒の甲羅は両断され、残った首も真っ二つに切れた。
白い紙の人型が無数に舞い、古銭がじゃらじゃらと音を立てて落ちた瞬間、総毛立った。
元が大きな神徒だったせいで、古銭の量もとんでもない。それこそ山のような古銭がそこに残され、視界を埋めるほどの白い紙が空中に霧散していった。
心臓の鼓動が速い。
現実とは思えないような討伐を目の前に見せられて、動くことも出来なかった。
なんとかゆっくりと地面に降りて、呼吸を整える。
誰一人声を出せなかった。
無言で神徒がいた方向を見つめるあたしたちの下に父親が戻ってくる。
まるで散歩にでも行って帰ってきたかのような軽い足取りで。
「はー、ちょっとすっきりした」
軽く運動したくらいの感じで。
笑いながら戻ってきた父の姿を見て力が抜けた。
かろうじてガーシャが声を出した。
「ねえ、ラクシャさん。最初から甲羅ごと切れるなら別に頭を全部落とさなくてもよかったんじゃないかな」
「いやあ、ちょっと運動したかったんだよ。戻って来てから色んなことがありすぎて完全に俺の処理能力を超えて苛々して……すっきりするには戦うのが一番だからな!」
あっはっは、と豪快に笑う父親に、あたしたちもつられて笑った。
「いやあ、冥土の土産にいいもん見た。老体に鞭打って新しい刀を打った甲斐があったわい」
「ありがとな、ガオウじいさん。お代はあっちから好きなだけ持ってっていいから」
父が後ろの古銭の山を指したので、あたしたちはもう一度笑ってしまった。
「さ、武器も手に入れたし、翠都への義理も果たしたし、ラクシャさんも気が晴れたみたいだし、ガオウじいちゃんへの支払いも終わったし……行こうか。じいちゃんも一緒に行く?」
「馬鹿言うでない、この年でお前たちについていけるか!」
「じいちゃんなら平気だと思うけどなあ」
「わしは一人で翠都に行ってのんびりしてから帰るつもりじゃ。お前たちは黄都だったか? 気を付けて行けよ。ラクシャ、子どもらを頼んだぞ」
「俺の方が世話されてることの方が多いけどな。まあ、俺がいる限りにおいて誰も死なせはしねえよ」
その言葉でガオウじいちゃんはほっとしたようだ。
赤都を出る時もアギに『死ぬな』と言っていたじいちゃんは、もしかしたらこれまで悲しい別れを繰り返してきたのかもしれない。
翠都を出て向かうのは黄都。
蒼都でも赤都でも誤魔化して過ごし、露呈しなかったあたしの体質が発露してしまった時に皆がどう思うのかをまざまざと見せつけられ、再び沈みそうになる。
沈みそうになる心を、皆が救い上げてくれる。
だから、いつかのようにばらばらになった心を集めて歩んでいくしかない。
大人になる覚悟をしたはずなのに、相変わらずあたしは弱すぎる――未だにあたしは、自分自身の在り方を優しい人に委ねる卑怯な生き方でしか未来を信じられないから。
それでも進む覚悟ができるのは、優しい人たちを悲しませたくないからだ。
例えその先に見える未来で世界が崩壊したとしても。
三章終わり




